これまでの記事で取り上げた文法事項を分野ごとにまとめています。

 

【many/much/quit a littleの退潮】

 言葉は使っている間に摩耗したり変容したりする。例えば、日本語の「たくさん」という語は数量が多いことを表すが「もうたくさんだ」という表現では「要らない」というような意味として使う。近年、数量を示すmanyやmuchは、近年では新興表現のa lot of、lots of、plenty ofなどへの交替が進行している。

 

辞書・文法テキストから引用する。

定文では、かたく、以下(a)~(c)の場合を除き、a lot of、lots of、plenty of、

a large number ofなどを用いる方が自然、特に目的語での使用は避けられる。

 Mike has a lot of friends.

(a) many+名詞の複数形が主語の時 

 Many people think so. (多くの人はそう考える)

There are many things we need to learn.

(学ばなければいけないことがたくさんある)

(b)  so、too、as、a great [good]の後に続くときおよびsuchに先行するとき

 Tokyo has too many people. (東京は人が多すぎだ)

 I have many such dream. (わたしにはそのような夢がたくさんある)

(c)   次の句など

 for (many) many years 長年

  in many ways [cases, places]  多くの点で[場合、場所で]

  ――井上永幸他編『ウィズダム英和辞典』2003

 

165 much and many

非公式なスタイルでは、muchとmanyは主に疑問文や否定文で使われる。非公式な肯定文では(特にmuchは)あまり一般的ではない。代わりに、他の単語や表現が使われる。

例えば:

I've got plenty. (I've got much」より自然)

He's got lots of men friends, but he doesn't know many women.

(He's got many men friends . . .よりも自然)

一方、公式なスタイルでは、muchとmanyは肯定文でより一般的に使用される。

例えば:

Much has been written about unemployment. In the opinion of many economists.

  ――Swan『Practical English Usage 4th Ed.』2016

 

 muchは肯定文では(特に口語英語では)あまり一般的ではない。

比較すると

  We didn't spend much money. We spent a lot of money.

しかしtoo much / so much / as muchは肯定文で使う

  We spent too much money.

manyとa lot ofはすべての文の種類で使う。

 Many people drive too fast.  or A lot of people drive too fast.

 Do you know many people?  or Do you know a lot of people?

 There aren't many tourists here.  or There aren't a lot of tourists here.

   ――Murphy『English Grammar In Use 5th Ed. 』2019

 

 このように辞書や文法テキストに多少のバラツキがみられる場合、新旧表現に置き換わりが進んでいることが多い。基本的に新興表現は口語で起こり文語では交替が遅れることが多い。

『ペッパピッグ(Peppa pig)」50冊 ミニ絵本コンプリートセット the ultimate peppa pig collection 50 books set』2018について、50冊すべての中から使用例を拾ってみた。結果としては『ウィズダム英和辞典』の見解が妥当に思える。

 主語の位置には無いmany、muchがnot、so、tooなどと共起する場合の用例はあるが、これらの副詞を伴わず単独で他の位置で使う用例はみあたらなかった。あったのは以下のような用例。

 That's not much fun. ――Mr Fox’s Shop

 It's so much fun. ――Peppa Meets the Queen

 I've got too much work to do. ――Peppa Meets the Queen

                                                                

 quite a few/ little / bitは「かなり多くの」とか「少なからぬ」という肯定的な意味になる。このうちquite a littleは使用頻度が大きく減少している。

 

 They have quite a few interesting books in their library.

 I have quite a bit of work to finish before the deadline.

 

 言葉の盛衰については今後も注視し情報を更新していく必要がある。

 

 

 

【anyとsome】

 旧来の説明では「文の種類での使い分ける」ことを基本とし、その例外として「疑問文ではYesを予期するときにsomeを使う」としていた。

 以下、旧来の説明の例。

We use some in questions if we expect people to answer‘Yes’, or encourage them to say‘Yes’―for example in offers and requests. 

Have you brought some paper and a pen?

Would you like some more meat?  

―― Swan『Practical English Usage 4th Ed.』2016

 

 常識的に考えて、数量詞は「表す数量の違い」で使い分ける。肯定の意味が基本で、anyは「(どの)1つでも」、someは「適量(ある)」という異なる範囲の数量を示す。そこから、anyの否定は「1つもない」疑問は「(1つでも)あるか」を意味し、someは否定、疑問でも肯定と変わらず「「適量(ある)」を意味する。

 表す範囲を数式で示せば、any>0、many>some>fewとなる。この2語は表す範囲が全く異なることを明確に意識すること。

 

 下記は、使い分けの基本は数量であり、意図は厳密な使い分けの基準にはならないことを述べた例。

 

Yes, we use both.

(a)Would you like some more coffee?

(b)Would you like any more to eat?

 

Here the difference is very small. The speaker is thinking of a limited amount in the first question, and an unlimited amount in the second question. In both questions we could use some or any.

Sometimes we use some when we expect the answer to be “yes”. We use any when we don't know what the answer will be; we are asking whether something exists.

