英語の典型的な法助動詞は、ほぼ同じ変遷をたどっていることが知られています。中でもshallは、いち早く本動詞から法助動詞へ文法化していったと考えられています。法助動詞として誕生し、未来性を示す代表格となり、退潮へ向かうという法助動詞の意味変化の過程を体現しています。Shallのたどってきた道は言語変化のしくみを知る好材料になります。

 法助動詞の一般的な意味変化についての記述を引用します。

「文法化の過程において、英語法助動詞は少なくとも二段階の意味変化を経ている。第一に本動詞用法から根源的(root)法助動詞用法への意味的変化で、第二に、根源的法助動詞用法から認識的(epistemic)法助動詞用法への意味的変化である。

 この2つの意味的変化に大きく関わっているのが「主観化」である。主観化とは、概略、言葉の意味に話し手の考えや立場をより反映させたものである。」

 眞田敬介『中英語の本動詞mo(o)tから根源的法助動詞mustへの文法化に伴う主観

      化について』2012

 

 shallの意味的変化について次のような記述があります。

「法助動詞shallは「お金を支払う義務がある‘to owe(money)’」という意味を持っていた古英語のsculanから発達した。本動詞の用法から助動詞の用法への拡張は、執行義務の対象が、お金の概念領域から行為の概念領域へと拡張したものである。」

      大村 光弘『階層意味論モデルに基づくshallの機能拡張分析』2008

 

 この変化を同論文にある用例をもとに見ていきます。以下に紹介する各組の文で初めの文が原文です。下線の語はshallの古形(変化形)にあたります。

 

 

  大村 光弘『階層意味論モデルに基づくshallの機能拡張分析』2008

                                 

 1組目のsculde(shallの古形)は、100ペンスの借金を目的語にとっているとみることができるので、今日でいう一般動詞と同じです。この用例のsculdeは「返済する義務がある」という具体的で限定的な意味に使われています。

 2組目のscolden(shallの古形)は、holden以下を目的語にとっているとみることができます。haldenは現代語のholdにあたる動詞に相当する語なので、今日でいう助動詞と同じです。執行する義務の対象が、お金(100ペンス)から、という行為(halden)に替わっています。この用例のscoldenは、「お金の返済」という限定が取れて「義務がある」というより抽象的で汎用性の高い意味で使われています。

 

 古英語期から中英語期にかけては単語が屈折を失い品詞が曖昧になっていった時期です。現代の英文法ではholdenは動詞にあたるのでsculdenは助動詞と解釈できます。つまり、執行義務の対象がお金の返済から行為(品詞で言えば動詞にあたる)へ拡張することで、法助動詞としての機能と根源的(root)用法を発達させていることが確認できます。

 

 古英語の本動詞としてshallは「お金を支払う義務がある」という意味で、主語に義務を課す存在は債権者に限定されます。後に行為(動詞に相当)を対象とし「執行義務がある」というより汎用性の高い意味で使われるようになると、主語に義務を課す存在は神、運命、法律、上位の人(王、上官、上司)などへ広がっていきます。これは、文法化に伴い、意味の一般化が起こったということを意味します。

 大村2008から引用した文を見ていきます。

 

 

 本動詞sceal(shallの古形)の根源的な意味は「執行義務がある」なので、「歌わなければならない」ことを意味しています。このとき主語を課す存在が誰なのかによって、scealの用法の解釈が変わります。

 1つは、主語に義務を課す存在が他者(例えば規則、上司など)の場合です。このとき、「執行義務を負う」というのは客観的な意味で、主語の意思とは関係ありません。

 もう1つは、主語に義務を課す存在が「正義」「信条」などの場合です。「正義」や「信条」からくる義務感によって行為を行うというのは、主語の主観的な意思とも言えます。

 

 このように、もともと客観的な事実を示していた表現が、主観的な想いを示す表現へ変化する現象が主観化です。重要な点は、表面上文中に現れない主語に義務を課す存在の変化によってshallの用法が変化するということです。他者であれば「義務」、主語自身であれば「意思」と解釈できるのです。

 

 文法化したshallは根源的用法の「義務」、「意思」から、認識的用法の「必然性」へと意味を拡張し、一般化が進行していきます。聖書や歌の中で使われている用法からその変化を伺うことができます。  

 聖書では、主語に執行義務を課す存在は「神」になります。旧約聖書から引用します。

13 Then Moses said to God, "Indeed, when I come to the children of Israel and say to them, 'The God of your fathers has sent me to you,' and they say to me, 'What is His name?' what shall I say to them?"

