構文と言われるmay as wellについて、つぎのような見方があります。

「May as wellはmay wellに同等比較の[as…as~]が組み合わされている。そのため、may as wellの本来の形はmay as well A as Bで、「AをするのとBをするのとでは同じ程度の理由がある」という意味である。しかし、実際には[as B]が削除された形で使用されることが多く…。[as B]が削除されたとき、Bに当てはまる語はnotであり、「しないのとするのでは同じ程度の理由がある」という意味である。これがmay as wellの核の意味である。」

                三ツ石直人『mayの研究』2017

 

 この見方をもとに、同等比較の構文と比較して、文法説明をしてみます。

 

【A is not as ~ as B 「AはBほど~ない」】

1) The clinic is not as expensive as the hospital.

 

この用例を、頭から意味のまとまりで区切ると下のようになります。

 The clinic is not as expensive / as the hospital.

「そのクリニックの治療費はそれほど高くないよ/あの病院と比べて」

 

 同等比較の否定文は、前にあるAについて「それほど~ではない」と否定したことを述べて、後ろにあるas Bを比較対象にしています。文全体の和訳の仕方を覚えなくても、頭から意味のまとまりごとに理解できます。ポイントはnotは前半部分を否定していて、as以下は否定の対象ではないということです。

 

 次に同様にmay as wellを使った文の構造について見ていきます。

【may as well A as B「Bをするくらいなら、Aの方がましだ」】

2) You may as well throw your money in the sea as lend it to him.

 

この用例を、意味のまとまりで下のように分解してみます。

You may / as well throw your money in the sea / as lend it to him.

「どちらも同じようなものだが / 金を海に捨てる方がまし / あいつに貸すことと比べれば」

 

 頭から構造を見いていくと、初めのmayは選択肢が2つあることを表し、その2つはas A / as Bとして示されます。この構造の基本は同等比較なので、AでもBでもどちらでも大差ないということが前提になっています。wellは「理がある(with good reason)」を意味し、直後のA[throw……sea]の方にだけかかっています。後ろのBは比較対象を示していてwellがかかりません。

  全体として頭から意味をとっていくと[どちらも大差ないが/Aの方が幾分か理がある/Bと比べると]となります。この構造から意味を考えると、「しいて言えばAの方がまし」という感覚があるということになります。

 

 この型からas Bがなくなったのが、may as well ~です。LDOCEでは、may as wellspoken used to say that you will do something that you do not really want to do.」(実際にやりたいわけではないことだけど、やるよと言う)場合に使うと説明しています。基本的には「どっちでもいいんだけど、しいて言えば…」というような消極的な感覚で使う表現なります。そこから「実際にはやりたくないんだが…」ということを含意すると考えられます。

 

3)I’m so fat I may as well die at this point.

  (こんなに太っちゃって、いっそのこと死んだほうがましよ。)

 

4)With how expensive eggs are getting I may as well start raising

    chickens.

  (こんなに卵の値段が上がっていくのなら、鶏を飼い始めるほうがいいかも。)

 

5)I may as well go to sleep since video games aren’t fun today.

  (もう寝た方がいいかなあ。今日はゲームも楽しくないし。)

 

 用例3は「死んだほうがまし」と言っていますが、もちろん実行しようというわけではありません。

 用例4は「鳥を飼い始める方がいい」と言っていますが、ふうつに考えれば、実際に行うつもりはないでしょう。もし本当にその意思があるならwillなどを使います。

 用例5は、特に他にやりたいこともないということが前提にあります。寝たいわけではないということを表しています。

 このように、基本的には実際にやりたいわけではないことを述べる表現として使われます。

 

 この使い方では、mayを過去形のmightに変えてもあまり意味は変わりません。過去形というのは実質、遠いという感覚を表します。特に、法助動詞が過去時を表すことはほとんどありません。以前の記事でも書いたように遠在形と呼んだ方が実質に近いと思います。

 実現可能性を表すとき、willは確実に起こることを表すので、wouldにすると可能性はぐっと下がります。しかしmayはもともとが「どちらもありうる」という半々くらいの感覚なので、遠在形にしたところで、それほど可能性が下がりません。

 

 Burchfield『Fowler's Modern English Usage』1998には「some speakers perceive little or no difference of meaning between You may be wrong and You might be wrong.」とあります。「ほとんどかわらないか、違いがないという人もいる」という感覚です。

 may as wellを、might as wellにしたところで、もともと積極的な意思ではないことは変わらないのです。用例で確認します。

 

6)I feel no need to forgive but I might as well.

