いわゆる日本式の仮定法過去、仮定法過去完了は、英米ではconditional(条件文)として、Indicative Mood(直説法)としてまとめて扱います。英米のSubjunctive Mood(接続法)と和式仮定法では、そもそも定義が異なります。PEUでは次のように記しています。

「subjunctive: that she go, that they be, if were, etc」(PEU2016)

このPEUのsubjunctiveとIndicativeを対比します。  

 Indicative: that she goes, that they are, if I was, etc

 

 英米式のSunjunctive/Indicativeとは、sheに対するgo/goes、theyに対するbe/are、Iに対するwere/wasというように、主語に呼応する動詞の形態上の違いを指します。つまり下のようになります。

 If I were a bird,…(sujunctive mood)

 If I was a bird,… (indicative mood)

 和式英文法では法の定義が曖昧で、意味上の違いで区別しようとするため「直説法は事実を述べ、仮定法は非現実を述べる」のように理解している人がいます。これは英米のmoodと和式の「法」のとらえ方の根本的な違いを反映しています。

 

 英語使用国の学校で使われていた19世紀の教科書の記述を抜粋し引用します。

 

「…verbs sometimes show by a difference of form, called mood, the mode in which the speaker views what the verb expresses…

The assertion may be a simple statement of what indicative the speaker treats as fact, whether it actually is a fact or not:thus in

John went; They can go ; He says that I was there ;
I must be there ; John should go ; It may rain to-morrow ;

 

 …although these may not really be facts. And in

The Americans own Canada; The sun moves round the earth;

 the speaker treats as facts the Americans’ owning Canada, and the sun’s moving round the earth, although, as everyone knows, neither is a fact.
 In the above sentences, went, can, says, was, must, should, own, and moves are said to be in the
indicative mood; that is, the mood of simple assertion.」

           Seath『The high school English gramma』1899
 

 Moodとは話者が述べることに対する認識を示すもので、factとして扱う表現をindicative moodとしています。ここで重要な点は、“whether it actually is a fact or not”「実際に事実であるかどうかは関係ない」というところです
 そのことを明確に示すために、“The Americans own Canada; The sun moves round the earth” (アメリカ人がカナダを所有している;太陽が地球の周りを回っている)という非現実的なことを述べた用例をIncative moodとして挙げています。

 

 Indicative mood(直説法)は実際には真実かどうかに関係なく使うのです。意味上の区別はIndicativeとsubjunctiveの違いにはなり得ません。それは実際に使う英語でも真実ではないことを現在形を使うか過去形を使うかは、話者の選択によります。アニメの用例を引用します。

 

1)a. Mammy,  if I was the queen , I would eat as much as cake I wanted. 

   (Peppa imagines being a queen.)

    b. Daddy, am queen Peppa . You must bow when you speak to me.

                 ――Peppa Pig Makes Chocolate Cake Special

 

 Peppaはかわいい子豚です。実際には女王様ではありません。Mammyには、現実ではないことは客観的に分っていることを示すwasと使い、Daddyにはあたかも現実であるかのように演じてamを使っています。非現実のことを述べるのに、wasにするか、amにするかは話者の判断で使い分けていることが分かります。

 19世紀の学校教科書の記述にあったように非現実的なことにもIndicative Moodを使います。英米式の英文法では「非現実的なことは仮定法を使う」という文法規則など存在しません。Moodは文字通り想いを示すもので、真実かどうかは関係ないのです。

 

 Indicativeのamを使うのは、「現実であるかのように感じているという認識」を伝えるためです。本当に現実だと思っているわけではなくても、自分がなりきって演じたり、作中人物に演じさせたりする表現として使います。

 Subjunctiveのwasを使うのは、「現実とは離れていると感じているという認識」を伝えるためです。話し手がIf I was a bird,…と表現すれば、聞き手は「この人は客観的な判断ができている」と判るので安心して聞いていられます。もしも話し手が真顔でIf I am a bird,…と言ったら、聞き手は「大丈夫?」と疑うかもしれません。非現実的なことを言うときに、過去形を選択することが多いのは、客観的にあり得ないと判断で来ていることを示すためです。

 現在形は、客観的には現実か非現実かに関わらず、現実であるかのように表現したいときに使います。過去形は、過去の事実か非現実のどちらでも、距離を置いて遠いと感じるように表現したいときに使います。現在形と過去形の選択は、述べる事柄との距離の置き方によって使い分けます。