モーセは神に言った、「わたしがイスラエルの人々のところへ行って、彼らに『あなたがたの先祖の神が、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と言うとき、彼らが『その名はなんというのですか』とわたしに聞くならば、なんと答えましょうか」                      ――出エジプト記第3章

 

 この用例はShall I~?という疑問文になっています。主語 I(モーゼ)は義務を課す存在である神に対して、その「意志」を尋ねるときにshallを使っています。

  聖書では主語に力を及ぼす存在は神で、平叙文のshallは神の意思を示し、疑問文のshallは神の意思を伺うときに使われています。

 

21 And I will give this people favor in the sight of the Egyptians; and it shall be, when you go, that you shall not go empty-handed.

わたしはこの民にエジプトびとの好意を得させる。あなたがたは去るときに、むなし手で去ってはならない。                                             ――出エジプト記第3章

 

 ここに出てくる、it shall beの主語は人ではなく「ことがら」になっています。この「ことがら」は、その前にI will give…とあるように、神が自らの意思で起こそうとすることです。このように聖書で使われるshallは、「神の意思」に沿っておこることであり「予言」でもあります。それは同時に「必然的に起こること」になるのです。

  あとに出てくるyou shall not go…も、主語you(モーゼとともにエジプトを去る人々)に対する行為をするようにという「神に意思」であり「必然的におこること」でもあります。

  このように主語に対して力を及ぼす存在を前提とした文脈からshallは「必然性」という認識的用法へ拡張したと考えられます。

 

15 Now you shall speak to him and put the words in his mouth. And I will be with your mouth and with his mouth, and I will teach you what you shall do.

16 So he shall be your spokesman to the people. And he himself shall be as a mouth for you, and you shall be to him as God.

(あなたは彼に語って言葉をその口に授けなさい。わたしはあなたの口と共にあり、彼の口と共にあって、あなたがたのなすべきことを教え、

彼はあなたに代って民に語るであろう。彼はあなたの口となり、あなたは彼のために、神に代るであろう。)                                     ――出エジプト記第4章

 

 ここには、you shall speak…、he shall be…、he himself shall be…という用例があります。これらは一貫して「神の意思」によっておこることです。それは「予言」であり結果として「必然的に起こること」でもあるのです。

 

 ここに引用した『旧約聖書』は現代語訳のものですが、1611年に初版が出版された聖書(King James Version, KJV)を研究対象とし、そこで使われている法助動詞を分析した論文があります。

 そこで紹介している表とshallに関する記述を翻訳して紹介します。

 

 Shall"は話し手が義務や責任を表現するために使用される。一方で、"will"は話し手の意思を示す。どちらも主観的で暗黙のうちにあり、話し手の感情や考えを表す。統計(表4を参照)によれば、神とその民が使用する法助動詞の割合から、法助動詞は主に神によって使用され他は無視できる。

 これは、神が宇宙全体の主であり、他のすべての生物に優越する独自の自由意志(主観的で法助動詞によって暗示される)を持っているためだ。一方で、人間の意志は神に対して、自分のアイデアや感情を自由に表現することはできず、代わりに神から受け取ったアイデアや情報を報告または模倣することしかできない。

   Xi Wang『The Mood and Modality in the Bible: A Systemic Functional

         Perspective』2014

 

 当時の聖書では、will、shallは「神の意志」を示す表現で、人の意思を示す表現としてはほとんど使われていないということです。表中にあるMosesが使用するshallの1例とは、疑問文Shall I~?で神の意志を伺う表現だと思われます。

 聖書ではwillは神の意志を示す表現なので、神は自身の行為をI will~のように1人称を主語として使います。神が人に課す行為はshallを使います。また、神の意志によって将来起こることもshallを使います。結果として、主語が神以外の人やことがら(2人称・3人称)の場合、神の意思はshallを使って示すことになります。

 

 神の意志をwill、shallで示し、それが将来「おこること」であるという認識がさらに進み、意味が漂泊化した結果として「未来」を示す標識とされるようになります。これがこの2つの助動詞が「未来時制」を表す表現とされた所以です。

