仮定法、法助動詞は英語学習者にとって使い方が難しいと言われる文法事項としてよく取り上げられます。英語ネイティブが多用するwould、could、mightなど助動詞の過去形が使えないと言われます。文化の違いなどの要因もあるかもしれませんが、もしそうだとしてもその違いを埋めて改善していくのが学習文法の役割です。

今回は、法助動詞の過去形の文法的位置づけについて科学的文法の立場から根本的に見直していきます。

 

 日本人学習者(JL)と母語話者(NS)法助動詞の使用頻度を比較した資料があります。同じテーマについて使用した発話の表現を集めたコーパスデータから集計したデータです。

  鈴木 陽子『モノローグ発話における日本人英語学習者の法助動詞の使用』2022

 

 この資料では、日本人学習者(JL)と母語話者(NS)の総語数が異なるので、1万語あたりの相対頻度で比較するのが適切です。

 JSとNSの相対頻度を比較すると、couldは5:13、mightは2:10、wouldは2:43になっています。法助動詞全体の頻度は305:278で、JSの方が高いことから、JSは過去形がほとんど使えず、逆に現在形のcan、mustを過剰使用している傾向が分かります。

 

 このデータは、決まったテーマに基づいた使用傾向です。今度は英語圏(British EnglishとAmerican English)で使用する表現を幅広く集めた複数のコーパスデータをもとにした、英語圏で使われる英語話者の法助動詞の使用頻度のデータを紹介します。

 

Nguyen Ngoc Thuy Duong『Modal verbs in English: Observations of recent

              change in corpora』2019

 

 英語圏では、現在形will、canに劣らずwould、couldの使用率が高いことが分かると思います。

 言葉は、口語では使う地域などで異なり、文語ではジャンルによって異なります。コーパスデータは、採集した元データにより傾向が異なることがあります。

 COCAをもとにAmerican Englishの口語spokenと学術分野の文語での法助動詞の使用頻度を集計したデータを紹介します。

 

 Edina Rizvic-Eminovic, Delaludina Sukalic 『Corpus-based study of the modal    verbs in the spoken and academic genres of the corpus of contemporary    American English』2019

 

 このグラフから、今回取り上げている法助動詞の過去形would、couldは、口語での使用頻度が極めた高いことが分かります。これら法助動詞過去形は、特に日常会話で頻繁に使われています。

 

 以上のように、法助動詞に過去形について、英語話者と学習者の使用との乖離は、データの上でも裏付けられます。その原因について、従来の学校文法の問題を指摘した論文の記述を引用します。

 

「助動詞 would の使用についてピーターセン(1999)に示唆に富む興味深い指摘がある。それは、「日本人学生の英作文には“would like to~”など、ごく少数の決まり文句をのぞいて、would などの助動詞がほとんど登場しない。」というものである。同様に、樋口(1990)も、would は「仮定法」という言葉に帰されて済まされ、一面的に捉えられることが多いと述べている。

 A:What is your favorite ice cream ? (アイスクリームは何が一番好き?)

 B:I would say 31 flavor’s vanilla. (サーティーワンのバニラ味かなあ)

英語話者は日常会話で このようなwould や could、might を頻繁に使用するにも関わらず、日本の中等教育において、will や can、may に比べて、それらは学習する頻度が少ないため、生の英語に触れて戸惑う文法項目の一つといえる。」

  松本 知子『距離感をもたらす英語表現―効果的な文法指導法を求めて―』2017

 

 この論文が指摘しているように、中等教育において法助動詞would、couldの学習頻度は極めて少ないということは統計でも示されています。英語圏では極めてよく使われる表現が、このように過小に扱われる原因は、文科省による法助動詞の文法的位置づけにあります。

 指導要領では、和式の「仮定法」を基本時制「直説法」の応用と位置づけてきました。would、couldなど法助動詞の過去形は、学校文法によって「仮定法に帰して一面的に説明されて」いるため、使用制限にかかり、最近になるで中等教育では扱ってこなかったのです。結果として、学習者は、絵本やアニメでもごく普通に使われているwouldやcouldなどの「生の英語に触れて戸惑う」ことになっています。

 

 ここで取り上げているI would say…にしても、学校文法では和式の「仮定法」に帰して、仮定法過去の典型文からif節を省略した表現と説明されます。仮定法だけでも苦手とする学習者が多い上に、そのまた特殊な文だというわけです。

 もっとも、そのとらえ方の是非は別にしても、学習者にとって有用なら問題はないのですが、法助動詞の過去形が使えないというのが現状です。さらに、大学生の文法項目の習熟度を調査した資料では、「仮定法」の平均正答率は、17項目中2番目に低い21%になっています。

