英語の4技能という考え方は100年以上前からあり、それは旧文部省の教育方針とされてきました。「聴方、言方、読方、書方ハ各其ノ目的ヲ別ト雖モ其ノ授業ハ相関セシムルヘシ」官報『中学校ニ於ル英語教授調査委員報告』1909(明治42年)。近年の学校英語は一見すると口語中心を装っていますが、その根本は100年前と変わりません。

 

「中高の先生は多忙な公務の合間に100年前の文法を教える。そして大学の教員は100年前の文法しか知らない学生相手に授業をこなし、あとは自分の細分化された研究に忙しい。このシステムは100年前に原形ができ、いまもかわっていないし、これからも変わる見込みはない。こうして、日本人がまなぶ英文法を改善する道は、閉ざされたままである。」三浦陽一『日本人の英語教育は100年前にフリーズした』2018

 

 学校文法は英米の規範文法を流用したものです。規範文法は文語の標準英語という極めて狭い範囲しかあつかいません。公的な文章を文法訳読するには適していますが、さすがに100年前の発想で書かれたものなので時代には合いません。

 特に情報・通信の環境が大きく変化した今世紀は、英語という言語自体が大きく変化してしています。時代に合わせて英米の辞書や文法書も新興表現を慣用として容認する方向へ変化しています。実使用と学校文法の乖離はさらに広がりつつあります。

 

 このブログは学校文法を改善するための基礎研究という趣旨で書き始めました。いまは、正直に言うと、学校文法を改善するのかなりの時間を要すると感じています。主な理由は2つです。英文法に対する需要は受験英語対策なので入試が変わらない限り学校文法も変わらないこと。会話ができないことを問題にする教育関係者でも、学校文法が現代英語本来の言葉が伝わる仕組みと乖離している実態を本当に理解している人がほぼいないこと。

 4技能自体100年前の発想です。実際に使われる現代口語と学校英語は相容れない原理をもとにしているので、口語と文語を関連付けるのは無理でしょう。帰国子女やおうち英語で身に着けた英語が、学校では評価されないということはよく耳にします。そのことが学校英語がコミュニケーションに使う生きた英語と乖離している現実をよく表しています。実際、現行文法の問題は100年前から全く変わっていません。

 

「わたしは、今日の文法理論の欠点の多くは、次の事実によるものだと考えている。すなわち、言語の本質的性格の正しい理解は、研究の基礎を、まず第一に生きたことばを直接観察することに、次いでただ二次的に、書かれた、または印刷された文献に置くことによって初めて得られるものであるのに、文法の研究が主として、書かれた文献のみを通して知られる古代語についておこなわれてきた、という事実である。」(はしがき)

  イェスペルセン『文法の原理』1924(安藤貞雄訳)

 

 学校文法は古風な標準英語を基本とする受験用と割り切ってしまう方がいいかもしれません。現時点では、改築や増築ではもはや時代の流れには追い付けないと判断しています。口語英語が伝わる本来の仕組みの体系を新築する方が現実的だということです。

 口語英語はネイティブが幼少期に身に着ける文法感覚と一致します。学校文法と対比することで、口語英文法の特徴を描き出すことができるでしょう。精緻な体系を示すことで、結果として学校文法のイノベーションを促すことになれば当初の目的にも叶うことになります。

 

 学習者用の口語英語の基礎をつくるための良質な素材は、英語話者を対象とした絵本やアニメで使われる表現です。学習者用の口語英文法体系とは、英語話者を対象とした絵本やアニメで使われる自然な表現を一貫した原理で説明できる体系です。

 絵本やアニメで使う表現を分析すると、英語ネイティブが使う自然な表現が本来の言葉が伝わる仕組みに基づくことが確認できます。

 

 A magician never gives away their secrets.

  ――Ben and Holly's Little Kingdom

 

 ここで使われているtheirはa magicianを受けています。このように形式上単数名詞を受ける用法をsingular theyといいます。2022年の東大入試に登場し英語教育業界で話題になりました。

 

 The author did not like their body.

