以前も書いていますが、排斥直後からすぐにでも復帰するつもりで集会に通っていました。
でも罪悪感と孤独感と自己嫌悪でノイローゼみたいになりかけて、一歩下がって復帰するかどうかも保留にして、自分の人生を考えてみることにしました。
「保留」なのでJWの出版物も全部取っておいて、その次に引っ越したときには実家の空き部屋に全部移動させて保管していました。
数年後、エホバの証人とは決別することを決め、その時に聖書や出版物はもちろん、自分の過去の手帳や写真、PCのデータなどエホバの証人と関わるものはすべて捨てました。
こうやって宗教2世が世間に認識されるようになるなんて当時は思ってもいませんでした。
自分も過去を振り返って整理するなんてことになるのであれば、捨てずにとっておけばよかったと思います。
元JWがマスコミに提供してる現役当時の写真とか見ると、特にそう思います。
基本いろいろ取っておく質なんで、鞭を推奨してた講演のメモとかいろんなものあったのにな。
でも、あの時は前に進むためにはそうやってきっぱり捨てることが必要だったのだと思います。
これも前に書きましたが、バックアップ用にとっておいたデータがふとしたきっかけで見つかりました。
写真もデジカメで撮っていた分はあったのですが、デジカメを買う前まで使っていたフィルムカメラで撮ったものはもう戻って来ません。
そういえばそのフィルムカメラ、ある巡回監督から譲っていただいたものでした。
お名前も忘れてしまったのですが、巡回監督が異動で他の地域に移るときに、なぜか引越しの手伝いに行ったのです。
宿舎は私の会衆から車で1~2時間離れていた隣の市にあったので、お手伝いの声がかかったわけでは全然ありませんし、まだ中学生くらいで運転もできません。
でも、なぜかどうしようもなく手伝いに行きたくなって、母に連れて行ってもらいました。
その時にその巡回監督ご夫妻から、もう使わないからということで頂いたものです。
その後、壊れてしまうまで何年も大事に使いました。
話を戻して、最近、その昔のデータを詳しく見てみたのですが、排斥された年月がはっきりしてきました。
排斥されるまでは実家で家族と暮らしていたのですが、それを期に半ば追い出される形で独り暮らしを始めました。
エクセルとかで家計簿をつけていて、2008年3月から「家賃」という項目があり、それ以前には見あたらないのです。
あと、「王国の調べ」のCDをパソコンに取り込んだデータもあって、これが2008年2月22日になっています。
家族で共有していたCDなので、独り暮らしを始めると実家に置いていかないといけないと思ってコピーしたものです。
たとえ排斥になっても、聞く音楽を含めて生活をとにかくエホバの証人のもので埋め尽くして、早く復帰したいという思いでした。
そう考えると今はいいですね。
ネットでものみの塔の最新号も読めますし、統治体のありがたいお話も見れます。
復帰するのになんのために集会に行かなきゃいけないんでしょうね。
ということで、排斥されたのは2008年2月下旬~3月初めということがはっきりしてきました。
その後、ノイローゼになりかけたきっかけが記念式での扱いでした。
出席していた人の中で唯一私のところにだけ、表象物は回ってこず、完全に無視されたのです。
まるでそこに存在しないかのように、透明人間として扱われ、ものすごくショックを受けました。
たぶん、出席者としても数えられていないのでしょう。
それから集会に行くのが嫌になりました。
子どものころはもっと遊びたいとか、話が理解できなくてつまらないとかで集会に行くのが億劫に思ったことはありました。
それでも、集会自体嫌だと思ったことは1度もありませんでした。
でも、この時初めて本気で集会に行きたくなくなったのでした。
それからしばらくして集会に行くのをやめました。
その問題の記念式は、調べてみると2008年3月22日ということなので、排斥されてちょうど1ヶ月ぐらいですね。
記憶が曖昧なのですが、数ヶ月は集会に行っていたような気がしますが、もしかしたら思ってたより短かったかもしれません。
でも、大会ホールであった特別1日大会にもわざわざ行ってるので、それはもっと後でした。
発掘した他の写真データからすると、大会は5月末でした。
そのころにはまだ集会に通っていたような気もします。
この機会に、こういう断片的な情報をつないでいってまとめてみようと思っています。
人生の中で一番つらい時期だったんですが、この作業自体はなんか謎解きゲームでちょっとだけ楽しいかも?