英語の文学作品では、人称と時制は間接話法の形式でその他の項は直接話法の形式をとるなど自由な表現が用いられます。このような形式の話法を自由間接話法といいます。難解と言われるその表現形式のとらえ方を考察していきます。

 

 自由間接話法は、小説などの文学作品でよく使われます。その表現形式は従来の学校文法の見方を基本とすると例外のように見えます。しかし見方を変えれば英語という言語本来の仕組みに基づくことがわかります。

 まずは、直接話法、間接話法との比較から形式上の違いを見ていきます。

 

「自由間接話法は直接話法と間接話法の中間に位置し、伝達節は省かれるが、時制と代名詞の選択は間接話法に連関している(Leech& Short, 260-261)。例えば、“I am happy now!”という発話を元話者が行ったとすると、その発話を語り手が以下のように引用することが可能である。

 

1)  a. He said, “I am happy now!”(直接話法)

   b. He told me he was happy then.(間接話法)

   c. He was happy now!(自由間接話法)

 

 ここで、(1c)では、引用符及び伝達部の削除、代名詞の選択(I→he)、直示表現(now)の使用、口語を示す exclamation mark の保持などで直接話法と間接話法の中間用法と言える自由間接話法だと知ることができる。

 

 自由間接思考は、登場人物の発話ではなく、思考内容を提示するという点で自由間接話法とは異なるが、形式上は自由間接話法と同様である。

 

2)  a.  He thought, “Is she happy now?”(直接思考)

   b.  He asked himself if she was happy then. (間接思考)

     c.  Was she happy now? (自由間接思考)

金城 博之『Under Western Eyes(1911)の「語り」おける自由間接話法(思考)とアイロニーについて』2018

 

  自由間接話法は次のような特徴があるとされます。上に引用した用例(1c, 2c)で、2cの方は自由間接思考と呼んでいますが形式は同じです。

ⅰ 時制と人称は間接話法と同じ

ⅱ 時制と人称以外の時間・空間ダイクシス等は直接話法と同じ

ⅲ 疑問文・命令文・感嘆文などの語順・形式は直接話法と同じ

ⅳ 伝達節はない

 

  これを一般的によく使われる形式として簡単に言うと、直接話法の引用符の中の元発話を、人称代名詞を三人称、時制を過去時制にして、他はそのままで抜き出して地の文に続けるということになります。

 “Is she happy now?” (直説法の元発話)

  Was she happy now?    (自由間接話法)

 ふつうはまず地の文の語りがあり、途中で登場人物の心の中の言葉に切り替わるような表現となります。

 

「The small boy could not understand. Why was Mummy always working? It was his birthday today.

 

 小説の地の文に現れると、語り手の枠組みを維持しながら自然に継ぎ目なく「どうして母さんはいつだって仕事なの.今日は僕の誕生日なのに」という少年の心の声を読み取ることが出来よう。

 

 日本の英語教育では、話法 (speech) に関しては、直接話法 (direct speech) と間接話法 (indirect speech) が主に教えられ、物語 (narrative) の地の文との区別が困難である自由間接話法 (free indirect speech) は、超難関大学の入試問題などでしかお目にかかれない難解な話法として積極的に扱われていない。日本の英語教育において話法は、まず DS、次に IS、最後に(そして付け足し的に)FIS が教授される。英語文学作品の解釈の要である3つの話法の一つであるにもかかわらず、日本の英語教育において最も軽視されているものの一つが FIS と言っても過言ではない」

  橘髙 眞一郎『英語文学作品における自由間接話法の心的処理』2017

 

 文学作品を入試で出題するとその中の表現に自由間接は話法が含まれることがあり、東大の入試では比較的よく出てきます。「日本の英語教育がFIS(自由間接話法)を軽視」しているというより、もともと日常表現は公教育の対象外です。