  ――東大入試問題(第5問)2022

 

 このときの問題用紙の注釈には「なお、以下の選択肢においてtheyおよびtheirは三人称単数を指す代名詞である」とあります。つまり、東大受験生でもアニメでふつうに使い幼児が知ってるような基本語の代名詞に注釈が必要なのです。このことが受験英語の実情を示しています。

 

 近年の論文では、幼少期の早期に身に着ける文法感覚として、内容を指す語と形式上置く語を区別することが報告されています。現代口語英語では、内容語にはストレスを置き、意味内容が無い機能語はあえて弱くは発音します。これは幼児期に身に着ける特徴であり、現代語の文法的仕組みを反映しているのです。

 上記に挙げたアニメの用例は「魔法使いは決して秘密を明かさない。」と和訳できます。このときに「彼の(秘密を)」とtheirを訳出する必要はありません。a magicianやthe authorを受けるということが分かっていれば、代名詞が指す内容を示す必要はありまぜん。「特に強調しない限りtheirという代名詞は三人称単数という内容を表示するために置かれているのではないのです。

 文法上形式的に置く語theirには強勢を置かず弱音にします。意味内容の重要性に応じて、強弱をつけ「言いたい内容」を正確に伝えようとするのは、現代語の特徴です。代名詞の主な文法機能は意味内容を示すことではありません。例えば、workの品詞は、they workと配列すれば動詞、their workと配列すれば名詞になります。代名詞は、意味内容に情報としての価値は無く、他の語の文法性を示す機能に特化した語なのです。言語学者のPinkerはこのtheyは「単数を指すのでも複数を指すのでもなく、何もさない」と述べています。

 

 singular theyは昔からある用法でシェイクスピアも使っています。英語標準化が始まった18世紀から近年になるまで規範文法が「単数を受けるのはhe(or she)が正用」としてきました。1850年英国国会では、次のように決議されています。

 In all acts words importing the masculine gender shall be deemed and taken to include the plural,and the plural the singular,unless the contrary as to gender and number is expressly provided.

(cf Evans and Evans1957)

「すべての法令において、男性の性別を表す言葉は複数形を含むものと見なし、また複数形は単数形を含むものと見なす。ただし、性別や数に関して明示的に異なる規定がある場合を除く。」

 

 19世紀当時には法律で禁止しないといけないほど、singular theyの使用が一般に広く普及していたことがわかります。有名な文法事項と言える用法singular theyを、受験英語では扱わず多くの学生は用法の存在さえ知らなかったわけです。

 

 theyは「彼ら」という複数の第三者という意味内容を示す場合もありますが、単数・複数という意味内容にかからず形式上置くことがあるのです。それは同じthatでも意味内容に重点がある指示代名詞と文法形式上置く関係代名詞で扱いが異なることと同じなのです。

このことは意味内容を指すthatと文法上の機能語thatの違いを考えると分かります。

 指示代名詞のthatは、That is ~のように動詞が単数呼応します。複数を指すthose と区別され、that areにすると標準語では文法的誤りとされ動詞が複数呼応することは許容されません。ところが、関係代名詞thatは先行詞によって、the magician that is~となったりmagicians that are~となったりします。このthatは前出の語をうけて文をつなぐという文法機能を担う形式的に置くで、単数・複数という内容を表示しないのです。

 形式的に置くthatが単数・複数のどちらを受けることがあるのと同様に、theyにも形式的に置くだけの用法では単数を受けることは不思議でもなんでもありません。それを不思議に感じさせるのは、文法書がtheyに形式上置く用法があると説明しないからです。というより、theyは複数に用いるべきとする英文法は、形式的置く機能語を多用するという現代英語の仕組みを全く反映していないことを象徴しているのです。

 

 ここで改めて考えてみましょう。youやtheyは指す内容が単数・複数に限らず常に複数呼応し動詞areを使うのに、関係詞thatは先行詞が単数ならis、複数ならareと呼応します。人称代名詞も関係詞thatもどちらも単・複を問わない機能語ですが、一方は動詞呼応を無視し、他方は動詞を呼応させています。これは論理的一貫性を欠きます。

 規範的ルールが言語学的にみるとしばしば不合理なのは、言葉が伝わる仕組みとは関係なく人為的に創られたものだからです。代名詞を人称・数によって分類するとか動詞が主語の人称・数に対応するというのはラテン語文法の仕組みを元に、英語にあてはめて創作されたもので、現代英語本来の言葉が伝わる仕組みとは関係ありません。規範的ルールは標準を決めてみんなで守ることが第一で、言語学的に合理的かどうかを問うものではないのです。

