不定代名詞noneが主語のとき、対応する動詞をis/areのどちらで受けるのが正しいかとその理由には諸説あります。伝統的な規範文法派の人は、noneはもともとnot oneが短縮した形でありoneを含む概念だから単数扱いし単数動詞isで受けるべきだと主張します。一方で慣用を重視する人は、no personsのように可算扱いする語が0を表す場合は複数扱いするから、None of themが複数動詞 areと呼応するのは問題ないと言います。

 今回は、言語学的観点、社会言語的観点などから多角的にnoneと呼応する動詞の問題を読み解いていきます。

 

 そもそも主語の数と動詞形を一致させるときに生じる問題は、現代英語の文法的仕組みに根差しています。だから英語学習者だけでなく英語話者であっても煩わしいものなのです。そのことを示す論文の記述を紹介します。

 

昨年の秋,The Timesに,今日のイギリスの大学生の国語力,すなわち英語の力の不足を嘆く一文が載っていた。国語問題の悩みはどこも同じようだなと思い、わたしは興味深くその記事を読んだのだが,特に弱い点が具体的にいくつか指摘されていた中に,単数の主語に複数の動詞を続ける間違いが挙げてあった。

 つまり,「主語と動詞の一致」Subject-verb concordの文法規則を無視した問違いである。主語にどのような形の動詞を続けるかは,英語を話したり書いたりする場合,英語のnative speakerであるイギリス人やアメリヵ人にとっても,なかなか厄介な問題のようである。Quirkも,English speakersは,しばしぱ,一致の規則についてははっきりした知識をもっていない」と述べている。」

           廣田 典夫『現代英語における主語・動詞の一致』1978

 

 現代英語は屈折(語形変化)を失った言語です。屈折を失った動詞は形態によって主語の数を表せないし、表す必要もないと言えます。

 一般動詞の過去形はふつう1つの形態です。I loved、We lovedのように主語の数と動詞は一致しません。同じくI will do、We will doのように法助動詞の文でも主語の数を述語動詞と一致させる必要はありません。

 現代英語は独立した主語によって数を示す文法的仕組みを備えています。If I were you…のように表現するとき、I という独立した主語によって「単数の話し手」と判断します。動詞がwereだから複数ではないのか?という疑問を持つ英語話者はいません。

 

 文法性を示す手段はいくつかあり、言語によって主要なコードが異なります。現代英語は独立した主語によって数を示すことを文法コードのスタンダードにしています。一方、動詞の形態は主語の数を示す文法コードとしてスタンダードではありません。もしも異なる2つの文法コードを両方ともスタンダードとして認めてしまうとダブルスタンダードになり混乱が起きます。

 I wereのような組み合わせでは、I によって数を判断し、wereという動詞の形態は主語の数とは無関係として無視します。You areの場合、今はyouは単複同型ですがもともと複数の目的格だった時の名残で複数動詞areのままです。今日では正用として認められている単数を示すtheyでも動詞はareが呼応します。

 つまり標準語でも厳密に動詞の形態を主語の数に一致させていないということです。英語のネイティブ感覚では動詞形がare、wereだからと主語が複数だと判断することはありません。主語の数を判断するときの文法コードとして動詞形を無視するのは、ダブルスタンダードになるのを避けるためなのです。

 

 そもそも形態が1つの一般動詞の過去形や法助動詞では「主語と動詞の一致」という問題は起きません。独立した主語で数は分かるのだから動詞の形態を数で示すのは二度手間でしかなく、言語学的には不合理です。二度否定する多重否定を不合理とすることと大差ありません。一般動詞の現在形やbe動詞には、本来必要のないis/areといった形態があるから、わざわざ主語に呼応させて動詞を選択しなければならなくなるわけです。

 「主語と動詞の一致」が「英語のnative speakerであるイギリス人やアメリヵ人にとっても,なかなか厄介な問題」なのは、若い英語話者の不勉強のせいではありません。動詞の屈折による数の表示を無視することは、独立した主語と認識する文法感覚を獲得するためには不可欠なのです。

 

 なぜ学校文法は、英語話者の正当な文法感覚にも現代英語の文法コードにも反し、ダブルスタンダードになる危険性のある「主語と動詞の一致」を勧めるのでしょう?