 英語教科書は、指導要領をもとに編集されていて、児童文学や絵本などで使われる表現もカバーできていません。その実態が分かる鬼呪を引用します。

 

「米国の著名な絵本作家アーノルド・ローベル(ArnoldLobel1933-87)の代表作で,性格は異なるが仲の良い二人の友人,がまくんとかえるくんの触れ合いをユーモアと温かみを込めて描いた,『ふたりはともだち』(Toadand Frog Are Friends, HarperCollins,1970)の一遍「お手紙」のCOLUMBUS21版は中学2年生用の教科書に収録されていて,学習指導要領に収まるように書き換えられている。

 英文の長さは100語程度削られて371語に,イラストも10枚から6枚に減らされていて,その分内容が簡略化されている。概してretold版では,英文や物語内容の改変によって,原作の良さが損なわれているとの否定的な評価が下されることが少なくないようだ。

 第1場面の次の部分を見てみよう。がまくんがポーチに座って悲しそうにしているのを見て,かえるくんが声をかける場面である。

 

"What is the matter, Toad? You are looking sad."(原作)

 

"What's the matter, Toad?  Are you sad?"(COLUMBUS21版)

 

三枝 和彦『中学校英語教科書における文学教材を考察する―アーノルド・ローベル作「お手紙」を例に―』2018

 

 原作のare lookingは「~のように見える」という状態動詞の進行形です。英語使用国の学習文法書では以前から標準英語として容認されています。

You're looking very unhappy-what's the matter? (またはYou look…)

――Swan『PEU』1996邦訳版

 

 学校文法を基準にした原作の簡素化について次のような指摘があります。

「検定教科書で文学作品が利用される際に、平成11年改訂(平成15年施行)の学習指導要領の「言語材料は、現代の標準的な英語によること」という制約により、比較的新しい時代に書かれたものを除き、文学作品のほとんどがそのままでは掲載できないことになる。」江口 誠『英語教育における文学教材の活用』2013

「平成29年3月に公示された新学習指導要領(平成33年度施行)では、読むテクストの種類が「短い説明やエッセイ,物語など」に増え,「簡単な語句や文で書かれた日常的な話題に関する」という修飾語句がついた。これでは教材として使用できる物語や文学作品が今まで以上に限定されてしまうだろう」(三枝2018)

 

 英語使用国では使われ標準と認められている文法事項が、受験英語では誤りとみなされていることがよくあります。近年では単数のtheyや分離不定詞が非標準であるという昔の規範がそのままの認識で広く残っていました。それらの表現が東大や京大の入試で使われると騒ぎになり、どうやら標準的に使われるらしいという認識が広まります。

 英文法の需要はほぼ受験英語にあるのが現状です。和製学習文法書が取り上げる文法事項は実際の標準英語よりさらに縛りが厳しいのです。

 

 今回取り上げる自由間接話法は東大入試には出るくらいですから、非標準的な用法というわけではありません。また、小説などでよく使われるので、文法的に特殊な表現として扱う必要もないと思います。

 

「自由間接話法において文法度が高い時制や人称については語り手,ダイクシスなど語彙的なものについては登場人物が責任主体になるという指摘がある.自由間接話法は臨場感と文法的・文体的拘束の妥協の産物と考えられる。

 here,yesterday,today,tomorrow,now などの直示的機能の副詞は,間接話法であれば here は there に,yesterday は the day before にというように,伝達者が自分とは別の人物について指示をするのに適した形式にかえられる.しかし自由間接話法ではもとの話者の観点に立ったままで,here,yesterday という指示をすることができる.

