素朴な疑問として「なぜ一般動詞は疑問文にするとdoが出てくるのだろう」と思う人はいるのではないかと思います。これは学習者には見られる疑問ですが、英語ネイティブは自然に感じているようです。この疑問を解き明かすと、現代英語の根底にある文法的仕組みが見えてきます。

 

 下の英文は、学校文法ではそれぞれ(  )内に示した文として分類されます。(1~4a)は肯定文、(1~4b)はその疑問文です。

 

1)a. You loved me.     (一般動詞の文)

      b. Did you love me?

 

2)a. You are loving me.  (進行相の文)

      b. Are you loving me?

 

3)a. You have loved me.  (完了相の文)

      b. Have you loved me?

 

4)a. You can love me.   (法助動詞の文)

      b. Can you love me?

 

 これらの文の中で、一般動詞の文を変形した疑問文(1b)では元の肯定平叙文(1a)にはなかったdidが現れ語尾のedがとれます。

  その他の疑問文(2~4b)はそれぞれの元の肯定平叙文(2~4a)にあったare、have、canが主語の前に置かれます。これらの文は、現行英文法では進行相、完了相、法助動詞の文と分類されます。

 そのとらえ方は英語のネイティブ感覚と一致しているとは限りません。

 

 近年の研究では、ネイティブの幼児は次のように文法をとらえるという報告があります。

 

「ラドフォード(1990)のような権威たちの多くは、機能語などというものは子供の言語が発達することによって、後から獲得されると信じ、言語獲得の初期の段階で、統語が発達するのは、意味関係を表す内容語(名詞、動詞、形容詞、副詞)に依存していて、意味を表すことと同時に会話としての型を作るのは内容語だと考えていた。

   ここ2,3年で、潮目は変化した。近年興ってきた研究で、統語が発達する初期に、機能語に習熟することが重要であるという、新たなエビデンスが提示されるようになった。言語を獲得する子供たちについてのいくつかの研究によって、子供たちが、従位接続詞、助動詞、前置詞、決定詞のような機能語に習熟することが、後の統語の発達を決定づける、ということが明らかにされた。Kedar他(2006)は、英語を習得する幼児たちは、月齢18か月になるまでには、文を作り、言いたいことを示すときに、決定詞を理解して使っていると結論している。」(しんじ訳)

Anat Ninio『An explanation of the decisive role of function words in driving

      syntactic development』2018

 

 簡単に言うと、文法的な役割を担うのは内容語ではなく機能語であるということです。内容語workの例でとらえ方の違いを見てみます。

 

5)a. I did work hard to improve my skills.

 

   b. I'm currently at work, so I'll have to call you back later.

 

   c. That sculpture is truly a work of genius.

 

 それぞれの用例でworkを含む句を取り出すと次のようになります。

 

 (5a) [did+work]⇒[助動詞+動詞

 

 (5b)[at+work]  ⇒[前置詞+名詞]


 (5c) [a+work] ⇒[冠詞+名詞] 


 従来は、内容語workが句の中心で助動詞did、前置詞at、冠詞aといった機能語は内容語に付属するというとらえ方でした。それぞれの機能語の名称がそのことを示しています。助動詞とは動詞ける詞、前置詞とは名詞の、冠詞とは名詞にするということからきています。内容語が主役で、機能語は助演、前座、衣装という扱いです。

 もっとも顕著な例は冠詞の説明です。従来は「可算名詞にはaが付く」「不可算名詞にはaが付かない」というように内容語workの属性が先でそこに冠詞を付けるか付けないかというとらえ方を想定していました。ところが幼児期の言語習得では決定詞aを先行させてその後に内容語を置こうとするということが分かってきたのです。

 

 会話の型を作るというのは、例えばThis is a (   )というように機能語によって文の枠組みを作り( )に内容語を入れるということです。観察による研究では(  )には内容語以外に、実際には存在しない無意味語を入れて文を生成するということが報告されています。この現象は従来説の「名詞に冠詞を付ける」では説明できません。

 つまりネイティブの文法感覚は「冠詞aの後ろに置いた語が数えられるもの」ということです。an appleは1個のリンゴで、決定詞の無い(φ ) appleは果汁というような不可算をイメージすることになります。内容語appleが先に可算か不可算か決まっているのではなく、決定詞の有無が後置する語の文法性を決めるのです。

 

