標準的な英米式の“English Grammar”と和式「英文法」には、根本な違いがいくつかあります。そのうち最も大きな違いは、英米で標準的なIndicative Moodと和式の「直説法」のとらえ方です。Indicative Moodは和式の「直説法」は似て非なるものです。

 今回は、和式の「直説法現在」ではなく、Indicative Mood Present Tenseの実像を探ります。

 

 学指導要領が想定する和式の「仮定法」には、英米式Indicative MoodとSubjunctive Moodが混在しています。

 ここに「仮定法」として示されている2つの用例のうち、1つはSubjunctive Moodですが、もう1つはIndicative Moodです。

 

  欧米での標準的なtenseはIndicative Moodを基本とし、和式の「時制」は「直説法」を基本としています。その違いは、英米の文法書の記述と学習指導要領の記述を比較すると分かります。

『PEU』2020は保守的な伝統文法に近い立場です。それでも、tenseとtimeは別の概念として厳密に区別するというみかたを示しています、これは文法をscienceとして捉えようという19世紀以来の英米のEnglish Grammarの基本です。

 上に引用した記述には、wentはIndicative MoodのPast Tesnseだけれどもpast eventだけではなく、非現実unrealまたは不確かuncertainなpresent event、future eventことを述べると説明しています。Present Tenseはpresent timeを表すわけではなく、Past Tenseはpast timeを表すわけでもないので、tenseとtimeには直接的な関係はなく、1対1で対応しないとしています。

 

 細江逸記は、早くから「Indicative Moodに於ける“Present”Tense, “Past” Tense等は本来決して「現在」・「過去」等の時を示すものではない」(『動詞叙法の研究』1933) と述べています。

細江の仮定法理解が共時的理解として一番妥当であったが、細江自身も教科書レベルで持論を展開しなかったことも影響してか、学校文法ではほんの一部しか定着しなかった。」(伊藤裕道2002)

  結局、学習指導要領に代表される、英米とは似て非なる「仮定法」が我が国の公教育に定着してしまったわけです。

 

 学習指導要領とPEUの用例についてまとめ、英米と日本の文法的扱いの違いを示すと、次のようになります。

 

1a) If I were you, I would ask my best friend to help me.

 

1b) I wish I knew my cat's feelings.

 

1c) It would be better if we went home now.

 

1d) We went to Morocco last January.

 

【英米のEnglish Grammar】     【和式の英文法】

(1a) Subjunctive Mood                       仮定法 過去

(1b) Indicative Mood  Past Tense           仮定法 過去

(1c) Indicative Mood  Past Tense           仮定法 過去

(1d) Indicative Mood  Past Tense     直説法 過去

 

  English Grammarでは、(1a) If I were you,をSubjunctiveとしますが、If I was you,と言えばIndicativeとなります。moodの違いは、述べることが現実的か非現実的か問う意味上の違いではなく、was、wereという形態上の違いと考えるのです。つまりI wasのように主語と動詞が一致していればIndicative、I wereのように主語動詞が一致していなければsubjunctiveというわけです。

 条件を示すif節中で、I wasという形態のものは単にconditionalと呼びます。だから(1b)、(1c)のように、past tenseがpresent event、future eventのことを述べる場合でも、非現実unrealまたは不確かuncertainであっても、形態上Indicative Moodです。

 

 指導要領をはじめとする和式の学校英文法では、非現実unrealまたは不確かuncertain「仮定法」と呼んでいます。和式「仮定法」は意味上で区別します。英語使用国で標準的なSubjunnctiveは形態上の区別ですから、和式の「仮定法」とは全く別物なのです。

 

  「仮定法」という用語を問題視し、不要であると考える専門家は多くいます。

仮定法に対する意識を英語母国語話者に尋ねてみると、単に条件節の形態上の違いで、文の発話内容に対する心的態度を表現しているだけであると感じているようである。英語母国語話者の感覚として仮定法の存在が意識されていないのだとすれば、…直説法との区別はもはや不要となる。」石田秀雄『仮定法指導の改善』

                        

現在の英米の文法書には、学校文法で言う「仮定法」を‘Subjunctive’と呼んでいるものはほとんどなく、…「法と時制」の文法的・意味的視点から仮定法の解説と文法用語を再検討する時期であろう。それは学校文法そのものの再検討につながるはずである。

     伊藤裕道『「仮定法」の英文法教育史―文法事項の史的検討(5)―』2002

 

 英米の文法書も母国語話者も、unrealまたはuncertainなことを言うのはIndicative Past Tennseの用法ととらえています。English GrammarではSubjunctiveほ消滅過程にあると考えらていますが、「英文法」では「仮定法」を拡大解釈しています。

その裏返しとして、和式の「直説法」からは非現実unrealまたは不確かuncertainを排除しています。「直説法」とIndicative Moodは全く別のものなのです。

 

 19世紀の英語使用国の教科書を読むとEnglish Grammarの見方が分かります。

  

