学校文法では、「仮定法過去は現在の非現実」を「仮定法過去完了は過去の非現実」を表すと説明されます。実際には、和式文法で言う仮定法過去/過去完了と呼ばれる型は過去時・現在時・未来時のいずれの時間のことを述べる場合にも使います。

 今回は、科学的文法の立場から過去完了形について述べた論文を紹介しながら、生きた英語のif条件節の文法コードを科学していきましょう。

 

「学校文法では一般にif節に生じる過去形は「仮定法過去」と呼ばれ「現在の非現実」を表すとされる。本稿では「if節に生じる過去形の意味」を理解するのに、少なくとも「聞き手の受容・理解のレベル」では、「過去形という統語形式」だけでは不十分であって、その時間関係と実現性を理解するためには、「過去形からの推論」と「文脈からの推論」の語用論的相互作用が不可欠だということを主張する。

 

(過去形からの推論1)「時間」が現在の状況から遠い=「過去時」

(過去形からの推論2)「事実性」が現実の状況から遠い=「非現実」

(文脈からの推論)  時点副詞類、帰結節、言語要素以外などを考慮

 

  a.  If I had enough money now, I would buy a car.

 

  b.  If she tried harder next time, she would pass the examination.

 

(a)では、if節に存在している時点副詞類はnowであるので、この文は「現在時」を示していることが分かる。よって、過去形から示唆される推論に従って、この文は「非現実」を示すことが分かる。

(b)では、(a)と違うのは時点副詞類がnext timeという「未来」を示すものだという点である。そうすると、ほぼ同様の推論の結果、この文は「未来の実現性が低い仮定」を示すということになる。

 留意すべきは、(b)の例だけを考慮しても、「仮定法過去」が「現在の非現実」を表すという一般化は誤りであるということである。

 

 Leech(1987)の挙げる次の例文の組は、同じwereが使われていても、やはり時間の決定には「文脈」が必要なことを示している。

 

  c.  If it were my birthday today, I'd be celerbrating.

(もし今日が自分の誕生日なら、お祝いしているのになあ)

  d.  If it were my birthday tomorrow, I'd be celerbrating.

(もし明日が自分の誕生日になったら、(明日は)お祝いをしているだろう)

 

(c)ではtodayがあることによってif節は「現在時」を示し、帰結節は現在進行形の解釈を持つのに対して、(d)ではtomorrowがあるので、if節は「未来時」を示し、帰結節は未来進行形の解釈を持つことになるのである。」

                    野村 忠央『if節における過去形の意味』

 野村は「仮定法過去が現在の非現実を表すという一般化は誤り」としています。それは(b)、(d)のような「未来時の実現性が低いこと」を示す用例があるからです。

 規範的規則を「PならばQである」という命題とすると「仮定法過去ならば、現在の非現実を表す」となります。未来時の実現性が低いこと」はその反例になるので、偽の命題と判定できるということです。

 

 ただし、規範的規則は、もともと実際に使っている様々な表現の中から共通語としての言葉使いを選び、そこから外れたものを誤用とします。単数を指すthey、分離不定詞、He don’tのようなSの脱落、状態動詞の進行形など、実際には使うのに排除されてきた表現は数多くあります。

 一方、記述文法は実際に使われる生きた表現を対象にします。実際に使われている表現の範囲で学校文法の規則を命題として判定すれば、多くの規則が偽ということになります。

 規範文法にせよ記述文法にせよ、対象とする範囲を設定して一方の立場から他方を判定して「誤り」とするのはあまり建設的ではない気がします。日本語と同じく、英語にも標準語と非標準の表現があります。標準的、非標準的の両方を含めてどちらも正しい英語の表現です。一般に公の場では標準語を使い、私的な場では非標準的な表現を使うというだけのことです。

 

 「仮定法過去が現在の非現実を表す」というのは、誤りというより、時制tenseと時間timeが一致するということを基本とした時制モデルに基づいた説明なのです。それは、100年以上前にNesfieldが広めた3時制モデルを原型として、1つの時制形が1つの時間に1対1で対応することを基本と想定しています。

