アメリカ大統領が執務を行う「ホワイトハウス」について、Wikipedia(英語版)には次のような説明があります。

 The White House is the official residence and workplace of the president of the United States. Located at 1600 Pennsylvania Avenue NW in Washington, D.C., it has served as the residence of every U.S. president since John Adams in 1800 when the national capital was moved from Philadelphia. "The White House" is also used as a metonym to refer to the Executive Office of the President of the United States. (Wikipedia英語版2025)

 

 この説明文中でホワイトハウスは"The White House"と定冠詞Theを使っています。この冠詞についてNet上のサイトに次のように記述しているものがあります。

 

「“white house” と “the White House”

アメリカ大統領が居住し、執務を行う「ホワイトハウス」は、単なるニックネームではなく正式名称です。 英語で書くときは the White House と、定冠詞 the と大文字を使ってください。 white house ではただの「白い家」でしかありません。」DMM英会話(2024年掲載)

 

 固有名詞はふつう無冠詞で大文字にしますが、同時にtheが必要だとは限りません。小文字のwhite houseがただの「白い家」を意味するのは分かります。しかし、無冠詞で大文字を使いWhite Houseと表現すれば固有名詞としての「ホワイトハウス」を指すと伝わらないの?という疑問は残ります。

 例えばRomeという都市名は固有名詞ですが、通例、定冠詞theを使う必要はありません。そこで、ChatGPTにこの疑問を投げかけてみました。すると次のような答えが返ってきました。

 

「確かに、「Rome」のような都市名の場合、通例として大文字で書きますが、定冠詞「the」を使うことはありません。地名として、固有名詞であるため、特に定冠詞を必要としないことが一般的です。

一方、「White House」の場合、文脈に応じて定冠詞「the」が必要です。なぜなら、「White House」は単なる建物の名前ではなく、特定の場所(アメリカ大統領の公式な住居)を指すため、固有名詞でありながら、特定の機能や役割が強調されています。このため、通常は「The White House」として使われます。」ChatGPT

 

 この回答ではRomeもWhite Houseも固有名詞としながら、一方はtheが不要、もう一方はtheが必要としています。どちらも特定の場所を指すことも同じです。違いらしきところをあえてあげれば「文脈に応じて定冠詞が必要」としている点です。その文脈について具体的な説明が無いと実践的な使い方が分かりません。

 ここでAIがどう答えるか確認したのは、人が書いた文法書の説明についてその妥当性を検証していくための下準備です。AIが即答するような説明しかできない文法書は、AIが発達していけば価値が無くなっていくと予想できます。つまり、将来にわたって有用な文法書は、AIには説明できない言語現象について明確に説明することが求められます。その言語現象の一つが、固有名詞でありながら冠詞theの有無があることです。

 

 AIは「通例Romeという都市名は定冠詞theを使うことはありません」と回答していますが、逆に言えば「通例」では無ければ都市名のRomeに定冠詞を使うことがあることを含意しています。

 通例はAIでも応えられるので、通例ではない現象を含めて一貫した原理で説明するのが文法書に求められる価値と言えます。次の(1)で、都市名のRomeが無冠詞で使われる場合と、定冠詞theを先行する場合の文脈の違いを考えてみましょう。

 

1) a. I have been to Rome.

 

 b.I have been to the Rome in Georgia, one of the Romes in the United States.

 

 文脈には、いつ、どこで、誰と誰が話しているのかといった言外の情報も含まれます。have been toは文脈によって解釈が変わりますが、ひとまず「行ったことがある」という意味で発話している文脈に設定します。そこからさらに、どこで、誰と誰が話しているのかという具体的な文脈を設定してみます。

 まず「日本で、海外旅行が好きな人が、知り合いに話している」場面とします。その場合、(1a)の無冠詞のRomeはイタリアの首都ローマであると解するのがふつうでしょう。特段断ることもなく無冠詞で使われるRomeは会話をしている二人がもっとも馴染みがある都市を思い浮かべます。つまり、同じ名称の他のRomeを想定するまでもない「唯一の名称」は無冠詞です。

 これに対して、(1b)のthe Romeは合衆国にあるいくつかのRomeという名称の都市のうちのジョージア州にある都市を指しています。アメリカ合衆国には、ジョージア州の他にもニューヨーク州、オハイオ州、ペンシルベニア州等、複数の「Rome」という名前の都市があります。この複数の選択肢を想定して唯一の都市に特定したという文脈ではtheを使うのです。