 ネイティブが幼児期の獲得する文法は、名詞、動詞、形容詞といった内容語の品詞に依存しているのではなく、機能語が内容語に文法性を与えます。

  (5a~d)はすべて[機能語+内容語]という型になります。

 

(5a) [did+work] ⇒[助動詞+動詞]⇒[機能語+内容語

(5b) [at+work]  ⇒[前置詞+名詞]  ⇒[機能語+内容語

(5c) [a+work] ⇒[冠詞+名詞]    ⇒[機能語+内容語

 

  内容語workは機能語didの後ろに置かれると原形動詞(不定詞)になり、前置詞atや決定詞aの後ろに置かれると名詞になります。意味内容を示す主役は内容語で、文法性を示す主役は機能語ということです。

 

 屈折言語は意味内容をもった単語自体が屈折します。だから単語自体の構造として、1語の中に[内容(語)+屈折(語尾)]という形態素を内包しています。屈折による形態の変化が文法性を示す標識となります。

 これに対して現代英語は単語自体の屈折を失った代わりに、形態素(機能語)が外部に出て[機能語+内容(語)]の型になっているのです。現代英語は外部化した形態素である機能語が内容語の文法性を示す標識になります。

 

  この英語のネイティブの文法感覚で先に示した(1)~(4)の動詞句VPの構造をとらえてみましょう。

(2a)~(4a)はそのままで[機能語+内容語]の型とみなすことができます。

(2a) [are+loving]⇒[be動詞+現在分詞]⇒[機能語+内容語]

(3a) [have+loved]⇒[助動詞have+現在分詞]⇒[機能語+内容語]

(4a) [can+love]⇒[法助動詞+不定詞(原形動詞)]⇒[機能語+内容語]

 

 これら機能語は、時制よって語形変化(過去・現在)します。また疑問文では機能語が主語の前に出ます。内容語は時制によって語形変化せず、文の種類によって語順が変わることもありません。機能語が文法的役割を担い、内容語は意味内容を示しています。

 また、口語において、機能語は特に一般の肯定平叙文でしばしば縮約します。I’m…、I've、I’llのように短縮したり、I can…ではふつうcanは弱音化します。

このように(2a)~(4a)は体系として一貫した原理で説明できます。それは現代英語のしくみを反映していて英語のネイティブ感覚とも合致します。

 

 残る問題は(1a)lovedの構造です。これは衰退した単語の構造[内容(語)+屈折(語尾)]です。これを現代英語の構造に置き換えると[did+love]という型になります。

 このdid loveという構造は、現行の英文法では強調のdidと呼ばれる型(構文)と同じです。これがそのまま基本文であればおさまりが良いのですが、機能語は一般的に意味内容が薄れほとんど漂泊化しているため口語では縮約します。発音としては強意は非強意とは異なります。

 

6)Mama “Papa was one fleet-footed bear.”

  Papa  “Was? I still AM.”

  Brother“Why don't you enter the race. Papa?”

  Sister “Wouldn't it be great if you won?”

  Papa  “You know what? I AM going to enter that race.”

――Berenstain Bears : Too much Junk Food

 

  ママ「パパは俊足だったのよ。」

  パパ「だった?今でも、だよ。」

  兄 「そのレースに出場したら、パパ」

  妹 「もし優勝したら、すごくない?」

  パパ「よく聞け。そのレースに出場する!」

 

 この会話では足が速いという事実が過去というのに引っかかってWas?と聞き、今の事実だということをAMと表現して強調しています。それを証明するためにレースに出るという決意をしたことをAMと強く発音して強調します。

 意味を強く出す強調表現と、形式的に置かれる文法標識はそのまま等価というのは無理があるでしょう。科学的文法では、論理だけではなくそれを裏付ける言語現象を事実として確認する必要があります。強意表現としてのdid loveではなく、lovedと互換性のある強調ではないdidという意識がネイティブ感覚にあるということを明らかにすることが求められます。

 

 助動詞do、does、didが肯定平叙文で現れる現象は、標準英語では強意としてだけです。標準英語に現れなくても実際に使われているということはよくあります。非強調の[do+内容語]が起こる現象を探っていきます。

 

 英語のバックボーンになっている『マザーグース』にある用例を紹介します。マザーグースから引用します。(下線、太字、斜体字はしんじが付す)

 

There was an old wife did eat an apple;

When she ate two, she had ate a couple.

 

There was a horse going to the mill;

When he went on, he didn’t stand still.

 

There was a butcher cut his thumb.

When it did bleed, then blood it did run.

