時制はラテン語文法の動詞の屈折に基づくものです。英語に当てはめたとき、時制の数がいくつになるか、定説はありません。次の論文の記述から現状が分かります。

 

近年の英語学プロパーの研究では基本的に2時制を認める立場が大勢を占めている(Palmer1965; Leech1971; Quirk et al.1985; Berk1999; Greenbaum and Nelson2002; Huddleston&Pullum2002; Hewings2005). 一方、言語類型論や通言語的な視点を持つ研究では、多言語に見られる3時制の考えを英語にも適用し、現在時制と過去時制に加えて、willによって標示される未来時制が想定されている(Commrie1985; Dixon1991; Saeed1997; Declerk2006; Griffiths2006)

             宗宮喜代子『英語のアスペクトについて』2010

 

 このように、英語の時制論は、3時制(過去、現在、未来)か、2時制(過去、現在)に大きく2分しています。2時制派でも、willなどを「未来を表す表現」とする人と、willはmayなどと同じ法助動詞で時間を表さないとする人がいます。それは次のように類型化できます。

 

A)過去時制、現在時制、未来時制

B)過去時制、現在時制、未来を表す表現

C)過去時制、現在時制

 

 宗宮論文の中でいうと、Quirk et al.1985はB、Huddleston&Pullum2002はCになります。

 Huddleston&Pullum2002は、Bのように2時制と言いながら、「未来を表す表現」を想定した見方を伝統的文法と呼びます。Bの立場は、過去、現在、未来という時間の直線上に時制を並べるため、Aと大差ないという主張します。willの位置づけについて、次のように記述しています。

 

「われわれは文法範疇の時制(tense)と意味範疇の時間(time)を厳密に区別する。 It started yesterday, You said it started tomorrow, and I wish it started tomorrow,という文を例にすると、3つの文では、いずれも、startedは過去時制の動詞形だが、過去という時間に始めたことを述べているのは、最初の文だけだ。この事実が明確に示しているように、英語には、未来時制はないということは簡単にわかる。will と shall は、must, may, can, と同じ法助動詞に属し、時制を示す助動詞には属さない。」(しんじ訳)

  Huddleston&Pullum『The Cambridge Grammar Of The English   Language』2002

      

 特に重要なのは、willはmayなどと同じ法助動詞に属し、特定の時間を表さないという点です。それを具体的に説明するのに、will have doneは過去の推量にも使うのに、未来完了と呼ぶという矛盾を指摘し、Cの立場を明確にしています。その前書きには、われわれが本書において伝統的文法から離れた見方をする最も顕著なことの1つは、英語に未来時制を認めないということである。(Huddleston&Pullum2002)とあります。

 

 いずれにしても、英語の時制をどう見るかは、「未来を表す表現」をどう位置付けるかに集約します。「未来を表す」というのは抽象的なので、具体的に考えます。「英語で明日のことを言うのに、ある程度決まった言い方があるのか」を見ていきます。

 たまたま、archive orgで他のことを調べているときに、たまたま見かけた辞書に分かりやすい例が見つけたので紹介します。

 

 

 『Webster S New World Dictionary Of The American Language』1960

 

 辞書の前書きの中で、moodの説明として、「明日、インディアナポリスに行く」ということ述べる表現を列挙しています。この中で、現行の学習指導要領が「未来を表す表現」として挙げているのは、2番目から4番目のI will go、I am going、I am going to goの3つです。

 それ以下は法助動詞が中心です。未来のことは現実とは言い切れないので「想い」を表す言葉と親和性が高いのです。その中の1つのwillがあるというのは自然な見方だと思います。

 

 様々な未来の表現を見ていく前に、学習指導要領の時制を確認しておきます。

「動詞の時制及び相などは、以下のようなもの(これらの否定文や疑問文の場合を含む)を指導する。なお、「時制」とは現在時制と過去時制を指し、未来の表現は助動詞などを用いて表す。

<助動詞などを用いた未来表現>

  It will be fine tomorrow.