 

 この文脈によって意味が分かる仕組みは英語特有のものではなく、どの言語でも同じです。日本語に置き換えて説明します。もっともありふれた文脈では「ローマへ行ったことがある」といえば、ほとんど人がイタリアのローマをイメージするでしょう。この発話を聞いたほとんどの人は「例のあのローマ?」と聞き返す必要が無いぐらい有名な都市の名称です。the Romeに使うtheは、あえて日本語で言えば「例のあの」のようなニュアンスに近い感覚の語です。

 the Romeは、複数のローマのうち「他でもない/他とは違う/例のあの」ローマ。無冠詞のRomeは、ほとんど無条件で唯一の都市に特定できるからtheは不要なのです。これを一般化すると、冠詞theの使用、不使用の文法説明の仮説が立てられます。

 冠詞theの使用、不使用には、「話者が選択肢の有無を想定するかどうか」が肝心になります。話者の間で他との区別を意識しないほど有名であるとか特別な親しみのあるという唯一性がある場合にはtheは不要です。ポイントは、従来の文法説明「特定する」とか「一つに決まる」といった「唯一性」は定冠詞theの使用、不使用の判断基準にならないことです。

 つまり、固有名詞だからではなく、話者の間で特段断るまでもなく唯一に決まる名称は通例無冠詞なのです。theは、他との区別、対比を意識して特定したことを示す標識ととらえられます。正式名称とは別に、人々が日常的に使う呼び方は規則に従うのではなく文脈に応じて選択するのです。

 

 言葉はあくまでも実際に文脈の中で使って意味を持つものです。文脈の設定を変えれば、意味や表現の選択も変わります。have been toは「いつ」という文脈を「たった今」に設定すると「行ってきたところだ」という意味に解せます。この文脈をさらに詳しく、ジョージア州に住んでいる二人の間で、1時間ほど不在だったわけを説明する際の会話に設定にしましょう。その場合、無冠詞のRomeは片道30程で行ける唯一の都市Rome, Georgiaを意味することになります。他の複数の都市Romesは選択肢に入りませんからtheは不要なのです。

 Romeがどの都市を指すのかは、いつ、どこで、誰と誰が話しているか等の言外の文脈があって初めて決まります。Romeに定冠詞theを使うのは、複数の選択肢があって無冠詞では唯一に決まらないと発話者が判断しているときです。

 

 身近な人との会話では言いたいことが伝わりやすいので、一般的ではない表現を使ったり、言葉を少なくしたりできます。言いかえると、個々の会話では、言葉を交わす人の間での共有情報が多いほど表現の選択の自由度が高くなるのです。

 それに対して、共有情報が限られる社会一般の人に向けて発する公の場で使う表現は、常識と考えられるものを選択することになります。この公で使う文脈に通用する表現の典型が規範的規則です。規範は様々な文脈の中の1つ「広く社会的で使う公の場」を文脈に設定した規則なので、文脈が異なる個々の会話で使う表現の選択に、そのまま流用できるとは限りません。

 

 規範的規則という狭い文脈にとらわれず、人と人とが言葉を交わすときに伝わる表現として文法を捉えたデンマークの言語学者イェスペルセンの文法説明を紹介します。

 

「言語学的には、固有名と普通名のあいだに、はっきりとした境界線を引くことは全く不可能である。…father、mother、cook、nurse(ばあや)などの語を冠詞なしに使う、おなじみの用法は、固有名に近似している。疑いなく、子どもたちは、ある年齢に達するまではそれらを固有名と感じているが、それも無理かならぬことである。なぜなら、母親やおばが、子どもに話しかける際に、自分の父親でなく子どもの父親のことを、fatherということがあるからだ。

 普通名が固有名になるときに起こる特殊化は、普通名の性格に観察される特殊化とは、種類においてではなく、ただ程度において異なるだけだ。たとえば、the Black Forestが特定の名前になったとき、この名前と、どこか他の森林について普通名として用いることができるthe black forestという結合との関係は、the blackbird(クロウドリ)とthe black bird(黒い鳥)との関係に似ている。…

固有名と普通名との差異は、種類というよりも程度の差異であるから、両者のあいだにはっきりした線引きをすることはできない。ある名前は、つねにその名の持ち主が分かる性質、つまり、ほかの人や物と区別できる性質を内包している。表示されるものが特殊的あるいは特定的であればあるほど、その名前が恣意的に選ばれる公算が大となり、したがって、それだけ固有名に近づくか、あるいは固有名になってしまう。」

