英文法には例外が多いと言われることがあります。実際にその通りなのですが、その理由について正しく認識している人は少ないと感じます。英文法規則に反する「例外」の多くは、人為的に創られた規則が生み出したものです。こうして生み出された「例外」は、十分に伝わる正当な表現であることが多々あるのです。
文法には2つの側面があり、1つは標準語の正しい言葉使いとして定められた規則、もう1つは自然言語の本来の言葉が伝わる仕組みです。学校文法の基本は、伝統的な標準語の正しい言葉使いを定めた規範文法を流用したものです。一方で自然言語として英語は、もともと多様で地域や社会階層によって言葉使いは異なりますが、本来の言葉が伝わる仕組みに基づいて使われます。
標準語は多様な言葉を規範的規則を定めて画一化することで創作されます。標準語と地方語、formalとinformalの違いはこうして人為的に創られるわけです。標準語を一般に普及することを目的とする公教育では、定めた規範から外れたものは非標準と認定されます。英語の標準化が最盛期のころは、地方語やinformalな表現の多くは、「誤った言葉使い」として使用禁止にされます。
英語にとって不幸だったのは、規範文法がギリシャ・ラテン語の文法の仕組みに基づいて創作されたことです。それら古典文法と現代英語本来の言葉が伝わる仕組みは根本的に異なっているのです。そのことを明らかにしたのがHenry Sweetで、従来の規範文法に対して、英語本来の言葉が伝わる仕組みに基づく記述文法を創始します。専門家の間では高く評価されていますが、その先験的な知見が学習文法へ反映されるのはこれからになるでしょう。
学校文法が「誤り」と教える表現の多くは、実際には本来の言葉が伝わる仕組みに基づくものです。この事実を知ることが現代英文法を理解する第一歩です。
「田中訳(1973)によれば、19世紀と20世紀に使われた、アメリカの中学、高校の教科書、大学の文法便覧などは、「ラテン文法に追従して、格・人称・数・性・法・時制などにより下位区分された品詞を中心課題としている。これらの文法概念は、ラテン語の勉強では有益だが、その範疇の多くは、英語では正当化しがたいものである」ということであるが、今日でも依然として、学校教育ではこれらのことが教授されている。また、分離不定詞、文末の前置詞、It's I. か It's me. かなどは、ラテン文法の模倣例としてよく取り上げられ、長きにわたって論争語法となっている。」
鈴木 雅光『規範、違反、批判』
規範文法は実際には多くの人が使っている表現を誤りとして矯正させるのです。実際に19世紀から20世紀に使われていた文法教科書の原書を見てみましょう。
John Seath『The high school English gramma』1899
教科書の本編では、主格と目的格を区別すること、It's I が正しい文であると説明し、屈折(語形変化)による違いに不注意で誤った文の一例としてIt's meをあげています。「慣行として非常に一般的になっており、著名な権威によって良い英語とされていることさえあります」とあるように当時から広く使われていたのです。
正誤判定をさせるためのEXERCISESに(Ⅵ8)I is I,…を含む文があげてあります。このように、学校文法は、実際に使われる伝わる英語を誤用とし正しい英語へ矯正する文法なのです。
この教科書Seath1899が公教育で使われていた同時期の19世紀末に出版されたSweet1891の格変化に関する記述を紹介します。
Henry Sweet『A new English Grammar: logical and historical』1891
140で、英語には所有格man'sという1つの屈折(変化形)しかなく、屈折しない共通格manを、ラテン語の主格、呼格、対格、および与格に使うと記します。古英語はラテン語と同様に屈折が豊富で、一般の名詞も屈折によって格表示されていました。時代を経るに従って無標化し所有格しか残らなかったのです。
141では、人称代名詞は特殊なクラスで、主格he、目的格himという屈折形をもつとしています。つまり他の一般的な名詞が屈折失い、人称代名詞にだけ格変化がのこったということになります。さらに主格は元々の機能を失い述語動詞のprefix接頭辞としてしか使わないと説明しています。口語では卑俗的な話し言葉だけではなく教養ある会話でもit is meを使うと記述しています。
Sweetは伝統的な規範文法のような正誤判定は行わず、ラテン語との比較から英語の特徴を述べます。歴史的に屈折が消耗して格の厳密な区別が失われているという事実を記述します。このようにありのままの姿を観察することから記述文法と呼ばれます。
Sweetとそれまでの文法記述の違いについて述べた論文の文章を引用します。