 

There was jockey ran a race;

When he ran fast, he ran apace.

 

    ――Walter Crane『Mother Goose’s nursery rhymes』1877(82頁)

 

 マザーグースは歌だから、リズムや言葉の響きを大切にします。そのためリズムをそろえたり韻を踏むとために代替表現を選択することがあります。

 

 1行目の「did eat an apple」は、2行目の「had ate a couple」と、リズムをそろえています。そのため、過去形ateではなく、did eatを選んでいます。 このdidは強調としてではなく、単にateの代わりとして使っています。

 

 下線を引いた4つのwhen節は、どれも同じリズムになるようにつくられています。6行目のdid bleedを過去形bledにすると、リズムがあわなくなります。このdid は強調するためではなく、リズムをそろえるために使っていると分かります。

 

 各行の末にある語は、対になって韻を踏むようにつくられています。1行目と2行目の末にある語appleとcouple、3行目と4行目の末にある語millとstillが対になっています。同様に5行目と6行目、7行目と8行目も末にある語が韻を踏んでいます。

 6行目の末で、did runを使っているのは、リズムだけではなく、thumbと同じ母音にそろえるためです。もしranにすると、母音がそろわなくなります。このdidも強調ではなく、単にranの代わりに使っていることが確認できます。

 

 韻文ではリズムや韻の関係から、技巧として単純動詞形と等価な表現として非強調のdidを使用します。

 谷『英語史とマザーグース』では、古語法として、2人称単数thou複数yeなどの人称代名詞と、強調ではない(non-emphatic)、平叙肯定文で使われる助動詞doの2つの事項が、よくでてくると記しています。

 

 非強調のdoは、迂言のdoと呼ばれることがあります。歴史的には、かつては頻繁に使われていた時期があります。

 17世紀の日記を読むと、迂言のdoを使う感覚が伝わってきます。一平民から、後に英国海軍の父と言われる地位に上り詰めたサミュエル・ピープスが書いた日記 (1667年9月2日)を紹介します。

 

 I met with Fenn, and he tells me, as I do hear from some others, that the business of the Chancellor’s had proceeded from something of a mistake, for the Duke of York did first tell the King that the Chancellor had a desire to be eased of his great trouble; and that the King, when the Chancellor came to him, did wonder to hear him deny it, and the Duke of York was forced to deny to the King that ever he did tell him so in those terms; but the King did answer that he was sure that he did say some such things to him: but, however, since it had gone so far, did desire him to be contented with it, as a thing very proceeded, as we find.

     ――Mynors Bright, ed『The Diary Of Samuel Pepys Vol.3』1906

 

「フェンと会った。彼が言うには、わたしが他の幾人からも聞いた通り、大臣が行った事業は、失敗してしまったとのことだ。それで、ヨーク公が、あらかじめ、国王に、大臣がこの大きな問題を穏便に済ませたいと願っていることを伝えていた。そのため、大臣が来て、そのことを否定したのを聞いて、国王は驚いた。ヨーク公は、国王には、否定するように言われていたが、その通りに言っていた。国王は、ヨーク公が確かにそのようなことを言ったとのだと返したのだが、結局のところ、大臣の希望を叶えるという意向だった。実際にそうなったと知った。」(しんじ訳)

 

 この日記を見ると、[do+原型]の型が、標準英語と比べて、頻繁に使われていることが分かると思います。このdoは、取り立てて強調しているわけではなく、ふつうに使われています。

 ピープスの日記はかなりの量があります。数十ページを読んだ限りでは、動詞によって決まっているわけでもなく、かなり自由に単純形と[do+原型]が使われている印象があります。

 

 非強調のdoの使用は、1500年から1700年頃までが顕著で、その後18世紀の英語の標準化が始まった時期には、表面上は退潮したとされています。しかし、現在でもマザーグースの歌のような韻文だけではなく、イングランドのサウスウエストや、隣接するウェールズのサウスイーストなどでは地方語として残っています。

 

  また、幼児期の文法獲得時に、非強調のdoと単純形を等価として使った事例を紹介したスウェーデンの研究論文があります。原文は英語ですが翻訳して紹介します。

 

1990年代中頃に、博士論文のためにアイスランド語と英語を話すバイリンガルの子供の言語発達について研究した(Bohnacker、1999)。同時に、バイリンガルの習得とはあまり関係のない口語のデータも得たが、その1つは子供の助動詞DOの発達に関するものだった。「カトラ」は、数ヶ月にわたって、成人の英語話者からすると助動詞DOを過剰に使用する明確な時期があった。彼女は肯定的な叙述文で非強調のDOを使用し、しばしば次の(1)〜(3)のように言った。

 

(1)文脈:カトラとウテは傘の使い道について話している

 Ute: and what d’you do when the sun shines?

