英米の文法書では、和式の「仮定法」を含めて、条件文conditinalsとしてまとめて扱うのが一般的です。典型的な条件文は[条件節(ifなどが先導する文)P+帰結節(主節)Q]の型をとり、「Pが条件として成立すれば、Qという結果になる」ということを意味します。基本的な型として、一般的には第一、第二、第三条件文に分類されます。これに零条件文zero conditinalを加えると、基本的な条件文は以下の4つの型として示すことができます。

 

【零条件文zero conditional】[if+simple present, simple present]

0-1) If I have enough time, I write to my parents every week.

 

【第一条件文first conditional】[if+simple present, will+infinitive]

1-1) If I have enough time tomorrow, I will write to my parents.

 

【第二条件文second conditional】[if+simple past, would+infinitive]

2-1) If I had enough time now, I would write to my parents.

 

【第三条件文third conditional】[if+past perfect, would+perfect infinitive]

3-1) If I had had enough time, I would have written to my parents

   yesterday

 

 現行の学校文法では、第一条件文は「時・条件を表す副詞節」という特別な文として説明します。また、第二/第三条件文はそれぞれ、仮定法過去/過去完了として時制とは別の単元で説明します。零条件文は、あまり取り上げられることが無いと思います。

 その根底には、「時制は時間を表す」と「直説法は事実を述べ、仮定法は非現実を述べる」という伝統的な規範文法のとらえ方があります。そのため、「直説法現在時制は現在の事実を述べる」、「直説法過去時制は過去の事実を述べる」、「仮定法過去は非現実を述べる」ということを基本と想定しています。

しかし、この和式の説明法をそのままにしておいて、単にif節を使った条件文を寄せ集めてひとまとめにしただけでは意味がありません。これらを条件文としてまとめて取り扱うにあたって重要な点は、一貫した原理によって体系的な説明をすることです。条件文という特殊なカテゴリーではなく、「時制」「法」といった現代英語の基本としっかり連動していることが肝になります。

 

 英米の文法書が採用する科学的な記述文法では、「時制tenseは時間timeとは別の概念」として厳密に区別することが基本です。時制については、学校文法の3時制モデルではなく、科学的文法の2時制モデルの観点を採用し、遠近の二極構造を基本とする距離感の違いを示すことを基本とし、時間はメタファーによって空間的認識から派生するととらえます。

「直接法Indicative Moodと仮定法Subjunctive Moodは動詞の形態上の違いで現実か非現実かという意味上の違いではない」ととらえます。これをベースにすると、

(a)If I was …と、(b)If I were…で、どちらも非現実のことを述べている場合でも、(a)は条件文connditional、(b)は仮定法として区別します。つまり(a)は意味としては客観的に「非現実」であっても条件文conditionalとして扱い、subjunctive moodではないということになります。

 

 この観点は、このブログで取り上げてきたように、現代の和製の文法学習書にも明記しているものもあります。また英語使用国の19世紀の文法書や教科書にも明記されています。

 

話し手が自分の述べる文の内容を、そのまま事実として述べる場合に使う動詞の形が直説法である。これは、肯定・否定とは関係なく、事柄が実際に真実であるかどうかも関係ない。それを言うときの話し手の心的態度(意識)が問題である。

                   ピーターセン他『実践ロイヤル英文法』

 

話者が事実と見なす陳述をIndicative Moodといい、それが実際に事実factであるかどうかは問題ではない。例:The sun moves round the earth.は実際にa factではないことは誰でも知っているが、発話者がfactであるとみなしていることをIndicative Moodで示している

                  Seath『The high school English grmmar』1899

 

 The sun moves round the earth.は天動説なので、現代科学では客観的には事実ではありません。直説法現在は、客観的な事実を述べるのではなく、話者が主観的は判断して事実factとして扱う表現なのです。子供を対象としたアニメでさえごくふつうに使います。

 

King “Hellow there.”

Mr.Elf“It's the king.”

King “I'm not the king today, I'm just a humble daddy like you lot.”