 非現実かどうかはという意味の上の違いは動詞形の使わけの基準ではありません。言葉を話し手が感じることを自由に表現するものです。あることがらが現実か非現実かを判断して表現するのは話し手の自由な選択であって、文法規則で機械的に決まるものではありません。だから英米のsubjunctiveの定義は意味上の違いではなく、動詞の形態の違いという明確な基準を採用しているのです。

 

「言語の中にはsubjunctiveと呼ばれる特別な形を持つものがある。それは従属節に使われる、現実に反することについて述べる可能性や願いや想像である。昔の英語には、仮定法があったが、現代英語では、そのほとんどが、代わりにshould、wouldや他の法助動詞を使ったり、過去時制の特別な形態を使ったり、普通の動詞形を使うようになった。結果としてわずかな仮定法が残ったが、それは3人称単数の主語に対応する動詞の現在形に-(e)sを付けない形態(例she see、he have)や特別な形態(I be、he were)である。I/he/she/it wereの形以外は、あまり一般的ではない。」

               Swan『Practical English Usage』2016

 

 subjunctiveという特別な形の述語動詞があり、現実に反することを述べていたのは昔の英語で、現代英語では消滅過程にあると考えられているのです。

 PEUにはいくつか例文があげてあります。そのうち、be動詞を使ったものを2つ紹介します。

例文1)The Director asked that he be allowed to advertise for more staff.

例文2)If I were you, I should stop smoking.

                            『PEU』

 これらは、現代的な用法としてIndicativeに直すことができます。

例文1)be→should be

例文2)were→was

 和式英文法ではshould beやwasに直しても「仮定法」と呼んでいますが、英米式英文法ではsubjunctiveではなくIndicativeと呼ぶのです。

 

 このmoodに対する見方は、英米では一般的です。1960年出版の辞書から仮定法に関する記述を翻訳して紹介します。

 

「現代英語では、仮定法subjunctive moodは消滅しつつある。未だ残っているのは、疑わしい、あり得そうもない、あるいは現実に反することを表すいくつかの形だけだ。」

『Webster S New World Dictionary Of The American Language』1960

 

これに仮定法の例文が付してありますが、be動詞の文を紹介します。

例文3)If his health be really bad, he ought to quit work.

例文4)If he were here, I would know what to say to him.

 

これらは、現代的な用法として、それぞれ次のように表すことができます。

例文3改)If his health should be really bad, he ought to quit work.

例文4改)If he was here, I would know what to say to him.

 

 和式英文法では、非現実かどうかという意味に着目して、用例(3改)を「仮定法未来」と呼び、(4改)を「仮定法過去」と呼びます。英米式では動詞の形態に着目してどちらもIndicative Moodと呼び、if条件文はconditionalと言います。

 

 これらの例文と置き換えた形態から、if 節中で可能な4通り書き出します。

 If he was

 If he were

 If he be

 If he should be

 

 ここに示したこれらの形態は、昔の仮定法の名残と現代用法が混在しています。学校文法は、新旧の用法が混在したことに言及せず、仮定法過去、仮定法現在、仮定法未来として名付けて無理に体系化するので、「仮定法」の説明がちぐはぐになっているのです。

 英米式英文法では、昔のsubjunctive moodは歴史帝に消滅過程にあるととらえて、現代用法と明確に区別します。ここに示した4形態は、屈折の消失と機能語の発達という現代英語の成立の歴史を表しているのです。そして、この変化の中に現代英語の体系を探るための、重要な鍵があるのです。

 

 では、英語の歴史から仮定法の謎解きをしてみましょう。

 英語は大雑把に次のように推移します。

古英語期 動詞の屈折が豊富で形態により法の違いが明確に区別できた

中英語期 動詞の屈折が次第に失われ形態による法の区別が困難になった

現代英語 屈折を失い、代わりに発達した法助動詞が法の違いを示すようになった

 

 この屈折が消滅していく時期は、未だ標準化されていないので、実際には地域やコミュニティーにより多様な変化がありました。当時の資料は乏しいので、細かい変遷では裏付けることは困難なので現代語に置き換えて大雑把に見ていきます。

 be動詞を中心とした形態の変化をこの歴史的の推移に当てはめてみましょう。

 

①   動詞の屈折形態による法の区別

 he was 直説法過去)

 he were (仮定法過去)

 

②   動詞形の屈折の消失により法の区別が曖昧

 he was 直説法?過去)

 he be (仮定法過去の屈折の消失  were→be)

 