  イェスペルセン『文法の原理』1924(安藤貞雄訳)

 

 一般的にfatherやmotherは所有格の代名詞をともなってmy fatherとかhis motherのように使います。所有格の代名詞は広く捉えると冠詞theと同じく「複数の選択肢から特定する」という文法的な働きをします。これらにthisやthat等の指示代名詞を加えてdeterminer(決定詞)と呼ぶことがありますが、やはり複数から特定するという点は同じです。

 日本語で、「僕のお父さん」とか「あの子のお母さん」とか言うときの「僕の」や「あの子の」は他の一般的なお父さんやお母さんと区別することを念頭に置いている場合によく使われます。his motherのように、所有格を使うのは、motherが複数いると想定できる公の場を文脈に想定しています。公の場で、決定詞の無いmotherといえば「誰の?」ということになりかねないからです。ところが、家族という限られた間柄での会話では、唯一の存在と了解されていれば決定詞が無いMotherと言えばだれを指すか分かります。

 

 The Berenstain Bearsという絵本が原作のアニメでは、Brother、Sisterという決定詞の無い表現が特定のキャラクターを指します。その物語の主役は、父、母、兄、妹の4人?(熊)の家族です。The Berenstain Bearsという物語の中では、唯一の存在であると了解されているので、登場するキャラクターはみんな無冠詞のBrother、Sisterを固有の名前として使います。話者の間で唯一と特定できれば、他との区別を念頭に置いた決定詞は要らないのです。

 この原理は、固有名詞とか一般名とかの分類は関係ありません。Romeでもmotherでも、話者間で了解できる表現を選べばいいということです。

 

 the black forestは数ある「黒い森」の中から特定した名称です。それをThe Black Forestとして「ドイツの南西部にある広大な森林地帯」の名称に限定して使うと固有名となります。それからさらに認識が進み他との区別を意識しなくなる人々の間では呼称はどうなるでしょう。イェスペルセンの記述は1924年当時のものです。呼称の変化の過程を見てみましょう。

 

 

 

 Ngarmで示された上の各グラフは次のような使用率を示しています。

 

 Black Forest(青)は、無冠詞「Ø」、定冠詞「the/The」をすべて含んだ使用率

 the Black Forest(赤)は、定冠詞「the」と表記する表現の使用率

 The Black Forest(緑)は、定冠詞「The」と表記する表現の使用率

 

※このグラフで、(青)から(赤)と(緑)を合計した数値を引いた差が無冠詞「Ø」Black Forestの使用率になります。(以降のグラフも同様の見方をします。)

 

各年代の無冠詞「Ø」の使用率と定冠詞「the/The」の使用率を概算すると次のようになります。

 1820年 「Ø」0.0000010  「the/The」0.0000220   相対比率1:22

 1924年 「Ø」0.0000037  「the/The」0.0000123   相対比率1:3.3

 2020年 「Ø」0.0000080  「the/The」0.0000168   相対比率1:2.1

 

 1820年では、定冠詞を使った呼称が無冠詞の20倍以上です。その当時は定冠詞theを使ってthe Black Forestと呼ばれることがふつうだったことを示しています。

 その約100年後イェスペルセン『文法の原理』が出版されたころには定冠詞theを使う呼称が3倍強にまで比率を下げ、無冠詞のBlack Forestを使う頻度が高くなってきています。

 さらに約100年後には定冠詞theを使う呼称が2倍強にまで比率を下げ、無冠詞のBlack Forestの使用がより広がっています。

 

 固有の自然の地名にtheが使われるかどうかは規範的規則によるのではなく、人々がその地名をどの程度認知しているかによるのです。呼称を使う人々の間で、その呼称がより有名もしくは馴染みになり特定性の程度が上がるに従って他との区別を意識する必要性がなくなります。その程度が高くなるほど、他と区別して特定したことを示す定冠詞theの必要性が感じられなくなり、無冠詞のBlack Forestと呼ばれる頻度が高くなることを示していると分析できます。

 情報が今よりもずっと乏しい100年前に、変化する言語を観察・分析したイェスペルセンは、「表示されるものが特殊的あるいは特定的であればあるほど、それだけ固有名に近づくか、あるいは固有名になる」ことを示しました。現代では、Net上にある情報から言語事実を確認し、説明の妥当性を検証できるのです。