              ――Ben and Holly Kingdom | The Father's Day

王「こんにちは。」

エルフさん「王陛下だ。」

王「今日は王ではなく、君たちと同じくどこにでもいる父なんだよ。」

 

 王様が自分のことを「王ではない」と表現しています。王様ではなくても、例えば、社長が「今日は社長ではないよ」と言うことはふつうの会話でも使うことがあるでしょう。だから、英米の教科書には直説法現在は客観的事実を表すわけではないことを明記しているわけです。

 

 英米式の英文法は、和式英文法のように直説法、仮定法を現実かどうかで区別しないから、条件法conditionalとして一括して説明できるのです。条件法を学習文法に導入するには、時制、法の根本的なとらえ方を明確にしておくことが重要です。

                       

 典型的な条件文で使う述語動詞の時制は、直説法と叙想法になります。今回扱う時制のうち、直説法の単純現在simple present、単純過去simple past、と叙想法の法助動詞現在modal will、法助動詞過去modal wouldについての基本的なとらえ方は以下のようになります。

 

【単純現在simple present】話者が主観的に「いま・ここ」present realityと感じるという心的態度を示す。特に、-edやwillという文法標識による制限がない無標の形であることから、述べることがらについて、時間timeや事実factかどうかいったことに対する制限がなく汎用性が高い。

 

【単純過去simple past】話者が「いま・ここ」から距離をとり客観的にことがらをとらえている心的態度を示す。時間的な「いま」から離れた過去の事実や、空間的な「ここ」から離れて非現実であると認識していることを示す。-edという標識に制限を受ける有標の形なので、全くの根拠のない空想を示すことはできず、客観的に「いま・ここ」ではないという判断をもとに使う。

 

【法助動詞現在modal will】「想い」を述べる叙想法に属し、時制には属さない。根源的用法としての「意思」、認識的用法としての「確実性」を意味する。特に、認識的用法の意味が漂泊化し「未来標識」として認識されることがあり、その場合でも「未確定」、「結果として実現する」ということを含意する。

 

【法助動詞過去modal would】まれに時間的な隔たりとしての過去の習性などを示すこともあるが、基本的には、主に「確実」であるという認識を示す認識的用法willからの距離の隔たりを表す。「確実」とは言い切れないこと、あるいは「現実離れ」「非現実」といった認識を示すことから、残念な気持ちや、現実には難しいが実現するとうれいしいといった話者の気持ちを表すことができる。

 

 以上の法・時制のとらえ方をもとに、各条件文についてみていきましょう。

 

 零条件文は、条件節・帰結節とも述語動詞にsimple presentを使った文です。典型的な零条件文はif節をwhen節に替えても意味に大差ありません。冒頭に紹介した典型的な文に加えて、実際にアニメで使われている用例を紹介します。

 

0-1) If I have enough time, I write to my parents every week.

 

0-2) If we catch it, you're out.

                   ――Peppa Pig's Holiday in Austria

  「守備側がボールをキャッチしたら、打った人はアウトになるよ。」

 

0-3) When the light goes on, they come back.

                   ――Peppa Pig's Holiday in Austria

  「懐中電灯をつけると、みんな(蝶々)もどってくるよ。」

 

0-4) When someone dies, they don’t come back.

                       ――Caillou and Cheating

  「死んだものは、帰らないの。」

 

 それぞれ、(0-1)は個人の習慣、(0-2)はスポーツのルール、(0-3)虫の習性、(0-4)普遍の真理です。この型の条件文は習慣・規則・習性・真理など時間に制約されずに常に「PならばQである」という命題が成り立つ場合に適します。帰結節の述語動詞の時制は条件文だからという特別な規則があるわけではなくpresent simpleの基本的な用法の範囲であることが確認できます。

 

 零条件文は、学習書によっては紹介されていないこともありますが、このようにふつうに使われています。真理や事実について述べることに適していることから、特に学術的な文章では好んで使われます。

 

0-5) If you heat water, it boils. (水を熱すると沸騰する)

 

0-6) If you heat ice, it melts. (氷を熱すると解ける)

 

 下のグラフは、学術的文章を収めた言語コーパスのデータをもとに、条件文の帰結説(主節)matrics clauses of conditionalsで使われた時制の使用頻度を示したものです。VESPAは英語学習者(非ネイティブ)、BAWEはイギリス人が学生の使用率を示しています。