 学校文法が採用する一次元3時制モデルは、時間の直線上に、過去時には「仮定法過去完了」、現在時には「仮定法過去」、未来時には「仮定法未来」と、1つの時間に1つの型を並べます。時制tenseと時間timeが一致するという伝統的な考え方に基づいています。

 

 現実の英語では時制tenseと時間timeは一致しません。科学的文法では、英語本来の実態に基づき、時制tenseと時間timeは全く別の概念として区別します。その上で、時制を距離感の違いとしてとらえます。

 野村は「…instesd of“present”vs.“past”we can speak more generally of a proximl/disital construal in the epistemic sphere(Langaker1991:245) (現在と過去の対立は、より一般的に知識領域における近接性と遠隔性の概念に基づいている)」を引用し、「過去形は何らかの形で「話者の認識領域(意識)から遠い」ことを表す」として、過去形から2つの推論と言語外の領域を含む文脈によって、if内の過去形の示す意味を決めるとしています。

 

 ここに引用した用例は、過去形の意味を決める文脈のうち「時点副詞類」now、next time、today、tomorrowを含むものです。聞き手は過去形past tenseだけでは出来事時timeは決定できないので、これら時間timeを示す語句とあわせて意味を決めるというとになります。

 時制tenseは距離感の違いを示す述語動詞の型、時間timeは述べる出来事が起きた時間(出来事時)として、それぞれを別の軸として想定できます。この2軸を縦軸、横軸にとれば、二次元2時制モデルができます。この二次元パラダイム上に用例(a)~(d)を位置づけると下のようになります。

 

 

 用例(a)、(c)は「現在時の非現実」を表し、(b)、(d)は未来時の実現性が低いこと」を表しているということから、出来事時に応じて表中に位置けています。

 表を見ると一目瞭然ですが、(過去時制) [If+past simple]が過去時のことを述べるところが空欄になっています。この空欄に該当する用例つまり同じ型が過去時に位置づけられる用例は存在します。それは、過去に起こり得た可能性があること(和式文法の直説法過去、英米式の開放条件open conditional)と過去の反現実(英米式の却下条件rejected conditional)の2つです。

 過去のことを述べる[If+past simple]の型は、形態上では区別がつかないので、意味の決定には文脈がより重要になります。論文の記述を紹介します。

 

帰結節も重要な「文脈」(=時間の決定要素)になるということを示しておきたい。

(f) If they invited her to the conderence, she would have attended.

(もし彼らが彼女を会議に招待していたら、出席していただろうけどね。)

                        (Quirk et al.1985:1012)

 Quirk et alによれば、(f)は「口語の場合に仮定法過去の形で過去の非現実を表している場合」の例である。この用例の場合、「過去時」を示していることは、明らかに過去時を示している帰結節‘she would have attend’によって初めて確認されると考えられるのである。

 

 実は日本語の「タ形」にもこれと同じ事情が見られるのだが、このことは興味深い事実だと言える。以下の例を参照されたい。

 

  もし金があっら、あの車買うんだけどなあ。(「現在」の「非現実」)

  もし金があっら、あの車買ったんだけどなあ。(「過去」の「非現実」)

 

 つまり、「もし金があっら」という条件節が「現在」と「過去」のどちらを指し示しているかは、帰結節を聞いてはじめてわかるのである。」

                  野村 忠央『if節における過去形の意味』

 

 日本語の「タ形」と英語の過去形の類似点について、他にも同様な指摘している論文もあります。

 

反事実性の強いコンテクストでは,次の例でもa.の過去形「…タ」の形の方がbの現在形より自然であろうと思われる。

 

  月が鏡であったなら,恋しいあなたの面影をきっと写してみせるのに。

  月が鏡であるなら,恋してあなたの面影をきっと写してみせるのに。

 

