学習者にとって有用な「使い分け」とは、表現の選択によって話し手が意図したことが聞き手にうまく伝わったり誤解されたるする場合です。しかし外国語学習者用の文法規則の中には、英語話者でさえ明確に使い分けてはおらず、どちらを選択しても支障がないものがあります。

 以前に取り上げたwillとbe going toを「その場で決めた」かどうかで使い分けるというのは後者の典型です。今回はmustとhave toの使い分けに焦点をあてます。will、mustはどちらも法助動詞と呼ばれ、be going toとhave toは疑似法助動詞と呼ばれることがあります。

 これらは法助動詞と意味の類似した疑似法助動詞との「使い分け」という共通の文法事項です。どちらも同じ法則に基づく言語変化の過程にあり、いずれも「使い分け」は陳腐化していくと予測できます。今回は言語変化の法則から、その「使い分け」の真相を科学していきます。

 

 以前取り上げたようにwillとbe going toを「その場で決めた」かどうかを基準として選択するというは英語話者の間では陳腐化しています。その際に紹介した論文は、実証研究を怠りEFL用の学習書や辞書にある「使い分け」を根拠に、学校教育への導入を提言しているという現状を記事にしました。

 今回取材したmustとhave toの「使い分け」に関する論文の中に、それらとは逆に、先行研究と実証研究をしっかり行っているものがありました。今後の英文法研究の基本となる良い例としてこの論文を中心に紹介しながら、法助動詞と疑似法助動詞の「使い分け」の真相を掘り下げます。

 

 論文(梅澤2009)では、執筆の趣旨を概略次のように述べています。

中学生のときにwill=be going toのように習い「なぜ意味が同じなら2つの表現が存在するのだろうか」との疑念をもった。指導する立場になり「文法指導にもう少し工夫する余地があるのではないか」と強く思うようになり、この疑問に対する自分なりの答えを見つけ出したいという思いから、今回はmustとhave toに焦点化した研究テーマを設定した。」(梅澤2009)

 

 論述の出発点は以前に紹介したwillとbe going toの「使い分け」に関するこの論文と変わりありません。違う点は、mustとhave toの違いを、文法書、教科書の記述の検討という先行研究だけに終わらず、コーパスデータ、アンケート調査などの実証研究を通して検証していることです。

 まずは、この論文の「先行研究で分かったこと」をまとめた個所を引用します。

 

海外の文法書・辞典ではmustもhave toも義務や必要性を表すと定義されているることがわかった。しかし、must=have toではなく、両者には意味あるいはニュアンスの違いがみられた。両者の違いは以下のように説明されている。

 

must  義務や必要性を表し、主に話し手や聞き手の要求していることについて話す

     ときに用いられる。また、主に書き言葉として用いられることが多い。

 

have to 義務や必要性を表し、主に規則や法律、第三者の要求していることについ

     て話すときに用いると定義される。また、主に話し言葉として用いられる

     ことが多い。」(梅澤2009)

 

 ここにまとめてある文法書や辞書などの先行研究は、その記述を批判的に検証するためのたたき台です。大事なことは、これをもとに言語事実と科学的な論理によって検証することです。その結果、従来の説明が妥当だと分かることには意味があります。また妥当性を欠くのならば新たな代替案を探ればいいのです。

 

 前回の記事で紹介したwillとbe going toに関する論文は、willとbe going toの使い分けの基準を『ジーニアス英和辞典第4版』、『Grammar In Use』の記述から引っ張ってきて、それをそのまま根拠にして論述をしていました。英語話者の使用実態については検証せずに、「その場で決めた」かどうかという基準を学校教育への導入しようと体現したり、その基準による作問をしていたわけです。

 これに対して、(梅澤2009)は複数の海外(英語圏)の文法書・辞書と教科書を比較検討することを先行研究とし、これを出発点として実証研究をしていきます。

 続く、実証研究の中のアンケート調査の主な内容を要約して紹介します。

 

アンケートの設問5問は、必要最低限と思われる文脈を伴った問題を、イギリス人学者John Eastwoodの著書“Oxford Practice Grammar with Answers”2006から引用した。回答者はnative speaker50人と日本人英語学習者150人。

 問題は以下の通り全5問。

 

◇Please circle the correct answer‘must’and‘have to’.