  I will take that yellow shirt.

  We are going to play basketball after school.

  Beth is coming to the party tomorrow.」(51頁)

   文部科学省『中学校学習指導要領(平成29年告示)解説 外国語編』2019

 

 ここから外れたその他は「未来表現」ではないということになるのでしょうか?

この見方は、高校でも変わりません。和製の受験参考書の多くは「現在時制」「過去時制」「未来を表す表現」という言い方をしています。

 「未来表現」から外された表現は、特殊な例ではありません。映画やアニメなどでもふつうに使われます。分かり易いように、tomorrowを含んだ文を挙げてみます。

 

用例1)Do you want to meet up tomorrow, too?    『Goblin Ep.15』

         「明日また会える?」 

 

用例2)I want to play with you and Clementine again tomorrow.

                                                                    『Caillou's Attitude 』

   「ぼく、明日もまた、君とクレメンタインと一緒にあそびたいな。

 

用例3)You've got a busy day tomorrow. 

          『Peppa Pigs | Taddy's Playgroup (Dolphine Donkey)』

   「明日は忙しい日になるよ。」

 

用例4)You can try again tomorrow.

           『Kongsuni and Friends|Friends From Outerspace』

   「明日、またやってみればいいよ。」

 

用例5)He is feeling a lot better.

    Tomorrow he should be back at school again.

              『The Berenstain Bears | Trouble at School』

   「あの子、ずいぶん具合がよくなってきてる。明日は学校へ行かせても良さ

    そうね。」

 

用例6)It wouldn't be fun tomorrow.         『Goblin Ep.4』

    「明日は楽しくなさそうだ。」

 

 このように、明日のこと述べるときに、学校文法が決めた「未来表現」を使うと決まっているわけではありません。明日のことについていうときに、現実的に決まっているのか、予測なのか、願望なのか、義務なのかなどによって様々に表現するとみる方が分かり易いのではないでしょうか。

 

 Huddleston&Pullum2002でもtomorrowを使った用例を挙げて、動詞形に関係なく未来のことを述べることができることを説明しています。

 

[2]  PRETERITE: FUTURE TIME             PRESENT TENSE: FUTURE TIME                           

ⅰ a. I'd rather you went tomorrow.       b. I bet you go tomorrow. 

ⅱ a. If you went tomorrow,          b. If you go tomorrow, 

   you'd see Ed.             you'llsee Ed.

       Huddleston&Pullum『The Cambridge Grammar Of The English Language』2002

 

 この表[2]では、過去時制(PRETERITE)と現在時制(PRESENT TENSE)を対比して、どちらも未来を述べることを示しています。英語の時制は、現実の時間を表していないこと、willは未来を表す表現ではないことを示しているのです。

 ここで取り上げているⅰaとⅱaの2つの用例は、日本の英文法では仮定法と呼びますが、英米では過去形の1用法とするのが一般的です。過去形は、実際に時間timeを表すわけではなく、「現実から遠い」という感覚を表す遠在形です。ネイティブはそうとらえているので、遠在形を使って明日のことを述べるのは自然なのです。

 

「未来を表す表現」を想定した学校英文法は、日本人の英語に大きな影響を与えています。

 

日本では、「英語の未来形はほとんどwillの独壇場であり、他のパターンはたんに会話で現れる特殊形にすぎない」と誤解している人がとても多いようです。 

                  T.D.ミントン『ここがおかしい日本人の英文法』1999

 

英語の現在進行形でちょっとした近未来の予定を表せるという点は、なかなか学生たちに理解してもらえる事は少なく、少しでも未来であることは、必ず、willかbe going toを使った形でしか表現できずに終わってしまう学生が多い。

               加藤典子『英語の現在進行形と西洋哲学』2003

 