 次の記述はそのことをよく表しています。

 

「「3単現の-s」語尾そのものに実質的な意味があるわけでなく、実際、この語尾を付加しないことで意思疎通上の問題が生じるといったケースは、ほとんど想像出来ない。無くとも、言語としては完全に機能するのである。そもそも動詞の過去形では、主語が3人称・単数でも-edの後に特別な語尾を付加するということもない。また、英語の諸方言に目を向ければ、3単現に何も付加しない方言もあるし、逆に主語が何であれ-sを付加する方言もある。3単現の文法的な役割は、限りなくゼロに近いことがわかる。歴史的にいえば、3単現の-sは現代まで運よく偶然に生き残った唯一の語尾ということにすぎない。

 中英語には標準英語と呼べるような公式な方言は存在しなかったが、15世紀になると、ロンドンの有力階級の話していた英語が徐々に標準的とみなされるようになったってきた。彼らの方言の文法・語彙・発音が他の方言よりもすぐれていたからではなく、彼らが社会的に「偉い」存在だったために、彼らの話す方言も「偉い」方言とみなされるようになった。歴史の気まぐれで、もし別の都市が首都となり、別に有力集団の方言が標準英語として採用されていたならば、おそらく今頃私たちは単現の-sなど学んでいなかったことだろう。

 しかし、3単現の-s(を示す活用表)を順守することには、文法的な意味はなくとも、社会的な意味はある。学んだり使用したりしている英語が標準英語であることを示すバッジにはなるのである。」

  堀田隆一『近代英語における言語変化の内的・外的要因』2020

 

 言葉が伝わる仕組みとして不要な動詞語尾-sはたまたま標準語としてきめらたのです。動詞が単数・複数に呼応するのも伝わる仕組みとは関係ありません。受ける名詞の数に関係無くyouやtheyは、標準語では複数扱いということにしてareを使うと決めたのです。一方で関係詞thatは受ける名詞の数に動詞が呼応すると決めています。実のところbe動詞は「存在する」という内容を示す特殊な場合を除き、文を構成するため機能語なので、数という内容を表示する必要が無いのです。isでもareでも関係なく伝わるので、論理的一貫性を欠いても問題ないわけです。

 

 そもそも学校文法が採用する規則の多くは、標準語としての言葉使いとして決められたものです。標準語は、英語話者が実際に使う表現でも、標準から外れたものをfalse(誤り)として禁止します。標準化が始まる18世紀以前には、主語の人称・数に限らず現在の動詞語尾に-sを付けることは、英国の広いで地域で行われていました。アイルランドや米国南部では標準化以前に英国から移民した人たちがもたらした当時の英語が方言として残っています。

 動詞語尾の-sの有無が標準語の規範と異なることを今日では「非標準」と呼びます。文法的「誤り」としたのは英米で標準化教育が盛んだったころの話です。日本人学習者の中には、学校教育で非標準の用法を「誤り」と教えられて信じ込み、三単現-sを無視する英語話者に対して「ネイティブは文法にいい加減」などという人がいます。そう思い込む人がでてくるのは、標準語と地方語があるという言葉としての当たりまえのことが、学校英文法からすっぽり抜け落ちているからです。いまだに「誤り」と呼ぶことが、この国の文法観の後進性を示しています。

 

 英米の低年齢の子供を対象にしたアニメは教育的に配慮された良質な英語が使われています。しかし日本の学校ではこのような映像作品を教材にできません。学校文法は旧来の文語の規範的規則を基準にして日常口語表現をふるいにかけているからです。

 アニメPeppa Pigには次のようなセリフが出てきます。

 

 Me and Peppa have a tasty chocolate cake.