 

 この知見をもとに、市販の英文法参考書の記述を検証してみましょう。実例は一部抜粋して全体の構成がわかるように引用しています。

 

「theと固有名詞

 固有名詞にtheがつくか否かは慣習的なものも多く、綿密なルールというものもないが、つぎのようなものを念頭に置くとよい。

(1)   theを付ける固有名詞

 ①    固有名詞が元々複数形の場合――原則としてすべてに適用

   山脈the Alps(アルプス山脈)……

 ②    A of Bの形をとる固有名詞――原則としてすべてに適用

   the Gulf of Mexico(メキシコ湾)……

 ③    <固有名詞+普通名詞>

  (a)海・川・運河

   The Pacific (Ocean) (太平洋)……

   ……

  (e)新聞・雑誌

   The New York Times……

(2) theをつけない固有名詞

 ①普通名詞を含まないもの

   人名,天体名、国名、大陸、州、都市名など

   Robinson(ロビンソン) ……

【発展】たとえば人名でも  The Mr. Robinson I know is not the person described in the newspaper stories. (私の知っているロビンソン氏は新聞の話に書かれているような人ではない)というように、限定されればtheがつくこともある。

 ②  山、湖、鳥、岬

  Cape Horn…

 ③  建物や施設―習慣的な例外が多い

  …

  綿貫 陽、マーク・ピーターセン『実践ロイヤル英文法』2014

 

 具体例は省いて、全体の構成を示しています。固有名詞という分類をさらに分類して実例を列挙しています。「固有名詞にtheがつくか否かは慣習的なものも多く、綿密なルールというものもない」という記述があるだけで理由は特にありません。分類に終始し、【発展】には「限定されればtheが付く」とあります。

 この参考書は共著者の一人にピーターセンの名があります。同氏は単著の書籍で、文法書にある「名詞にaやtheを付ける」という考え方は、「非現実で、英語の世界には存在しない」として規則に基づいて冠詞の有無を決めることを批判しています。ちなみにピーターセンの著作はほぼすべて読んでいるので断言しますが、この記述は同氏の考え方は全く反映しておらず、綿貫氏が書いたものです。

 名詞を分類し、個別に分類した語群に「世の中で唯一の物にはtheが付く」のような記述をするスタイルは、19世紀の規範文法にある記述の流用です。冠詞の使用についてはほとんど何の説明と言えるものはありません。

 巻末の参考文献は1980年代以降のもので絞めていてスイートやイェスペルセンなど20世紀の初頭のものは皆無です。言語事実はできるだけ情報が新しい方がいいのですが、文法説明は20世紀後半に劣化しているので、新しいからいいとはいえません。

 

 公の規範として認められた名称を分類して、theが付くか付かないかと列挙するだけなら、AIに固有名詞とthe について尋ねれば十分でしょう。ChatGPTは発達段階にあるので、時に分かりやく矛盾したことを答えることがあります。しかし、これは人が書いたものでも同じです。

 私個人のことで言えば、文章を書くときには「自分の説に都合のいい事例だけを選び、矛盾する例を避けてはないか?」ということを常に問いかけます。あえて、説明できない事実や異なる見解を探して検証することもあります。

 

 市販の文法参考書の中にも固有名詞とtheについて詳しい説明を試みているものもあります。以下に引用した文章と、イェスペルセンの記述をもとに検討したことを比較してみると、より理解が深まります。

 

「なぜtheが名前に付けられるか

 それではなぜ名前にtheが付けられるのでしょうか。この疑問を解くためには、「名前」というものがそもそもどういった機能をもっているのかを知らなくてはなりません。

  「名前は1つのもの・一人の人を指すためにある」

 

 「太郎」という名前は太郎君一人を紛れもなく指し示すために、付けられます。あたりまえですね。もしある男の子が「なっとう」という名前だったとすると、途端に不便なことが起こります。茨城県名産の晩ご飯に出てくるとブルーになってしまう、「なっとう」と区別がつかなくなってしまいますから。…だから名前は通常、それらしい名前専用の単語をあてるのです。例えば「太郎」とかね。