  Hilde Hasselgard『Conditional clauses in novice academic English

      A comparison of Norwegian learners and native speakers』2016

 

 この図で、帰結節がpresentの文が零条件文、will/ wouldの文が第一/第二条件文に相当します。学術的な文章では、第一/第二条件文よりも、帰結節の述語の時制にpresent を使う零条件文の頻度が高いことを示しています。特に、BAWEのデータからイギリス人(英語ネイティブ)ではその傾向が高いことが分かります。

 

 もちろん、一般的に広く使われているのは、帰結節にwillを使う典型例の第一条件文です。しかし、ジャンルによっては典型例とは別の型の条件文もふつうに使われています。上のグラフでも、帰結節の時制にother modal(will以外の法助動詞)を使用する頻度が高いことを示しています。特に、英語ネイティブは学習者にくらべて使用率が高くなっています。

 典型文に加えて、アニメで使われている用例を紹介します。

 

1-1) If I have enough time tomorrow, I will write to my parents.

 

1-2)I can get it if you give me a boost.

      ――Timothy Goes to School | The Treefort and the Sandcastle

「下から抱え上げてくれたら、(木に引っかかったボールを)取ることができるよ。」

 

1-3)You may now use magic if you wish.

             ――Ben and Holly's Little King Kingdom | Cows

  「君がそう願うなら、今、魔法を使ってもいいんだけど。」

 

1-4) If daddy pig tells you a story, you must both promise to go to sleep.

                    ――Peppa Pig | Halloween Special

  「ダディピッグがお話をしたら、二人とも寝るのよ。約束だからね。」

 

 それぞれの条件文の帰結節の述語動詞は、(1-2)ではcan、(1-3)ではmay、(1-4)ではmustを使っています。第一条件文の帰結節の時制はwillが基本ですが、それは典型例ということに過ぎません。willは「確実性」を示すので、条件Pが満たされたときに、結果として確実にQになるという文脈に相応しい表現として使います。

 

 零条件文と第一条件文は、条件節の述語動詞にpresent simpleを持ちいる点で共通しています。このときのpresent simpleも特別な規則があるわけではありません。零条件文と第一条件文の典型例を抜きだして比較してみます。

 

0-1) If I have enough time, I write to my parents every week.

 

1-1) If I have enough time tomorrow, I will write to my parents.

 

 この2文の条件節(if節)では、どちらも述語動詞のtenseとしてpresent simpleを使い「お金が十分にあれば」という意味を表していますが、条件がおこる時間timeは異なります。(0-1)は過去時・現在時・未来時というどの時間timeも含み特定の時間に制約されていません。また、(1-1)はtomorrowという未来時future timeに限定されています。

 条件節の制約条件の違いは、この2文の帰結節の意味の違いと連動しています。

(0-1)の帰結節が意味しているのは「毎週手紙を書いている」という日頃の習慣です。対して(1-1)は、「手紙を書く」という一回限りの具体的な行為を含意しています。

 

 零条件文と第一条件文の帰結節の形式の違いは、前者が一般的なことがらを表し、後者が個別的なことを表すという意味の違いを反映しています。ただし、あくまでも原則としてということです。

 

0-7) If the temperature goes below 32oF/0oC, Water freezes.

 

1-5) If the temperature goes below 32oF/0oC, Water will freeze.

 

 この2文はどちらも「水は摂氏32度/華氏0度以下になると凍る」という一般的な意味に使っていると考えられます。法助動詞willには「習性」を示す用法があるので、その場合は形式的には第一条件文でも意味としては一般論になります。

 結局のところ、活きて使われる表現は文脈が重要です。零/第一条件文の帰結節はwillに限らず現在時制や他の法助動詞などの使用率も高いのです。典型的な例は基本として押さえ、多くの実例にあたりながら表現を豊かにしていくのがいいと思います。

 

 条件節述語動詞も規則で決まっているわけではないので、典型例以外の表現は数多いのですが、その頻度については帰結節とは傾向が異なります。

 下の図は、学術論文での条件節中の述語動詞の使用率を示したものです。

   Hilde Hasselgard『Conditional clauses in novice academic English

      A comparison of Norwegian learners and native speakers』2016

 