 小説の自由間接話法では,人称と時制は語り手の視点,直示的副詞は登場人物の視点をそれぞれ反映する.遠隔化を表す過去形と近接性をあらわす now や here などの副詞類が共起する。語り手はさまざまな視点をとることができる。現在の視点から出来事を遠くに見ながら語ることもできるし、登場人物に視点を寄せることもできる。

  阿部 宏『疑似主体現象としての自由間接話法』2014

 

 自由間接話法は時間・空間ダイクシスは元発話のセリフで使う直示のnow、hereを使うことで登場人物の視点によせるというのは理解できます。しかし、三人称代名詞と過去時制という距離を置いた表現と、近接的なダイクシスを共起させるという説明は分かり難いと感じます。

 そのような疑問を持つということを述べた論文は実際に見受けられます。

 

「 Yes, the problem started about two years ago, after she had witnessed her fatherʼs death. Yes, it was getting worse, she spoke less and less. Yes, there were occasions when she spoke without difficulty ; she could recite whole verses of Shakespeare, which she had learned from her mother. (2011 年の東大入試)

 

 この部分の訳として生徒に次の①,②の2つの訳例を示して,どちらの訳がよいか尋ねてみた.

 

 ①「はい,症状は2年くらい前に始まりました.父 の死を目にしてからです.はい,悪化しています. ますます話さないようになっています.はい,苦労 しないで話せるときもあります.私,シェークスピ アの文章をいくつか丸ごと暗唱できるんです.母か ら習いました.」 

 

②「そうです,症状は2年前に,彼女が父の死を目 にしてから,始まりました.そうです,悪化してい ました.彼女はますます話さないようになりました. そうです,彼女には苦労しないで話せるときもあり ました.彼女はシェークスピアの文章をいくつか丸 ごと暗唱できました.それは母から習ったものでし た.」  

 

 生徒は圧倒的に①の訳を支持した.なぜ日本人は 「二重の声」のうちから,登場人物の声を聞き取るのだろう.逆に,なぜ英語の母語話者は,過去時制 で3人称のこうした文を違和感なく読めるのか疑問が残る。こうした疑問には すでに示唆に富んだ考察があるのかもしれないが

   紋谷 清実『自由間接話法に関する考察 ―語り手の視点を中心に―』

 

「日本人英語学習者には信じ難いことだが、英語を母国語とする読者は、英語小説の中で FIS(自由間接話法)が使われると、登場人物自身が自分の考えを語っているように感じると言われている。」

   橘髙 眞一郎『英語文学作品における自由間接話法の心的処理』2017

 

  登場人物の声を描写するのなら直接話法の形式で現在時制にしないで、過去時制にする理由がはっきりしません。小説の語り手とは文豪と言われる人たちを含む作家です。作家が文法的規則に従って文体を自動的に決めるなんてことは、普通に考えてあり得ないでしょう。両方の時制があり得るのだから、過去時制を選択する積極的理由があるはずです。

 また、三人称代名詞は従来の学校文法の位置づけでは、話し手でも聞き手でもない、話の中に出てくる第三者です。三人称を指す代名詞を使って「登場人物の声を聞く」という説明には違和感があるでしょう。

 日本人学習者が信じがたいと感じる英語母語話者の文法感覚を明確に説明するのが学習文法の役割のはずです。「疑問が残る」「信じがたい」従来の自由間接話法の時制と人称について、現代英語の仕組みに根差した一貫した原理で読み解いていきましょう。

 

「時制」tenseは、ラテン語の動詞を説明するための概念で、それを標準化のための規範文法に取り入れて、さらに外国語学習者用の学習文法に転用したものです。実際に使われる生きた英語では、ラテン語に準じた学校文法の「過去の事実は過去形で示す」とは限りません。

 

 話法は元の情報を伝達する表現形式なので、実際に起きた出来事を伝達するニュース記事にその特徴が現れます。実際に使われる表現では、過去の事実を表すときに現在時制を使うか過去時制を使うかは読者に対する効果を考慮して選択します。

 ニュースの見出しは、「いま・ここ」で起こっているかのようなrealityのある表現として現在時制が使われます。これは従来の文法では歴史的現在と呼ばれます。さらに一歩踏み込んだ説明として、PEUでは、記事の書き出しを現在時制に属する現在完了を使うことで、今起こったばかりのhot newsと感じさせるとしています。