 さて、まず地名(都市名)を考えてみましょう。London、Paris、New York、Tokyo、Urawa。「太郎」など人名と同じように、聞いただけで「1つの場所」が浮かびます。だから、このまま名前として使うことができます。SONY(ソニー)、HONDA(ホンダ)、TOYOTA(トヨタ)、BRIDGESTONE(ブリジストン)など企業名も人の名前と同じ。聞いただけで「1つの会社」が浮かびます。だから、そのまま名前として通用するのです。

 theが付けられる名前は、そのちょうど逆。

 theが付く名前の基本は、「なっとう」のような「一般的な単語」で名前が作られている場合です。例えば、米国大統領の住むthe White Houseを考えてみましょう。white(白)もhouse(家)も、名前のためにあつらえた単語ではありません。一般的な単語。これが名前であることをハッキリと示すためには、「1つを紛れなく示している」ことを示す必要が強く感じられます。ほら、わかってきた。それがtheなのです。」「1つに決まる」をもつこの強い単語が、一般的な単語で作られたthe White Houseが名前として機能することを保証し、支えているのです。」

  大西 泰斗、ポール・マクベイ『一億人の英文法』2014

 

 このように詳しく書かれた文章を検証すると、従来の文法説明の矛盾点がよくわかるようになります。丁寧に説明しようとする意図は評価できますが、内容は自説に都合がいい例を採用して書いた典型です。お分かりの方には必要ないかもしれませんが、とりあえず検証例を示しておきます。

 まず、分かりやすいところから。子供の名前という大切なものに「なっとう」という名前をつけようとしない理由は一般名だからはおかしいでしょう。その名前のせいでいじめの原因になったら困るなど、親が子供の名前として好まないというのが理由です。「流星」は一般名ですが、横浜流星はそれによって困ることはなく、私はとてもいい名前だと思います。まったく言語感覚にあわないおかしな説明を「あたりまえですね。」と言われたら、「いいえ、あたりまえではありません」と即答できます。

 また、white(白)は名前のためにあつらえた単語ではなりませんが、Whiteさんという名前で呼ばれる人は大勢います。企業名のAppleは一般名ですが、世界中で十分名前として通用しています。元々一般名として使われていた語を名前にする例はいくらでもあります。これらの名前を通用させるのにtheの支えは必要ありません。

 

 元々一般名に使われていた言葉が「1つに決まる」のは、人は文脈によって浮かぶイメージを変える想像力をもっているからです。冠詞が無い言語でも一般名を名前として使うことはふつうにあります。日本語に冠詞はありませんが、一般名を名前にするのに定冠詞がなくて困ったということは聞いたことがありませんし、ありえないでしょう。つまり、たまたま英語にあるtheを、一般名を名前として通用する仕組みに関係づける必然性はありません。

 例えば、「アップルの方が好き」というセリフの意味を考えてみましょう。このセリフが、他社のパソコンを使いにくそうに操作しているという状況で使っていれば、聞き手は「アップル・コンピュータ」を思い浮かべます。オレンジジュースを勧めた時に帰ってきた返事であれば「アップル味」を思い浮かべます。同じアップルを違う意味にとらえられるのは、発せられた言葉だけでなく言外の状況などの情報も含めて想像力を働かせるからです。Appleが世界で名前として通用するのは、「例のあの」というような区別をしないでも世界中の多くの人が単語だけで想像できるほど名の通った会社に成長したからです。

 下の文章は、たまたま見かけたXにポストされたものから引用しました。appleは小文字、無冠詞ですが意味は特定の固有名1つに決まります。

 

 携帯電話が普及した今日、このappleを見て果物の「リンゴ」を想像する人は皆無でないにしても多くはないでしょう。書き言葉の規範的規則は、言葉が伝わる本質的な仕組みの文法とは別のものなのです。

 

  HONDは本田宗一郎さん、TOYOTAは豊田喜一郎さん、といずれも創業者の苗字です。世の中には本田姓の人、豊田姓の人は他にいるでしょう。会話では字面の情報はないので、「話すための英文法」にとって大切なのは、「ほ・ん・だ」、「と・よ・た」という音の連鎖で構成されたありふれた名前が固有名として通用する理由の説明です。

 会話に対応すると標榜する参考書なら、「言語の本質は二人の間で交わす会話である」と説くイェスペルセンの記述を参考にすればいいのに、と思うのは私だけでしょうか。

 