 

1. You ( must / have to ) lock the door when you go out. There've been a lot of break-ins recetly.

 

2. Daniel ( must / have to ) go to the bank. He hasn't any money.

 

3. I ( must / have to ) work late tomorrow. We're very busy at the office.

 

4. You really ( must / have to ) hurry up, Tom. We don't want to be late.

 

5. I ( must / have to ) work late tomorrow. We're very busy at the office.

 

 結果は以下の通りで、この調査のnative speaker(NS)の正答率の平均は56.80%だった。

  

 著者のEastwoodは正答とその解説を以下のように示している

1.   must

「最近は強盗が多いから、外出時にはドアに鍵をかけなければならない」と話してIが考えているため、「内的要因による義務」から。

 

2.   has to

「ダニエルはお金を持っていないため、銀行に行かなければならない(行く必要がある)」と第三者からみてもそのように考えられ、ダニエルは行きたいとは考えていなくても、「外的要因による必要性」が生じるから。

 

3.   have to

「仕事場がとても忙しいので、明日は遅くまで働かなければならない」会社側からの「外的要因による義務」が生じるから

 

4.   must

「遅れたくないから急がなければいけない」と話し手がTomに望んでいるから

 

5.   must

「とても寒く感じるから、ヒーターをつけなければならない」話し手が寒いと感じ、第三者は関係ないため。」 (梅澤2009)

 

 作問者Eastwoodは「内的要因」ならmust、「外的要因なら」はhave toが適するという基準を想定して作問しています。ところが、native speakerの結果は、二択問題の正答率が56.80%となっています。これで、そもそも問題として成り立っているといえるでしょうか。

 興味深いのは、回答者の1人のアメリカ人にインタビューを行って得たという意見です。以下に引用します。

 

「イギリス人と比べて、アメリカ人はmustとhave toの使い分けをあまり厳密にしない。基本的にhave toを使うことが多いうえに、mustもhave toもstressによって同様の意味として使うことが多く、文面だけでは判断できないアメリカ人も多いのではないか。

 文脈が曖昧で不十分である。設問の文脈でも状況はわかるが、どちらかを正答として選択させるには誘導が弱く、文脈の解釈がわかれて異なる答えになっても無理はない。」(梅澤2009)

 

 これは的確な意見だと思います。標準化が進み英語話者の間で社会的にコードされていれば問題は無いでしょう。しかし、言葉は変化していくもので、表現によっては地域やコミュニティーによって語感が異なり多様な場合もしばしばあります。

 イギリス人英語学者が作問しても、mustとhave toの文脈による「使い分け」というのは容易ではないのです。安易な作問による「使い分け」の強要は、学習者にとって有用ではありません。

 この結果について、(梅澤2009)では、以下のように記しています。

 

先行研究と実際の調査を通して、現在英語圏(特にアメリカ)においてhave toの使用頻度が増える傾向にあるということがわかった。会話においてmustよりもhave toの使用頻度が高くなりつつある。

must≠have toからmust≒have toになりつつある現在、より明確な違いを持つ文脈を伴わなければどちらか一方を選択するのは難しい。

 

 例えば、次の問題: We ( must / have to ) invite Tom to our party.