 ニュースの実例を紹介します。

 

 The U.S. Census Bureau said on Thursday that the population of our planet has surpassed 8 billion. A spokesperson said the bureau estimated that the global population exceeded 8 billion on the 26th of September.……

 ――Breaking News English

「米国人口調査局は木曜日に、地球の人口が80億を超えたと発表しました。広報担当者は、調査局が地球の人口が9月26日に80億を超えたと推定していると述べました。」

 

 この用例はニュース記事の書き出しと本文の2つの文を抜き出したものです。地球の人口が80奥を超えたという推定されたのは過去の事実です。どちらも主節はsaidという過去時制を使い、それぞれ述べた内容を伝聞文で伝えています。

 人口が80億を超えたという表現の時制を見ると、書き出しの方は現在完了を使い、次の文ではexceededという過去時制に切り替えています。形式的には間接話法ですが、書き出しは時制を一致させないで現在完了を選択して使っていることが分かります。本文に過去時制を使うのは距離を置いた客観的事実であることを示すためです。

 

 科学的文法では、過去時制は「いま・ここ」から距離を置いた表現ととらえます。実際のニュースでは、過去の事実を効果的に伝えるために、動詞形の持つ距離感に応じて、現在時制、現在完了、過去時制などを選択して使うのです。

 学校文法は、間接話法では時制の一致という規則があるかのように言われます。それは「過去のことは過去時制で表す」ことを基本と想定するからです。科学的文法の立場をとる学者には、時制の一致なる規則はない、という人は多いのです。

 生きた英語を使うプロのライターは、和製の学校文法用に加工された文法規則に従うのではなく、読者に与える効果を考慮して時制を選択して使います。書き出しは、読者をひきつけるhot newsとの印象を与える現在時制を選択し、本文では客観的事実であるという印象を与える過去時制を選択するのです。

 

 このように過去時制を客観性と関連すると説明すると、「仮定法過去は非現実を示すから客観性はないのでは?」と考える人がいるかもしれません。では、考えてみましょう。

  I am a bird.と真顔で主張している人がいたらどう思われるでしょうか?危ない人だと思われる可能性が大きいと思います。それは現在時制が主観性を帯びた表現だからだと考えられます。

  一方、I wish I were a bird.という表現はどうでしょう。このように表現すれば、理性的な判断のできる人だと思ってもらえます。それは過去時制が「現実とは距離があると認識していることを示す」客観性を帯びた表現だからだと考えるの自然でしょう。

 仮定法過去は非現実を述べるから使うのではありません。非現実的なことを述べる時に、現実とはかけ慣れていることを客観的に認識していることを示すために、過去時制を選択するのです。主観的な現在時制を使ってI am a bird.なんて言うと、正気を疑われる危険性があることと対比すれば、選択理由がわかるでしょう。

 実際に述べることが事実であろうと非現実であろうと関係なく、「いま・ここ」から距離を置いているという過去時制のコアに基づいて客観的な認識を示すのです。

 

 作家を含むライターが描写する文体として時制を選択することが分かるwritingを指南する文章から引用します。

 

「実際、英語でストーリーを書くときには大半の人が過去形を使います。出来事や動作の記述には、フィクション、ノンフィクションにかかわらず、また、ジャンルが小説や新聞記事であれ、過去形が使われているものがほとんどです。

 一般的に過去形が推奨される理由は、慣習からです。読者のなかには、すでに起きたことが現在形で書かれていると読みずらいと感じたり、辛く感じて最初の数ページで読むのをやめてしまう方もいらっしゃいます。また、イギリスでは一度現在形で書かれた小説を過去形へ書き直して出版している出版社も少なくありません。その方が読者に受け入れられやすいと考えているからだと思います。

 