 科学的英文法が生産的だった20世紀の初頭には、こうした通時的な視点がありました。次の記述はそのことを示しています。

 

「今日の英語に置いて未来を表す助動詞と称せらるるshall及びwillは、元来夫々“owe”および“intend”を意味する動詞であった。…夫々の原義が弱められて“Future Tense”の助動詞になったのはshallの方がwillよりも古い歴史を有するので、その結果shallの方がwillよりも原義消耗の程度が進んでいることになる。…叙想の力があるが故に未来になるのであって、未来を表すが故に叙想の力が生じたのではない。」                細江逸記『動詞叙法の研究』1932

 

 昔の英文法書では、「未来時制」について、「意思未来」なる用語を使って、平叙文で話し手の意思を表すときは、主語が1人称のときはwillを使い、主語が2・3人称の時はshallを使うと説明していました。なんとも要領を得ない説明でしたが、実際には単なる話し手ではなく絶対的な力を持つ者の意思なのです。

 

 英文法はもともと聖職者を育成する文法学校での教育目的で創られたものです。聖書は原典であるヘブライ聖書(紀元前2世紀以前)からギリシア語聖書(紀元1~2世紀)、ラテン語バルム聖書(4~5世紀)に翻訳されます。英語聖書としては、英語圏で非常に広く使用され歴史的に重要なキングジェームズ聖書は1611年に初版が出版されています。英語の標準化が始まった18世紀当時以来、英文法には当時のラテン語聖書とその翻訳であるKJV聖書の影響が色濃く反映されています。

 

 コーパスデータが示すように、「意思未来」が創作された当時の聖書では、法助動詞willとshallは神の意志を示す表現で、人が使う言葉ではなかったのです。聖書では、神は自らの意思で行う行為を I will…という表現で語り、人が起こすべき行為や事柄が起きる事態をshallという表現で語ります。

 20世紀の後半まで日本の学校で教えられていた英文法では、「意思未来」について、平叙文では話し手の意思を示すとき、主語が一人称のときはwillを使い、二・三人称の時はshallを使うとしていました。要するに、この話し手とは聖書に出てくる神のことです。人であるモーゼが唯一使ったshallは、疑問文Shall I…?で、神の意志を伺う表現です。

 

 他に出エジプト記ではPharaoh(ファラオ)が意思を表す表現として使っています。

 And Pharaoh charged all his people, saying, Every son that is born ye shall cast into the river, and every daughter ye shall save alive. 

                         ――出エジプト記第1章

(そこでパロはそのすべての民に命じて言った、「ヘブルびとに男の子が生れたならば、みなナイル川に投げこめ。しかし女の子はみな生かしておけ」)

 

 学習文法からwill、shallを組み合わせて創作された「未来時制」が消えたことについて、昔はwillとshallを使い分けていて後年使い分けなくなったことを理由にする人が大勢います。英文法が標準化の一環として創られた当時に、普通の人が絶対的な権力を持った人と同じ言葉使いをしたとは考えられません。

 「意思未来」を文法規範だと思って、一般の人が平叙文で2・3人称を主語にしてshallを使えば、高圧的な表現になるに決まっています。「意思未来」という概念は、規範文法が「神の意志」「権力を持った存在の意思]を「話し手の意思」と称して創作したのでしょう。

 

 shallの用法の拡張をもう少し追ってみましょう。19世紀のイギリスの詩人クリスティーナ・ロセッティの歌詞にあるshallについて分析した論文から引用します。

 

If we shall live, we live;

If we shall die, we die;

If we live we shall meet again;

 

But to-night, good-bye.

One word, let but one be heard ―

What, not one word?

 

 “Meeting”では“shall”は合計6回用いられる。第一連の冒頭で3回使われるが,if節で用いられている点が注目される。「もし生きるというのなら,われわれは生きる/もし死を迎えるならば,われわれは死ぬだけ」とはじまる一節からは語り手が自分たちではどうにもできないもの,あらがうことのできない生と死の問題を“shall”を使って表現している姿勢がうかがえる。

 藤田 晃代『クリスティナ・ロセッティの詩における助動詞“shall”の用法』2018

 

 こでもshallの用法は、文中に現れない存在を読み解くことが鍵になります。主語weに「生と死」を課す存在はあらがうことができない「運命」や「時」という抽象的な概念になります。「生と死」は必然的にやってくるものなので、そこから「必然性」や「未来」とされるshallの用法につながっていくことが確認できます。