③   直説法と仮定法の融合、法助動詞の発達

 he was (直説法と仮定法が収斂して新たな過去形)

 he should be (機能語shouldが発達 be→should be)

 

 ①のように、昔の英語は、動詞の屈折で直説法と仮定法を区別して表していました。その時期には、過去の事実を表すときには直説法過去(was)を使い、現実から遠く離れていると感じていることを表すときには仮定法過去(were)を用いていました。

 昔の直説法過去は、時間としての過去だけを表し文字通り「過去形」だったのです。名称と表す内容は基本的に一致します。直説法の屈折形が時間を表すのはラテン語と同じしくみです。だから、屈折が豊富だった古英語期(the period od full endings)はtense=timeという伝統文法の見方が成り立っていたのです。

 

 その後、動詞自体が屈折を失い今でいう無標の原形になっていきます。その大きな流れの中で②のように仮定法過去の屈折が失われます。

 無標になった原形beは、現代用法で言うと命令や祈願などの「想い」を表す用法です。一般動詞の「現在形」と呼ばれる形態は、標準語では語尾に-sを付けることがありますが、本質的には無標の原形なのです。現代の直説法Indicative MoodのPresent Tenseは法の区別があった当時の直説法現在形のように事実だけを示すのではないのです。法の区別があいまいになった無標の原形動詞は現実でも非現実でも述べることができるのはそのためだと言えいます。

 

 さらに時代を下ると、失われた動詞の屈折に代わり、③のように助動詞が発達していきます。今ある法助動詞の多くは元々仮定法過去形にあたることがそのことを象徴しています。例えばmustに過去形が無いのはもともと過去形だったからです。canやmayも元々は過去形で、法助動詞になる過程でcouldやmightという新たな過去形ができます。法助動詞が示す時間に縛られず、過去形が過去を示すことがほとんどないのは、昔の過去形から発達したからだと考えらます。

 失われた原形動詞の文法性を示す手段として発達した標識が法助動詞ということになります。無標のbeに、機能語shouldが文法性を与えた型がshould beで、これは[助動詞+原形動詞]という現代英語の一般的な型になります。

 

 かつての過去形は、仮定法過去were(実際の古形都とは異なります)が「非現実」を表し、直説法過去wasが「過去の現実」を示していたと考えられます。ところがこの区別が廃れた結果、現代の過去形wasはかつての仮定法と直説法が融合して新たに生まれたものと見ますことができます。

 実際に、現代英語の過去形はwasという1つの形態で、時間的な過去の事実と現実とは程遠いという「想い」の両方の用法を持っています。多くの専門家が現代英語の過去形の本質は時間(time)の違いではなく距離感(distanceあるいはremote)である言います。つまり、現代の直説法過去は「遠いという距離感」という1つのイメージに収斂した新たな形態とることができます。

 

 これまでの考察から、現代英語のSV構造としてのVP(Verb phrase)述語動詞句の体系のグラウンドデザインを描いてみます。

 以下の5種類の形態をどう見るかをもとにします。

 

 [S+infinitive]   he be

 [S+present]   he is 

 [S+past]     he was

 [S+past´]     he were

 [S+auxiliary+be] he should be

 

 これまでの和式英文法の見方は、基本的に次のようになります。

[S+infinitive] he be  仮定法現在

[S+present]  he is      直説法現在

[S+past]         he was  「現実」なら直説法過去  「非現実」なら仮定法過去

[S+past´]     he were   仮定法過去

[S+auxiliary+be]he should be  仮定法未来   

 

 このうち、[S+infinitive]he beと、[S+past´]he wereは、通常の直説法とは形態が異なるので、英米式では、subjunctiveと呼びます。この形態は死滅しかかっている(is dying out)とされます。これらを仮定法と呼ぶのは、和式も同じなので、今後も「仮定法」と呼んで区別することに問題は無いでしょう。

 残るのは、下の3つの形態です。

 

[S+present] he is     直説法現在

[S+past] he wasは   「現実」なら直説法過去  「非現実」なら仮定法過去

[S+auxiliary+be]he should beは、仮定法未来

 

 「仮定法未来」は過去、現在、未来にあてはめただけの語呂合わせのようなものです。新旧表現が混在したものを時間timeを基準にしても実際の体系にはなりません。[S+present]も[S+past]もどちらも未来のことを述べるときに使うのですから。