「文法は中世以来の「言葉を正しく話したり書いたりするための技術」から,「言語の法則を見つけ出すための科学」へと変わる.史的比較言語学という科学的文法研究の登場をもって,文法の目的が「規範(rules, Regeln)」から「法則(laws, Gesetze)」へと変わっていったのである.これは19世紀の言語の学問における科学的態度,すなわち現象の「観察」と「説明」,そして「一般化(法則化)」がその背景にある.こういった史的比較言語学的手法を受け継ぎ,英国で規範的学校英文法とは目的を異にする科学的英文法を創始したのが,Henry Sweet(1845-1912)である.」江藤 裕之『英文法におけるart vs. science』2002
規範文法は「あるべき姿」を描き、記述文法は「ありのままの姿」を描きます。英語の時制はもともとラテン語文法をあるべき姿としてデザインされました。標準化が始まった当初から19世紀ごろまではほぼラテン語を翻訳したような6時制モデルを採用していました。後に19世紀末頃に自然の時間をあるべき姿として新たにデザインし直されたものが3時制モデルです。今日のEFL向けの学習文法書の多くが3時制モデルを採用するのはJ.C.Nesfeildの文法学習書がよくまとまったものだったからです。
この3時制モデルは今日の学校文法でも採用しています。しかし現代英語の「ありのままの姿」と言い難いという点ではでは6時制モデルと変わりありません。Sweetは英語の時制を次のようにとらえています。
290. Although we have confined ourselves hitherto to the meanings of tenses, it must not be forgotten that‘tense’always implies gramma'ical form. There are many ways of expressing distinctions of time which have nothing to do with tense. Thus in I start tomorrow futurity is expressed by the adverb tomorrow, the verb itself being in the present tense. We call I start present, because this form generally expresses present time, and when a form has once received a definite name, it keeps it through every variety of meaning.…… Sweet1891
I start tomorrowでは、時間を示すのはtomorrowで、動詞のstartは時間を表さないと記しています。この記述は、英語の動詞形は一般的に使う時間timeを示しているのではないことを述べています。「過去時制は過去を表し、現在時制が現在を表し、法助動詞shall,willを未来を表す表現」とする3時制モデルの基本的な見方を否定しているのです。今日でも記述文法では時制tenseと時間timeは別の概念であることとらえることを基本としています。
「時制」と同じく「法」も述語動詞に関する文法事項です。「法」について、文法家による見方の違いを述べた論文から引用します。
「ラテン語、ギリシア語文法の類推から「英語にも仮定法があるはずだ」ということから「意味(meaning)」の点から考えて仮定法を認めた学者としてCurme, Sonnenschcin, Onions, Poutsmaなどの伝統文法家が挙げられます。それに対して、現代語に関しては、屈折がほぼ消耗して、仮定法独自のinflectionがないので「形態(form)」に基づけば最小限の仮定法しかないと主張したのがSweet, Jespersen, Krusinga, Zandvooet, Scheurweghsという伝統文法家たちです。」
野村 忠央『英語教育における仮定法教育の問題点』
この記述にある「意味」の点から法をとらえる立場では「事実を述べるのが直説法で、非現実を述べるのが仮定法」とします。これに対して「形態」に基づけば、「直説法過去形に事実を述べる用法と事実でもないことを述べる用法がある」ととらえます。学校文法は前者の意味により違いに基づき、記述文法は後者の「形態」に基づきます。
「法」に関するSweetの記述を引用します。は