  ――Ordering A Yummy Takeaway

 

  この用例では主語としてmeを使っています。これは日常会話でよく使われる表現で、和製の辞書にも載っています。

 

 Me and my wife live in Paris. のように、meを主格の位置で使用するのは〘くだけた話〙ではよくあるが、I [×Me] live in Paris.のように単独で用いることはない。

  ――『ウィズダム英和』2003(1246p)

 

  この記述は辞書のmeの項に出ていますが、I の項にも記述があります。そこには「(コーパス)本来 I を用いるべき所で目的格のmeを使うことが多い」「(コーパス)andやorでつながれる場合、〘くだけた話〙では I に代わりに目的格meが用いられる」(WED2003, 1003p)とあります。

 この辞書は口語表現を含む言語データベースのコーパスを使って編集しているので使用頻度が高い表現を載せています。

 

 主格には「本来 I を用いるべき」という発想は、18世紀に人為的に創作された規範文法を基準としています。It's meなどの口語表現を文法的誤りとして公教育で矯正していた時代の考え方です。学校文法は、現代英語の言葉が伝わる仕組みとは全く異なるのです。言語学者Pinkerの次のように記述しています。

「十代のころ、Me and Jennifer がショッピングにいく、などといって直された経験は、誰しもあるだろう。文法論理から考えるかぎり、代名詞はどんな格をとってもいいのである。自称指南役が私たちにしゃべらせようとしている言語は、英語でないだけでなく、人間の言語でさえありえない!」スティーブン・ピンカー『言語を生み出す本能』1995

 

 和製の学校文法しか知らない人は、英語ネイティブがこのように「主格に I を使う」ことに反発する理由が想像つかないでしょう。実践的な口語英文法では、I とmeの使い分けの本当の理由を明確にする必要があります。英語ネイティブの代名詞の使い方は、次の本来の言葉が伝わる仕組みに基づいています。

 

(1)現代英語は語の配列、機能語によって格を示す

 

(2)代名詞には内容表示と文構成上の形式語という2つの機能がある

 

 (1)ついて、現代英語の格表示は語の配列あるいは機能語との配列から分かる仕組みになっています。SVOと配列し、Sの位置にあれば主格、Oの位置にあれば目的格です。

 youは主格と目的格が兼用ですが、Sの位置にあるかOの位置にあるかで格は区別できるので困ることはありません。また、herは所有格と目的格が兼用ですが、her hairと配列すれば所有格と分かり、with herと配列すれば目的格と分かります。

 現代英語の仕組み上、古典英語のように形態で格を区別する必要はありません。数百年にわたって規範が使用を強要してきたwhomを、英語話者が拒み続けてきたのは、廃れていく古典文法の名残りだからです。

 

 (2)について、英語ネイティブは意味内容を示したい語と文法上形式的に置く語を強勢の置き方で使い分けます。それは機能と内容語を配列して文法性を示す現代英語の仕組みに基づいています。例えば、like himという配列ではlikeは動詞なのか前置詞なのか分かりません。I like himと配列すれば動詞、Tom looks like him.と配列すれば前置詞と分かります。このことから、代名詞 I には語順を維持し後ろの語が動詞であることを示す文法機能があることが分かります。

 英語でも日本語でも状況から主語が分かる場合、例えば、got it.「分かった」では代名詞を主語に置かなくても意味は伝わります。英語では I got it.と表現することがありますが、ふつうは I には強勢を置きません。一人称単数という意味内容を示す必要が無くても、語順が重要な英語では形式的に主語を置くのです。

 

 現代英語本来の文法的仕組み(1)、(2)に基づき言葉を操る英語ネイティブの文法感覚では、不要な格変化は無視し、意味内容を伝える語と形式的に置く語を使い分けます。動詞の直前に置くときには I を使い、意味内容を示すときにはmeを使うのは、形式的な語Iと内容を示す語meを使い分けていると考えられます。主格に相当するIt's me.「それは私だよ」やMe too.「私も」では意味内容を表示することを含意するときは強形のmeを使用します。

 Me and my wife live in Paris.の時に主格としてMeを使うのは意味内容を表示する意図があるからです。また、I [×Me] live in Paris.のように単独で用いるのは、Iが動詞の前に形式的に置く語という感覚に基づきます。

 

 口語では“I don`t like scones very much.”の応答に“Me, neither.”と言うのが自然なネイティブの文法感覚です。「私も好きではない」という意味なので主格として内容表示をするmeを使っています。ここで I を使わないのは、形式上SVを作らないからです。内容を表示する用法では強形のmeを使うのです。