 この参考書の丁寧に説明しようとしている姿勢には好感が持てます。多くの参考書は理由を説明しないで、名詞を分類しそれによって冠詞の使用不使用が決まる規則があるかのような記述に終始します。私の知る限り、現状、和製の受験参考書は規範文法をベースとしていて、公の場で使うという限られた文脈を扱うので視野が狭く、言葉が伝わる本質に基づいた説明は期待できません。では、学びにならないかと言えば、そんなことはありません。

 文法説明は一つの正解があるという性質のものではありません。言語は伝わる仕組みという意味での文法は古典英語と現代英語では全く違うことがそのことを示しています。文法説明に評価は、その正誤を判定して決めるものではなく、妥当性を図るものだと思います。多少不備のある参考書でも、その考え方が披歴してあれば、実際に使われているニュースや映画などの表現を上手く説明できるか自分の頭で考えて妥当性を評価できます。そのように主体的に読み解けば、必ず何かしらの学びになります。

 

 参考書の稚拙な説明は、主体的な学び方によって活用できますが、言語事実と違うのはそれ以前の問題です。公的な場で使う表現と一般的な会話で使う表現はしばしば異なります。それは時代によっても変化し、数年前は誤りと言われた表現が正用になるということはよくあることです。昔の規範的規則を覚えても通用するとは限りません。

 固有名とtheは、人の意識の変化が大きな要因になっています。現代の日本国内にいる多くの人は、「ほ・ん・だ」いう音の並びから車やバイクを思い浮かべ、「に・と・り」という音の並びから家具などを連想するでしょう。しかし、外国の人は「ほ・ん・だ」は同じように思い浮かんでも「に・と・り」は思い浮かばないかもしれません。固有名が一つに決まるのは、文脈の中で使われたとき聞き手が容易にイメージできるほど認知度高い場合です。つまり、名前とtheの使用について、次のような傾向があると言えます。

 

 有名になればなるほど、他と区別をしたことを表示するtheは不要になり、無冠詞で表現される

 

 一般名よりも固有名の方が、また自然の地名よりも人工物の方が世の浮き沈みなどを反映して変化しやすいでしょう。そのような固有名の呼称は変化の中で見ていくことが肝要になります。

 

 参考書の多くは新聞、博物館、銀行などに細かく分類して、その分類にしたがってtheをけるかどうかという記述スタイルをとります。そこには言語が変化するという視点が欠けています。

 固有名詞とtheの使用について、『一億人の英文法』が具体例を挙げるだけでなく、その解説も期しているので、その妥当性を検証する素材になります。そこで取り上げているワシントンポスト、ナショナル・ギャラリー、日本銀行の3つの名称について検証していきます。

 

【ワシントン・ポスト】

「the Washington Postに注目してみましょう。みなさんご存じのようにWashingtonは元々人名。それが州名にもなっています。まあともあれ名前。「名前(Washington)+普通の名詞」ですから、これだけでも名前として通用します。ですが「権威ある」「誰でも知っている」新聞名。光が欲しい。だからthe Washington Postとtheが重ねられているのです。」(大西 他2014)

 

 ワシントン・ポストの創刊年は 1877年 で正式名称は 「The Washington Post Company」 です。1972年にニクソン政権が関与したウォーターゲート事件を報じたことで知られます。AmEの呼称の変遷を見てみましょう。

 

 ワシントンポストは定冠詞はtheとTheという表記の両方が比較的高頻度で使われています。ウォーターゲート事件を報じた1972年時点の呼称の使用比率はおおよそ次のようになります。

 Ø  Washington Post  108

 the Washington Post  152

 The Washington Post  67

 青線のグラフはワシントンポスト全体の使用率を表しています。話題にあがる頻度と考えることができるので、その高さが認知度を示していると言えます。簡単に言うと青線のグラフが高いと有名だということになります。

 有名になるにしたがってtheが取れて無冠詞で使われることが多くなっていることが読み取れます。当のワシントンポスト社では正式名称のThe Washington Postという表記を使うにしても、一般的には無冠詞のWashington Postの方がよく使われていることを示しています。特に会話では無冠詞で十分伝わるし、実際に使われていると判断できます。

 

【ナショナル・ギャラリー】

「博物館・美術館など誰もが知っている施設にもtheがしばしば用いられます。the National Galleryはnational(国民の)、gallery(美術館)と一般的な単語だけ。そもそもtheが必要なのですが、そこはさらに「光」を与えようという意識も働いています。」(大西 他2014)

 

 設立は1824年、正式名称はThe National Gallery, London です。

 