 この教科書にある記述には「時間とは別に、Moodと呼ばれる動詞形の違いについて、「話者が事実と見なす陳述をIndicative Moodといい、それが実際に事実factであるかどうかは問題ではない」と明記しています。

Simple Presentの用例を見ると、和式「直説法現在」の説明との違いがよく分かります。

 

2a) The Americans own Canada.     (カナダはアメリカ人が所有している)

 

2b) The sun moves round the earth. (太陽は地球の周りを回っている)

 

 これらの用例は、「実際にa factではないことは誰でも知っているが、発話者がfactであるとみなしていることをIndicative Moodで示している」と説明されています。

 

 英米のEnglish Grammarでは、tenseとtimeは別のもので、1対1で対応しないこと、IndicutiveとSubjunctiveの違いは実際にa factかそうではないかには関係なく、心的態度moodの違いを形態上の違いで示すこととしています。

 それを前提とすると、Indicative past tenseは、本質的にtimeの違いを表すわけではなく、またa factかそうではないかに関係なくunrealまたはuncetrainなmoodを示す場合にも使うということが分かります。

 

English GrammarのIndicative Mood Presntt Tense もpast /present/future eventのいずれのことを述べることができ、fact/not factのいずれでも述べることができるととらえます。

 

Present Tenseについて考察した論文の記述を引用します。

 

3a) The train leaves at 7 tomorrow morning. (予定)

 

3b) This guy comes up to me yesterday and says he wants a loan.

                               (歴史的現在)

 

 これらの用例では出来事の生起自体は未来や過去にあるにも関わらず現在形が用いられているので、勿論出来事時説でもお手上げである。他にも He runsの様に現在形であるのに、現在の動作は表さないものもある。出来事時説的に捉えようとすると、英語の時制はなんとも得体のしれないものの様で、包括的説明など不可能に見えてしまう。実際、Bybee, Perkins & Pagliuca(1 9 9 4)等は、英語の現在形や過去形は時制とは言えないと述べ、Wolfson(1979, 1982)も同じ理由で、時制に意味を見出そうとする事自体に意味がないとさえ言う。しかしそれは結局のところ、出来事時説的な時制観に問題があったと言うべきであろう。

         樋口万里子『英語の時制現象に関わるSOAの意味役割』2008

 

 この論文では、時制tenseは出来事時timeを表すという従来の学校文法を出来事時説的な時制観と呼んでいます。(3a)、(3b)はともにPreset Tenseを使っているけども、(3a)の出来事時はfuture timeで、(3b)の出来事時はpast timeである用例を示しています。また、He runsはpresnt tenseであるのに、一般にはpast、present、futureにわたる習慣であることを示しています。

 このように出来事時timeと時制tenseが一致しないことを証拠として、出来事時説的な時制観に問題ありと結論しています。つまりPresent Tenseは述べることが起こった時間timeを表すというのは、本質ではないということです。

 

 18世紀の教科書にあったように、Present Tenseは、事実factかどうかに関係なく、話者がfactとみなすということについて見ていきます。

 

4a)“Mammy, if I was the queen, I would eat as much as cake I wanted. ”

   (Peppa imagines being a queen.)

4b) “Daddy, I am queen Peppa. You must bow when you speak to me.”

               ――Peppa Pig Makes Chocolate Cake Special

 

 用例(4a)、(4b)とも、現在の出来事present eventについて述べています。また、Peppaはqueenではないのでfactではありません。しかし、(4a)Past Tenseのwas、(4b)Present Tenseのamを使い分けています。

 (4a)のwasは、文法書ではunrealを表すととらえていました。そうすると、(4b)のamは、realityを表すととらえるのが妥当です。ここで言いうrealityとは、現実味というような意味で、今ある現実factであるかのように感じるということ表します。

 Indicative Moodはfactかnot factには関係なく、発話者が主観的にfactとみなして現実味realityを表現するときにPresent Tenseを使うと言えます。

 

 過去時制が示す、距離を置いた客観的な事実としてのfactは、主観的な現実味という意味でのrealityが無いというとらえ方をします。Present Tenseが表すもののコアを、時間timeでも事実factでもなく、今あるという現実味という意味でのrealityととらえ、多くの用例から検証します。

 

  一見すると、現在という時間timeについて述べるとみられる用例を見ていきましょう。論文の用例とその解説を引用します。

 

5a) Now I take up this pen in my hand. Presto! It disappears, and you

      see nothing in my hand. (手品の口上)

 

5b) First you get a big mixing bowl and then .... (レシピ)

 

5c) To turn the heater off, you press down the button. (取扱説明書)

 

5d) You go straight down the street and turn right. (道案内)

 

5e) That night Cinderella goes to the palace. (物語の筋書き)

 

5f) Richard Kimble, a doctor framed for the murder of his wife, escapes

      to track down the real killer, while fleeting his determined pursuer.                                                                                            (映画の筋書き)

