懸垂分詞という用語があります。文法規則を厳格に捉える立場の人は非文法的と言います。しかし、実際には生きた表現として使われています。ここでは、規則というとらえ方から一歩進んで、簡潔ですっきりと伝える表現としてとらえていきます。

 

 次の用例で(1a)は一般的な分詞構文で、(1b)は懸垂分詞構文と言われます。

 

1)    a. Walking down the street, she bumped into an old friend.

 

   b. Walking down the street, the sun was shining brightly.

 

  (1a)は「通りを歩いていて、彼女は古い友人に出くわした。」という意味で、分詞句walking…の意味上の主語は、主節の主語と同じsheであると解釈されます。それは、分詞構文の意味上の主語が主節と同じ場合は省略するという原則があるからです。

 (2b)は「通りを歩いている間、太陽が明るく輝いていた。」という意味です。主節の主語はthe sunですが、分詞句walking…の意味上の主語をthe sunとするのは不自然です。常識的に考えて通りを歩くのは人のはずです。この(2b)のように、分詞句の主語が懸垂dangling (宙ぶらりん)の状態=不明確になることから、主節の主語と異なるときに意味上の主語を省いた分詞を懸垂分詞dangling participleと呼びます。

 

 懸垂分詞は、他にもmisrelated participle、unattached participleなど(主節の主語と)関連を失った/不一致な分詞という負の意味で呼ばれます。このように呼ばれるのは、「主節の主語と異なるときに分詞の意味上の主語を省略すると分かり難くなるから注意せよ」ということです。

 懸垂分詞は、文法規則に厳格な立場では非文法的であるとされます。一方で意味上の主語を省略しても伝わる場合には容認するという立場もあります。

 

 次の文では分詞の意味上の主語は不明確と言えるでしょうか?

 

(1c) Walking down the street, a sudden thought struck me

 

 規則を厳密に当てはめると、主節の主語はa sudden thoughtを分詞句walkingの主語と解すると「突然のひらめきが通りを歩く」となります。しかし、一般的にはこのような解釈をすることはないでしょう。

 主語が明示されていなくても、文脈からWalkingの主語は私とするのが自然で、「通りを歩いていて、私は突然ひらめいた。」と解釈できます。主節の主語ではなくても文中に分詞の意味上の主語があれば、文法的な容認度は上がります。

 

今度は次の文章で、分詞の意味上の主語が懸垂(宙ぶらりん)か考えてみましょう。

 

(1d) I left home before noon. Walking down the street, the sun was

   shining brightly.

 

 杓子定規に規則を当てはめれば「太陽が通りを歩く」ことになりますが、そう解釈する人はふつうはいません。(1b)のように一文だけで見ると意味上の主語が不明確で非文法的であったとしても、(1d)のように文脈の中であれば分詞句walking…の主語は I だと解せます。一文の文中ではなくても、話の流れから分詞句の意味上の主語が分かれば、懸垂状態の分子と言えないでしょう。

 (1d)は、分詞構文を使わないで、接続詞を使った文にする、あるいは主節の主語を変えることでことはできます。

 

I left home before noon. While I was walking down the street, the sun was shining brightly.

 

I left home before noon. Walking down the street, I saw the sun shining brightly.

 

 これらの文では自明な主語 I が二度出てくることになり、説明的な文で冗長に感じられます。文法規則に従ったこれらの文より、(1d)の方がすっきりしていると思います。

 分詞構文は情報の流れの中で上手く使えば、主語は明確に解釈できます。文を簡潔にしてすっきりさせることができます。その効果から物語で使用されます。

 論文の記述を引用します。

 

「主節に分詞句の意味上の主語を推定させるものを見いだすことのできない次のような事例が,しばしば,実際の物語とか論文の中に現れる。

 

2)    a. Going up the road toward home the road was smooth and

    slippery for a while. (Hemingway:232)

 

   b. Here, looking up, it is a refuge. (Guest:14)

 

   山岡 實『懸垂分詞の存在理由をめぐって―談話分析の観点から―』1987

 

 このように物語の中から一文だけを切り取れば、主語を推定できないのは当然です。旧来の英文法規則は一文の中でしかみないという傾向があります。しかし、生きた表現はたいてい文脈の中で使われるものです。

 これらの用例は、物語の流れの中で使われているのです。

 

We looked back at the inn with light coming from widows … Going up the road toward home the road was smooth and slippery for a while. (Hemingway:232)

 

 Facing the houses, he stares up at his bedroom window. In the early morning, the room is his enemy; there is danger in just being awake: Here, looking up, it is a refuge. He imagines himself safety inside; in bed, witj the covers pulled up. (Guest:14)

 

 山岡 實『懸垂分詞の存在理由をめぐって―談話分析の観点から―』1987

 

 (Herningway:232)ではWeという語が既出です。また、(Guest:14)ではheが登場人物として語られています。分詞構文の主語は一人称あるいは登場人物である三人称かは自然に了解でき、懸垂状態ではないことが分かります。

 文法規則は言葉を正確に伝えるための仕組みです。大切なのは規則に反しないことではなく、正確に伝えることです。言葉は伝わるから省略するものです。

 

 次の分詞構文は意味上の主語が主節の主語とは異なりますが、規範文法でも容認されます。

 

 Boadly speaking, dogs are more faithful to man than cats.