  (受け入れる必要など感じてない、しかたないけどそうするしかないかな。)

 

7)This is not an official graph, but might as well be.

  (これは公式の統計グラフではないけど。とりあえず間に合うでしょう。)

 

8)I mean it's the only reason I'm here, might as well.

  (それが、わたしがここにいる唯一の理由。そんなところかな。)

 

9)You only live once, might as well have fun.

  (人生は一度きりなんだから、どうせなら楽しめば。)

 

 以上みてきたように、may[might ] as wellは、他に選択肢が無いことをコアとして、、「しかたないから」、「とりあえず」、「どうせなら」、「せっかくなら」という積極性のない感じで使うのが基本です。

 

  一面、あまり決めつけない柔らかい表現とも言えます。「この力の抜けた感じからか、口語でよく使われます。「~するのもいいかも」というように、自分の意思、人に対する勧めなどを和らげる表現として使えます。

 ただし、言葉は表面上の意味で、実際の思いとは異なることはよくあります。Gould you …?という表現は、言葉としてはCan you…?よりも柔らかい響きになりますが心の内では強い想いがある場合もあるでしょう。だからmay/might  as wellは、元々が消極的で実際にはやりたくないという表現でも、心の内ではまんざらでもないこともあり得るわけです。その感覚は、多くの生きた用例から学ぶのがいいでしょう。

 

 いまでこそ学参英文法書は実践を唄っているものが多くなりましたが、かつての和訳中心のころの文法記述の仕方が残っています。和訳でとらえるのは便宜上であって、文脈に相応しい使い方を反映しているとは言い切れません。

  同じように「~した方が良い」という和訳を与えられる助動詞相当句にhad betterがあります。Swan『PEU第4版』では、may as wellとhad betterの違いを次のように対比して示しています。

 

 We may as well eat. (= There is nothing more interesting to do.) 

 

 We'd better eat. (= We ought to eat; there is a good reason to eat.)

                 Swan『Practical English Usage』2016

 

 had betterには「~した方が良い」という表面上の和訳には現れない差し迫った感覚があり、やっておかないとあとで困るというような文脈でよく使います。このような語感は生きた用例にあたる方がよくわかります。

 

10) Goodness, I’d better hurry. It’s almost show time. 

                ――Nora Roberts, Private Scandals

(あらあら、急がなくては。もうすぐでショーの時間だ)

 

11) “Let’s get you a drink.”

   “We’d better make it tea. I’m driving.” 

                 ――Nora Roberts, Private Scandals

(「ちょっと飲みましょうよ」「私たちお茶の方にしようよ。私は運転があるんで」

 

12) “We’d better get home,” Lucy said.

  “My mom will be waiting for you at the door,” I warned her. 

 “You’d better have a good excuse ready.” 

                 ――R.L. Stine, Switched(Fear Street)

(「私たちは家路についた方がよさそうね」とルーシーが言った。「母さんがドアの所で君を待っているよ」と私は彼女に警告した。「いい言い訳を用意した方がいいよ」)

 

13) “You’d better get to a doctor right away. And tell me exactly what 

  he says.”

               ――Sidney Sheldon, Nothing Lasts Forever

(「医者の所へただちに行った方がいい。そして一体医者が何を言うのか伝えなさい」)

                     木内 修『had better 考』2014

 

 このように、文脈の中で使われる生きた用例にある程度あたると、その感覚がつかめます。実際に使う場面に接して「こんなふうに使うんだな」という体験から覚えることは実践的で効率がいいはずです。法助動詞類は基本的に「想い」を示す表現です。特に、どういう感情で発する表現なのかを掴むことは必須といえるでしょう。

 

 might as wellは、be going toのような助動詞相当語句と同じように、文法化が進み、意味を広げつつある表現です。昔からある定訳「~のほうがましだ。」だけでは、現代英語の幅広くなった用法はとらえきれないと思います。文法説明によって使い方を制限するのではなく、コアをつかんで、多くの用例に接して自分のものにしていくという考え方の方がいいと思います。