和製の文法書などではmanyと可算名詞を修飾し、muchは不可算名詞を修飾するという違いを基本として説明します。その区別自体は大切なことですが、そもそもこの2語は、使用の仕方自体がずいぶん異なるのです。

 

  manyについて、ロングマン英英辞典(LDCE)ではquantifier(数量詞)という項目にのっています。他の品詞として扱われてはおらず、今のところは数量を表す言葉という理解でいいということです。

 一方muchについて、LDCEではadv(副詞)とquantifier(数量詞)の2つに分類しています。副詞としての使用頻度はw1S1となっており、書き言葉でも話し言葉でも再頻出語になっています。これに対して数量詞としての使用頻度は無印です。つまりmuchは元の数量を表す言葉から、新たに派生した語義へ意味内容が変質していると考えられます。

 

 manyとmuchの用法は、言葉が変化していくメカニズムを知る好例になります。今回は、この2語の変化の仕方を通して言語変化の一般法則について理解を深めていきます。

 

 多いという数量を表す表現ではa lot ofやlots ofが新興表現として用例を伸ばす傾向にあります。顕著な変化は「目的語に含まれ単体で名詞を修飾する」ときの用法に見られます。

 長期的にみると、a lot ofの使用頻度が高くなってきていることが分かります。また、このグラフには示していませんが、lots ofなどを含めると新興表現はこのグラフ以上に増えています。相対的な頻度は、近年ではmanyとa lot ofは拮抗しています。一方で、muchはa lot ofからずいぶん水をあけらてれいます。

 

ChatGPTでも検証してみました。

「manyの用例を教えて」という質問をすると、全10例の提示があり、それらはすべて肯定文でした。そのうち目的語に含まれていた用例が4つありました。そのうちの2例を紹介します。

 

1)I have so many things to do today.

(今日はやることがたくさんあります。)

 

2)The museum has many fascinating exhibits.

(その博物館には魅力的な展示物がたくさんあります。)

 

 用例1はso manyとして使われてthingsを修飾しています。このようにso、too などの修飾語とともに用いるのは特に違和感はないと言われています。用例2は、文法書によっては堅いとされる単体で名詞を修飾する用例です。目的語に含まれる4例のうち他の2例も後者と同じ単体で名詞を修飾する型でした。つまり全10例中3例がこの型だったということです。

 ChatGPTは特に不自然とはしていないので、人によって語感にばらつきがあることが分かります。manyについては、近年に限れば言語変化はそれほど進んでいないというNgaramの結果と符合しています。

 

 「muchの用例を教えて」という質問をすると、manyとは全く違う結果になりました。提示された全10例のうち、否定文が7、疑問文が1、肯定文が2でした。否定文、疑問文は使用に問題ないとされているので、2つの肯定文を紹介します。

 

3)The museum has so much to offer in terms of history and art.

(その博物館は歴史と芸術の面でたくさんの展示物を提供しています。)

 

4)She has much to accomplish before the deadline.

(彼女は締め切りまでに達成しなければならないことがたくさんあります。)

 

 用例3はso muchとして使われているので特に問題とされません。用例4はmuch単体で目的語になっていますが、名詞を修飾していないので、一般的には代名詞という分類になります。

 つまり肯定文において目的語を単体で修飾する型は1例も紹介されなかったということです。少なくとも口語で使うときはnot/so/tooなどの副詞と共起する方が自然で、これらの語を伴わない単体のmuchが目的語を修飾する型では使われないという傾向があることを示唆します。

 

 言語学では否定文で使われる性質があることを否定極性があるという言い方をします。muchにはその傾向があるという可能性もあります。しかし、一時期はsome、anyを文の種類で使い分けるという現実的ではない単純化した説明をした前例もあります。実際にはsomeとanyは表す数量が異なる別の語なので、それぞれの表す数量によって使うと言うのが真相であることは以前に記事にした通りです。

 

 否定極性を想定した事実誤認の例は日本語にもあります。「全然」という言葉は「ない」という否定ともに使うのが正しく、肯定で使うのは誤用であると言われている時期がありました。その後の研究で、明治、大正期の多くの文学作品で肯定する表現とともに使われていることが分かっています。

 

「一体生徒が全然悪いです(夏目漱石「坊っちゃん」明治39年)

 

全然自分の意志に支配されている(芥川龍之介「羅生門」大正4年)

 

「全然は否定表現とともに使う」ということが事実誤認であり、そのような規則はないということになります。標準語の規則は結果として言葉の乱れをなくすことが重要なので、事実や説明は二の次です。歴史的推移を含めて事実を調べ科学的に分析すれば、事実誤認でだったということはよくあります。
 

 従来の文法は標準化のための規範をベースにしています。言語変化を「言葉の乱れ」として嫌い、規則によって正誤を明確に言葉使いを統一することを志向しています。そのため、往々にして言語変化という視点に欠け、一見すると単純明快な規則を好むという傾向があります。