 

 規範文法はラテン語文法のしくみをもとに創作されました。ラテン語の動詞は屈折(動詞の形態変化)よって主語を示す仕組みになっています。

 現代英語との違いを比較してみましょう。

 

 主語の人称・数の表示 (未来時制)

                     ラテン語の動詞  英語の主語と動詞        

 一人称単数  amabo       I will love    (私は愛するだろう)

 一人称複数  amabimus         We will love     (私たちは愛するだろう)

 

 ラテン語の動詞は語の形態によって「時制・主語の人称・数」を表示する仕組みになっています。これを動詞の定形変化と言います。この表では、語尾の-oが一人称単数であることを示します。同様に-musという人称語尾で主語が一人称複数であることが分かるのです。このようにラテン語は動詞の屈折で主語の数が分かる仕組みなので、独立した主語としての人称代名詞は必要ありません。

 だから特に主語を強調するなどの意図がなければ主語は置かず動詞だけで文を構成します。たまに主語の無い文はあいまいだと思い違いをしている人がいますが、動詞形で主語が分かる仕組みの言語には主語は要らない場合はあります。「もう行くね」は行くのは話し手、「もう行けば」は行くのは聞き手と分かります。

 独立した主語は置かなくても変化形が豊富な屈折言語では動詞の形態で行為者が単数・複数のどちらかを示すことができます。「主語と動詞の一致」とは動詞の形態で主語の数を示すことを文法コードとするラテン語文法の概念なのです。

 

 これに対して現代英語は、本質的に屈折を欠き発達した機能語が文法性を示す言語です。動詞の屈折を欠いた代わりに人称代名詞という機能語によって主語の数を表示します。だから動詞の形態は変化する必要はありません。

 しかし英語を標準化するとき、ほとんど失っていた動詞の形態から、かろうじて残っていた現在形の語尾-sとbe動詞を選んで、わざわざラテン語と同じように「主語と動詞を一致させる」ことにしたのです。

 

 主語と動詞の一致は標準語の規則として人為的に決められたものです。ネイティブ感覚とも英語本来の文法的仕組みとは関係ないので一致し無くても言葉としては通じます。過度に気にして話せなくなるのは本末転倒なので、標準語としての言葉使いととらえることです。そうはいっても、自ら発信するときにisとareのどちらかを選択することが必要になります。

 今回取り上げるnoneの数をどう扱うかという問題は、正しく伝わるかどうかという言語学的な正当性ではないので、主に社会科学的な正当性をめぐる問題として見ていきます。

 

 noneを受ける動詞の問題は、ネイティブスピーカーが持つ英文法に関する不満TOP10」では第4位としてあげてあります。これは1986年にBBC放送のラジオ番組English Nowに聴取者から寄せられた手紙をもとにDavid Crystalが分析したもので、その誤用例として下の文を載せています。(浦田和幸『英語における規範主義の伝統』2002)

  ✕None of the cows are in the field. 

 

 ここに挙げてある誤用例は、文法規範ではnoneは単数扱いするのが正用とされていたことが影響していると考えられます。その正誤については社会科学的な文法的正しさと実際の使用との乖離があるのです。

 

 none of themについての使われ方の歴史的変遷を見てきましょう。

 

 

 このグラフでは、1700年ごろから1900年になる前まではNone of themはareで受ける方がかなり優勢です。19世紀から20世紀にかけてisで受ける方の使用率が上がり、2000年ごろまでの一時期はareで受けるよりもやや優勢になります。2000年頃から潮目が変わり、areで受ける方が優勢になっています。

 この推移を詳しく追ってみます。

 

 ロンドン辺りで使われていた言葉使いが標準語と認識され始めたのは18世紀の中ごろです。不定代名詞と数の呼応に関する論文に、18世紀当時の文学作品について調査した資料があります。その調査に使用した小説・戯曲の略称を年代は次の8つとしています。