 Katla: carry it, # xxx # you do walk.

 Ute: you walk? (Katla 3;0,14)

 

(2)カトラは、塗り絵の中で、女の子の後ろの頭を指さしている

Katla: She does want eyes on her back. (Katla 3;2,28)

(3) 文脈:カトラとウテは絵を描いていて、ウテのクレヨンが折れてしまう

 Katla: You did pull it. (Katla 3;3;02)

 

非強調のDOを使った型は、同じ動詞の単純形と同時期に自由に使い、意味に違いは見られなかった。供給過剰のDOの使用期間は短く、89%が2ヶ月の期間(3歳1ヶ月から3歳3ヶ月)に集中していた。動詞の単純形を含めた動詞中での平均発生率が25%であり、この時点でカトラの文法において、非強調のDOは有効な代替手段として使用されていた。

Ute Bohnacker『Reflections on dummy‘do’in child language and syntactic』2013

 

 この論文によるとアイスランド語には非強調のDOのような表現は無く、カトラは他の言語の影響を受けない環境で接した英語からこの構造の句を生成したとしています。また、モノリンガルの英語ネイティブと比較すると英語に接している時間は少ないので、3歳という遅い時期に分析をしたのではないかと推測しています。

 他のいくつかの論文では、幼児期の英語ネイティブが機能語と内容語を組み合わせて句を生成する時期は2歳以下などもっと早期であると報告しています。

 

 他にもカトラがやり取りの中で生成した非強調のdoを数多く紹介していますが、一部引用しておきます。

 

(26)Context: Katla and Ute are drawing pictures. Ute’s crayon breaks off.

Katla: you did broke it.

Ute: oh dear.

Ute: it just happened.

Katla: you did pull it.

Ute: huh?

Katla: you did pull it.

Ute: I didn’t pull it, I actually just + …

Ute: I was just drawing with it, sorry.

Katla: it did fall off.

Ute: it fell off, yeah. (Katla 3;3;02)

 

(27) Ute: bum, what happened?

Katla: I do bump on my bottom. (Katla 3;3,11)

 

(28) Context: Katla jumps up and down. Pleased, she says:

Katla: I did jump.

Ute: what?

Katla: I did jump.

Ute: you jumped, yeah.

Katla: yeah, I DO did jump. (Katla 3;3,11)

 

(29) Katla: whoop.

Ute: what?

Katla: that do fell off.

Ute: sorry, I didn’t hear.

Katla: that did fell off. (Katla 3;3,11)

                   ――Ute2013

 

 この用例の(26)~(29)は実際の論文の通し番号のまま引用しています。言語獲得期なので、did brokeやdo fellのように標準語ではdid breakやdo fallというところを、誤用とされる表現を使用しています。文脈上では過去になるところをdo bumpと表現しています。これは文法コードとして機能語を優先し、内容語の屈折を無視するという英語ネイティブの傾向を示していて面白いと思います。

 

 Ute2016は、このアイスランドの少女の事例と他に調べた事実等を検討して、次のように記しています。

「かつての変種の英語や現在のある方言、および多くの他の西ゲルマン語の方言が、まさにそのようなDOを持っていることを思い起こそう。単純形の動詞と、カトラが生成した過剰な、互換可能なDOのパターンはこれらと一致している。選択肢と自由変動、つまり、同じ意味と機能を持つ2つの構造が1つの言語で共存する可能性は、構文理論ではしばしば論じられている。経験的な事実は可能であることを示唆している。成人と子供の文法は選択可能であることを許容している。

 英文ではすべての述語に迂言形が含まれる。見かけ上、迂言形が欠けている文であっても、迂言形のある型に置換できる。このことを、ポルッカ、ワイルダー、ケイバーは次のように主張する。

 英語の述語には、動詞の単純形(lexical verb)だけの文は無い。She likes dog. はShe [do] likes dog に置き換えた文と同じで、事実上、強意ではないdoが含まれている。」(しんじ訳)

Ute Bohnacker『Reflections on dummy‘do’in child language and syntactic』2013

 