――British Council

 

  someがa limited amount(限られた数量)と説明されているのは「適量」much>some>littleということと同様と言える。anyをan unlimited amount(制限のない数量)とするのは、「どれでも」any>0と符合する。

 疑問文でも肯定文と同じく「適量ある」と想定した表現だからyesという答えを予想するばあいがあるのは当然のことだと言える。疑問文だけに特別な意味を持つわけではなく、肯定・疑問・否定という文の種類に関係なく常に基本通り「適量ある」という意味で使う。

 

 アニメの用例から。

Peppa: “When I closed my eyes, I couldn't see anything.”

Mommy:“But no one can see anything with their eyes closed.”

――Peppa Pig Goes Shopping for Mother's Day | The eye test

 肯定anyは「(どの)1つも」を示すから、その否定は「1つもない」という意味になる。not anyはnoという語で表すこともできる。

 

Some toys are not safe for little babies.

――Max and Ruby and The New Baby

What if some of your friends don't like orange juice?

――The Berenstain Bears: Papa's Pizza/The Female Fullback

 数量を示すsomeは一般に、否定文中で使われていてもその数量自体を否定されず、肯定文と同じく「適量ある」「一定数ある」という基本通りの意味を示す。上の用例のように「赤ちゃんにとって安全ではない玩具は(一定数)ある」「誰かオレンジジュースを好まない人が(一定数)いたら」と「いくらか在る」ことを含意する。If節中であってもany、someはそれぞれの示す数量の違いに応じて使われる。

 

 There's nothing wrong with not knowing something.

  ――The Berenstain Bears | White Water Adventure

 この用例のnot knowing somethingは「(何か)わからないことがある」という意味で、notはknowingを否定しているがsomethingは「在る」という意味のまま。もしnot knowing anythingにすると「何もわからない」という意味になる。さすがに何もわからないのは悪い事ではないとは言えない。

 

 この2語はどちらも否定文に使われ意味が全く異なるのだから、someを否定文にするとnot anyになるようなことは論理的にあり得ない。「1つもない」と言いたければnot…anyを使い、「~しないものが(いくらか)ある」と言いたければsomeを使う。

 

 疑問文の用例をアニメから。

Papa “This is the best Chop Suey I've ever had. Anyone want to try some?”

Kids  “No, thank you”    

   ――The Berenstain Bears|Visit Fun Park

 1つの疑問文でanyとsomeをどちらも使うことあり得るで、文の種類で使い分けるのは論理的に不可能だと分かる。wantの疑問文には一般に「~しようよ」という意図が込められる。この文でも勧める意図で使っていることから、anyとsomeの選択基準と意図は関係ないことが分かる。anyoneは「(一人でも)いる?」と尋ねる言い方として使い、someは「ちょっと」という感覚で使う表現であり特別な意味はない。なお、この文は口語なのでDoesを省略している。

 

 Go Fishという、カードがそろったら場に捨てることができ、先に手札なくなったら勝ちというルールのババ抜きに似たゲームがある。そのカードゲームをしている場面から。

Yoko: Do you have any fives?

Charles: Go fish! 

Yoko: Oh, no!

  ――Timothy Goes to School | The Treefort and the Sandcastle

5のカード(♡、♤、♧、♢)のうち「(1枚でも)有るか」を尋ねている。尋ねられた人は、5のカードを持っていればすべて渡し、1枚も持っていなければ、go fish!と宣言する。尋ねた人は、カードをもらって手札と合わせて4枚そろえば場に捨てることができるが、go fishと言われたら場に置かれた山からカードを1枚弾かなけれない。

カードをそろえて上がれ勝ちだから、ふつうはyesという答えを予期して尋ねるがanyを使っている。つまり、Yesという答えを予期することはanyとsomeの使い分けの基準ではないことが分かる。

 

(melancholy violin ♪♪♪)

“The Farmer in the Dell. Does not sound very happy today, Yoko? 

Is anything wrong?”  

  ――Timothy Goes to School | School Play Ep.20

 娘のヨーコが本来は陽気な曲「小さな谷の農夫」を寂し気な響きで演奏しているのが気になった母親が「何かあったか」を尋ねる場面。あっただろうと予想をしているが言い方としては純粋に有無を尋ねるanythingを使っている。ここでsomethingを使っても問題ない。

 

先生が学校行事のホームカミングコートで選ばれるホームカミングクイーンの候補者を、クラスの中から1名決めるという映画の一場面での先生の発話から。

a.     Does anyone second Skylar's nomination?

b.     Does someone want a second Grace's nomination?