 変化している言葉の過程を切り取って否定極性があると決めつけ「文の種類」を使い分けの基準にすることには注意が必要です。

 標準化の変化の過程にある表現は、人(世代など)によって語感がばらつき辞書や語法書の説明がまちまちになりがちです。言語変化のメカニズムが分かれば、著者の語感に頼った辞書や文法書の刹那の正誤判定に振り回されることがなくなります。

 科学的英文法では、言語は変化するものであることを前提として、その変化の法則をもとに用法を記述します。どのような法則で変化するかが分かれば、今はこのように使っているが、今後このような用法が多くなるというように俯瞰してみることができるのです。

 

 ChatGPTに「"much"が含まれるObject(目的語)を持つ英文」と指定すると、提示した全10例中、9例が否定文で、肯定文は1例だけでした。しかも肯定文の用例は、there構文の主語になっていました。

 提示された用例から、muchという語の使われ方を見てみます。

 

5)"I don't have much money left after paying the bills."

(請求書を支払った後、あまりお金が残っていません。)

 

6)"She didn't have much time to spend on leisure activities."

(彼女は余暇の活動にあまり時間を割けませんでした。)

 

7)"She doesn't have much patience with rude customers."

(彼女は無礼な客に対してあまり忍耐力がありません。)

 

8)"They didn't show much interest in the proposal."

(彼らはその提案にあまり関心を示しませんでした。)

 

 改めて、ここに挙げた4つ用例で使われるmuchの意味を考えてみます。用例5のmoney、用例6のtimeは不可算と言っても、金額、時間は具体的な数字と単位で示すことができます。対して用例7のpatience(忍耐力)、用例8のinterest(関心)は、一般的に量を測る単位がありません。

 muchには数量詞として「多い」という量を表す意味と、副詞として度合いが高いという程度を表す意味があると言えます。quantifier(数量詞)にほぼ限定されるmanyと、quantifierだけでなくadv(副詞)としてより高頻度で使われるmuchとの違いはこのような用法の違いとして現れます。

 

 manyはmuchよりも具体的な語で「数が多い」ことを主な用法としています。だから新興表現のa lot of、lots of、plenty ofと同意表現として競合していると言えます。   

 一方でmuchは「量が多い」という具体的な表現から「程度が高い」という抽象度の高い語へ移行していると見ることができます。

 

 言語学では、言葉は変化するものとしてとらえ、その法則は類型化されています。そのうちの1つに主観化と呼ばれる言語変化があります。使う人によってとらえ方は一様ではないのですが、ここでは、主観化とは客観的な事実を表すことばが主観的な想いを表すように意味が変化することとしておきます。

 この主観化という考え方でmany、muchをとらえると、現在の用法とこれから向かう変化がある程度予想できるのです。主観化について、変化した例を見ておきます。

 

 例えば、wantという語は、もともとは「ものが無い(不足している)」という客観的な事実を表していました。いまでもwantingは「欠け」というような意味で使います。I want money.は「わたしにはお金がない」という意味だったということです。それを聞いた人は「この人はお金が欲しいのだな」と解釈することができます。

 I want money.はやがて「わたしはお金が欲しい」という意味で使われるようになります。この時点で、客観的な事実から「ほしい」という主観的な想いへと意味が変化しています。この意味が一般化されると、[want to 不定詞の型]で使われ「~したい」という想いを表すように、用法が広がっていきます。

 さらにDo you want~?は話し手が聞き手の想いを尋ねる表現ですが、これを聞いた人は「この人は自分がそうしたいのだな」と解釈することができます。現在では実際には話し手の想いを表す表現であるということ社会的に一般化しています。だから、Do you wanna build a snowman?は「雪だるまつくろう」を意味するわけです。

 

 言語は話者間の想像力によって成り立っているので、使われるうちに社会的なコードとしての意味が変化します。客観的な事実を表していたことばが主観的な想いを表すように意味が変化する主観化は言語変化の類型の1つなのです。

 これは日本語でも同じです。「たくさん」ということばは数量が多いという客観的な事実を表します。これを「おかわりどう?」「もうたくさん食べたよ」のように使うと、いらないという想いを表す言葉と解釈できます。さらに「そんな話はもうたくさんだ。」という表現もできます。これは、「量が多い」という客観的な意味から「これ以上欲しくない」という主観的な想いを表す意味に変化したと言えます。

 

 この主観化という言語変化の法則をもとにmanyとmuchについて論理的に分析してみます。

 

 manyについては『実践ロイヤル英文法』にやや踏み込んだ記述があるので紹介します。

 I have many friends living in England. (私にはイギリスに住んでいる友達がたくさんいる)というように、肯定平叙文の目的語をmanyで修飾することもある。ただし、こうした形は、たとえば「イギリスに住んでいる友達、いますか」と尋ねられ、「ええ、たくさんいますよ」と答えるように、何らかの有無や数がすでに話題に上がっているときに使われるのがふつうである。最初から唐突に、言うといささか不自然に感じられる。『実践ロイヤル英文法』

 

 この記述でポイントになるのは「数がすでに話題になっている」というところです。具体ていきな数がわかっているということは、manyは「数が多い」という客観的なことを言うというよりも、示された数を多いと感じているという感覚を表すと言えます。それはso many(そんなにも多い)とかtoo many(多すぎる)という評価を伴う表現と共起しやすい傾向があることの根拠になります