indicative / am, he is, he was, subjunctive / be, he be, he were although in the spoken language the only distinction that is still kept up is that between was and were. Consequently the sense of the distinction in function between subjunctive and indicative has almost died out in English, ……(299) Sweet1891
subjunctive (仮定法)と indicative(直説法)の区別はalmost died(ほとんど死滅している)としています。今日の英米の英文法書のほとんどはSweetの見解と同じ立場をとっています。
仮定法を、「意味」と「形態」のどちらを基準とするかは、ラテン語文法に準じるか英語本来の姿を記述するかの立場の違いを象徴する1つです。
1) a. If I were a bird, …
b. If I was a bird, …
この2文(1a, b)は「意味」を基準にすると、どちらも客観的にはあり得ないこと(非現実)を言っています。「非現実を意味するのが仮定法」ととらえるラテン語に準じる立場では(1a, b)をどちらも仮定法と呼びます。これに対して、英語本来の姿を記述する立場では、(1b)wasは形態上直説法同じだから仮定法ではないとし、(1a)wereは形態上直説法と異なるから仮定法とします。
和製の学校文法は前者の見方で、英米の学習文法は後者の見方が主流になります。英米では(1b)をconditinal条件法とよび、客観的「意味」が現実か非現実かに関係なくIndicative moodに属すとすることが多いのです。
先ほど紹介した教科書Seath1899でも、Indicative moodは客観的には現実か非現実かという「意味」には関係なく、話し手が現実的であると感じるときに使うと説明しています。非現実的なことを述べる用例の1つとしてthe sun arounds the earth.を挙げています。直説法を使って非現実的なことを述べることもできることを示しているのです。
ことがらが現実か非現実か客観的に判断するといっても、実際に事実かどうかは人によって見方が違うこともあります。I was、I wereのようにmoodの違いを形態で示していたのは古典文法で、形態の違いがなくなった現代英語では。主観的に現実と感じていることを示したいときには現在形を選択し、現実から離れていると感じていることを示したいときには過去形を選択するととらえられています。
仮定法のとらえ方が象徴しているように日本の学校文法はラテン語基準の古典的文法です。文法を正誤判定の規則ととらえていて、言葉は規則通りに使うものと考えています。学参文法書が扱う時制では現在形の用法の1つに「不変の真理」を位置付けてthe earth arounds the sun等を用例に挙げます。一方で、英米の教科書があげていた用例the sun arounds the earth.が直説法の使い方として文法的に正しいことを教えません。
このように偏った用例によって刷り込まれた学習者が「直説法は客観的事実を表す」かのように誤解するのは無理もありません。言葉は話し手が主観的に判断して選択するもので、ある事柄を現実的に感じるか非現実的に感じるかは任意であるという思想がかき消されています。仮定法の教え方は、文法的誤りを恐れて自由な表現ができなくさせる学校教育を象徴しています。
日本の学校の英語教育は実際のところ受験のためです。そこでは文法は入試の判定基準ととらえられています。学参文法書は過去問に対応するように編集されているので、近年の英米の規範では正用として容認されるようになった昔の規則をいまだに多く載せています。結果として、廃れていく規範的規則を英語使用国よりも厳格に守っています。
Sweetは科学的観察をもとに、ラテン語と英語では文法的仕組みが根本的に違うと指摘しています。
ラテン語は主に屈折を文法手段とする屈折言語で、現代英語はほとんど屈折を失い中国語と同じ孤立言語であると言い切っています。それは、他の言語との比較し歴史的に長いスパンで見る比較言語学の成果を取り入れて、英語の文法的特徴を的確に捉えています。
Sweetは文法性を示す手段を(a)語順あるは配置(b)ストレスの位置(c)イントネーション(d)機能語の使用(e)屈折(語形変化)の5つあげて、それぞれについて分析しています。
この中では、ラテン語は(e)の屈折を主な文法手段とする言語になります。規範がI my meといった屈折による格表示に厳格なのは英語のあるべき姿をラテン語文法としているからです。実際には標準英語が残そうとする人称変化もitとyouは主格と目的が兼用で、herは所有格と目的格が兼用という不完全なものです。