  ――Christian Movies『Touch By Grace(2014)』

 どちらも疑問文でanyone、someoneと言い換えている。anyoneは「(1人でも)いるか」を尋ねる言い方で、someoneは「(だれか)いるか」と尋ねる言い方だが特別な意図はない。もしもsomeoneが期待を込めた意味であるとすればこの先生は一方の候補者にだけ肩入れしていることになるが、そんなことは無い。

 

 以上のような例はふつうにみられる。anyとsomeは「文の種類」や「あるという予想」や「勧める意図」によって使い分けるわけではない。

anyとsomeを混交することが20世紀の一時期に流行したのは、信頼度が極めた高い語法ガイドFowlar'sが1965年の改訂第2版でanyとsomeが同じ数量を示すという事実誤認をしたことが大きな要因と考えられる。

「This use of any(=some)is idiomatic only in negative or interrogative statements, express or implied. Have you any bananas? No we haven’t any bananas. But yes we have some bananas.」(31頁)

 H, W. Fowler(1858-1933)『A Dictionary Of Modern English Usage』(初版1922? 第2版 E.G.編集)

 Fowlar's改訂第3版では、anyとsomeを混交するこの記述は削除されている。

 

 

【all、everyなど数量の否定】

 「All やboth をnot とともに用いた「すべてが~とは限らない」「両方ともに~であるわけではない」という表現を、日本の英文法では「部分否定」と名付け、一つの公式として扱っていた時期がある。」宮畑カレン(Ⅲ)2007

 「大正時代の日本において考案され1950年代の終わりまで教えられていた」(宮畑2007)が、現在では専門家の間では疑問視されて廃れているということ。「部分否定」というとらえ方自体、英米の主要な辞書や語法書や文法学習書は認めていない。

 

  Fowlar's 1998の記述をまとめると以下のようになっている。

a.  All children of five cannot recite the alphabet.(避けるべき用例)

b.  Not all children of five can recite the alphabet. (部分否定)

c.     No children of five can recite the alphabet. (全否定)

R.W.Burchfield『Fowler's Modem English Usage』Revised third edition 1998 529p

  (b)のnot allは部分否定として解釈できるが、(a)のall…notは部分否定とは言いれい曖昧な表現で、避けるべきということ。

 

 否定の原理を論理的に検証する。

a. Not many people arrived.

b. Not much foliage survived the frost.

c. Not all of the crops were destroyed.

d. Not every student passed the test.

――Lasnik 1972                                               

  [Not+数量を示す語]というようにnotと数量詞を直接否定するように配置された場合、「多数ではなかった」「多量ではなかった」「全部ではなかった」「すべてではなかった」という意味になる。これらは一般に言外に「…だが0ではない」を含意する。

 not Xは文字通りに厳密に解釈すると「Xではない」ことを意味するから、論理的には「X以外のすべての事象の可能性があり得る」。not manyは文字通りの解釈は「非many」だから論理的には「中くらいの数量」「少ない数量」「全くない」の可能性がある。言外の「…だが0ではない」は言外の類推であり、それが慣用で確定できる場合に「部分否定」という概念による解釈が成立する。

 

 直接allの前にnotを置いて明確に否定する場合を除き、not…all、all…notのような型の文では、言外の類推が確定せず文脈次第で「部分否定」と「全否定」の可能性がある。実際に慣用としても確定していないから、Fowlar'sでは曖昧な表現として避けるように注意している。

 

 日本でall…notのような型を部分否定をしたのは漢文の方法論を当てはめ「すべて~とは限らない」と読む下すようにしたから。その根拠の1つが下の用例。

 All that glisters is not gold.

 ――Shakespeare,The Merchant of Venice

 この英文が「輝くものがすべて金であるとは限らない」と解釈できるのは常識という言外の意味があるから。それを構造上も常に成り立つというようにとらえてしまった。結果として情報が乏しい時代にこのような用例のいくつかから「部分否定」という概念を生み出した。

 この用例について、Fowler1926は意味を厳密にするには次のようにすべきと指摘している(Fowler 1998)。

 'Not all that glisters is gold' (some things that glister are indeed gold)

 

 また、宮畑Ⅲでは、下のnursery rhymeではall…notの型が全否定で使われている例を挙げている。

 All the king's horses and all the king's men could not put Humptey Dumptey together again.

(王の馬と王の臣たちはみんな、ハンプティ・ダンプティを再び元通りにすることができませんでした。)

 

 文字通りの解釈では「部分否定」か「全体否定」かは判断できないのだから、英語話者が慣用として社会的にコードしているのか、言外の情報を含めて判断すべきかを検証する必要がある。

 アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドの英語を母国語とする5カ国で、質問形式の筆記によるアンケートと聞き取り調査をした宮畑論文の一部から。例えば “All flights werenot cancelled.”の文の意味の解釈として、全体否定の “No flight was cancelled.” か、部分否定の “Not all flights were cancelled.” か、あるいはその「どちらともとれる」のいずれとして受け取れるかを質問した。

 

 調査結果では、現状all…notの型もnot…allの型もPartial「部分否定」、Total「全体否定」、both「どちらともとれる」と意見が割れている。all…notの型もnot…allの型も英語母語話者の間で社会的なコードにはなっていない。解釈は言外の情報も含めて文脈によって判断する必要がある。