 使用されるのは、現在時制presntと過去時制pastの2つがほとんどで、法助動詞などの使用率はきわめて低いことがわかります。ただし、このデータは学術的文章というジャンルをかが言っているので、日常会話などではこれほど極端な差ではないと思います。

 条件法の4つの典型例が、現在時制、過去時制なのは、使用実態を反映していると言えるでしょう。まず、この2つの時制を使いこなすことが重要です。

 

 条件節で現在形が好んで使用されることについて、従来の英文法説明は適切ではないことは以前から指摘され続けてきました。

 

条件節中の時制については、「条件を表す副詞節中では未来を指す場合にも現在形が用いられる。willが用いられるのは未来ではなく意思を表す場合のみである」という規則が学校文法その他の文法書に記述されている。しかし、実際には無意志のwillが条件節中にあらわれることは広く知られており、数々の宜雄論が行われてきた。

                   松村瑞子『条件節のwillと現実味』1995

 

 条件節中で「未来のことなのに現在形使う」ということを‘例外’のように扱うのは、時制tenseは述べる時間timeが一致することを基本と考える伝統文法の見方によるからです。つまり「未来のことはwillを使うのが基本なのに代わりか現在形を使う」のはなぜだろうと思っているのです。

 科学的英文法では、時制tenseと時間timeは別の概念と考えます。そもそも「未来のことはwillを使う」ということ自体は基本ではないということです。論理的に扱えば「未来のことを述べる(P)ならば、willを使う(Q)」という命題は偽であるということです。この命題が偽であることを示す反例は数限りなくあります。明日のことを言うのにwillあるいは文科省が勧める「未来の表現」を使わないアニメの用例を挙げておきます。

 

5-1) Can'twe clean our room tomorrow?

           ――The Berenstain Bears | Think of Those in Need

 

5-2) I think we shoud visit Dr. Grizzly tomorrow.

                 ――The Berenstain Bears | The Hicccup

 

5-3) I want to play with you and Clementine again tomorrow.

                          ――Caillou's Attitude

 

 他にも命令文や以来の文など明日のことを言うのに「未来表現」を使わないものは数々あります。規範的規則は命題として論理的に判定すればそのほとんどが偽の命題です。それは偶然ではなく必然です。規範的規則は言語を標準化するために、もともと多様な表現の1つを標準として規則を定め、そこから外れた表現を誤用として禁止します。規則を作る段階で例外つまり、命題の反例を用意しているからです。自然言語としても英語本来の文法に例外が多いのではなく、規範文法規則はそれ自体が例外を作り出しているわけです。

 人工的に創られた規範ではなく、英語話者が実際に使っている表現を社会的にコードした真の文法にも例外はあるものです。社会の変化に対応して言葉は変化しますから。しかし、社会的にコードされた本来の文法的仕組みに基づいた法則は、その根本的な原理に反するものではなく、仮に例外であっても多くは理由がつくものです。

 

 単純現在simple presentは、話者が主観的に「いま・ここ」present realityと感じるという心的態度を示します。条件節の中で前提条件として「いま・ここ」に現実したら、と仮定するのに相応しい場合に使うのです。

 条件節でも「未来表現」を使うことはあります。それは単準現在を使うのに相応しくないような、前提条件にはなっていない場合や、「いま・ここ」という現実味を伴わない文脈です。

 

5-4) I've got to hurry if I'm doing to get the rest done in time.

               ――Max and Ruby | Babysitting Compilation

「残りの仕事を時間通りに終わらせるなら、急がないといけない。」

 

 この用例はif節の「時間通りに終わらせる」ことが前提条件になっていません。「急ぐ」ということを先に実行すれば結果として「時間通りに終わる」のです。「結果的に~になる」というのはbe going toに相応しいから選択されています。

 

5-5) If it rains tomorrow, the match will be cancelled.

 

1-6) If it will rain tomorrow, we might as well cancel the match now.