 

  (5a-f)に共通して言えることは、これらは実際の出来事というよりは物事のあり方を表しており、主動詞での表す動作は、現実の時間の特定の位置を持たないことである。即ち時制は、動詞の表わす出来事の時間的位置ではなく、全体の内容が現在の一瞬で成立していることを表しているのである.」

                             樋口万里子『英語の時制現象に関わるSOAの意味役割』2008

 

 この用例の中で、(5e)の物語の筋書きと、(3b)の歴史的現在を対比します。(5b)物語の筋書きはfactではないこと、つまりフィクションで、(3b)歴史的現在は過去の事実past timeのfactつまりノンフィクションです。どちらも話し手としては、realityを表したいのでPresent Tenseを使うというのは妥当でしょう。

  ノンフィクションには筋書きはありませんが、相手に話を聞いてもらうには筋道の通った話をするのがふつうです。そうすると、Present Tenseは、あくまでも主観的には現実味realiyがあるという認識を示す表現であるととらえられそうです。

 

 そうして、改めて用例(5a-f)をみてみると、(手品の口上)、(レシピ)、(取扱説明書)、(道案内)、(物語の筋書き)、(映画の筋書き)は、どれも筋が通った現実味のある表現が好まれます。だから、それにふさわしいPresent Tenseが使われるということです。

 これをさらに広げて、現在の習慣や、現実であるかのように演じること、普遍的な事実、論文など、いずれも筋の通った現実味のある表現としてPresent Tenseを使うということと矛盾はないように思います。

 

 Present Tenseは(歴史的現在)、(未来の予定)を考慮すると分かるように、特定の時間timeを述べるわけではありません。特定の時間を表すというとらえ方をすると、根本的な原理と矛盾する例外ができるので実践的ではありません。

 また、物語や映画や演技はフィクションですからfactではありませんが、factに基づいたノンフィクションと同じくPresent Tenseを使います。Indicative Present Tenseが事実factを表すというとらえ方をすると、事実factではないフィクションに使うと矛盾する例外になります。

 

 English GrammaのIndicative Moodとは似て非なる、和式の「直説法」が基本で「仮定法」が応用というとらえかたをすると多くの「例外」が出てきます。実践的な英語と向き合うことになればどうなるでしょう。

 よく、社会人の英語のやり直しで、文法は中学英語で十分という人がいます。日本の中学の教科書の文法の実態が分かる記述を引用します。

 

学習指導要領に示されている初歩的な語彙や文法事項を段階的に習得し、異文化理解や言語に対する関心を深めながら、実践的なコミュニケーション能力を伸ばすことができるように編成されている。しかし、学校で使用する教科書に収められているリーディング用教材の場合は、語彙や文法に多くの制限がある。そのため原作を削ってかなり短くするか、あるいはごく一部のみを抜粋して使うだけでなく、単語や文法を単純なものに置き換えたりする結果、大筋は生かされていても原作とは大分かけ離れたものになっているのが普通である」。

「Buscaglia(1982)の The Fall of Freddie the Leaf は2つの出版社から出ている1年生と3年生用の教科書にリーディング教材として入っている。この自然と生命のサイクルをテーマとした絵本の原作は本文が1300語ほどの話であるが、A社の場合はその3分の1の約420語に、B社は8分の1のわずか170語に削られてしまっている。中学生の教科書に載っている読み物は長くても600語程度であるから、この物語の原作はその2倍以上の長さだが、教科書用にこれほど短く要約して書き直す必要があるのだろうか。

                 白須 康子『中学校の英語教育における絵本・児童文学の活用』2004

 

   指導要領に記載された文法は、教科書検定を通して表現を縛ることに使われます。そのため、和式「英文法」が基本とする中学校英語の文法事項では、良質な児童書さえ全くカバーできません。その象徴の1つが「直説法」を基本とする和式「英文法」の時制であり、その裏返しである和式の「仮定法」です。

 

これは信じがたいことなのだが、公立高校の入試問題には「If I were you, I'd go.(私だったら、いくよ)」のような簡単な英語を出題してはいけないということだ。受験生は3年間も英語をやっているのに、まだ「事実と反する条件を表す仮定法」を教わっていないからである。これによって、中3の英語教科書でも、自然な会話を紹介することが依然として不可能なのである。」

                  マーク・ピーターセン『英語の壁』2003

 

  英米式のEnglish Grammarの時制tenseの基本はIndicative Moodです。Indicative Present Tenseは、述べる時間timeに縛られず、事実factかどうかには関係なく、フィクションでもノンフィクションであっても、筋の通った現実味のある表現としてふさわしい文脈で使います。英米のEnglish Grammarは昔のがESL、EFL向けに加工したprescriptiveな文法規範ではなく、日常的な会話や小説など生きた言葉として使う表現を一貫した原理で説明するdescriptiveな記述を志向しているのです。