学校で英語を習う初期のころ、「三単現のS」を不思議に思ったり、苦手に感じたりする人は多いように思います。実際、英語話者でも-Sを付けたり付けなかったりして通用する地域やコミュニティはあるのです。

 今回は現代英語の文法的仕組みの根本から、三単現のSの謎を読み解きます。

 

 三単現のSとは主語が三人称単数で現在時制のとき動詞の語尾に-sをつけるというものです。その真相を探る鍵は、主語と動詞の語尾の関係にあると考えられます。

 言語とは多様なものです。行為者を示す仕組みにはいくつかの方法があります。⑴独立した主語で示す、⑵動詞の語尾を変化させる(屈折)(3)機能語によって示す、などです。

 

 日本語では、「私は」「あなたが」のように「は」や「が」という(3)機能語を内容語に膠着させて主語を示すことがあります。しかし、他にも(2)動詞を変化させることで、行為者を示すこともできます。

 例えば、二人で会話しているとします。「先に行くね。」といえば先に行くのは話し手で、「先に行けよ。」といえば先に行くのは聞き手だと分かります。語尾を変化させて「-ね」、「-よ」と使い分けることで行為者がわかります。このように、(1)「私」や「君」のような独立した人称詞を立てなくても行為者を示す方法はあるのです。

 

 ところで、「私は行くね。」とは言いますが「私は行けよ。」とは言いません。「行けよ」という屈折で行為者が示せるのに、別の独立した主語「私は」を置くと、このように衝突してしまう場合が出てきます。

 つまり、行為者を表す2つの仕組み、⑴独立した主語を示す、⑵動詞の語尾を変化させる(屈折)はどちらか一方あれば、もう一方は必要がないのです。仮に2つの行為者を表す仕組みの両方ともスタンダードにしてしまうと、ダブルスタンダードとなり、言語として機能しなくなることになります。

 

 ときどき、日本語は主語を抜くことが多く曖昧だという人がいますが、実際には言語の仕組みによるところが大きいのです。いくつかある行為者を表す仕組みのうち、どれを主な文法コードとしてスタンダードにするかは言語によって異なります。

 

 ラテン語は、(2)動詞の屈折によって行為者を示すことをスタンダードとする言語です。これに対して、現代英語は、(1)独立した主語によって行為者を示すことをスタンダードとする言語です。

 ラテン語と英語の動詞形を、同じ現在時制で比較してみましょう。

 

         単数   複数              単数       複数

1人称  amo  amamus      I  love      We love

2人称  amas     amatis      You love        You love

3人称  amat     aman   He/she/it loves     They love

 

  ラテン語の表中のam-oについて言うと、amaは「愛する」を意味する動詞語幹です。語尾の-oが動作主体が1人称単数であることを示します。他も同様に、-sが2人称単数、-tが3人称単数、-musが1人称複数というように、語尾の屈折によって主語を示します。

 このように、語尾の屈折によって行為者が分かる仕組みの言語では、独立した主語は必要ありません。実際に、ラテン語では、主語として独立した人称代名詞を置かないのがふつうです。

 

 上の表で両言語を比較すると、ラテン語の動詞語尾-oが英語の独立した主語Iと対応していることが分かります。他も同様に、we、you、theyなど独立した人称代名詞によって主語を示します。

 英語は独立した主語で行為者を示すので動詞の屈折によって行為者を示す必要はないのです。

 

 古英語期には豊富だった動詞の屈折は、1500年ごろまでにそのほとんどが失われます。その代わりに機能語として独立した人称代名詞が発達し、主語を示すようになったのです。

 廃れて必要性がなくなった動詞の屈折の名残である-sはなぜ残ったのでしょうか。それは、標準化教育が盛んだった当時の文法教科書をみると分かります。

 

 