 

 これだけが書かれている場合、mustかhave toのどちら1つを選択することは不可能である。文法指導を中心とした学習の際にも「文脈」を伴った指導を行う必要がある。」(梅澤2009)

 

 この結論は、妥当なものと言えます。

 まず1つの理由は、言語一般について言えることですが、英文の意味は必ずしも単文だけで明確に決まるとは限らないことです。例えばYou said it.という英文は、「言ったのはあなたでしょ」あるいは「その通り」という両義の意味に使います。会話であれば、話の流れから分かります。また前者の意味ならYOU said it.、後者の意味ならYou SAID it.と、stressの置きかた等で示すことができます。しかし特に書き言葉では字面だけでは判断できないこともああるのです。

 もう1つの理由は、mustとhave toという表現の特性についてです。must法助動詞、have toは疑似助動詞と言われることがありますが、それは文法化が進んだ機能語(句)です。(疑似)法助動詞は歴史的に意味変化し、新旧表現の用法ががしばしば類似することがあり、その交替期にはエゴ話者間で語感がバラつくことがあるのです。

 

 交替期にある新旧表現は、刹那を切り取って使い分けを説明しても容易に陳腐化します。(疑似)法助動詞の変化の仕方には一定の法則性がみられます。だから、その法則によって、どのような位置にあるかを知れば、用法の使い方の目安になります。

 現代英語の成立期には、古英語期には豊富だった動詞語尾の屈折が消失して文法性を失います。法助動詞は、失った文法性を補うために一部の動詞が文法化し新たに機能語として発達していったと考えられます。その過程で旧表現が担っていた意味領域を後発の新興表現が侵食するという歴史を今日まで繰り返しています。

 他の論文の記述をもとに、その歴史的経緯を見ていきましょう。

 

中英語期から近代英語初期にかけて助動詞の意味変化が集中して起きている。法助動詞の多くがこの時期にOE期から保持していた原義を失い、1つの意味に関して、それを表す法助動詞が1つの法助動詞から別の法助動詞に連鎖的に変化していったからである。

 

意味   知る    可能   許可    義務   未来時制

OE期   can       may    must    shall

ModE    know      can         may        must       shall      」

 

         高橋 正『MUSTはなぜ強い義務を表すのか』2007より

 

 表に従って、OE(古英語)期からModE(現代英語)期の意味変化を単語ごとに追っていくと、canは「知る」から「可能」へ、mayは「可能」から「許可」へ、mustは「許可」から「義務」へ、shallは「義務」から「未来」へとそれぞれ意味が変化していることが分かります。

 また、これを意味を担う語の交替として追っていくと、「可能」はmayからcanへ、「許可」はmustからmayへ、「義務」はshallからmustへと旧表現から新表現へ交替していることが分かります。

 

 新旧表現の交替が進行してる過程の時期には、同じ意味を2つの表現のどちらでも表せます。例えば「可能」をmayでもcanでもどちらでも表すことができたわけです。交替期に新旧2つの表現を明確な基準で「使い分け」ることは不可能なのです。

 新たな用法を発達させるような新興表現は、英語話者が言語獲得をする幼少期の分析によって生じると考えられるます。そのため新興表現は使用される世代や地域が偏ります。

 例えば、ある新興の用法がアメリカの若年層で口語から発達して、他の地域へ、他の世代へ、文語へと時間をかけて広がっていくということがあるわけです。その変化は世代や地域、口語と文語ごとに徐々に浸透しながら広がっていくので、特定の時点で切り取ると同じ言語話者の間でも人によって語感が異なるということになります。

 

 新旧表現の交替期には社会的に広くコードされた統一規則はなく、新旧表現の使用はばらつきます。それを1つの基準で明確に「使い分け」ることは不可能です。

 世界に現存する大言語は、バラツキを起こす新興表現やもともと使われていた地方語を「言葉の乱れ」として禁則にして標準語を維持してきたのです。文法規範によって例外とされる表現の中には、実際に使われてきたもの、あるいは発達途上にある新興表現も含まれています。

 

 今回中心に取り上げているmustとhave toの近年の推移は以下の資料で確認きます。

久保田 紫帆里『アメリカ英語におけるmust, have to, have got toについて』2017

 