 20世紀末ごろの学校英文法では、will、shallを組み合わせて「未来時制」としていました。shallは古い表現として退潮していたので、「未来形はほとんどwillの独壇場」と教えられたのです。その後be going toが「近接未来」という呼び方で、未来を表す表現に加えられました。だから「willかbe going toを使った形」で未来を表すと教えられたのです。

 学習者は「誤解している」のではなく、未来のことは「未来時制」を使うと教えられ通りにしているのです。「なかなか理解してもらえず」というのは、未来のことは「未来を表す表現」教えられたことをしっかり守っているのです。学習者は、文科省の方針通りに習得していたのです。

 

 「未来を表す表現」は、結果として学習者の表現を制限しているのです。そうならないためには、「明日のことを述べる」という具体的に使うということを想定して、文法事項を横断的に見ることも意味があるのではないかと思います。

 文法を表現を縛るためではなく、表現を豊かにするために使うなら、いろいろな選択肢があることを知っておいた方がいいでしょう。そのうえで、実際に使われている場面にあたり、文脈にあった個々の表現の使い方を習得すればいいと思います。

 

 規範文法で注意しないといけないのは、正しさを求めるために、規則でしばり、表現の幅を狭くする点です。

 例えば、受験参考書ですから、学習指導要領に沿って、現在時制、過去時制、未来を表す表現としています。呼び方は2時制のようですが、実際は直線上に、時間を並べてみています。

 

have toの時制

 現在 have to

 過去 had to

 未来 will have to 」(37頁)

              『実践ロイヤル英文法』

 

 その妥当性は「明日のことを述べる」という具体例で考えれば分かります。

  I have to see a doctor tomorrow. 「明日は病院に行かなくちゃ」

 Websterの辞書に例示されていた表現の1つです。明日のことだからwill have to使わなければいけないという規則などないし、そんなネイティブはいないでしょう。

 

 may have done、may be doing、may have toはいずれも明日のことを述べるときに使います。だからと言って、これらを「未来表現」とは言いません。だから、willを使った表現だけを未来完了形とか未来進行形と呼ぶ根拠は無いのです。実際、will have doneは過去の推量に使うし、will be doingは今のことを述べるときにも使います。つまり、mayの使い方と変わらないのです。だから、Huddleston&Pullum2002は、willはmayなどと同じ法助動詞で、未来を表すわけではないと明言して、willを時制から切り離したのです。

 

 英語の標準化が始まった18世紀には、英文法家Priestlyが、英語は2時制だと明言しています。

少し考えれば、だれにでもわかることだと思うが、英語がラテン語の法と時制からなる全体系を備えていることがあり得ない、ということと同じく、われわれの言語に、「未来時制」などに用はない。なぜなら、それと一致する動詞の変化形はない。そして、仮に他のいくつかの言語に未来時制があることを一度も聞いたことがなかったとしたら、do、have、can、mustなどの助動詞に特別な呼び方を与えないのと同じように、助動詞shallとwillの組み合わせだけに、未来時制という特別な呼び方を与えることなど、考えもしないはずだ。(しんじ訳)

        Joseph Priestley『Rudiments of English Grammar』1768

 

 プリーストリーは、ラテン語文法を当てはめた従来の英文法書の記述法をとらず、実際に身近で会話に使っている表現を観察して用例を集めたことを記述しています。次のように書き残しています。わたしは、自分自身を称賛するしかない。未来のグラマリアンたちは、英文法に、われわれの言語の実相にあった単純な枠組を導入したことを、わたしのおかげだと評価するであろうPriestly1768

 

「未来を表す表現」があると信じるのは個人の自由ですが、そのことで表現の自由を制限しないように気を付けましょう。明日のことを述べるのに、現代英語には決まった表現などないのですから。

 

※英語の時制がどのようにしてつくられたかは、下記の記事をご覧になると分かります。

 「文法の問題で時制ほど難しいものはない」ポール・ロバート | しんじさんの【英文法を科学する】脱ラテン化した本来の英文法はシンプルで美しい! (ameblo.jp)