                     ――Heageman and Wekker1984

    林 幸代『条件節における法助動詞willの存在と未来解釈について』2016

 

 用例(5-5)は、「いま・ここ」で実際に雨が降ればと仮定して、それが実現した結果として試合が中止されるという文脈です。条件節では、前提条件として実際に起こることを示すのに適した表現として現在形を使い、帰結節では、結果としてそうなることを示すことに適したwillを使っています。

 用例(1-6)は「いま・ここ」で雨が降っているのではなく、「確実に」降ることが予測されたことを含意します。実際に降っていなくても「確実な予測」があれば、試合を中止した方がいいと言っています・

 (5-5)は「実際に雨が降ったら」、(1-6)「雨が降ることが確実なら」という意味の違いにより、現在形、will+infinitiveを使い分けているのです。

 

 科学的文法では、時制tenseと時間timeは異なる概念であると考えることを基本とします。現在時制present tenseが現在時present timeという特定の時間に限定されないのは当然のことです。条件節では、話者が主観的に「いま・ここ」で条件Pが実現すればという仮定に相応しい表現として単純現在時制present tenseが好んで使われるのです。

 

 次に、第一条件文と第二条件文の典型例を比較します。

 

1-1) If I have enough time tomorrow, I will write to my parents

 

2-1) If I had enough time now, I would write to my parents.

 

 それぞれの以下のような意味の文です。

「もし明日に十分な時間があれば、両親に手紙を書くよ」

「もし今、十分な時間があったなら、両親に手紙を書くのに」

  (1-1)は帰結節中は単純現在形を使い、帰結節ではwillを使っています。(2-1)は、そのそれぞれをそのまま過去形をした形です。「前提条件Pが満たされればQが実現する」という構造は同じで、(2-1)は「いま・ここ」から距離を置いた表現になっています。事実は現実とは異なり時間はないので、実行できないことを含意しています。

 

 学校文法では(1-1)の型を直説法とし、(2-1)の型を仮定法と呼んで法が違うとしています。英米の文法では、条件法conditionalとしてひとまとめにして扱い、(1-1)は第一条件文、(2-1)第二条件文とします。

 この位置づけの違いは、時制、法の根本的な定義の違いによります。一般的な和式の説明は、直説法は時制tenseと時間timeが一致するのが基本で、仮定法は時制と時間が一致しないので特殊な表現だととらえるのです。また直説法は事実を述べ、仮定法は非現実を述べるという理解の仕方をします。

 ところが、和式のとらえ方を命題として論理的に考えれば、ほとんどが偽の命題になります。つまり使用実態に合っていません。それでも学習者にとって有用なら方便として仕方ないとも言えますが、和式の「仮定法」は苦手とする人が多い文法項目になっています。

 

 英米式の条件文のとらえ方が分かる記述を紹介します。

 

 

 これは米語辞書の編纂で知られるWebseterが18世紀に書いた著書です。ちなみにmatherは、綴りと発音が一致しないということを不合理だとして、米語の綴りを改革したWebsterが率先して実行したもので、誤りではありません。現在の英語と米語の綴りの違いは、そのつづり字改革によるところが大なのです。

 Webseterは当時から、英語話者はwhomなんて使わない等、規範文法が必ずしも実際に使う英語を反映していないと述べています。

 ここでは、次の2文を比較して、その違いを解釈しています。

(1-a) If I have it now, it shall be at your mather's service.

(2-a) If I had it now, it should be.

 この2文の違いは簡単で、(1-a)は不確かuncertaintyで、(2-a)は確かcertaintyと表現しています。その後、この2文のうち後者のitをbookにかえて具体的にわかりやすく説明しています。If I had bookという過去形を使った表現は、「本を持っていない」という事実を明確にしていると説明しています。つまり「現実には無い」という客観的事実を認識していることを示すので過去時制は「確か」certaintyであることを示すと解釈できます。

 これに対して、現在時制を使ったIf I have bookは、客観的な事実として「本を持っているかどうかわからない」ので、「不確か」uncertaintyと言っているのです。

 

 客観的事実が掴めなければどこから、距離を取ったらいいかという起点が分からないので、過去時制は使えません。過去時・現在時・未来時のいずれのことであれ、客観的な事実性に基づくことが過去時制を使かう肝です。