 (大ざっぱに言えば、犬は猫より人間に対して忠実である)

 

 Judging from his experience he's in a bad mood.

 (表情から察すると、彼は機嫌が悪い)

 

 Taking into everything consideration, they ought to be given another chance.

 (すべてのことを考慮してみて、彼らはもう一度機会を与えられるべきだ)

 

 Swan『PEU』邦訳版1996

 

 これらの用例は、分詞の意味上の主語は主節の主語とは異なるので文の構造上からは懸垂分詞ということになります。文法的に容認されているのは分詞句の意味上の主語が語り手であると分かるからです。また、慣用的に使われるということも容認されている根拠とされます。

 懸垂分詞を非文法的とする立場でも、意味上の主語が分かり、社会的に慣用となっていれば文法的に容認しています。意味上の主語が実際に「懸垂」状態になっていないかは注意すべきですが、単文の構造上の形式だけで「懸垂」と呼んで使用を避ける必要はないでしょう。

 

 文法書が扱う慣用とは、広く一般に使われる表現です。しかし、特定の世代やコミュニティーで慣用されるということもあります。

 アカデミックライティングについての論文から引用します。

 

「Minton(2015)は、懸垂分詞の使用は学術論文では大いに広まっているが、それは必ずしも学術論文に限ったことではなく、その他の一般的な文書や会話でも表れていることも指摘している。

 奥山(2015)においてconsiderの分詞または動名詞形であるconsideringの出現回数は24回(出現頻度1.90)である。そのうち、分詞構文の用例が9例(出現頻度0.71)、「by+-ing」の用例が8例(出現頻度0.63)、その他が7例(出現頻度0.56)である。独立分詞構文の用例のうち、従属接続詞とともに出現する用例が2例(while、whenで1例ずつ)、文頭に現れるものが7例あった。(16)および(17)はその具体例である。

 

(16)Considering the 7th order theory it can be see that there is no error in the first two coefficients, minimal errors(less than 0.5%) in the predictions for the third and fourth coefficients, ...(CS:Results)

 

(17)Self-consistent values are determined specifically by considering two conditions:...(IJ:Results)

 

 considerの特徴として、文頭に現れるconsiderはそのすべての用例が慣用的な懸垂分詞で出現していた。また、受動態と共起する6例を確認したところ、すべてが「by+-ing」の用例で出現しており、懸垂分詞の用例は見られなかった。おそらく、consider(ing)が「...を考慮すると」という慣用的な表現として認知されているため、文頭以外で使用する際は、手段を表すbyとともに用いることで違いを見せているのではないかと思われる。

 奥山 慶洋『工学系英語学術論文における懸垂分詞の使用とその特徴の分析』2021

 

用例の拙訳を付しておきます

(16) 第7階層理論を考慮すると、最初の2つの係数にはエラーがないことがわかる。3番目と4番目の係数の予測には、最小限のエラー(0.5%未満)がある。

(17) 自己整合値は、特定の2つの条件を考慮して決定される。(しんじ訳)

 

 特定のコミュニティで多用される表現を、単純な文法規則で正誤を論じるのは建設的ではありません。テクニカルライティングの分野でで分詞構文が多用されるとすれば、文法から一歩踏み込んで語法あるいはコロケーションとしてとらえることが実践的です。その分野で慣用されていれば十分伝わるのですから。

 

 言葉は人が使うにしたがって、文法的なとらえ方が変わってきます。分詞とされていた語が慣用されるうちに別の文法機能を持つ語として解釈されることがあります。

 

「excluding は、19 世紀頃には動詞派生前置詞 including との等位接続がみられており、意味上の主語が明示されない懸垂分詞的な用法が 19 世紀後半より出現し、20 世紀にかけて段階的に前置詞へと範疇が変化したことを明らかにしている。」

林 智昭『英語動詞派生前置詞の共時的・通時的記述研究―文法化への意味論的アプローチ―』2020

 

 前置詞としてのexcludingは辞書に載っています。

 

excluding prep a word meaning not including, used especially when you are making a list or calculating a total: Television is watched in 97 per cent of American homes (excluding Alaska and Hawaii)

   LDCE1995

 

「excludingは、「~を除いて」という意味の前置詞で、特にリストを作成したり、合計を計算する際に使用される。」とあり、(アラスカとハワイを除く)のように使う用例をあげています。

 これは懸垂分詞のように使われていたものが文法化して前置詞になった例です。前置詞と認定されるexcludingはもはや意味上の主語は問いません。懸垂云々はその使用に全く関係なく使われているということになります。

 

 言葉は人の想像力によって使われ変化していきます。「刹那の規則とその例外」としてとらえていればいずれ陳腐化します。文法は伝えるためのしくみとして柔軟にとらえ、変化に対応できる見方をしていく方かより実践的でしょう。

 主節の主語と異なる意味上の主語を省いたからと言って、一文の形式だけで懸垂という不名誉な呼称で呼ぶのは適切でしょうか。それは変化を嫌いできない理由を探す前世紀の英文法のにおいを感じます。むしろ、主節の主語から独立しさらに主語置くことからも解放された自由分詞構文とでも呼びたいくらいです。

 分詞を使うと、形式上のSVをとる必要が無く、主語を省いてすっきりした表現にすることができます。分詞構文は話の流れの中で使ってこそ生きる表現なのだと思います。