 

 このように、shallの一般化は、主語に力を及ぼす存在が抽象的な概念を含めて広がることで済んでいきました。用法は連なっていて必ずしも明瞭に分類できるわけではありません。未来表現に関する論文にあるshallの用法についての記述を紹介します。

 

「shall は本来sceal「~を負うている」 の意で、[義務] の意味を表す。この本来の意味が主語とは関係のない力、 つまり主語の外からの力によって行動しなければならないという意味にこの本来の義務の意味がなっていったと思われる。 外からの力には話者の意志や法律・規則・運命等幅広い力が含意され、 それぞれそれらの力によってある行動をせざるを得ないことを示している。 主語が一人称の場合も同様で、 いずれも主語の意志ではなく、外部からの力によってある出来事が起こることを表している。

 

a.  The law says you shall not do it. (BNC)

   (法律でそうすることは許されていない)

 

b.  Of course we shall get howls of laughter. (BNC)

  (もちろん我々は大笑いされることになる)

 

c.  We are all growing old and we shall die and be buried. (BNC)

(我々は皆年を取っている、 そしてついには死んで埋められることになる)

 

d.  Well, you shall go to the university if you wish it. (BNC)

(そうだな、 君が望めば大学に行かせてあげるよ)

 

e.  I shall contact you tomorrow morning. (BNC)

(明日の朝連絡を入れることになります)

                   波多野 満雄『未来表現について』2011

 

 これらの用例では、主語以外の外部からの力は、それぞれ(a) 法律 (b) (笑われるような何らかの原因、(c) 運命、(d) 話し手、(e) 明日の朝になる何らかの事情、が想定されています。適用範囲が非常に広くなっていることが分かります。

用法分類をするなら(a)は根源的用法の「義務」、(b)は認識的用法の予測としての「必然性」ということになるでしょう。しかし、用法分類にとらわれるよりも、外部からの力を意識して用例にあたっていく方が実践的な気がします。

 

 このshallを通時的視点で見ると、現代英語の未来表現の現状が見通せるようになります。

 

「Willやshallは現代英語では法助動詞として用いられているが、 古英語時代は動詞として用いられていた。これらの助動詞用法が発達するまでは単純現在形で未来の出来事を表すのが普通であった。 言い方を変えれば、 未来の出来事に対する表現形態が現在のように多様ではなく、 単純なものであったことになる。 それが現在、willやshall等の法助動詞のほかにも様々な言い方が生まれ、 古英語時代単純現在形で表現していた領域を奪っていったことになる。」

                   波多野 満雄『未来表現について』2011

 

 もともと英語には未来を表す表現がなく、次々に新興表現が現れて意味を拡張していき、旧表現が表していた領域を奪うという現象が栗加瀬されてきたのです。

 一旦は未来時制として採用されたshallが担っていた「未来」の領域を、後発で漂泊化したwillに侵食されていきます。さらに後発の法助動詞相当句be going toも主観化して「意思」を表すようになります。そうして現在ではwillが担っていた「未来」の領域を侵食しているのです。だからwill=be going toという昔の認識もwill≠be going toという今の流行もどちらも不正確で全く実情をとらえてはいません。

 

 旧表現の領域を新興表現が侵食しているときには、willが相応しい場合、be going toが相応しい場合、そしてどちらでもいい場合が併存しているというのがふつうです。be going toはshall、willと同類の法助動詞相当句です。だから文法化に伴う意味の一般化、主観化が進行していると考えられます。

 そして実使用を確認すると、be going toが意味を拡張し「その場で決めたこと」に使う用法が英語話者の間で広がっていることは明らかです。ところが、通時的視点を持たず実使用による検証もしない学習文法はまるで現状を分かっていないようです。

 

 今回のテーマであるshallに戻ると、かつて「未来時制」の代表格とされたころの役目を終えたのは間違いないようです。

 新興表現は、一般に若年層を中心に口語から広がり、既存の表現の領域を侵食していきます。口語である程度広がっていくと、小説など口語の影響を受けやすい分野から文語意にも次第に使用が広がります。結果として侵食を受ける旧表現は、硬い文語として残るというのが一般的です。