 表から法助動詞mustの使用率の低下と、半法助動詞(疑似助動詞)はhave toの使用率の増加傾向が見られます。この資料の出典の論文でも「Mair(2006: 105)は特にmustとhave toの調査結果について、単に mustを使用することが不可能な統語的環境(過去形など)を have to が補っているわけではなく、mustがhave toに取って代わられつつあると結論付けている。」(久保田2017)としています。

 

 法助動詞の新旧交代は現代英語の成立期からだけでも5百年間というスパンでは営々と繰り返されています。それは言語変化の科学的な法則として、文法化、主観化という過程としてとらえることができます。

 法助動詞は、一般に次のような過程を経て意味内容を広げていきます。

 

 ①内容語のときの具体的な意味

⇒②機能語に変化したときの根源的(root)用法

⇒③主観的な判断を示すようになった認識的(epistemic)用法

 

 この視点から、mustとhave toの意味変化を通時的に見ていきましょう。

 

「OE期のmotan(mustの古形)は本来,“to find(have) room”を意味していたと推定されている。Visser(1969)は、motanの「許可」と「可能性」の意味の根底には、「運命の神(Fate)によって分け与えられた」という原義から生じたと考えている。

「運命によってそれをする自由を与えられた」ことが許可の意味になる。この「運命がそれをする機会を与えた」という意味は、それを行う可能性を含意する。

 運命の神によって、割り与えられたものは、神によって定められたものであり、実行することが義務となるのである。このような文脈が義務の意味へのきっかけになったのではないかということである。」

             高橋 正『MUSTはなぜ強い義務を表すのか』2007

 

 この記述を参考にすると、mustの意味変化は概ね次のように進行したと考えられます。

 

 余地がある⇒余地が与えらる(許可)⇒神の許可を得る(義務)⇒実現する(確実性)

 

 この変化は、「余地がある」という客観的な意味から始まり、最後の「確実だと想う」という主観的な意味へ至る過程で、客観的な意味から主観的な意味へと変化が進行していく主観化という現象です。

 mustは、時代を経るにしたがって、かつて持っていた客観的な意味の用法は、他の語句により侵食を受けて廃れていきます。根源的用法の「許可」はmayに侵食されます。そして今は「義務」の意味をhave toに侵食されつつあるということです。

 

 このmustからhave toへの交替は先ほど近年のコーパスデータで見ました。もう少し長いスパンで見ることもできます。

 新旧2つの表現の用法の詳細を分析する前に、have toの意味の変遷を確認しておきましょう。

 本動詞のhaveは具体的な物を目的語として「~を持っている」というが根源的な意味です。[S+have+O]の型は、「S(のところ)にはOがある」と解せます。目的語Oを具体的な物から抽象的な行為(to不定詞)に置き換えると「Sには行為(to 不定詞)を実行しなければいけない状況にある」という意味になります。

 法助動詞の主観化の過程で言えば、have toは現時点では根源的用法の「~しなければいけない状況にある」という客観的な意味が中心的な用法です。先行するmustは、そこから主観化が進行し「義務」、さらに「確実性」へと意味を広げていますが、後発のhave toの主観化はそれほど進んでいません。

 

 mustとhave toのそれぞれがもつ、根源的用法の義務「~しなければならない」と認識的用法の確実性「~に違いない」の使用率の推移は、主観化の進行の違いによって説明できます。

 

久保田 紫帆里『アメリカ英語におけるmust, have to, have got toについて』2017

 

 スパンが短いので顕著ではありませんが、mustの用法の使用率が根源的用法の「~しなければならない」から認識的用法の「~に違いない」へ徐々にシフトしている傾向が読み取れると思います。また、have toは根源的用法の「~しなければならない」の使用率は極めて高く、認識的用法の「~に違いない」へのシフトは進んでいないことが分かります。

 

 この2つの表現の使用率の推移を、新旧表現の交替という視点から見ていきます。現状mustが旧表現で、新興表現のhave toが意味領域を侵食中であることは他の論文のコーパスデータからの分析にも表れています。