Crusoe(1719)、Gulliver(1726)、 Pamela(1740)、Andrews(1742)、Tristram(1760-67)、Otoranto(1764)、Wakefield(1764)、Scandal(1777)

 その調査結果の一覧を引用します。

 

 18世紀小説・戯曲8作品の不定代名詞の動詞呼応調査

 

  小松 義隆『18世紀英語における不定代名詞の呼応』2003

 

 この一覧にある語句のうち、一番上everybodyから順にno oneまでは、今日でも文法的には単数扱いの動詞が呼応するとされる不定代名詞です。このうち、唯一複数の動詞が呼応する例について、同論文では次のように記しています。

 

(18) "I am sorry," said he, "you take it so; but every body don't think alike." (Pamela, 92/23-24)

 

 この例は会話文に起きており,話し手は Pamelaに登場する御者の Robertという人物で余り教養がない。そのため作者 Richardsonが下層階級の言葉遣いの味を出すため,意図的に複数呼応を用いたものと考えられる。

      小松 義隆『18世紀英語における不定代名詞の呼応』2003

 

 18世紀は、標準化が志向され始めた時期です。この記述は、当時言葉使いに対して関心が高まったことを反映しています。今日の英国においても、階層が下がるほど単数語尾のSを着けない傾向があることが報告されています。主語と動詞を一致させるのは、上流階級の言葉使いとして教育されるからです。

 この一覧にある事実から、標準化が本格的に始まる以前でも、everybodyからno oneまでの語句は単数の動詞が呼応していたことが分かります。不定代名詞とされる語群は、単数・複数を峻別できないので、不可算のものと同じく慣用によって単数が選ばれたでしょう。

 

 それに対して、noneは単数・複数両方に扱われています。この時期は標準化による影響がほとんどないと考えられるので、他の不定代名詞とは異なる言語学的な理由があることになります。

 noneはもともとnot oneが短縮した語とい合われています。'llやgonnaなど縮約という現象が起こる主な理由は文法化にともなうもので、元の意味が希薄化していると考えられます。もともとあったoneの「1つ」という意味は希薄化あるいは失われているということになります。そのため動詞形を決める数の認識にはnoneという形態自体ではなく外部の要因が関わるのです。この論文にある用例を引用しておきます。

 

(19) "No treachery is designed on my part: I hope none is intended on

    thine: here take my gage"   (Otoranto, 65/18-19)

 

(20) "You are afraid of your friends when none are near you." 

                    (Pamela, 17 4/9-10)

          小松 義隆『18世紀英語における不定代名詞の呼応』2003

 

 先ほど紹介したグラフの推移では、None of them isとして単数扱いする表現の頻度が上昇し始めた19世紀後半です。その時期は英語の標準化教育の最盛期にあたります。1899年に出版された当時の学校の文法教科書を紹介します。原書の後に拙訳を付しています。

Noneは語源的に単数形(古英語ではnot one)です。そして、最初は「誰もいない」という意味で解釈されました。そのため、ドライデンの詩で次のようになっています。

   None but the brave deserves the fair.

 

 現代の英語では一般に「一つもない」という意味で使う場合は、個々の区別がつく物について使われる場合は複数形ですが、量の場合は単数形です:つまり、次のようになります。

 In earnest if ever man was ; as none of the French philosophers were;

     Is there any bread? There is none.

 

しかし、現代の詩と散文の両方において、元の意味の通りに単数形となります。

 Perhaps none of our Governor- Generals since Lord Dufferin has done so much for Imperialism.」(しんじ訳)

 

 この教科書に載せているドライデンの用例ではdeservesは単数のSを使用することになっています。しかし、堀田隆一は同じ用例について、つぎのように別の解釈があることを記述しています。

 

不定人称代名詞 (indefinite_pronoun) の none は「誰も~ない」を意味するが,動詞とは単数にも複数にも一致し得る.