 法助動詞の過去形を「仮定法」に帰すというのは、和式文法独特のとらえ方で英米式とは異なります。実践にもつながらず学習効果も疑わしい従来の文法説明に固執する理由はありません。文法説明を見直し、科学的な文法による代替案を検討する価値は十分あるでしょう。

 

 科学的文法のとらえ方では、will/wouldの違いは時間timeではなく距離感distanceです。上の論文にあったI will say…は意志が強く出ていて、I would sayは距離を取って、控え目な意思が示されるととらえます。英米の文法書ではこのwouldを「仮定法に帰す」ことはありません。

 would like toも同じで、will like toに対して過去形が示す距離感distanceによって距離を取った「控えめ」な表現と説明できます。BNCには、[would like to]は4052例あり、[will like to~]は4例しかない(松本2017)ので、前者は定型化した構文と考えられます。

 

 学校文法が長らく採用してきた3時制モデルが廃れ、英米の科学的文法の大勢が2時制モデルを支持しはじめたのは、時制tenseと時間timeを同一視することを止めたからです。英語に未来時制はなく2時制であるなら、当然3つの時間と1対1で対応することはあり得ません。英語が2時制なのは、3つの時間に対応するのではなく、遠近の2つに対応するからだというのは自然なことです。

 人の根源的な認知という見地から時制をとらえると、空間的な遠近の認知が先にあり、メタファーによって時間を認知すると言えます。時間をもとにした時制が数直線という一次元の距離として認知されるのは、そのことを端的に表しています。英語のpresentはpre「前に」、sent「在る」という空間的な認知がもとになっています。同じくpastは「物体が通り過ぎて向こうに在る」という空間的にとらえる意味を持っています。

 人は、感覚的に実感できる物体の位置の遠近によって空間を認知します。そのメタファーによって、より抽象的な時間を認知すると考えることは自然なことでしょう。先に空間としての距離distanceが認知され、そこから時間timeを認知するということです。

 

 かつて細江逸記は、will、shallが未来標識になることについて、「叙想の力があるが故に未來にもなるのであって、未来を表すが故に叙想の力が生じたのではない。」(『動詞叙法の研究』1932)と喝破しました。このロジックを借りれば、英米の科学的文法は時制を次のようにとらえていると言えます。

 過去形が過去時timeの事実を表すことについて、「距離を置くdistanceという力があるが故に過去時timeの事実にもなるのであって、過去時の事実を表すが故に距離を置く力が生じたのではない。」

 また、過去形が現実から距離を置いた(非現実/控え目など)表現になることについて、「距離を置くという力があるが故に非現実にもなるのであって、非現実を表すが故に距離を置くという力が生じたのではない。」

 

 「生の英語」を説明できない現行英文法を改善するために、実際に英語話者を対象として使われる本物の英語を科学的に観察していきましょう。

 実際に使われる英語には未来を示す専用表現はありません。willに限らずすべての法助動詞には叙想の力があるので、未来のことを述べることに使います。

 

1)You can try again tomorrow.

        ――Kongsuni and Friends|Friends From Outer Space

 

2) Can’t we clean our room tomorrow?

          ――The Berenstain Bears | Think of Those in Need

 

 このように幼児対象のアニメでもcanは未来のことを述べるときにふつうに使います。その「過去形」couldは、過去時timeを述べる用法よりも、canから距離を取って意味を希薄させる用法の方が多いことはだれしも感じていることではないでしょうか。

 

3) “Father is coming home today. Naturally he's a fisherman. He's

   bringing something home for me. Maybe he’ll bring me starfish or

   something coral or what if he brings a mermaid. Father bear could

     bring her back home with him.”

                                            ――Little Bear | Father Bear Comes Home

「父さんは今日家に帰ってくるよ。当たり前だけど漁師だからね。僕のために何かを持って帰ってくれるよ。たぶん、彼はヒトデやサンゴの何かを持ってくるか、それか人魚を連れて帰ってきたらどうしよう。父さんは彼女を家に連れて帰ってくるかもしれない。」

 

 この用例では、お父さんが何かお土産を持って帰ってくるという未来のことを、動詞bringを様々な時制を使って表しています。

 初めの現在進行形is bringingは手紙にお土産を持って帰るとあったので、現実として起こることとらえています。

 ヒトデやサンゴは自分の想いとして想像したことは叙想法willを使っています。

 If節中では現在形bringsを使っているのは前提条件として「実際に起こる」と仮定しています。人魚の存在とそれをお土産にすることを現実的だと感じて現在形を使っているのは子供らしいと思います。大人なら、客観的にありえないことは分かっていることを示すために過去形を使うかもしれません。