 法助動詞shallも、この一般的なセオリー通りに法律、契約書、宗教関係の書などで使われています。聖書は先に紹介したので、法律、契約書に関する論文を紹介しておきます。

 

「COCAのデータは法律/政治学の分野で「shall」が支配的に使用されていることを示している。頻度は百万語あたり158.95だ。2番目に高い頻度は哲学/宗教の分野で、百万語あたり124.48である。

(1) […] the circumstances constituting fraud or mistake shall be stated

   with particularity. (COCA:LawPublicPol)

 ([...] 詐欺または過失を構成する状況は、特定の事実で述べられなければならない)

 

(2) […] therefore, suspended until he shall manifest Such Repentance as

   Shall be Satisfactory to the Church. (COCA:ChurchHistory)

( [...] したがって、彼が教会に満足するような悔い改めを示すまで、停止されるべき

 である)

 Maria Samodra, Barli Bram『Modal Verb “Shall” in Contemporary American

                English: A Corpus-Based Study』2022

 

「shall は,古英語では義務を表す動詞として使われていた。この原義を受けて,契約書では「義務」「強制」「将来の約束」を表す。法的強制力(enforceable by law)があるとされる。ほとんど must の概念であるが,通常 must でなく shall が使用される。否定形は shall not であるが,「~してはならない」になる。

shouldは一般的には「道義的責任」を意味し,法的強制力を表さない。この意味では,shall や must より劣っている。すなわち should は,道義的責任を表すにすぎないので,shall や must の代用にならない。

 

 In THIS AGREEMENT the following words and expressions have the

  following meanings :

 (1)The Products shall mean…

 (2)The NEW COMPANY shall mean…

 〔訳例〕本契約書においては,以下の用語・表現は以下の意味を有する。

  (1)「製品」とは,……

  (2)「新会社」とは,……

 

 The main office of the NEW COMPANY shall be located in Singapore.

 〔訳例〕新会社の主たる営業所をシンガポールに置く。

 

 The parties to THIS AGREEMENT shall not pledge their stocks.

 〔訳例〕本契約書の当事者は,自分の株を抵当にいれない。」

                    大崎 正瑠『英文契約書の研究』2011

 

  法律や契約書など分野では主語に外部から及ぼす力は法的拘束力です。負った義務に背くと賠償責任が生じるような文脈で使われていることが分かります。

 

 以上見てきたように、古英語ではもともと本動詞「お金を支払う義務がある」という客観的で具体的なことを意味していたshallは、執行義務の対象を「お金」から「行為」という抽象的な概念へと広げることで、無標の不定詞を後置する法助動詞という文法機能を担うようになりました。

 また、義務を課す存在が「神、運命、正義、上位の人」などへ広がり、客観的な「義務」から想いを表す「意思」へと主観化します。主語に力を及ぼす存在が神や運命に広がったことなどから「必然的に起こること」を示すようになり「未来」とされることにつながります。

 漂泊化が進んで「未来」とされた用法は意味を失っているために、後発のwillなどに表す領域を浸食されていきます。そして今日では、比較的意味を保持した用法に相応しい分野で硬い文語として残っています。

 

 shallの変遷は言語が変化することを教えてくれます。それはただの歴史ではなく現代語を見る視点を与えるものです。

 言葉やり取りにおいて、話し手が対象の範囲を広げて新たな表現を創造することや、聞き手が話し手の想いを汲んで表面上の意味とは異なる解釈する(reanalysis)ことがあります。表現を抽象化し適用する範囲を広げるという人の創造力と、相手の意図を汲みとって解釈するという人の想像力によって、言葉の意味が変わっていくわけです。その典型例が法助動詞の文法化に伴う意味一般化や主観化による意味変化です。

 その言語の話者は、成長する過程で身近に接した言語のテキストデータを自分で解釈して文法・語法を獲得していくと考えられます。これは生成AIのデータ駆動型の言語獲得のしくみと基本的には同じです。

 

 人が既存のテキストデータを分析して文法・語法を獲得し、使用するときに想像力と創造力が介在します。文法・語法を獲得していく幼少期、若年層の想像力と創造力の豊かさと柔軟性が、新たな解釈や用法が生むのです。そのため、言語は数世代を経て徐々に変化していくわけです。若年層の間の口語で広がっていく新興表現は言語の未来を示しているのかもしれません。法助動詞shallのたどってきた道はそういったことを思い起こさせてくれます。