 None but the brave deserve(s) the fair. 「勇者以外は美人を得るに値せず」の諺では,動詞は3単現の -s を取ることもできるし,ゼロでも可である.規範的には単数扱いすべしと言われることが多いが,実際にはむしろ複数として扱われることが多い。 

 none は語源的には no one の約まった形であり one を内包するが,数としてはゼロである。分かち書きされた no one は同義で常に単数扱いだから,none も数の一致に関して同様に振る舞うかと思いきや,そうでもないのが不思議である.

                      堀田隆一『英語史ブログ』2023

 

 noneを一律に単数扱いするのは文法規範によって不定代名詞の扱いを統一しようとしたのです。明確な基準がなく、人によって単数・複数のどちらでもいいというのは,標準化の論理では言葉の乱れで、統一すべきとなります。その際、他の不定代名詞がほぼ単数扱いなので、noneも単数扱いにすれば簡便になります。標準化を目指すためには単数に統一した方が合理的だからでしょう。

 しかし、実際には標準化を志向される前のnoneは、単数・複数のどちらにも扱われていました。noneがnot oneあるいはno oneの約まった形であるというのは、gonnaやwannaなどと同じく文法化が進んだことを示しています。つまり縮約という現象はnoneを単数扱いする根拠にはならず、逆に、文法化が進んで数を意識されなくなった結果、単数・複数のどちらにも使われるという根拠になるのです。

 

 この19世紀の教科書にある2つ目の用例は「熱心であることにおいて、かつて人はそうあったが、フランスの哲学者たちは誰もそうではなかった」「パンはありますか?1つもありません」という2文を比較しています。

 Noneを受ける動詞について、フランス人哲学者という可算の人を受けるときには複数扱いしてwereが呼応し、breadという不可算のものを受けるときには単数扱いしてThere is None.とするという事実を挙げています。

 要するにnoneは数量詞として意識されることが薄くなったため、その他の語の可算不可算によって数を認識しているのです。

 

 結局のところ、この教科書では「Lord Dufferin以来のわれわれの総督総裁の中で、おそらく帝国主義のためにこれほど多くのことを成し遂げた人物はいないだろう。」という例文をあげて、人に関する場合でも、noneは単数扱いしhasを呼応させることを結論としています。

 標準化のための規則は言葉遣いを統一することが目的なので、理屈は後付けです。堀田との見解の違いはそのことを示唆しています。実際には他の不定代名詞と同じく単数扱いしようということなのでしょう。

 

 小松義隆は、この教科書(1899年出版)が使われていた19世紀後半のnoneの単数扱いについて記しています。

 

WDEU (1994, s.v. none) によると, noneは OEの nan, ne (not) +an (one)から派生した語であり ,OE期から今日まで代名詞,動詞呼応においてずっと単数,複数両方の用法があったという。noneが単数であるという概念は19世紀後半に起きた神話的な概念であり,単数,複数の選択は書き手の判断に委ねられると述べている。

         小松 義隆『18世紀英語における不定代名詞の呼応』2003

 

 英語が標準化される以前にはNoneは単数・複数のどちらにも使われていて、19世紀の後半に規範文法が単数扱いしはじめたのです。「神話的概念」という言い方で、単数呼応だけを規範とすることに根拠がないことを示しています。

 グラフでNone of them isが上昇基調になり20世紀の一時期None of them areと拮抗しています。単数isの使用率の増加はこの時期の標準化教育の影響が少なからず関係していると思われます。それは、前出の1986年に調査された「英文法に関する不満TOP10」で第4位にnoneは単数の主語で受けるべきだという規範意識につながっています。

 

 19世紀から20世紀にかけての標準化教育の流れは、我が国の学習文法にも及びます。1912 年に出版された、市河三喜『英文法研究』をもとに、主語と動詞の数の一致について述べた論文の記述を引用します。

 

市河は英作文で none を複数扱いにしたのを単数扱いに訂正された経験から、事実を調査した結果「複数に扱っている例に遭う方が遙かに多い」ことを見いだし、3つのパタンに整理している。

 

(1)次にof+複数の名詞・代名詞の来る場合

     None of our actions end with doing them.