これらの例では,過去形がremotenessを表し,一種のfree thoughtが表現されているように思う。他にも,例えば,「どいたどいた」,「買った,買った!」等と繰り返し表現で用いられる場合も,過去時を示すのではなくdesirable stateの想定を表現するものとして,free thought spaceに属するものの様に思われる。」

 樋口 万里子『仮定法に関わる形式のFree Thought Space Builderとしての意味機

       能』1990

 

 日本語の「タ形」も過去時ではなく、「遠い」という感覚を表すというは面白いと思います。語尾の「タ形」も時間を表さないので、時間を示す語句やその他の文脈によって時間を読み取るというのは日本語話者なら普段からやっていることとも言えます。

 ちなみに、単語が活用しない孤立言語の中国語も事情が似ています。「了」という字を加えて「来了」のように表現して「来た」という意味になることがあります。しかし、いつも過去を表すわけではなく、意味の決定は文脈依存のなのです。

 そう考えると、英語の動詞形が時間を示すのではなく、距離感を示すというのは不思議ではないように思えます。どの言語も語形以外の情報としての文脈は重要な要素なのです。

 

次に、「言語要素以外の文脈」の必要性について考えてみたい。次の用例は帰結節にwouldがあることからも、非母国語話者には一見、典型的な仮定法過去の例文に思える。

 If it rained, the match would be cancelled.  (Palmer1974:144)

 

しかし、Palmer(1974)が指摘するように、実はこの文には次の2つの解釈がある。

 

「現在」の「非現実」=仮定法 

 もし今、雨が降っていたら、試合は中止になるだろうが(実際、雨は降っていない)

 

「過去」の習慣=直説法過去

 もし雨が降ったときは、試合はいつも中止になったも のだ。

 

 興味深い例であるが、この用例がどちらの解釈であるかは、これは「言語外の語用論的知識」に全く依存していると言ってよい。」

                                            野村 忠央『if節における過去形の意味』

 

 実際の生きた言葉では、話し手と聞き手の関係、いつどこでどんな状況で発話しているのかといった言語外の情報が表現の選択とその意味の決定に関与します。それら実際に発話された言葉以外の情報を含めたものが文脈になります。上記の論文で紹介されている用例は、文脈が無いため情報不足で意味が決まらないのです。

 

 アニメの場面から、文脈の中で意味が決まる用例を引用します。SisterとPapaは父娘の関係で、the gaintはPapaが育ててコンテストに出したカボチャです。セリフの中のIf the giant wonが「起こり得る仮定か反現実か」また「過去・現在・未来のうちのいつの時点のことか」を考えてみましょう。

 

(e) Sister:“I'd like to say that I'm thankful that the gaint didn't win first

       prize in today's pumkin contest.”

  Papa: “What? I thought you liked the giant.”

  Sister: “I do. If the giant won, it would be on display at city hall right

                 now instead of being part of the giant yummy pie we're going

                 to have for dessert.”

                                               ――Berenstain Bears | Count Their Blessings

 

  当該フレーズの前後を翻訳すると次のようになります。

Sister:「今日のかぼちゃコンテストで、(父さんの育てた)ジャイアントが一等賞を取らなくてよかったと言いたいな。」

Papa:「え? Sisterはジャイアントを気に入ってると思ってたけど。」

Sister:「そうだよ。でも、もしジャイアントが……ら、ちょうど今頃市役所に展示されて、今私たちがデザートとして楽しもうとしているおいしいパイの材料にはなっていないでしょ。」

 

 この場面の最初のSisterのセリフでdidn't win「一等賞を取らなかった」と言っています。つまり、当該箇所のwonは事実に反していること、勝敗は過去時のことだ分かります。形式上、If the giant wonは和式の呼び方だと「仮定法過去」になりますが、「過去の非現実」を表しています。