現代英語では(e)屈折による格表示は不要なので、不完全な格変化でも困ることはありません。むしろ無理に格変化を残そうとするので、実際に使う表現と衝突し正誤論争を引き起こしてきたわけです。It's I /meの正誤が問題になったのは主格と目的格があるからで、兼用のyouではそもそも論争が起きようがありません。要するに不要なものを残すから無駄な争いが数百年間続いているのです。
Sweetは英語の格表示の基本は(a)語の配列と(a)機能語の使用と分析しています。そのうち語の配列について述べたも文章の1つを紹介します。
the man helped the boyとthe boy helped the manでは主語と目的語が入れ替わっています。
the manの格はSVOのSの位置にあれば主格、Oの位置にあれば目的格と分かる仕組みになっています。
仮にyou helped me. と me helped youと表現すると、標準英語ではyouは正用とされますが、後の文のmeは非標準とされます。もともと二人称目的格複数でとして使われてたyouが二人称単数主格だったthouを駆逐して主格にとってかわったのは語順で格を示すという英語の文法的仕組みでは容易に起こり得るからです。現代英語の仕組み上meを主格に使っても英語ネイティブには言いたいことは正確に伝わります。実際にアイルランド英語ではmeを主語に使うのは正用です。
アイルランドは17世紀に入国した英国の人々が持ち込んだ当時の英語を保持しています。英語の標準化は18世紀の中ごろに起こり、ラテン語に準じて名詞の屈折である格変化を可能な限り残して標準語を創作したので、アイルランドはその影響を受けずに済んだのです。非標準とされる表現でも英語本来の伝わる仕組みに基づいていて言語学的に正当といえる表現もあるのです。
いわゆる5文型については、その是非には様々な意見がありますが、教育現場では広く教えらています。述語の型を5つに類型化し、それが日本に広まった経緯は次の記述にあります。
「我が国で現在も使われている「5文型」に限って言えば,細江逸記の『英文法汎論』(初版1917年)で提唱された5つの「文の成立の根本形式」に遡る。そして,この細江の5形式が,C. T. Onions,An Advanced English Syntax(1st ed.1904)に述べられた「述部の5形式」(five forms of the predicate)を援用したものあることは,つとに指摘されているとおりである。
…では,これ以前にこの用語が登場する英文法書とは何か。それは,A. J. Cooper and E. A. Sonnenschein, An English Grammar for Schools, Part II : Analysis and Syntax(1889)である。」
宮脇正孝『5文型の源流を辿る』2012
Onions1904に書いていますが、5文型はSweet1891が示した現代英語の文法的仕組みは(a)word-orderにあるという指摘に触発されて創られたものです。次の記述からその一端が見えます。
114 Thus the nouns and pronouns coming after the verbs in the following English sentences stand in various different relations to those verbs : I saw a man ; he became a player; they gave him a house ; they made him a bishop. In such a language as Latin the different relations in which these words stand would be clearly shown by their inflection. In Latin, him in they give him a house would be put in the dative or‘indirect object’case, house in the accusative or‘direct object’case. In English the distinction between direct and indirect object is expressed, not by inflection, but imperfectly by word-order, ………
We can distinguish between the direct and the indirect object by the latter being able to take the preposition to before it : they gave the house to him ; give it to me!