 現代の科学的文法は、英語のネイティブが幼少期に[機能語+内容語]というとらえ方をすることを明らかにしつつあります。

  実は、規範文法がdid loveの型を強調だけに限り、特殊な表現として体系から切り離したのは20世紀に入ってからのことです。それ以前の文法家は一般動詞の文は、むしろ特殊な文であるという見方をしているものもありました。

 19世紀のブラウンの文法書の記述を紹介ます。

 

「英文では述語動詞は主として助動詞が活用する。動詞の単純形が現在形、過去形に変化することができるのは、次のI love, I lovedだけしかない。その疑問文、否定文ではふつう助動詞doが活用し、動詞の単純形はもはや活用しない。その他のすべての文では、最も単純な型でも助動詞との複合型で、活用するのは助動詞であり、動詞の単純形は活用しない。」(しんじ訳)

          Goold Brown『THE GRAMMAR OF ENGLISH GRAMMAR』 1882(517頁)

 

  迂言のdoが退潮して以降も、文法書では強調に使われる[do+原型]は標準語の時制の中に位置づけられていました。

 19世紀の英文法書を、2つ紹介します。

 

Present Tense      I educate or I do educate

Preter Imperfect Tense, it rained, or it did rain

    Thomas Dilworth『A New Guide to the English Tongue』1820

 

 Do and Did are used for―

Ⅰ.Emphasis   ―You do know it. You did say so.

Ⅱ.Interrogation ― Do you know? Did you say?

Ⅲ.Negation   ― You do not know. You did not say.

    William and Robert Chambers Publish『English Grammar and                         Composition』1855

 

 初めの方の1820年の文法書では、do+原型が時制形の1つとして記述されています。

 後の方の1855年の教科書では、Ⅰ.Ⅱ.Ⅲ.と並べています。このdoを、事実を表すととらえてみます。そうすると、Ⅰ.は事実である、Ⅱ.は事実なのか?、Ⅲ.事実ではない、とそれぞれ表していることが分かると思います。

 

 Ⅰ.を強調構文として切り離すと、この体系が崩れます。さらに、疑問文にすると肯定文に無いdoが唐突に出てくるという疑問も出てくるわけです。

  この型の肯定のdoを体系に位置づけ、did sayの縮約形としてsaidという単純形があるすることもできます。英語のネイティブ感覚の中に非強調のdoがあるというのは十分裏付ける事実があるのです。

 

 このDOは意味を顕在化させると話者がpresent realtyを示していると一貫してとらえることができます。

  I do like it.      「本当に好き」

  I don't like it.  「本当に好きじゃない」 

    Do you like it? 「本当に好きなの?」

    I do.                「本当だよ。」

 

  最後の答えの例では、学校文法ではdoは動詞の代わりと説明されます。

 

Do you take this woman to be your lawfully wedded wife?

“I do.” 「誓います!]

 

  この例の応答のdoは、単なる動詞の代わりでしょうか?

 

  20世紀に入っても、文法書や教科書では、do+原型を時制の1つの型として体系に組み込まれていました。

 

 20世紀の英文法の教科書から引用します。

 

SUMMMARY OF THE TENSES (of the Indicative Mood)

 

          Ordinary    Progressive      Emphatic

 

Present:   I give       I am giving       I do give

 

Past:        I gave      I was giving      I did give

 

       George M. Jones他『A high school English grammar』1922

 

 進行形などと並んで、時制形の1つとして扱っています。ネットで閲覧できる18世紀から20世紀前半までの文法書を数十冊ほどあたりましたが、ほとんどがdo formなどと呼び、時制の中に体系化しています。「English grammar archive org」と入力して検索すれば、だれでも見ることができます。

 

 20世紀の後半は、世界中の英語使用国で、規範文法が公教育で廃止された、いわゆる‘文法教育の死’の時期なので、ネット上で閲覧できる文法書や教科書はほぼありません。

 20世紀前半までの英文法書では、lovedの語尾edは、did loveのdidが弱音化したものという認識が一般的でした。[機能語+内容語]の型は、現代英語の文法的仕組みにもとづいており一貫した原理で体系化できます。その点で、学習文法としてdoの体系的位置づけは以前の方が優れています。このとらえかたは、今日の英文法書よりも、自然で、ネイティブの感覚に近いと思います。

 一般動詞の文は現代英語では特殊な文で、基本型が縮約したと考えるのは問題ないはずです。そうすれば、学習者が「疑問文にするとdoが唐突に出てくる」というような疑問を持つことは無くなるのではないでしょうか。