 この場面は文脈が分かりやすい例だと思います。実際にこのアニメの映像を初めから見ていれば、コンテストの場面でジャイアントが勝てなかったことは明白にわかります。また、この場面はジャイアントで作ったパイをでみんなで食べようという場面です。このセリフの言語外の情報が文脈として十分なので、動詞形tenseで意味を厳密に区別する必要が無いのです。

 

 生きた言葉は、伝えたいことを適切に表すために選択して使うものです。規則を守ることよりも言いたいことが伝わることが大切なのは言うまでもありません。十分な文脈があれば簡単な表現を選べばいいということです。もちろん、表したいことは「過去の反事実」なのでこの場面でhad wonと言っても適切に伝わります。標準語の文語で規則を守ろうとする傾向が強いのは、一般の読者に向けた情報発信においては、簡略化した表現では伝わらないことがあり得るからです。

 

 内容が伝わるのであれば、冗長な表現を避け簡単な表現を選択することを言語学では言葉の経済性といいます。実際の口語では、話し手と聞き手の間が濃密で共有情報が多い場合、または対面で相手の反応が分かるような状況では、言葉の経済性が働き簡易的な表現がよく選ばれます。そのため杓子定規な規則を守って経済性を損なうことが無いように、自明のことを省略するなど、簡易な表現を選ぶことが多くなります。

 規範的規則通りにしゃべらないのは、決して英語ネイティブが文法にいい加減でも誤っているわけでもありません。「英語話者は文法を間違う」とか言う人は言葉というものの最も大切なことが分かっていないだけです。文法の本当の使い方を知らないでテストの点数を取るためだけに方便で使うから「文法を気にしてしゃべれない日本人」を作ってしまうわけです。

 

 科学的な実証研究をもとにした記述文法ではIf+simple pastの型が過去の反事実を述べるのに用いらることは以前から指摘されています。

 

「if節が過去形で、主節が過去の助動詞+完了形の構文もある。

(f) If they invited her to the conference, she would have attended.

                     ――Quirk et al.(1972:1012)

(f)について、Quirk et al.では「informal なアメリカ英語では hypothetical past

perfectiveの替わりにhypothetical pastが時折使われる」と注がある

 

(g) You wouldn't have beaten me at tennis just now if I were less tired.

                        ――Declerck(1991:432)

 (g)については本来の仮定法過去完了の形、hadn’t been / had beenも併記さ

れている。」

             林 裕『変則的な英語仮定的条件文について』2019

 

 それぞれの用例の和訳をつけておきます。

彼らが彼女をその会議に招待していたなら、彼女は参加していただろうに)

(私が少しでも疲れていなかったら、テニスで、君は今さっき私に勝てなかったはず

 だ)

 

 Quirkは1960年ごろに実際に使われる言葉の収集を始め、後のコーパス言語学へつなげた先駆者と言える学者の一人です。当時は規範文法の全盛期なので、一般的な規則から外れているような表現はinformalと考えられていたのです。

 Declerckの用例には「過去完了の型が併記されている」という解説が付してあります。このIf+simple pastの型を「過去の反現実」に使う用例が、言葉の経済性により簡易な表現を選んで使っているということです。

 

 ここまでに紹介した[if+simple past]の用例を図に位置づけ、合わせて)[If+past perfect]を加えた2時制二次元モデル図に示します。

 

 

 この図から、旧来の規範的規則「仮定法過去は現在の非現実を表す」以外に過去時・未来時のことを述べることが分かります。

 ただし、出来事時はいつも1つの時間に特定されるというわけではなく、時間にとらわれず常に反現実である場合もあります。例えば、If I were youなどは、時間に関係無くいつも反事実なのは明らかです。

 帰結節がwould have ppの型(完了相)で過去の反現実を示している場合でも、文脈によらず常に反現実であることが明らかな事柄はIf+simple past(単純相)を使って表すことができます。

 

If it weren't for Max, we would have missed our very first train ride.