 

mustと共起する語句の意味特性が、慣用句、ことわざ、複合語、専門用語等独特の言い回しを構成する語がリストの比較的上位に現れる。

 コーパス全体の頻度を比較すると、have toの頻度がmustの頻度の2.2倍になる。mustは40%以上が論理的必然性を表わし、have toは17%以上が論理的必然性を表わすことが得られ、mustがhave toの2倍以上となる。have toはmustの多義性の一部の「~しなければならない」を表すために使用され、このことが逆にmustの「~にちがいない」の用法の割合が高いことが示されることになる。

                    稲木 昭子『mustとhave toについて』

 

 新興表現は一般に口語から広がっていきます。そして文語では口語に近い小説などから浸透しはじめ、硬い文語は後になります。現状、mustが慣用句や硬い文語での使用率が高いことは、比較的自由度の高い口語や小説などのジャンルで新興表現による浸食を受けてた結果だと言えます。

 また、現時点でmustが「~にちがいない」という(epistemic)認識的用法の使用頻度が高く、have toが「~しなければならない」という根源的(root)用法の使用頻度が高いことは、mustの主観が先行してた結果だと分析できます。

 

 ここまでの検討から、先に挙げた調査で使ったテストで、言語学者Eastwoodが作問の基準として設定した、mustは内的要因による義務」でhave toは「外的要因とした必要性」という使い分けは、主観化の進行の違いを反映していることが分かると思います。

「内的要因による義務」とは「主観的な想い」と関連し、「外的要因とした必要性」は「客観的な事実の基づいた状況」と関連します。

 また、(梅澤2009)が行った先行研究の分析は、客観的事実から主観的な想いへと変化する主観化の新旧表現の進行の違いを反映しています。再度引用します。

 

must 義務や必要性を表し、主に話し手や聞き手の要求していることについて話すと

    きに用いられる。また、主に書き言葉として用いられることが多い。

 

have to 義務や必要性を表し、主に規則や法律、第三者の要求していることについ

    て話すときに用いると定義される。また、主に話し言葉として用いられるこ

    とが多い。」(梅澤2009)

 

 これらの基準やに定義ついて、(梅澤2009)は「must≠have toからmust≒have toになりつつある現在、より明確な違いを持つ文脈を伴わなければどちらか一方を選択するのは難しい。」という指摘していました。

 これを詳しく分析すると、「~しなければならない」という意味領域で、have toの主観化が進行し、「外的要因とした必要性」から「内的要因による義務」へと広げつつあることが1つの要因になります。また、旧表現のmustは口語では主観化が進み「内的要因による義務」が基本になっていますが、文語では硬い表現として「外的要因とした必要性」の用法も保持しています。

 つまり、言語変化の過程にあるので、mustとhave toはどちらも「内的、外的要因」に使われることがあるということです。例えば、規則や法律は主観性に関係ない外的要因だからhave toを使うと、単純には言えないのです。

 

 実際の用例で確認してみます。

1)Examiner:“Finally one simple question. Magic must only be used for

        serious things or just for fun? ”

       Holly:   “The answer. Magic must only be used for serious things.”

  Examiner:“Correct. You've all passed the magic test.”

                                          ――Ben and Holly's Kingdom | The magic Test

試験官:「最後にひとつ簡単な質問。魔法は大事なことのみに使うべきですか、それともただ楽しみのためにも使って良いですか?」

ホリー:「答えは、魔法は大事なことのみに使うべきです。」

試験官:「正解です。あなたは魔法のテストを全て通過しました。」

 

 この場面は、子供が魔法を使う免許を取るためのテストをしているところです。これは魔法を使う法律で決められていることです。口語ではhave toは「外的な要因による必要性」、mustは主観的な「内的な要因による義務」が基本です。しかし、法律の条文や契約書など公的な文脈では主観性は関係なくてもmustが使われます。

 新興表現はふつう口語からおこるので、have toより先に文法化した旧表現mustの根源的用法が文語に残ることになります。内的な主観性を伴わないと思われる法律の条文そのものの内容に関することに硬い表現のmustがよく使われるのはそのためです。これは契約書の書面や法律の条文ではやはり旧表現のshallが使われるのと同じです。

 

2)King:“The wise old elf is right. Nanny Pulum, rules are rules.”