(Sweet1891)
ここでもラテン語では屈折が担う格表示の機能を、英語では語順が担うと述べています。ラテン語では、「they gave him a house」の「him」は与格、また「間接目「house」は対格にあたりそれらは屈折によって表示すること、英語では直接目的語、間接目的語は語順によって表示することを比較して述べています。あるいはto him、to meのように前置詞という機能語を使って与格あるいは間接目的語を示すことを記しています。
次のように、SVOCの文型について記しています。
OnionsはSVOXの文型のXをPredicate Adjective or Noun(叙述形容詞/名詞)と呼んでいます。
SweetはSVOXという文型で、Xにあたる語句をobject-complement(目的格補語)という用語を使って説明しています。それが今日のSVOCという文型にあたります。
They made him king、They made him angry.の2文ではking, angryが目的格補語で、品詞で言えばそれぞれ名詞、形容詞です。
Sweetは補語を広く捉え知覚動詞の文 I saw him come. I saw him coming. / saw it done やI want him to comeの文、結果構文to paint a house whiteなども含めています。
文型は分析法の1つなので、分類の仕方や用語、解釈の仕方は人それぞれです。もとは文法的仕組みとして(a)word-orderの重要性に着目したものです。肝心なことは現代英語では、(e)屈折という文法手段に替わり、語順が固定化し配置によって文法性を示すということです。
Henry Sweetの記述文法は、標準語の文法事項を正誤判定するものではありません。それは実際に使われている英語、言い換えると伝わる英語につながる文法だと言えます。もちろん標準英語も伝わる英語ですが、禁止ルールを含む標準語としての正しさをもとにした学校文法は初学者が学ぶには適さないと思います。
もともとの英米の学校文法は、対象が英語母語話者なので、矯正によってしゃべれなくなるということはないでしょう。しかし学習文法に転用して、外国語として学ぶ人を対象にすれば、禁止ルールは誤りを気にしてしゃべれない方向に誘導することになります。それによって言いたいことが誤って伝わるならともかく、禁止ルールを学習者とくに初学者が知ったところでコミュニケーション能力の向上にはつながるでしょうか。
規範文法は、ラテン語文法の論理にあてはめて創作された英文法です。それを転用した学校文法は、英語本来の文法的仕組みを説明するものではありません。時制、人称、品詞など基本とされる文法事項のほとんどはラテン語文法の屈折(語形変化)に基づく概念です。
動詞が変化して時間を示す、主語の人称・数に動詞が呼応する等々はラテン語文法をそのまま英語にあてはめて言っているだけです。実際の英語は過去時制で未来のことを述べる等時制tenseと時間timeは一致しない、you、theyが単数を指す場合も動詞はareを使う等主語と動詞は呼応しない等の現象はふつうにあります。
「英語は数にうるさいと言いながらyou、theyは数を無視する」などと批判されることがあります。現行の英文法は屈折を重視するラテン語文法でコーティングされてありのままの姿が知らされないので、そう思うのは無理もありません。代名詞や動詞の一致に関して数にうるさいのはラテン語に合わせたからで、本来の英語は主語動詞の一致は不要なのです。
標準化以前の英語を保持するアイルランドやアメリカ南部そのほかの地域でも、現在時制では主語の人称・数に関係なくすべての動詞に-sを付けるところがあります。できることなら、英文は矛盾しているという誤解を与えるような文法説明は「なるほど、そういう仕組みで伝わるのか」という文法説明に変えていく方がいいのではないでしょうか。
大部分の学習者は、学校文法がラテン語の論理つまり廃れていった古典英語の文法に基づいて説明されているという事実を知りません。学参文法書には、古典文法と現代文法の根本的な仕組みの違いを述べたものがないからです。言ってみれば、食品表示のない加工食品のようなものです。書物は表現の自由が保障されるべきもので、工業製品のように製造物責任が課されることはありません。それは作り手の判断に委ねられています。
Sweetの文法書は、伝わる英語と標準語としての正しい言葉使いの違いを明確に教えてくれます。どこかのだれかが言っていることを表面上の言葉をかえて「わかりやすい」と思わせる今日の和製学参書とは全く違う見方を示しています。豊富な知識と研究によって英文法に多くの知見をもたらすSweetの文法観が21世紀の学習文法に反映していくものになるのではないかと思います。
【補充用例】
“Who wants some tasty grilled fish for lunch?”
“Me”
“I do”
――Mouk - Shipwrecked
whoに対する答えなので意味的には主格になる。同じ質問に対して、Meと答える子と、I doと答える子がいる。単独では内容表示を示すmeを使い、SVを構成する場合は I doを使うということが分かる。