 

(2)there are (were, etc.)の次

           There are none in this land that know me.

 

(3)独立に用いられた場合

           None sing so wildly well / As the angel Israfel.

 

 そして「“none of +複数名詞・代名詞 ”となっている時複数の動詞を使うことが一番普通である、動詞がすぐ隣の複数に応じるのである」と述べ(牽引の現象)、(2)のように「there を伴う時には今日でも単数にして “there is (was, etc.) none” ということは珍しくない」としている。

(3)については NED(=OED)の説明を引用し「none を複数にして“no persons” の意味にとることが今日は commoner usage であって、単数を表すには “no one” を用いると書いてある」と指摘する。

 現在でも、none of them を単数・複数いずれで受けるのも正用法であるが、複数で受けるのが普通であり、特に none of の後の名詞・代名詞が複数の場合は特にそうである。また独立の none が単数扱いになることは希である。

          中村 捷『市河三喜『英文法研究』とはどんな本か』2009

 

 この市河の分析でも、(1)、(2)はnone以外の要因を挙げています。(3)はnone自体で決まるかのように見えますが、(1)、(2)のような他の要因がなければということになるので、(3)つまり3番目にしているのでしょう。

 20世紀の初頭ころは大正時代にあたりますが、この時期の日本では、世界の流れにしたがって科学的に英文法を実証的に研究していました。劣化し始めた規範文法の規則を検証することなく取り入れるようになった20世紀後半よりも大正期の方が実証的だったのです。

  noneを単数だとする規範文法の見解に対して、市河は事実を調べて、複数扱いしている例が多いことを突き止めています。当時はもちろん言語コーパスはありませんが、1912年出版の『英文法研究』が示す結果は、none of themの推移を示すグラフと符合します。

 

 20世紀の一時期、none of them isがareと拮抗しますが、その当時の論文から、記述文法家の見解をまとめたものと、その執筆者の見解を引用します。

 

(a) noneは今日では,決まったように複数動詞を従える。―Jespersen

 

(b) 現代英語では,noneが人を指す場合には常に複数に扱われる。物を指す場合には,まだ単数で扱われることもあるが,複数扱いの方が多い。―Evans

 

(C)noneは関連機能上複数の場合(即ち,意味が変わることなくnone of themで置き代えられる時),普通は複数の動詞形と結びつく。単数動詞の使用は慶昧さを生ずるもとになる。―Strang

 

(d)単数動詞の使用は伝統的には正しいかもしれないが,複数動詞の方が,話し言葉では,より慣用的(idiomatic)である。前置詞句の付いたnone of themのような場合には,「概念的一致」や「近接の原理」などの理由で,複数動詞が好まれる。―Quirk

 

「概念的一致」Notional concordとは主語の文法的形態よりも,主語についての概念に含まれる数,つまり主語の内容に動詞を一致させること一によるものであろう。QuirkやEvansの指摘の通り,アメリカよりもイギリスで蓬かに多く見られる傾向である。しかしながら,最近は,この傾向が変ってきているようにわたしには思われる。つまり,近頃は,noneには複数動詞よりも単数動詞が結びつくことの方が多いように思われるのだ。

                               廣田 典夫『現代英語における主語・動詞の一致』1978

 

 この論文は1978年に書かれたものです。当時の見方として文法規範とされた単数動詞の使用が伸びてきているというのはグラフと符合します。

 ここに出てくるQuirkが1985年に出版したCGELが規範から慣用へと文法の流れを変えていったのはよく知られています。その時に行った使用の実態調査が今日のコーパス言語学を生み、実用を重んじるように転じていきます。

 

 2000年ごろを境に、none of them areの使用率が急激に伸びていったのは、実証研究が進み、規範から解放されということでしょう。

 その当時の論文の記述を引用します。

 

 none については,その判断が分かれ,形式ばった言い方では,単数が好まれるが,概念的一致の原理が働くと複数呼応が好まれ,最近では,特にアメリカ英語において 複数呼応がより一般的になってきている。前置詞句が後続すると近接的一致の原理も作用し,複数呼応がさらに好まれる。

(21) None (of the books) has [have] been place on the shelves. 