 語感は人によるので、それだけで用法を決めつけるのは早計ですが、口語では肯定文の目的語をmany単体で修飾する型を無条件で使うことに、違和感を覚える人は一定程度いるとはいえるでしょう。文法書や辞書により記述が違うので、社会的なコードになるまでには至っていないけども主観化の兆候はあるのでしょう。

 manyはLECDでも数量詞に使用が限られていたように、依然として客観的事実として「数が多い」という意味で使われます。またNgramのグラフでも見られたように新興表現のa lot ofなどと拮抗しています。

 

 muchについては、だいぶ事情が違います。muchにはtimeやmoneyといった具体的な数字と単位で表せる量とpatienceやinterestといった具体的な量では表せない程度という面があります。例えば副詞として使うmuch betterでは「ずっと良い」というように、muchには「量が多い」という数量を表すよりも「程度が高い」という主観的な判断になります。

 muchはそのコアがもともと抽象的なので、主観化しやすいと考えられます。実際に、数量詞としての使用頻度よりも、程度が高いことを表す副詞としての頻度の方が高いのです。そうすると具体的な量を表す場合は、新興のa lot ofの方が適すると感じられるのは自然でしょう。

 

 肯定文の目的語として単体使うとき、量が多いことを表す用法では、muchからa lot ofなどへシフトしているのは、muchの主観化が進んだ結果だと考えられます。つまり、今後さらにmuchの主観化がすすみ意味が抽象化し、「量が多い」という意味が薄れ「程度が高い」という意味が強くなっていくと予想できます。

 

 新興表現の広がりは、一般にinformalな口語として若年層を中心に広がっていくという傾向があります。このことは以前の記事で、状態動詞の進行形の広がりを取り上げたときに詳しく述べています。

 言語変化の動向を見るうえで、絵本やアニメで使われる表現は良い指標になります。例えば、米国の主なスタイルブックが使用を認める以前から、アニメなのではtheyの単数使用は、ふつうでした。

 

 絵本『Peppa Pig』から、many、much、a lot of、などがworkとfunを修飾する表現を拾い出してみました。

 

9)I've got lots of work to do.

 

10)Mummy pig has a lot of important work to do today.

 

11)I've got too much work to do”

 

12)Peppa and Suzy are having lots of fun.

 

13)Now George is having too much fun to be scared.

 

14)It is lots of fun.

 

15)“That's not much fun.”

 

16)It's so much fun.

 

 muchを使う場合はtoo much、so much、not muchの型で使われていることが確認できます。全50話の中にはmuch単体で修飾している用例は1例もありませんでした。

 Peppa Pigは日常を描く作品なので、一般的な口語の実態に近いと考えていいでしょう。堅いとされるmuch work、much funなど単体のmuchが目的語(あるいは補語)を修飾するような用法がないのはそのせいかもしれません。日常の口語では単体で「量が多い」ことや「程度が高い」ことを表すときはa lot ofやlots ofを使うことがふつうになっていくのではないかと思います。

 

 この傾向はmuchほどではないにしても、manyの使用にも見られます。口語ではtoo many、so manyのように副詞をともなった使い方の方が普通になってきていると感じます。

 生きた英語に接していくときに、変化の傾向を意識していれば語感がつかめると思います。試しに昔からある物語の数十年前のものと最近のものを比べて読むと、言語の変化を実感できます。たとえば、ネット上で公開されている昔の『オズの魔法使い』(archive orgで検索)とLittle Fox版(Youtube)を比べてみると、使い方が変わっていることが分かります。

 

 言葉使いは、文語と口語で異なります。また、メディアにより文体や表現は違います。さらに地域や階層や世代などでも語感は一様ではありません。特にmany、much、a lot of、lots ofなどの語句は言語変化の過程にあります。規範的な文法書にあるような一元的な規則に従って使い分けをすることは現実的ではありません。変化の途中を切り取って「使い分け」の基準を決めようとすることに無理があるものです。

 文法説明は、一見明快な使い分けがいいように感じるかもしれません。しかし、多くの場合、それは言語が変化し、語感は人によって多様であるという言語の本質から外れており、陳腐化する(している)ことは多々あります。生きて変化する表現に、ただ1つの正しい答えを求めても意味はありません。正しい1つの答えを求める文法問題ばかりを解く癖をつけると、言語の本質が分からなくなるリスクがあることは知っておいた方が良いでしょう。

 

 生きて変化する表現の文法説明は、一見明快にみえる単純化した基準による使い分けではなく、変化のメカニズムを明らかにして、今現在の状況と今後を予測できるものの方がいいともいます。個々の表現は変化しても「主観化」という変化の法則は汎用性があり多くの言語現象を説明できます。

 現代はユビキタス社会と言われる、多量の情報が流通しどこにいても利用できる環境にあります。変化する表現をとらえるには、多くの生きた用例にあたり、語感を磨いていくのがいいと思います。その際、変化の法則を知っていることが道しるべになることがあります。これからの英文法は、言葉の多様性を前提として柔軟に対応できるものがいいでしょう。