 最後は子供ながらも少し現実的な可能性を考えてcould bringという可能性を弱めた表現を使っています。

 

 未来のことはこのように適する時制を使い分けますが、法助動詞の過去形couldもその選択肢の1つです。

 法助動詞を含めてVPの時制は、日本語で言えば文末の語に相とします。「~だよ」「~でしょう」「~かなあ」「~です」などのバリエーションにあたります。和式の「仮定法」禁止は「~だったらなあ」という表現は応用だから禁止すると言うようなものです。

 英語話者は法助動詞を2歳ごろから使い始め5歳くらいまでにはほとんど使いこなすようになるという報告があります。語尾のバリエーションですから、抽象的な単語よりも先に幼少期に身に着けるのは当然のことでしょう。絵本や幼児対象のアニメといった「生の英語」には、couldなどは頻繁に使用されます。

 

4)Too-Tall: “There's gonna be a big road race this Saturday.”

 Kenny “Big road race?”

  Brother: “Its where everyone builds a go-cart, and races team down a

              hill.” “I bet you and I could build a great go-cart, Freddy.”

  Freddy: “You bet! I could be in charge of drawing up all the plans.

                                                ――The Berenstain Bears|Big Road Race

Too-Tall:「今度の土曜日に大きなロードレースがあるんだ。」

Kenny: 「大きなロードレース?」

Brother:「みんながゴーカートを作って、丘をチームでレースするんだよ。」

            「きっと君と僕で素晴らしいゴーカートを作れるさ、フレディ。」

Freddy:「もちろん!僕が計画を立てるのを担当するよ。」

 

 この用例のcouldは、話者が「(やろうと思えば)できるよ」というようなニュアンスの表現を使いながら、実際には「やろうよ」「やるよ」と言っています。叙想法は基本的に話者が「想い」を表すものですから、couldを使って意思を示すこともできます。文法書の用法分類はコアに近いものを方便として示しているだけです。

 このようなcouldは、willやcanに置き換えても伝える意図に大差はありません。時制は日本語の文末の語尾に相当するので、口調が違うという感じに近いのです。法助動詞は機能語なので、意味が一般化して薄れています。そのため、内容語のように明確な意味の違いが無く訳に現れないことも多いのです。

 

 次の用例は、『リー・ポッターの映画版(a)と原作(b)の同じ場面を比較したものです。

 

5)a. “Now, as our Mandrakes are still only seedings their cries won’t kill

       you yet.  But they could knock you out for several hours, which is

       why I have given each of you a pair of earmuffs, for auditory

        protection.”

 

   b. “AS our Mandrakes are still only seedings, their cries won’t kill you

       yet.” She said calmly […].“However, they will knock you out for

       several hours, and as I’m sure none of you want to miss your first

      day back, make sure earmuffs are securely in place while you work.

      I will attract your attention when it is time to pick up.”

                                          ――Harry Potter and the chamber of Secrets

                                                  三原京『ハリー・ポッターの仮定法』2004

 

  映画ではthey could knock you…となっているセリフが、原作ではthey will knock you…となっています。「それら(マンドレイクの叫び声)はあなたを数時間気絶させる~」の語尾にあたるところの違です。このときcouldなら可能性があることを示し、willなら確実にそうなることを示します。実現性の程度の違いはありますが、表現としては選択可能なのです。脚本家と原作者が好む口調の違いと言えるでしょう。

 

 他にも、三原2004では『ハリー・ポッター』の「仮定法過去のセリフ35例のうち、原作も仮定法になっているものは20個で、57%程度でしかない。原作には存在しないものが43%を占めている」と記しています。

 また、「仮定法」としているもの、調査した35例のうちif節のみの仮定法過去は2例、if節がある仮定法過去は5例、if節がない仮定法過去は28例としています。(三原2004)つまり、35例中28例は法助動詞の過去形wouldなどを使った文ということになります。

 このことは、自然なセリフでは、和式では「仮定法過去」と呼ぶ、単に法助動詞の過去形を使った文が多く使われるという傾向を示唆します。

 

 アニメでもしたようなwouldはよく出てきます。

 

6) “Maybe you will when You’re older.” “Would you like to help, Kenny?

     You can sharpen my pencils. That would help a lot.”

                             ――The Berenstain Bears|Big Road Race

  「たぶん大人になったらできるようになるんじゃない。ケニー、手伝ってくれる?