 Nanny:“What? So I can never do magic again.

   King:“Of course you can't.”“Can she?”

 Old Elf:“She will have to go gack to magic school first.”

                                    ――Ben and Holly's Kingdom | The magic Test

キング:「老賢者エルフは正しい。ナニー・プラム、規則は規則だ。」

ナニー:「何?だから私はもう魔法を使ってはいけないってことですか?」

キング:「もちろんだ。できるはずはない。」(老賢者エルフに)「できるかい?」

エルフ:「彼女はまず魔法学校に戻らなければなりません。」

 

 最後の行ではwill have toが使われています。つまりmustではなくhave toを使っています。魔法を使うためには法に基づいて免許を取らないといけないのですが、学校に行って免許を採取得するかどうかはNannyの個人的な事情です。

 そこにエルフの主観性は関係ありません。外的な要因としてNannyには学校に行かなければいけない事情があるためhave toを選択しています。ここでwillを使っているのは、前提条件としてNannyが望むなら「結果として行くことになる」という含みがあるからでしょう。

 

 法律に基づいて個人が行う行動は、本人の意思に関係なく客観的に必要です。しかし、個人の行動であっても強い順法精神などの主観的な理由で行動することもあり得ます。基本的には「外的要因」つまり何らかの事情がある場合はhave toが第一選択でいいのですが、「外的要因」により生じた事態に対処するのに、話者が伝えたい想いにより表現を選択する余地はあるのです。

 仮に、mustとhave toの定義が主観と客観と明確に区別することが可能でも、文脈あるいは伝えたい想いにより話者が表現を選択することはできます。実際にはmustとhave toは交替期にあり、区別そのものが明瞭ではないのです。特に肯定文では、刹那の基準を厳格に適用することには無理があり、柔軟に捉えた方がいいでしょう。

 

 もちろん、明瞭に区別できる場合もあります。例えばそれぞれの否定は、意味が異なります。

 must は根源的意味から「実行する余地があるかないか」が肯定・否定に反映されていると考えられます。must notは「余地がない」つまり禁止を意味します。一方でhave toは「行動すべき状況があるかないか」が肯定・否定に反映されていると考えられます。don't have toは「その状況にはない」つまり「しなくていい」という意味になります。

 否定文の意味の違いはnotの位置に注目して理解することもできます。肯定のhaveが「事情がある」で、notが直後のhaveを否定すると「事情が無い」ということになります。must not Xという語順では、notは後ろの原形動詞(不定詞)Xを否定しているととらえることができます。そうすると「~しない義務がある」という意味に解せます。つまり禁止を意味するのです。

 

3)Old Elf:“Nanny does not have a license. She must not do magic. ”

               ――Ben and Holly's Kingdom | The magic Test

  「ナニーにはライセンスがありません。彼女は魔法を使ってはいけません。」

 

 否定では意味の違いは明瞭なので、その違いはおえておくべきです。

 

 また、自分ではそうしたくないけれどやむを得ない事情があるのならhave toを使った方が誤解されにくいというようなことはあるでしょう。

 

4)Sorry to break up our game, boys, but I have to go pick up my wife.

                                                                                   ――Larkin1976

「ごめんなさい、みんな、楽しい時間を過ごしていたけれど、妻を迎えに行かないといけません。」

 

 第一義的にはmustは想いからくる義務感を示し、have toは事情があることを示すので、それを基本とするといいでしょう。しかし、あくまでも語感は人によるということは頭において、人が発した表現の意味を決めつけないことは大切です。

 

 ここまでは、主に根源的用法である「義務」について述べてきました。より文法化が進んだ認識的用法については、先行表現であるmustの使用頻度が高いのが現状です。次の記述は、用法の目安になります。要約して引用します。

 

「must+進行形」や「must+be動詞」におけるmustは認識的意味を表すことが多い。

 She must be waitng at the satation now.

