特別1日大会 | ヤメ証しんきちのブログ

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元JW2世のしんきちです。
これまでの半生を振り返って整理するためのブログです。
書きたいことをすべて書いてしまったら更新を停める予定です。
共感してもらえたり、誰かの参考になったりしたらいいなと思います。

すごいことに気づきました。

 

前回の投稿で大会ホールでの弁当のこと書きましたが、この大会、私たち家族にとって忘れられない大会でした。

 

私が車の免許を取ってまだ間もないころで、運転できるのがうれしくて仕方がない時期でした。

自分の車はまだ持っていなくて、家族で出かけるときはライトエースという8人乗りの親の車を運転させてもらっていました。

 

今でも鮮明に覚えています。

この大会の帰り、私が運転をしていて、3列シートの一番後ろに座っていた父の携帯電話が鳴ります。

「まこっですか!(ほんとですか!)」という父の大きな声がします。

祖父が倒れて病院に運ばれたという連絡でした。

 

誰にも言ってないのですが、このときものすごく眠くて、本当のことを言うと居眠り運転しかけていました。

でもまだ運転はしたくて、どうしようと思っていたところでした。

父のその声で一気に目が覚めました。

事故を起こさなくて本当に良かったです。

 

そこから家に帰りつくまで2時間くらいかかったと思います。

もう深夜になっていましたが、家で待っていた祖母と近所の人から一通り話を聞いて、すぐ病院に向かいました。

 

祖父は農家で、この日、日中に稲こぎ(脱穀)をしたあとのワラを納屋の2階に上げる作業をしていたそうです。

で、その時に脳梗塞を起こしたようで、軽トラックの横にドアを開けたまま倒れていたようです。

車のカギも刺さったままだったみたいなので、本来ならピピピピッていうドアが開いているという警告音が鳴るのですが、祖母は耳が悪く全く気づかなったようです。

暗くなっても祖父が帰って来ないので、家の外を探しに行ったら倒れているのを見つけたとのことでした。

近所の人の助けをもらって救急車を呼んだそうです。

 

秋の稲刈りの時期を過ぎて、日が傾き始めるとスッと冷えてくるころです。

そんな中、祖父は倒れてから何時間も発見されずにいたのです。

祖父母とは同じ敷地に住んでいて、この日は大会のために家族全員で朝早く出発しました。

いつも通りの日を過ごしていたら、家族が誰かしらの出入りをして、もっと早くに気づけたはずです。

大会も遠くじゃなくてもっと近場にいたら、もっと早くに家に帰りつけたはずです。

祖母の耳が悪くなかったら、ドアの警告音が鳴り続けることに気づけたかもしれません。

人生にタラレバはありませんが、こんな不運が重なるときもあるんですね。

祖父は意識が戻ることなく5日後に亡くなりました。

 

祖父は浄土真宗で、エホバの証人に対して反対的な立場でしたし、親族もあまり好意的ではありません。

よりによってエホバの証人の大会で家を空けていた時に起こったこと。

その後の葬儀のこととか考えると、父の立場に針のムシロだったはずです。

でも父は矢面に立ってくれていました。

宗教のことで家を空けていたのが結果的に発見の遅れにつながったとは誰も言いませんでしたが、焼香をせず、葬儀にも出席しないことでは親族とかなり揉めました。

いとこが「それぞれの弔い方があるんじゃないかな」とりなすように言ってくれたことが印象に残っています。

 

なんの因果か、そんな大会のデータが残ってたというお話でした。