まとめると英文でストーリーを書くときは、
– 基本的には過去形を使う方が自然
– 臨場感の効果を意識するときは現在形が有効、ただし退屈にならないよう内容に注意する
– 現在形と過去形を混在させるときは、効果と目的を考えた上で章やパラグラフを分けるという3点を意識しておけば問題ないといえます。

Andrew Clark『英語でストーリーを書くときの時制は現在形 or 過去形?』2020

 

  時制が読者に与える効果について、現在時制は臨場感を与える反面退屈になりやすいこと、過去時制は読者との距離を柔軟に変え飽きさせない反面平板な印象になるということは他のライターも指摘しています。

 以下に引用します。

 

 The past tense is flexible; it’s easier to shift narrative distance (the distance between the reader and the narrator) than is the case with the present tense, though this does increase the risk of flatter writing. Dramatic scenes – fights, escapes, arguments – could end up laboured if the writing isn’t lean and rich.

Still, it's traditional and readers are used to it. No one will get tired of reading in the past as long as the line craft is strong.

 Louise Harnb『Tenses in fiction writing』2019

 

 ニュース記事はことがらを伝達する形式、つまり典型的な話法です。その記事の動詞形の選択は時間を表示するためではなく、効果を狙った文体の選択といえます。小説における動詞形も同様の効果を狙ったものであると考えられます。

 話法で言うと、元の直接話法が現時制であるのに対して、間接話法も自由間接話法も一般的には過去時制を使います。その選択の理由は、客観性を帯びた過去時制で表現することで、読者に対して語りに現実味を与えるためだと言えます。それは話法という規則と特殊な例外とかではなく、生きた英語では読者に効果的に伝えるために表現を選択して使うということです。

 

 学校文法では、一般に過去の事実、仮定法、自由間接話法として分けられて説明されます。記事の本文で使う過去時制も、I wish I was a bird.などの表現で使う過去時制も、小説の語りに使う過去時制も距離を取るという一貫した原理で使います。

 後者の2つは、事実ではないことを述べる時に、お話として語るという点で同じです。語り手が語る物語を距離を置いた表現として客観的に認識していること示すので、聞き手あるいは読者は安心して受け取れるのでしょう。現実ではないことを述べる時に、現在時制を使うより、過去時制を使った描写の方が好まれるのはそのためだと考えられます。

 

 自由間接話法は、実際には頭から使うというより、地の文から自然に作中人物の視点へと入り込めるように仕掛けを使います。

  Was she happy now?という文に仕掛けを加えて、下のようにします。

……she thought. Was she happy now?

 このように流れの中に自由間接話法を使うと、より作中人物の視点へと引き込む効果が感じられます。

 

  自由間接話法と仮定法過去には、過去時制と直示的副詞のダイクシスと共起することがあるという共通点があります。また、フィクションは現実の話ではないし、仮定法過去も非現実的なことを述べる時に使うということも同じです。

 

…she tought. Was she happy now

 

 If he were here now…

 

 この2つの表現形式が類似しているのは、過去時制が「現実から離れているという認識をを示す」客観性を帯びた表現であることから、読者・聞き手に安心感を与える効果があるからだとと考えられます。過去時制はけっして非現実的なこと示す表現などではありません。現実にはあり得ない、あるいあは現実からは程遠いことを述べる時に、客観性を帯びた過去時制を選択して使うことが多いということです。

 

 では、物語で使われる人称代名詞について、ついて考察していきます。ポイントは、英語母語話者がhe、sheという人称代名詞を使った英文を「登場人物の声」として違和感なく読み取る理由です。

  東大入試に出題された文章を実例として挙げます。

 