    君が僕の鉛筆を削ってくれると、とても助かるんだけどなあ。」

 

 この用例の最後に使うwouldは、willから距離を置いて柔らかい響きにしたような表現と言えます。このようにwouldやcouldを平叙肯定文で使って、やんわりとした依頼や勧誘などの意図で使うことはよくあります。生きたことばの使い方では、疑問文という形式だけが依頼を表すわけではないのです。Would you…?Could you…?を中学の教科書で取り上げるなら、You could …という形式で依頼する表現などを取り上げても問題ないでしょう。

 

 willがもつ語感は「~するよ」、「~になる」という断言するような響きがあると感じます。willから距離を置くwouldは文脈によっては、現実には程遠いということを表しますが、willをやわらげた表現として使うことも多いのです。

 I would say…やwould likeなどのような使い方と同じです。It would be nice.などのような言い方も多用されます。これらをif節を省略した仮定法と解釈する必要はないでしょう。英語のネイティブは単にwillから距離を置いた柔らかい言い方としてとらえているのですから。

 

 「現在の事実に反する」や「起こる可能性がきわめて少ない」という和式の仮定法に帰すことができない用例について述べた論文があります。

 

「かつて Science という書名の、おそらくアメリカの小学校上級年で使われる教科書(Harcourt School Publishers, 2006年刊)を見ていた時、思っていた以上に仮定法が多く使われているという印象を受けた。

  米国の小学校理科教科書の本文をコーパスとし、仮定法の使用例を調査した。仮定法過去の説明として従来の「現在の事実に反する」や「起こる可能性がきわめて少ない」では説明しきれない用例があることを指摘した。

 

6)Suppose you were in a contest to find a way to drop a raw egg from a balcony without breaking the egg. What kind of parachute would you use?

   First, you might plan and conduct a simple investigation. You might make parachutes of different shapes and sizes. You could tie weights on them, drop them, and see how they behave. How long do they stay in the air? How gently do they land? You could make observations and take measurements.

   With that information, you could hypothesize. What design has the best chance to protect the egg? You may think that a large, round parachute is the best design. You could experiment to test your hypothesis. An experiment is a procedure you carry out under controlled conditions to test a hypothesis.」

        林 裕『仮定法過去再考―米国理科教科書を読んで見えてきたこと―』2015

「あるバルコニーから生の卵を割らずに落とす方法を見つけるコンテストに参加することを考えてみましょう。どのようなパラシュートを使用しますか?

まず初めに、簡単な調査を計画し、実施しましょう。異なる形状やサイズのパラシュートを作成します。これらのパラシュートに重りを結びつけ、それらを落として挙動を観察します。それらは空中にどれくらい滞在し、どれくらい優雅に着地するでしょうか?観察し、測定を行うことで情報を得ることができます。

そこから得た情報を元に、仮説を立てることができます。どのデザインが卵を守るのに最適なチャンスを持っている?大きな丸いパラシュートが最善のデザインだと考える人がいるかもしれない。この仮説を検証するために実験を行うことができます。実験とは、仮説を検証するために制御された状況下で行う手法です。」(しんじ訳)

 

 これは理科の教科書ですが、might、couldがよく使われています。「現在の事実に反する」や「起こる可能性がきわめて少ない」ことを表しているわけではありません。

 文語ではジャンルに応じて好まれる法助動詞の傾向があります。学術的な論文でも、科学的なジャンルでは、文体としてmayやcanが好まれます。

下のグラフは、科学分野のジャンルScientific Textsのコーパスから採取した法助動詞の使用頻度を示したデータです。

    Jordi Pique『Modal Frequency in English Scientific Texts』2005

 

 同論文にある用例を紹介します。

 

7)a. Recent research shows that patient behavior may be misleading

   and result in underestimating ..

(最近の研究によれば、患者の行動は誤解を招き、低く評価される可能性がある)

 

 b. Self-monitoring and peer support might provide cues necessary to

   correct ...

 (自己モニタリングと仲間のサポートは、修正に必要な手がかりを提供する可能性が

 あります)

 

 c. As with the first hypothesis, could be argued that this prediction ...