 1824年設立から1860年ころまでの社会的に名前が知られていく時期だけを見ると、定冠詞theを使う正式名の使用頻度の方が高くなってはいますが、同時にØ National Galleryも使われるようになっています。さらに近年の2000年では、Ø National Galleryの使用頻度がthe National Galleryの頻度を逆転してやや上回っています。設立から時間が経過し知名度が高くなった2000年には無冠詞で使う比率が高くなっていることが確認できます。

 

【日本銀行】

「theが銀行名に非常によく使われるのも同じ理由。the Bank of Japanは、「A of B」。ただでさえtheが必要な形であるのに加え、銀行の持つ「権威」をtheが表している。「どうしてもtheがいるだろ、ここは」レベルの意義のあるtheなのです。」

 (大西 他2014)

 

 日本銀行の設立は1882年、正式な英語名はBank of Japanで無冠詞です。当のホームページの表記で確認できます。多くの英語使用国の人にとって外国の銀行なので国際的な話題になる時とそうでない時で使用頻度は変動すると考えられます。三菱地所がニューヨークのタイムズスクエアにある不動産を買収して話題になったのは1989年、日本経済のバブル崩壊は1991年頃です。

 1824年設立から1860年ころまでの社会的に名前が知られていく時期だけを見ると、定冠詞theを使う正式名の使用頻度の方が高くなってはいますが、同時にØ National Galleryも使われるようになっています。

 日本と英米と戦争している期間は、英語使用国の間で日本経済を話題にする頻度が落ちていることが読み取れます。戦後の推移は、日本経済について話題になることが多くなり日本銀行の認知度が上がっていることを反映していると考えられます。

 1990年ごろのグラフは、後にバブルと言われるほどの経済成長とともに日本銀行の知名度が急激に上がっていることを示しています。それにともなって無冠詞のØBank of Japanの使用頻度も急激に上がっていることが読み取れます。

 日本経済のバブル崩壊後、日本銀行が話題に上る頻度が一気に落ちています。その時期、日本銀行の呼称として無冠詞のØBank of Japanの使用頻度も下降傾向にあることが確認できます。

 

 面白いことに、正式名称はØ Bank of Japanですが、設立時から数年はthe Bank of Japanが使われています。その後の推移は、有名になっているほどØ Bank of Japanの使用比率が高いという傾向が見られます。事実は、日本銀行は「どうしてもtheがいるだろ、ここは、レベル」ということは無いことを示しています。

 また、「the Bank of Japanは、「A of B」。ただでさえtheが必要な形」は著者たちの思い込みで、「A of B」は必ずしもtheが必要な形ではありません。日本銀行の正式な英語名は無冠詞のBank of Japanで、使用実態は認知度に応じてtheの有無が変化しています。この日本銀行の使用例は参考書の記述の反証になっています。著者は、自説を述べる説明に使う唯一の銀行の実例に、わざわざ自説の反例を採用しているということになります。

 

 以上の参考書の著者が選んで取り上げたtheを使うとする3つ例には正式名称と通称が混ざっています。使用実態を知らない学習者は気づかないかもしれませんが、使用実態や実用英語に詳しい人が見たら、おかしいことに気づくような記述になっています。

 実際のところは、どこかの文法書に載っている規範的規則の分類を流用して、そこには無かった実例を当てはめたのでしょう。著者たちが規則通りに使うと思い込んで事実を調べないで実例を選んだおかげで、規範的規則が使用実態を全く表せていないことが検証できました。

 3例はいずれも人工物ですが、正式名称に関わらず、知名度が上がるにつれて冠詞theがとれて無冠詞で通るようになるという傾向を示しています。参考書が示す分類によってtheの使用傾向が決まるという説明に反して、「誰でも知っている」ものほどtheがなくても「一つに決まる」傾向があるというイェスペルセンの主張を裏付けています。一般的に日本に住む人の間では、木村拓哉に「他でもない例のあの」は要らないのです。

 

 今回の参考書の記述の検証で、従来の文法記述の問題点をその改善点が浮かび上がりました。以下にまとめておきます。

 公的な建物・機関は、人が設立する人工物なので正式名称にtheと冠するかどうかは任意です。正式名称については文法が扱う規則とか法則とは性質が異なります。それは各機関のホームページなどで確認すべきことで文法書に書いてある不確かな2次情報をもとにするのは情報の扱いかととして不適切でしょう。