  He had crossed the main road one morning and was descending a short street when Kate Caldwell came out of a narrow side street in front of him and walked toward school, her schoolbag bumping at her hip. He followed excitedly, meaning to overtake but lacking the courage. What could he say to her? He imagined his stammering voice saying dull, awkward things about lessons and the weather and could only imagine her saying conventional things in response.Why didn't she turn and smile and call to him, saying, Don't you like my company? If she did, he would smile faintly and approach with eyebrows questioningly raised. But she did nothing. She made not even the merest gesture. (1999年 東大・前期)

 

 客観的な語りの地の文に、What could he say to her?という文が出てきます。これは主語がheにはなっていますが、直説法の疑問文と同じ語順です。「彼女になんて言えばいいのだろう?」という文は作中人物の内面を表すようにも感じられます。

 同様に、Why didn't she turn……という文も、直説法の疑問文と同じ語順になっています。やはり、作中人物の想いとして読めると思います。

 

 ここに使われている代名詞のhe、himは三人称と言われます。しかし、このように間接自由話法という表現形式の中で使われると、作中人物を指すことから、三人称という言い方がそぐわないと感じます。

 

  この論文の筆者が疑問に感じるのは、現行英文法の人称代名詞のとらえ方の問題です。その疑問の根本原因は、英語の代名詞をラテン語のパラダイム「人称」という概念で認識していることです。

 このブログで何度か取り上げましたが、英語の人称代名詞は内容を指示する場合と文の構成上形式的に置かれる場合があります。文法化が進んだ機能語としての人称代名詞の主要な用法は後者ですが、現行英文法ではここを見逃しているのです。

 

  例えば、How do you get to the station?という英文では誰もが使う一般的な駅への生き方を尋ねています。このときyou「あなた」を意味しません。日本語では道を聞くときには「あなた」という代名詞は使いません。「あなたは駅へはどうやって行きますか?」と尋ねるのは不自然です。あなた独特の道への行き方を答えてもらっても困ります。

 英語でも同じで、youを二人称単数を指示しているわけではないのです。従来の文法説明では「総称人称」と呼び一般の人を指すとします。しかしそのような呼び方をしてまで人称パラダイムに固執する必要があるでしょうか。このyouはだれでもないので人称という概念には収まりません。

 

 ピーターセンターは英語の代名詞youについて、次のように記しています。「“you”は誰でもないのだ。まあ、強いて言えば、漠然とした「読者」を一般的に指している言葉なのだが、英語の構成上必要となる代名詞にすぎない。」

ピーターセンは『続日本人の英語』1990

 

 特定の誰かを指すわけではないときに、英語でyouという代名詞を使用するのは、SVという語の配列を構成するためにSの位置に仮の主語を置く必要があるのです。例えば、次の2文では、表す意味語異なります。

 YOU said it.   (あなたが言ったんでしょ)
 You SAID it! (その通りだね)

文字通り「聞き手を指す」内容に焦点を当てる場合は、YOUにストれるが置かれます。一方文の構成上置かれる場合はyouにはストレスが置かれず弱音化します。和訳を比較しての分かるように、会話では後者のような場合ことさら二人称を指す代名詞を使わなくても対面している相手の発言についてのコメントであることは分かります。後者のyouは内容語としての情報は不要ですがSVOを構成する英文の文法的な仕組み上形式的に置かれているのです。

 

 かつてyou2人称複数目的格でした。ところが現代では単数の主格も兼ねています。指示内容を明示するのが主目的であれば、こんないい加減なことは無いでしょう。現代英語は配置で格がわかるので、学校文法が言う主格と目的格の区別は要りません。科学的文法では、この両方を1つと考え通格と呼びます。

 明示しなくても自明である人(たち)、または特定する必要が無い人(たち)は人の集団を指す場合、代名詞はむしろ不要です。youが単数・複数のどちらでもいいのは、明示する機能としてだけに使われるわけではないからです。

 

 これはyouに限ったわけではなく英語の人称代名詞が持つ文法機能です。英文は、ラテン語や日本語と異なり語の配置が重要な文法コードです。だから、意味内容としては不要でも形式的に置かれる語として人称代名詞を必要とします。