                           ――Max and Rubby

 (Maxがいなかったら、一番早い電車に乗り遅れるところだったね。)

 

 弟のMaxは一緒に旅をしているので、電車に乗る時だけでなくずっと一緒にいます。不変の真理や現在の習慣などが特定の出来事時ではなく過去・現在・未来にわたるときに現在時制で表されるのと同じで、特定の出来事時だけに結び付くわけではありません。このような場合は単純過去時制で表現できます。

 

 続いて、校文法で「仮定法過去完了」と呼ばれる型についてい見ていきます。一般に「過去の非現実を示す」と説明される型です。この用法は、上のモデル図の〇に位置づけることができます。同じ型を英米式では第三条件文と呼びます。

 この図で空欄になっているところがあることから、 [If+past perfect]が現在、未来に完了しているはずのことを述べる用例の存在が予想できると思います。

 

「最後に本稿では言及にとどめるが、「if節中の過去完了」も単純に「過去の非現実」を表しているわけではないことを例示しておく。

 

(h) If I had had the money at the present moment, I should have paid you. (「現在」の「非現実」)                                           (Jespersen1909)

 

(i) If you had come tomorrow instead of today, you wouldn't have found me at home.(「未来」の「非現実」)                                 (Declerk1991)

                                                        野村 忠央『if節における過去形の意味』

 

  それぞれの用例の訳を付しておきます。

(今ここにお金を持っていたなら、私はあなたに支払うべきなのに)

(もし今日ではなく明日来ていたら、私が家にいるところを見つけることはなかっただろう)

 

 これらの用例では、時間を示す副詞によって出来事時が明示されています。実際には未来の場合は「非現実」というより「現実性がほとんどない」というように解する方がいいでしょう。モデル図の空欄この2つの用例を位置付けると、2次元平面にすべての用例が存在することが分かります

 

 If節内に限らず. would have ppの型は一般に仮定法過去とされますが、現在時・未来時のことについて述べることができます。

 Swan『PEU』の記述を引用します。

 

「We sometimes use structures with would have .. . to talk about present and future situations which are no longer possible because of the way things have turned out.

 

 It would have been nice to go to Australia this winter, but there’s no way we can do it. (or It would be nice. . .) 」

                   Swan『Practical English Usage』2016

 

(現在や将来の状況について、事態が進んだ結果、もはや不可能になることが明白になったことを述べるために、would have ... の型を使うことがある。

 この冬にオーストラリアに行けたら良かったが、今やそれは不可能だ)しんじ訳

 

 学校文法では、[would+have+been]の型を「仮定法過去」と呼び、「過去の非現実を表す」と説明します。PEUの記述にあるように、実現する見込みがないと判断した現在時・未来時のことを述べることができます。

 [would+have+been]の型は過去時・現在時・未来時のどの出来事時についても述べることができるということになります。

 

 また[will+have+been]は学校文法では未来完了と呼ばれてきました。しかし実際には未来時だけに限り用いられるわけではありません。

 

〚will have done〛きっと…しただろう

(過去または完了した出来事に対する現在の推量を表す)

 She‘ll have left yesterday. 彼女はきっと出発しただろう

                                                              『ウィズダム英和辞典』2003

 

  “I'm sure the easter bunny will have been by now”

                                           ――Peppa Pig | Easter Bunny

 「イースターバニーはきっともう来ているよ。」

 

[will+have+been]の型は過去時・現在時・未来時のどの出来事時についても述べることができるということになります。

 

 [will/would+完了]の型を二次元2時制モデルで示せば次のようになります。

 

                                     過去    現在  未来

  [will+have+been]  (1)       (2)       (3)

[would+have+been]  (4)       (5)       (6)

 

 現実に使われる英語では、(1)~(6)の用法はすべて存在します。2つの型の違いはwillなら確実であること、wouldなら現実から離れていることを示します。

  学校文法では、未来完了と呼ぶ(3)の用法と、仮定法過去と呼ぶ(4)の用法を扱います。他の(1)、(2)、(5)、(6)の用例は、ほとんど紹介されることがありません。そのため多くの学習者は、この用法があることを知らないのです。