  “Who's next.”と聞けばたいていの英語話者は“Me”と答えます。Whoに対する答えですから、意味的には主格です。SVという文を形式上構成しないとき、一人称単数という内容表示にはmeを使うのは、機能語と内容語を使い分けるという現代口語英語に一貫した言葉が伝わる仕組みに基づくのです。

 

 口語における I とmeの使い分けは、英語ネイティブの文法感覚であると明言したのは、科学的英文法の祖Henry Sweet(1845-1912)です。その著書では文法性を示す手段として、(a)語順あるは配置、(b)ストレスの位置、(c)イントネーション、(d)形式語(機能語)の使用、(e)屈折(語形変化)の5つを挙げています。

 現代英語は、古英語期に(e)屈折を失い、それに代わって(a)語の配列と(d)機能語を主な文法手段とします。加えて口語では(b)stress、(c)intonationを文法手段に使うことを示しました。

 

 格変化 I、my、meはラテン語文法の(e)屈折に準じた創作ですが、同時に廃れた古英語の文法でもあるのです。「主格には I を使い目的格にはmeを使うのが正しい」とする規範的規則は(e)屈折に基づきます。

 この規則をピンカーは「代名詞はどんな格をとってもいい。人間の言語でさえありえない!」と非難します。それは(a)語順、(d)機能語、(b)ストレスに基づいて言葉を紡ぐ英語ネイティブの文法感覚に反するからです。現代英語の代名詞は(a)語順を維持するために形式的に置く(d)機能語で、意味内容が無いために(b) ストレスを置きません。

 

   実際にアイルランド英語では、meを主格、所有格、目的格のどれにも使います。

 Me like~なら主格、This is me carなら所有格と(a)語順で格が分るから困ることはりません。実際にアイルランド英語は「代名詞はどんなかくをとってもいい」(ピンカー)に基づいた文法的仕組みになっているわけです。

 イングランドの他の地域でも地方語では次のように使うこともあります。

 

   Him and I ain’t been fishing for these last six weeks. 

    ――『Personal Pronouns in the Dialect of England』2010

 

 このように形態はhimでも困らないのは、英語話者は文法感覚として(e)屈折を無視して、(a)語順を文法コードとしてスタンダードにしているからです。もしも規範文法の主張するように(e)もスタンダードにすると、このような文はダブルスタンダードとな言語として機能しなくなります。

 つまり、(a)語順をコードとして身に着けるためには(e)を無視する感覚が不可欠なのです。屈折をスタンダードとしないことは、言語としての健全性を維持するためと言えます。英語話者が規範文法規則を拒むのは正当なことなのです。

 

 英語ネイティブの文法感覚では、Iとmeは格の違いではなく、単独で内容表示をするときはMeを使い、SVと言う文のSに置くときは I を使います。要するにtheyやthatに内容表示する用法と形式的に置く語があるの同様に、内容語と機能語を区別するのは現代語の特徴なのです。この特徴はアニメを見ているとよく分かります。

 

   “Who wants to do?”

(all)“Me!Me!Me!”

  ――Peppa Pig

 

   “Who would you like to taste the sheler?”

 “I will”

      ――Peppa Pig

 

 この二つの用例はどちらもwhoと言う主語を尋ねる形式の疑問文です。その返答に、MeとI willと違う形の代名詞を使い分けています。単独で意味内容を示すときはMe、文の形式をとるときは形式上置く I を使うのです。Me too.やMe neitherあるいはIt's meやthis is meなど、SVと言う形式のSの位置に無い場合にMeを使うのは、機能語と内容語を区別する現代英語の仕組みに基づきます。

 現行英文法は、機能語と内容語を使い分ける英語ネイティブの文法感覚に根差した幼少期に身に着ける基本を全く無視しているので、このような合理的な説明をしないのです。機能語と内容語の区別は、現代口語英語の根源的で一貫して見られる現象と言えます。

 現行英文法が文の形式上置く I だけを主格と認めるのは、文語の標準的規則を定めた規範を流用したものだからです。口語は眼中にないことを象徴しています。

 