 

 近年単数を指すとされる人称代名詞theyが東大入試に登場して話題になりました。

 The author did not like their body.――2022年東大入試

 

 このtheirはthe southorを指しているように見えますが、主語は三人称単数のauthorですが数が一致しません。この現象について、ピンカーは次のように説明しています。

Everyone returned to their seats.

 everyoneとtheirは「前件」と「代名詞」の関係にはなく、同じ人間に言及しているわけではない。人の集団を指すわけではなく、項の役割がわかるようにするための記号で、論理学では「プレースホルダ―」という。theirはここでは複数を意味しない。1つのものを言及するのでも、複数のものを言及するのではない。じつは、なにも言及していないのだ。」ピンカー『言語を踏み出す本能』1995

 

  プレースホルダーはplaceholderと綴ります。そのままの意味にとれば、代名詞は文中での位置を占める記号です。内容としては何も示していないということになります。

 自由間接話法で用いられる、sheやheは英語話者にとっては特に意味のない項です。だから読み手は三人称という内容にとらわれて読むわけではありません。「youは誰でもないのだ」「theyは実は何も言及してないのだ」という文法感覚が英語話者にあるのですから、「sheは誰でもない」という文法感覚があっても不思議ではありません。

 三人称代名詞に関する論文の記述を引用します。 

 

「When I saw Mary, she was getting herself ready to go visit her cousin, and I ask to go along with her.

メアリーにあったら、いとこに会いに行く準備をしているところだったので一緒に行ってもいいかきいた。

 このような場面で用いられる代名詞は新しい情報を提供しない。数字のような記号を用いてもよいぐらいである。これを日本語の場合と比較してみると、用例における代名詞の使用が純粋に統語論的理由によるものであるという事実がはっきりする。日本語には、英語のような統語論上必要な人称代名詞は存在せず、自由にゼロ代名詞が現れる。

 日本語は状況中心言語であり、文脈上からそれと判るものは言わずに済ますのを原則とする。上記用例の対訳においてゼロ扱いされているものはすべて語用論的に不要な、コミュニケーション上で独自の役割を果たしていないものばかりである。

 英語の場合にも、対応する代名詞は形こそあれ、その役割にふさわしく、目立たない形で、アクセントを受けず、弱系で発音される。例えば、次のようにhのついた代名詞はポーズの後ではhを落として発音される。

 She was getting 'erself ready to go visit 'er cousin, and I asked to go along with 'er.

 安武 知子『人称代名詞の形態と機能―現代口語標準英語の場合―』1987

 

 実はラテン語には三人称の人称代名詞はありません。日本語にも元々は山陰小代名詞は存在せず、「彼」「彼女」は英語を和訳するための造語です。例えば、「あいつ来るかな?」「来ないと思うよ。」で会話が成立します。一度話題に上ったものは繰り返す必要はないのです。

 英語でも情報を伝えるという観点からは、すでに話題に上がった語を繰り返す必要はないはずです。英語も内容を示す語としては三人称代名詞は特になくても困まりません。人称代名詞が存在する主な理由は、英語は語の配置に意味があるため、意味内容は特に必要なくても文構成上形式的に置かれる機能語が必要だからです。

 

 英語話者はSVOという文の構成を自然に感じます。もちろん、英語でも特に口語では自明の主語を省くこともあります。しかし、特に文語で主語の無い文を多用することは自然に感じられないのです。

 

 英語の人称代名詞の基本は形式的に置かれる語です。語り手がどの人称代名詞を使って描写するかは、読者に与える効果による選択ということになります。

「アメリカ人について文章心理学者が調べたところによると,ある文章が親しみを持てるかどうかの条件の第一は,文章中に人称代名詞が多く使われているかどうかにかかっているという。……とくに「彼」「彼女」がそうである。(柳父1998)」