  仮定法に限らず法助動詞というのは、かつての仮定法の後継として「想い」を表す表現です。だから、基本的には具体的な事実を表しません。法助動詞は意向や予測など頭の中にある「想い」を示す用法のほぼ全部のコアです。ヘンリー・スイートがthought-moodと名づけたは、その実態によく合います。これを細江逸記は「叙想法」と訳しました。想いを述べる法というのは、いい訳だと思います。he should beの型を仮定法と呼んで区別する意味はなく、法助動詞一般の叙想法に1つとしても問題はないでしょう。

 

 残るのは[S+present]と[S+past]です。スイートはこれをfact-moodと名づけ、細江は、事実を述べることから「叙実法」と訳しました。fact-mood「叙実法」、thought-mood「叙想法」と対置するのは、語呂はいいけれども、結局定着しませんでした。fact-moodと呼んだ本人のスイートですら、past formは実際には事実だけではなく、思いも表すので、適当ではないという趣旨のことを書いています。直説法と仮定法が実態と合っていないから変えようというのに、その代替案も実態に合っていないのだから意味がありません。

 

 体系には対称と非対称があります。対称な体系は、基本的にAとBという2つの対立になります。A∩Bのように重なる部分があったとしても、どちらか一方は特殊と言うことはありません。これに対して、非対称な体系は、AとBが対等な関係ではありません。非対称な体系とは、AとA以外というような関係です。これは、Aの要素が限られていて、A以外の方は、広い範囲を持つというような場合です。

 

 if条件文の現在時制と過去時制の対立は、非対称な体系です。つまり厳密には非現実的かどうという対称な体系ではありません。

 

「a. If it is sunny, we will have a picnic.

   b. If it was sunny, we would have a picnic.

 (a)では、天気がよければピクニックをする、という単なる条件文で、この場合、天気がよいという状態が現実であるか(実現するか)どうかに関する話者の判断は中立なので、「解放条件(open condition)」という。それに対して(b)では、実際には天気が悪いのであって、もしよければいけるのだが、という気持ちで、天気がよいという状態が現実に反するという話者の明確な判断が示されている。このような条件文を「仮想条件(hypothetical sondition)」という。」

  中尾 俊夫 他『歴史に探る現代の英文法』大修館書店1990

 

 このように、現在形は現実か非現実かに関わらず広く用いることができます。それに対して過去形は、現実から離れているという客観的な認識があるときに使用が限られます。一般動詞で言えば-edという標識によって制限された有標の過去形と、無標で制限が無い現在形のちがいととらえることができます。

 

 条件法に限らずVP(述語動詞句)の体系として[S+present]/[S+past]と対置する[S+auxiliary+be]の関係をみていきましょう。[S+auxiliary+be]の方は「想い」を表すことに限定されていると見なせます。有標・無標という観点で言うと機能語auxiliaryが標識markerとなって、内容語のbeの用法に制限を加え、「想い」を表すことに限定していると言えます。

 逆に、歴史的に屈折を減少して残った形である[S+present]/[S+past]はかつての直説法と仮定法の役割を兼ねて多機能になっているのです。だから、対称な体系を年問に置いたfact-mood「叙実法」では、収まらないのです。実情は、非叙想法です。ただ、これはあまりにも味気ないので、「汎用法」というのも1つのアイデアとしてあります。

 

 past formを時間timeに基づいて「過去形」としたのは適訳ではなかったかもしれません。現代英語のpast formは直説法過去wasと直説法wereが融合したものなのでtense≠timeです。現代英語の[S+past]は個々の事実も非現実も、ネイティブは遠いという1つの感覚でとらえます。距離感が離れていることを表すのだから、遠いという感覚を表す「遠在形」と訳すといいのではないかと思います。

 時制はpresentとpastが距離感をもとにした遠近の二極で、現在形と遠在形と対置することができます。

 

 最後にEnglish based grammar構築に向けた体系の種としてまとめておきます。

[S+infinitive]  he be      仮定法

[S+past´]     he were    仮定法

[S+present]    he is      汎用法現在形 (現に在る

[S+past]     he was     汎用法遠在形 (遠くに在る)

[S+auxiliary+be]he should be 叙想法 (現在形遠在形)

 

  学習文法は、地図のようなものでいいのではないかと思います。例外ばかりで役に立たないと思われる文法は、現地に行ったときに全く違っていて困るというのと同じです。今回、試みに示したモデルは1つの見方です。

 言語の習得では現地で、現物をみて、現実を知ることが大切です。そうして新たな知見をもとにして、必要なら地図を上書きしていけばいいでしょう。