 「格変化」は古英語期の名詞の名残で、現代では消滅する過程にある現象です。また、動詞が主語の人称・数に対応して変化する、主語と動詞の一致も古典英語の文法です。これらの標準語の規範的規則は消滅過程にある古典文法の(e)屈折を元にして創作されたという共通点があります。

 英語ネイティブに(e)屈折に基づく言葉使いをするよう教育するのは、現代の日本人に鎌倉時代の文法にもとづく言葉使いをするのと同じようなものです。

 

「英語を勉強し始めた外国人の生徒は、SVOという語順の型を利用して、 Ed milked the cow と表現する。しかし、ネイティブスピーカーたちは、そもそも “Ed the cow milked” とか “Milked Ed the cow” という言い方を思いつくことがないから、語順の型を学ぶ必要はない。

 その代わり、例えば、“Him and me milked the cows” というようなとても単純な非標準的な表現を使おうとする生徒がいる。そういう生徒には「標準語では、主格の代名詞は、主語として用いる」という文法の型を学ぶ意味がある。」

  Paul Robert『Understanding Grammar』1954

 

「筆者はnative speakerの少年少女たちが、何歳くらいでどの程度の英文を書くことができるようになるのかについて調査しているが、調査していて感ずることは、彼らが必ずしも正しい英語を書くわけではないということである。例文末尾の[ ]内の数字は年齢を示す。

 三人称単数現在の-sを習慣化するにはnative speakerでも時間がかかるようである。-sを付けるべきところを付けていないnative speaker中学1年生の例も観察された。

  She always talk about going back to our country.[12]

 

 英語は主語と動詞の数が一致するのが大原則であるが、次の例は主語と動詞の数が一致していない誤用である。

  Relationships means either friends your own age or boyfriends your

   own age not parental types.[15]

 

  主語と動詞が離れると、両者の結び付きが忘れられ、数の不一致が起こることがある。この現象は成人にも観察される誤りである。隣接同士ですら数の不一致が起こるのだから、離れたらなおさらであろう。

  My name is Christy and racism and discrimination is very bad in my

  school.[16]」

  鈴木 雅光『Native Speaker小中高生の誤用分析』2001

 

 英語ネイティブが「文法にいい加減」なのではありません。現代英語の言葉を伝える仕組み(a)語順(d)機能語の利用に基づいた文法通りに言葉を使っています。彼らが守らないのは、現代では失われた古典文法の(e)屈折という伝えることに関係無い余計な規則です。

 

 関係詞whichは主格と目的格が兼用でも困らないことから分かるように、whoとwhomの区別は必要ありません。whomに対する英語話者の感覚を示すアニメの場面があります。

 

Teacher“Class, we have a new student Fredy Factual who I know you will

     …,  Yes, Fredy”

Fredy “Actually the correct word is not who but whom.”

Teacher“You're right, Fredy.”

  ――The Berenstain Bears | Fredy Factual

Teacher;クラスのみなさん、新しい生徒のフレディ・ファクトゥアルを紹介します。

    彼を…、ああ、フレディ、どうしたの?)

 Fredy; 実際、正しい言葉は『who』ではなく、『whom』です。

Teacher;その通りだね。フレディ

 

 転校生のFredyを紹介する先生が目的格にwhoを使ったことに対して、Fredyが挙手をして発言を遮りwhomが正しいと主張します。先生は規範には間違いないので認めます。しかし、クラスのみんなは「なんなん、この転校生?」という雰囲気になります。Fredyを理屈っぽい偏屈なキャラクターとして描くのに、whomを使っています。

 このThe Berenstain Bearsのシリーズは、旧き良きアメリカの価値観を反映した道徳を、こともたちが教訓から学ぶという趣の作品です。そのように教育的に配慮されたアニメでさえ、whomを使うことを偏屈な人の象徴としているのです。

 

 目的格にwhoを使うのは口語の自然な表現です。それは現代英語の文法的仕組み(a)語順と(d)機能語の利用に基づいています。格をwhomという(e)屈折で示すのは廃れた古典英語のしくみです。

 規範的規則では目的格としての使用はwhomを正用として、whoを誤用としてきました。実際にはwhomを使う人はほとんどいません。目的格にwhoを使うことを「誤り」と呼ぶのは現代英語の感覚からすると時代錯誤なのです。外国語として学ぶ立場では、英語使用国の正誤判定に関与するのは筋違いですが、実際に使われる表現については「非標準」と呼ぶ方が妥当性があります。