  (最初の仮説と同様に、この予測は論じられる可能性があります)

 

 これらの用例は、「可能性がある」ことを述べています。このときmayとcanでは意味の違いに大差ありません。しいて言えば先に文法化したmayの方が硬い響きがあります。現在形may、canに対して過去形のmight、couldは距離を置いて柔らかい響きになるのです。

 先ほど取り上げた「理科の教科書」にmight、couldが多用されていたのは、科学分野に属するからです。つまり、法助動詞は、内容語としての意味内容ではなくジャンルに相応しい文体として選ばれているのです。法助動詞は意味内容を希薄させた機能語なので意味に大差はなく、現在形と過去形は調子の違いで選択されているわけです。

 

 このような法助動詞の過去形を和式の「仮定法」を持ち出してややこしい説明に帰する必要はありません。科学的ジャンルでは、論理的な可能性、考え得る仮説、想定される実験手順などは事実を述べるわけではないので「想い」を述べる叙想法に属する法助動詞を用いるのに相応しいのです。

 

 科学ジャンルのmayとcanはどちらも「可能性」という同じ意味でよく使います。口語と違い、教科書のようなある程度まとまった長さのある文章では、同じ言葉を繰り返すのを避けます。この2語は意味による厳密な使い分けというよりも、文章全体が単調にならないようにも適度に両方使うということができます。

 また、現在形のmayやcanなどが「だ/である」調だとすれば、過去形mightやcouldが「です/ます」調という感じに近いと考えてもいかもしれません。現在形と過去形は意味的な違いよりも語り口の違いで使うという面もあります。ちなみに(林2015)にあった理科の教科書の拙訳では、過去形は柔らかい感じに対応して訳してみました。

 

 英語の述語は、日本語で言えば文末の表現です。法助動詞は機能語なので意味が希薄します。意味を希薄化させた機能語は実際の会話では弱音化します。それだけ意味内容による分類の重要性は下がるのです。

 口語で言えば口調、文語で言えば文体というように聞き手あるいは読み手に与える印象が変わります。現在形と過去形の違いは、前者が主観的に言い切るような感じに響き、後者が距離を置いてみた客観的で控え目な感じになるということはあり得ると思います。

 

 現行英文法は実践を想定した、口調とか文体という発想がほとんどありません。また、用法分類は意味内容によるので、意味が希薄化した機能語の説明がうまくありません。

 文体の違いが判る例をあげます。下の表は、法律に関するジャンルの法助動詞の使用頻度のデータです。

 

  Hong Chen他『A Corpus-Based Study of the Central Modal Verbs in Legal

          English』2020

 

一般的な傾向とことなるshallが高頻度で、mayがそれに続いています。

 

8)a. Everyone's right to life shall be protected by law. No one shall be

   deprived of his life by saving in the execution of a sentence of a

   court following his conviction of a crime for which we can commit

   suicide This Penalty is provided by law.(Human Rights Law)

 

  すべての人の生存権は法律によって保護される。裁判所の判決に基づく罪状有罪

  の宣告の執行を除いては、誰も自己の命を奪われてはならない。この罰則は法律

  のもとに行われる。(人権法)

 

 b. But Congress may by a vote of two-house, remove such disabilities.

   ( the Constitution of the United States)

 

    ただし、議会は両院の採決により、そのような制約を解除することができる。

   (アメリカ合衆国憲法)

 

 このように、法助動詞はジャンルによって好む文体が大きく異なります。実践的な言葉使いには文体の理解が重要です。同じmayでも、法律で使うときは「正当な権利」という意味合いがあるので、柔らかいmightに置き換わることはありません。科学的文章で使うmayがしばしば「可能性」を意味し、調子よってmightを使うというのとは全く違います。この違いは2つのジャンルのmay/mightの使用頻度の比率の違いに現れています。

 

 現行英文法の学参の中には、shallは口語でShall I…かShall weくらいしか使わないとして他の用例を説明しないものがあります。日本語でも時代劇で使う言葉は、日常では通常使いませんが、知っています。知っているけど使わないということは言葉ではよくあることでしょう。

 shallはドラマやアニメでは古風なキャラとして描く人物に使わせたりすることもあります。Shall I…かShall weだけ覚えればいいというような発想は、言葉のもつ響きを軽視することになりかねません。実践的な言葉の使い方には、口調や文体の違いを感じ取ることも有用だと思います。

 

 今回取り上げた法助動詞の過去形は、日常会話でよく使うものです。それに反して、学校文法ではこれらの説明しにくい用法は過少に扱われています。和式の「直説法」「仮定法」というとらえ方、機能語の希薄化、言葉における文体の違いなど、個々の文法説明以前の大局的な言葉に対する見方の問題という指摘はあまりないように感じます。

 学習文法は、学習者が生きた英語に接した時に戸惑わないように、正確な地図として有用なものがいいと思います。視野の狭い文法説明に固執せず、口調や文体という観点を、是非取り入れてほしいものです。