                         ―Quirk, et al.(1985)

 廣瀬 浩三『新たな学習英文法の構築に向けて―「主語と動詞の一致」の問題を手が

       かりとして―』2001

 

 近年の文法的扱いについて、堀田は次のように述べています。

 

American Heritage の注によると,none の複数一致は9世紀からみられ,King James Bible, Shakespeare, Dryden, Burke などに連綿と文証されてきた.現代では,どちらの数に一致するかは文法的な問題というよりは文体的な問題といってよさそうだ.

                    堀田隆一『英語史ブログ』2023

 

 以上見てきたように、noneに呼応する動詞が単数扱いされるか複数扱いされるかは、実際の慣用と規範との間の綱引きにより、時とともに変遷してきたことが分かります。

 

 参考として、noneの数の概念のとらえ方をしるした文法書『実践ロイヤル英文法』の記述を紹介しておきます。

 

たとえば「金庫のかぎを持っている店員はいない」ということを言うには、None of the clerks has[have] a key to the safe.のように、単数扱いでも複数扱いでもいいのだが、金庫のかぎを持っている店員がいるとしてもおそらく1人くらいしかいないだろうという意識があれば、無意識のうちに単数形のhasを選ぶ可能性が高い。逆に、合いかぎがたくさんあって、持っている店員はたくさんいるかもしれないという意識があれば、無意識のうちに複数形のhaveを選ぶ可能性が高い。

 また、合いかぎは1個もなく、「金庫のかぎ」と言えるものは1個しかない場合には、a keyがthe keyとなり、noneは、None of the clerks has the key to the safe.のように必然的に単数扱いになる。」(419頁)

              ピーターセン他編『実践ロイヤル英文法』2006

 

 noneは意味の一般化が進み、その語自体に数量詞としての意味が薄れています。そのため、none以外の要因として文脈によって動詞の数を決めているのです。文脈によって決めるというのが概念的一致National concoadで、ピーターセンの解説はその例になります。

 可算名詞を示す時には複数が好まれ、不可算名詞を示すときには単数が好まれる傾向があるのもnone以外の要因で決まるということを示しています。

 

 ただし、本来、動詞の屈折によって数を区別する必要はないということは重要です。本来必然性がないのにどちらかを選択して使わなければいけないので、選択の理由は消極的で根拠が希薄になるのです。

 

 「主語と動詞の一致」は現代英語の本来の文法的な仕組みに反し、ラテン語に準じて人為的に決められたものです。初めに紹介した論文にあったように「English speakersは,しばしぱ,一致の規則についてははっきりした知識をもっていない」にもかかわらず、言葉としては通じるのです。

 英語のネイティブは動詞の形態による数の表示は無視し、機能語による表示をスタンダードする文法感覚を身に着けています。現在形の語尾に-sをつけたり、つけなかったりする現象は英語使用国においても多くの地域、階層で見られます。

 

 近年の海外の学習書は、規範文法は標準語としての規則であり、本来の文法とは異なることを明確に述べています。

 

「間違い」というのは相対的な用語であることに注意せよ。この本にリストされている間違いとは、標準的なイギリス英語またはアメリカ英語を書こうとする人が起こす場合の誤りだ。しかし、それらは他の変種では必ずしも間違っているわけではない。(しんじ訳)

            ――Swan『Practical English Usage 4 Ed.』2016

 

 標準化した言語には地方語などの変種が存在します。標準英語の規則の多くはラテン語文法に基づいて定められてきたため、必ずしも英語話者の文法感覚とは一致しません。今世紀に入り従来の規範的規則は実際に使う慣用を認める方向で見直しが進んでいます。

 規範はあくまでも現時点でのものです。変動するグラフを考えてみましょう。そのどこかの時点で使い分けを決めたところで、時代とともに変わるのは明らかです。

「主語と動詞の一致」は標準英語として決められた規則です。文章を書くときや公的な場での言葉使いです。まずそのこと正しく認識したうえで、身に着けていきましょう。