  轟 里香『英文和訳における問題点-代名詞を中心に』2000

英語母語話者は、sheを使った語りを読むときに、人称にはとらわれずに登場人物の客観的な描写としてとらえたり、登場人物の主観的な想いに置き換えるなど自在に読むことができるわけです。

 

英語の母語話者は,過去時制 で3人称のこうした文を違和感なく読めるのか疑問」になるのは、学校文法の時制、人称の文法説明の根本が英語母語話者の文法感覚とずれているからです。時制、人称という概念はそもそもラテン語文法からの借用であって、英語本来の文法的仕組みに基づいたものではありません。

 英語話者は過去時制を距離を置いた客観的な描写の文体として好みます。また、heやsheを人称にとらわれず、形式的な項として柔軟に捉えます。時制は時間ではなく距離感、人称代名詞は人称ではなく意味内容を伴わず自在に置き換えられる形式語なのです。

 

 特に指示する内容の無い人称代名詞sheはそのままでも、読み手が自在に主観・客観に切り替えられるから、語り手は空間・時間ダイクシス、語順、記号などの表現を切り替えることで客観的にも主観的も描写できるということです。客観的な印象を与える描写の伝達文が間接話法で、主観的な印象を与える描写の語りが自在間接話法と言われる形式です。

 

 話法の違いをのべた論文からの記述を引用します。

 

a.The small boy could not understand. He said to himself,“Why is  

   Mommy always working? Itʼs my birthday today.” (直接話法)

 

b. The small boy could not understand why his mother was always

    working. He complained to himself that it was his birthday that day. 

    (間接話法)

 

c. The small boy could not understand. Why was Mummy always

    working? It was his birthday today. (自由間接話法)

 

 (c)の斜字体の部分は間接話法に従属していないが、時制と人称は引用者(語り手)の視点であり、疑問文としての語順は直接話法と同じである。また自由間接話法では時空間を表す直示詞や、話者の特徴的な表現もそのまま残ることが多い。

  小説の地の文に(c)が現れると、語り手の枠組みを維持しながら自然に継ぎ目なく「どうして母さんはいつだって仕事なの。今日は僕の誕生日なのに」という少年の心の声を読み取ることが出来よう。橘髙2017

 

 間接話法と自由間接話法は、規則と例外というより、表現者が読者に与える効果によって選択肢ととらえられます。小説で三人称代名詞、過去時制が使われるのは、自由間接話法という特殊な表現形式があるのではなく、読者が好む傾向に合わせて語り手が選択しているのです。

 ラテン語文法に基づく学校文法はsheは三人称で「彼女」という意味、過去時制は「過去の事実を表す」ことが基本とします。英語話者の文法感覚とは異なるとらえ方を基本として刷り込まれた日本人学習者には信じがたいということになるのでしょう。それは学習者にせいではなく、学校文法が抱えている問題です。

 

 

 英語母語話者が物語で過去時制で3人称を使う文を好むのは、物語に相応しい客観性のある表現として過去時制をとらえ、3人称代名詞を人称という枠にとらわれずに自在に置き換えてとらえるからです。それは英語本来の文法的仕組みを象徴的に表しています。英語話者の文法感覚と英語本来の文法的仕組みが合致していることが分かります。

 

 現状、残念ながら日本の公教育では、絵本や子供用のアニメでふつうに使う表現を、学校文法に合わせて書き換えた教科書を使用します。小説やニュース記事で使う文体を文法的に特殊な用法であるかのように扱っているのです。原作を学習者用に加工するのではなく、文法記述の方を改善すべきではないかと思います。

 現代の絵本やアニメ、ニュース記事、小説で一般的に広く使われる表現こそ、英語本来の文法的仕組みに基づいたものです。それは英語話者の持つ文法感覚とも合致しています。自由間接話法は物語で使われる生きた英語の表現です。そこへ無理なくつながるような現代英語本来の仕組みに基づいた学習文法が待たれます。