 He must be at home as the light is on.

 

 下の例では、認識的意味とも義務的意味とも解せる

 He must  be carful.

   最終的にどちらの意味に解せるかはコンテクストに依存するところが大きい。

     苅込 亮『Have toについての一考察』

 

 認識的用法には、よく「~にちがいない」という和訳をあてられます。これは述べる事象についての話し手の主観的な判断を示します。[法助動詞+機能語(句)+内容語]の構造では、法助動詞が認識的用法に使われることが多いという一般的傾向として見ることができます。

 たとえば、副詞として使うmaybeが「~かもしれない」という認識的意味を持つのも、もともとmay be ~という型からきていると考えられます。

 [must have done]は、しばしばmust've doneのようにhaveが縮約することから分かるように、[法助動詞+機能語(句)+内容語]の構造で「~したに違いない」という認識的用法に解せます。

 ただし、今後、特に口語ではhave toを認識的用法で使う頻度が上がる可能性もあります。言語変化という観点から、今後の用法の使用頻度の動向にな注意しておく必要を感じます。

 

 過度に単純化した「使い分け」規則を生む理由は、言語変化という発想が欠落していることが主因になっています。他には、標準化を意図した新興表現への抵抗、テストで差をつけるための問題作り、詳しく解説しているする生産者の自己満足などがあります。これらが消費者である学習者にとって有用かどうかは十分検討する余地があると思います。

 科学的であるということは、カリスマ講師にしかできない魔法のような説明によってではなく、誰もが使用可能な法則によって1つの解が得られるということです。主観化という法則に基づけば、今後have toがmustの意味領域を侵食していくことは、誰にでも予想できます。

 

  交替期の過程にある表現は、どちらかが相応しいと明瞭に使い分けられる場合と、どちらを使っても大差ない場合があります。英語話者ですら明瞭に使い分けていない表現の選択に、厳密な正誤を求めるのは建設的なことではありません。過度に単純化した「使い分け」規則は、実践的ではないし、初心者だからいいというものでもありません。中途半端な説明は、むしろ語感を歪め文法を気にして使えないということになってしまいます。

 

 言語には明瞭な「使い分け」ができないことがあるならそれを事実として認め、「使い分け」が明確に出来ない理由を示せばいいのです。これから英文法には、不可能性の証明というような視点があってもいいと思います。そのことがはっきりすれば、学習者は英語話者の間で実際に使われている用法を素直に学び、自分自身の語感を育てることに注力できるようになります。

 

 今回取り上げた(梅澤2009)は、科学的な文法研究としての基本をおさえていると思います。結論の要約を紹介して、この記事を終わりたいと思います。

 

学習指導要領に基づき、教科書に書かれたことを指導すればよいという他律的な教師は、時代に即した指導を行うことはできない。文法指導は、比較的保守的で変化のないものと考えられがちだが、言語はあらゆる場所に置いて常に変化しているのである。これからの英語教師は自律的な姿勢を持たなければならない。アンテナを高く掲げ自ら積極的に学び、得た知識を活かした指導を行うことが大切である。

 実際に来春から英語教師として現場で働くことになるが、現状を自分の目で見つめ、また次に教師の立場からこのテーマを再考したい。この研究を生かして、「生きた英語」とは何であるかを常に考え、それを生徒に教えていきたい。そのためにも、言語という絶えず変化を続けるコミュニケーションツールを生徒に教える指導者であると同時に、常に時代の流れを読み取る学習者でいようと決意を新たにした。

      梅澤 夏来『mustとhave toの使い分けとこれからの文法指導』2009