 

 和式文法では現実は非現実かで直説法、仮定法と呼び分けます。一方、英米の文法書では、[would+have+been]の型を和式文法のように仮定法とは呼びません。英米の学習文法では、Subjunctive Moodは形態上Indicative Moodと区別できるもの (I wereはI wasと形態が異なる等)だけを指し、歴史的には消滅過程にある考えます。

 例えばIt would be nice.という表現は、文脈により、実現性が高い「そうなるといいね」の場合から、実現するのは不可能「そうなればいいけど」の場合と意味に幅があります。和式の意味による分類では、後者は実際には実現する見込みがないから「仮定法」、前者は仮定法ではないとすることになります。英米の文法のように形態上の区別以外の法の区別を認めず、過去形woulldは現在形willより「遠い」ということを示し、遠い程度は文脈により幅があるととらえる方が自然です。

 

 wouldの用法を幅広くとらえる英語ネイティブスピーカー(NS)は頻繁に使うのに、日本人学習者(NL)はほとんど使えていません。

鈴木 陽子『モノローグ発話における日本人英語学習者の法助動詞の使用』2022

 

 would、could、mightを「仮定法」と呼ぶのは日本独特のものです。しかし、その位置づけでは日本人学習者は使い方が理解できていないわけです。学習効果が無いのに、ネイティブの文法感覚と乖離した英米の文法とは異なる定義に固執するのは意味がありません。

 生産者の惰性で和式「仮定法」を延命させるのはそろそろ考え時ではないかと思います。英語話者とのギャップを作るのは本末転倒で、日英の違いを埋めるのが文法の役割でしょう。法助動詞の過去形を「仮定法」という名の檻から解放し、過去形の用法の1つに「現実とはほど遠い」という意味があるととらえて、もっと自由に使えるようにしませんか。

 

 基本的な時制形simple pastは「遠い」ことを表す形で、過去時・現在時・未来時の各時間について述べることができます。その完了相も、特定の出来事時に縛られることなく「より遠く」を表すととらえられます。時間としては各出来事時の時点まで(それ以前)のことを示し、現実からの距離としては「さらに現実から離れる」ということになります。だから未来のことに過去完了を使うと、「とても見込みはない」ということを示すわけです。

 

I HAD hoped we would leave tomorrow, but it won’t be possible.――PEU

 

 過去完了が実際には出来事時に縛られないで使えます。未来時について述べる用法は幼児対象のアニメにも使われているので特別なものではありません。「仮定法」という日本独特の特異な理解の仕方を止めて、二次元の平面として見れば、過去形を「遠い」と感じる英語話者の文法感覚に近いとらえ方ができるのではないかと思います。

 

 以上見てきたように、和式仮定法でいうところの「仮定法過去」「仮定法過去完了」の型tense formは、過去時・現在時・未来時のいずれの出来事時timeのことも述べることができます。この2つの型は、tense formを縦軸に置き、出来事時timeを横軸に置いた二次元時制モデルで体系を一望することができます。

 二次元時制モデルの利点は、旧来の一次元(直線)3時制モデルから排除されていた生きた用例の存在を明確に意識できることです。

 

 英米の文法書は、記述文法を取り入れて従来の規範の見直しが進行中です。単数のthey、分離不定詞、状態動詞進行形などかつて規範的文法が禁則にしていた表現は、実用に即して容認されてきています。以前の記事で紹介したように英米の文法書ではwould have doneが過去時だけでなく現在時、未来時のことを述べる用例を載せています。この流れは今後も続くと思われます。

   これまで学校文法は数十年遅れとはいえ、結局は英米の流れに追従してきました。早晩生きた英語の実用に基づいた見方へシフトしていくでしょう。二次元時制モデルで現代英語の全体像を体系的にとらえておけば、規範がシフトしても困ることは無いはずです。指導する立場にある方は、このモデルをご利用いただければいいかと思います。