 学習文法が扱う上で大事な点は、文語ではどう表記されるか、あるいは会話ではどのように言い表すかという実践的な使い方を示すことにあります。つまり正式名称ではなく実際に使われる「通り名」の実態とtheの有無とその理由を示すことが重要です。

 参考書は文法説明以前に、正式名称と通り名の区別をしていないので、何の目的で書いているのかが不明瞭です。つまり実際にどう表現するのかの指針とはいえません。会話を重視するかのようなうたい文句が多いので学習者は余計に判断できないと思います。参考書記述の実態として、theと固有名に関しては従来からある文語での表記法です。その説明は分類を基本として、分類に従って規則的に決まるという規範文法の発想で記述されています。

 固有名は冠詞theの有無に関係無く話者の間で唯一に特定されるので、定冠詞theの機能を「1つに決まる」と考えていては、有無の理由を説明できるはずがないのは論理的必然です。実際の呼び方つまり通り名について、建物・機関等の固有名は固定的に決まっているものではありません。それを固定しているかのように扱っているのです。

 

 問題点は、固有名とtheの使用についての文法説明は、事実、論理のどちらの面においても、何を提示したいのか不明瞭であることです。

 改善点として、①文法が扱うのは「通り名」としての文語・口語での使用であることを明示すること、②通り名について、theの有無は知名度、公式度によって変化し固定的ではないこと、③定冠詞theの文法機能を従来の「1つに決まる」を改め「他とは違う」という人の意識とらえること、を提示します。

 呼び方が変わるのは、個々の名称の知名度の高低を人がどう認識するか、どういった場で発話するかに依っているからです。

 

 今回扱った建物・機関等の固有名について、設立当初はtheを冠して呼ばれる傾向が大きく、話題に登る頻度が高くなり有名になるしたがって定冠詞theが取れて無冠詞呼ばれることが多くなるという傾向があります。当初は地名でが低いので「他とは違う」というニュアンスのtheを冠して呼ばれますが、有名になると「他とは違う」と断らなくても無冠詞の名称だけで特定できるということです。

 知名度とは別の要因として、個々の呼称は公式度が高いほどtheを使用する傾向が高くなります。具体的に言うと、新聞の本文などの文語では、theを冠して使われることが多いと言えます。逆に非公式な場面、とくに口語では知名度が高い名称は無冠詞で呼ぶことはふつうにあり得ます。

 学習者は、正式名称か通り名か、名称の知名度がどの程度か、公式か非公式か、文語か口語かという視点で、実際に使われている表現に接していくことが良いと思います。

 

 最後に、冒頭にあげたホワイトハウスの使用について見解を記しておきます。

 

 ホワイトハウスは、首都がフィラデルフィアから移転した1800年以来のアメリカ合衆国大統領の公式な住居です。設立から一定の期間はtheを冠して呼ばれることがふつうです。2世紀以上経過した今日では知名度は十分に高いので非公式な場では文脈からtheを落としたWhite Houseは通り名として通用すると言えます。

 ただし、ホワイトハウスは国家に関する建物あるいは機関なので、公式度が高いことを考慮する必要があります。下図の、Central Parkの呼称の変遷と比較してみましょう。

 

 

 ニューヨークのセントラルパークの設立は1857年で、ホワイトハウスよりも半世紀後です。しかし、米国においての呼称(AmE)では冠詞を使ったthe Central Parkから無冠詞のCentral Parkへの移行が顕著に早く進んだことが分かります。公園は一般の市民が憩いの場とする身近な施設なので、公式度が低いと言えます。

 white、central、house、parkはいずれも一般的な語です。White HouseもCentral Parkも一般的な語で構成されているという条件に大差はないので、呼称の変遷の違いは公式度の違いが大きな要因と考えられます。

 ホワイトハウスに対して持つ人の意識は今後変化することはあり得ます。現状の認知度の高さという条件はセントラルパークとの違いに影響しないほど高いので、公式度の高さから言えば、theを冠したthe White Houseという呼称の優勢は比較的長く継続していくと予想できます。

 

 このホワイトハウスの呼称の説明が、現状のAIの説明に勝っているといいのですが。もしそうなら、その妥当性を認める人々がやがて多数を占めるようになり、結果としてAIに反映されことになるかもしれません。扱う情報量では到底勝てそうもない人類は、今後は情報の創発力で勝負することが求められるのは変わらない気がします。