 フィクションであっても過去時制を用いることで、読者に客観的事実であるかのような印象を与えます。ニュース記事の本文でよく使用されるようにノンフィクションでは、客観的事実を伝える表現として好んで使われます。

 定形例(2-1)の条件節でIf I had enough time nowと過去時制を使うのは、客観的事実として時間がないことが明白certaintyであると認識しているということを示すためです。

 

 過去形が「客観的事実として、現実はそうではないことは認識している」ことを示す表現であることが分かる好例があります。抜粋して引用します。

 

英語には If I didn’t know (X) (any) better, I’d think [say, etc.] (that) SV という慣習的な表現がある(e.g., “I mean, she’s just … different.” “If I didn’t know better, I’d think you were in love.”「いや,その,彼女はほら…特別っていうか」「あれあれ,まるで恋でもしてるみたいな口ぶりじゃないか」)。字義通りには「もしも私が,SV だと思ってしまう程度の経験的知識,常識,分別,理解しか(X に関して)持っていなかったら,SV と思ってしまう[言ってしまう,etc.]ところだ(実際の私は SV ではないと判断できるだけの経験的知識,常識,分別,理解を(X に関して)持っているので,SV とは思わない[言わない,etc.]が)」という意味を表す。

これにより,SV だという思考の原因は話し手個人の何か(たとえば考え方の癖など)にあるのではなく,外界の側に—先の例では直前に聞き手が発した “I mean, she's just different.”という言葉それ自体に—あるかように見せ,SV だという指摘・主張に少なくとも表面上の客観性・説得力を持たせることができる。

 

 Gaston: The monster has her under his spell. If I didn’t know better, 

            I’d say she even cared for him.

 Belle: He’s not a monster, Gaston. You are. 

                                                 (映画 Beauty and the Beast)

 ベル:  みんな,怖がらないで。彼は穏やかで,優しいの。

 ガストン: ベルのやつ,化け物に魔法をかけられてる。まるで大事な人の話でも

             してるかのような口ぶりだ。

 ベル:  彼は化け物なんかじゃない。化け物はガストン,あんたの方よ。

     平沢慎也『よくある言い回しに隠れた戦略的仮定法―If I didn’t know better, 

                           I’d think SV は SV と思っていない人が使う表現か―』2020

 

  If I didn't know better. I'd say…は「仮に私がよく知らなかったとすれば、…ていうところだったよ」というような意味です。過去時制は客観的現実とは離れていると認識していることを意味するので、「実際にはよくわかっているから、…とは言わないけど」ということを示唆することになります。

 論文の説明にある「表面上の客観性・説得力を持たせることができる」という指摘が、過去時制が示す客観性をとらえていると思います。

 しかし「分かっている」と示唆しながらも、遠まわしに指摘しているわけですが…

 

 標識-edが付いた有標の過去時制は、客観的事実が把握できているときに限り使う表現で、無標の現在時時制は標識による制限が無く、客観的事実はどうであれ幅広く使えます。現在時制は、客観的事実が分からないuncetainty場合でも、主観的に「いま・ここ」で実現すると仮定することができます。この汎用性の広さから、前提条件が実現したと仮定する条件節によく使われるということになるわけです。

 

 和式の英文法では、初学者に過去時制が過去の事実を述べる用例ばかりを見せ続けます。後になって非現実を表すと教えられます。幼児対象の営本やアニメでもふつうに頻繁に使う表現を、時制tenseと時間timeが違うからと、和式文法の基準に合わないことを理由に隔離していては、過去時制に対する語感が健全に育たなくなります。

また、確実な予定だとか不変の真理だとかに現在時制を使う用法ばかりを取り上げます。学習者は「現在時制は事実を述べる」というようなその本質から外れたイメージを植え付けられるのかもしれません。

 それを払しょくするのは生きて使われる表現にあたることです。最後に、1964年にリリースされたビートルズのアルバム『A Hard Day's Night』に収録されている曲の歌詞を紹介します。if節中に使われた、客観的な事実にとらわれないで使われる現在時制の感覚を味わえるのではないかと思います。

 

If the sun has faded away, I'll try to smoke it shine

                    ――Any Time At All (The Beatles)

 

                  了