 規範的規則に反する表現を「誤り」と教えられた学習者は、後になって実際に使われていることを知ると「全然違うじゃないか」と思うことになります。しかし「非標準」と教えられた学習者は「最近は標準になったんだ」と受け取ります。受験生には、「入試は旧規則で標準とされることが基準」と教えれば済むことです。英語話者が実際に使い、コミュニケーション上問題の無い表現を「誤り」と呼ぶのは時代に合いません。文法は言葉を教えるのだから、適切な用語を使って教えることは大切だと思います。

 

 規範文法規則の英語ネイティブは現代英語本来の文法的仕組み(a)語順と(d)機能語の利用に基づいて言葉を使います。ところが標準英語はラテン語文法を理想として創作されたため、現代英語では消滅過程にある古典文法の(e)屈折を重視しています。文法の正誤の多くは、現代英語本来の文法的仕組みと古典英語文法の対立がもとになっています。

 例えば、英語話者はHe runs slow という言い方をします。しかし、規範に厳しい人はslowは本来形容詞だから、副詞slowlyが正しいと言います。もともと形容詞、副詞という品詞はラテン語からの借用語です。品詞を屈折という形態で区別しslowを形容詞とし、slowlyを副詞とするのは古典文法の発想なのです。

 

 これに対して、英語ネイティブの文法感覚ではSVあるいはSVOなど文型の直後に置かれた語は動詞の様子を示す副詞と判断します。これは(a)語順によって文法性を判断する現代語本来の仕組みに基づきます。He runs fast.は正用とされるのですからHe runs slow.が伝わる表現なのは明らかです。実際のコミュニケーションでは、slowlyを使わなくても文中の決まった位置におけば副詞と判断できるわけです。だから帰国子女は規範が形容詞とする語をSVOの後に置いて副詞として使うことがあります。

 このような使い方をする帰国子女に対して、「文法を知らないのかな?」と感じる人がいます。しかし知らないのは帰国子女の方ではなく、これを誤りと感じる人の方です。規範は古典文法の原理(e)を正用とするのに対して、帰国子女は本来の伝わる仕組み(a)語順を使っているのです。

 

 今回取り上げたのは学校文法が扱わない表現のほんの一部です。「英語ネイティブは文法を守らない」というのは、規範が決めた規則だけが唯一正しいという思い込みによることが多いのです。

 本当にわかっている人は、方言も含めて英語話者の一定の人が実際のコミュニケーションに使っている表現を「誤り」とは言いません。仮に関西弁を使っている人に対して、標準語ではないから日本語として「誤り」と言わないのと同じです。

 

 もちろん成人であればその場によっては標準語として正しい言葉使いを知っておく必要はあるでしょう。しかし、言葉を覚えていく過程にある子供に非標準でも十分伝わる表現を使っているのに「文法を知らない」と評価するのは違うと思います。

 三単現の-sをきっかけに英語嫌いになったという話はよく聞きます。伝わる仕組みに関係ない無意味な語尾-sが大事だと教えられて、疑問に思うのは論理的思考力がある証拠です。「標準語として公の場では-sを付けることになっている。日本語で『です』を使うのと同じこと」と教えれば疑問に持つことは無いでしょう。

 

 辞書や文法書は地図のようなものです。現地に行って事情が異なれば、地図の方を書き換えるべきでしょう。地図は正確ではないかもしれないし、もともと性格でも現地の事情が変わっていることもあるはずです。

 外国語として学ぶわれわれは、母国語話者が使う表現に敬意を払うべきです。言葉は習得するは、実際に使っている表現から学ぶことが基本だと思います。学んだものを自分で実際に使うかどうかは別問題です。試験の点数をとるためか、公共の場で使うのか、親しい人とくだけた話を使うのかで使い分ければ良いでしょう。

 この国の言語教育は「非標準」と「誤り」をしっかり区別するようになって初めて正常な方に向かう気がします。英語本来の伝わる仕組みを基礎とした現代口語英語文法体系を示すことで、それに資することができるのではないかと考えています。今はそこに向けて1つ1つの文法事項を精査していくつもりです。