 この教科書では、次のように記しています。

「1.動詞形は、主語の人称と数に応じて変化する」

「2.動詞は、主語の人称と数に対応させなければならない」

「3.名詞語尾Sのは複数、一方動詞語尾Sは単数であることに注意せよ」

 

 この記述で注目すべきは「1.動詞形は、主語の人称と数に応じて変化する」というところです。ちょっと考えれば分かりますが、これは英語の実態に合いません。

 主語の種類は、3つの人称とそれぞれの単数・複数で全部で6種類あります。一方で、英語の動詞形は、上の表にあるように、現在時制はlove、lovesの2つです。過去時制はlovedの1つだけです。法助動詞もwill、wouldと時制による変化はあっても主語の人称、数に応じて変化しません。

 

 英文法は、英語本来の文法的特徴に基づいて作られたのではなく、ラテン語を理想として創られました。人称という概念自体、ラテン語文法からの借用です。主語を6つに分類するのは、-o、-s、-t、-mus、-tis、-nというラテン語の動詞の屈折に基づいているのです。現代英語は屈折を失った言語ですから、動詞の屈折もほぼ失われています。

 ところが、標準化のための規範文法では、ラテン語文法の動詞の屈折を英語のスタンダードとして採用します。屈折を失った言語に、屈折言語の概念を当てはめるのですから、不具合が出るのは不思議なことではないのです。

 

 現代英語は、独立した人称代名詞などが主語を示すことをスタンダードとします。ネイティブ感覚では、基本的に動詞の屈折を無視します。それは2つの主語を表す仕組みを両方を等価としてダブルスタンダードになることを回避するために合理的な選択です。実際に、標準化が始まる前には、主語の種類と動詞を一致させてはいませんでした。それは今日の地方語として残っています。

 

 後藤弘樹の論文から、その実態が分かる記述を引用します。 

 

OEDによれば、“is”は1300年頃から単複の現在形の人称に用いられていたことが記されている。また、過去形の“was”においても、全人称に用いられていたことが記されている。

 もう少し詳しくイギリスでの使用地域をEDDで概観すると、まだ文法が確立しなかった頃のイギリスでは地域によっては“are”が単複にも用いられたことが記述されている。地域によっては“We am. They am”なども普通一般に用いられていた。

 後藤弘樹『現代アメリカ口語英語の文法と言語思想史的歴史的背景』2016

 

 同論文で紹介している、文学作品で使われるアメリカの一般庶民の話し言葉の用例を引用します。

 

“Here I is. When is you going to lower that water bucker.”

                                ――Erskine Caldwell, Southways.

 

They's all there.”

                ――William Faulkner, The Unvanquished.

 

“But there's folks making haste all one way, after the front window…”

                                ――George Eliot, Silas Marner.

 

“I'd have you marry my daughter if you was white.”

                            ――Willard Motley, The almost White Boy.

 

They was bones ever' place.”

                                             ――John Steinback, The Crapes of Wrath.

  後藤弘樹『現代アメリカ口語英語の文法と言語思想史的歴史的背景』2016

 

  文字の 色を変えた箇所では、主語と動詞の対応が標準語とは異なっています。主語の人称・数に関係なくis、wasが使われています。独立した主語が行為者を示すので、同じ目的で動詞形を変化させる必要はありません。標準語よりもむしろ合理的です。こういった表現は、標準化される前にふつうに使わていたのです。

 

 動詞形で人称を区別する必要などないことは、be動詞に限るわけではありません。

 

 He don't know you.”

                                    ――Samuel Richardson, Pamela.

 

 It don't make no difference what he said that ain't the thing.”

                   ――Mark Twain, The Adventure of Huckleberry Finn.   

 

 That don't make no difference,”Lonnie said.

                   ――Erskine Caldwell, Kneel to the Rising Sun. 

  後藤弘樹『現代アメリカ口語英語の文法と言語思想史的歴史的背景』2016

 

 He、It、Thatなど、いわゆる三人称単数の主語に対応するdoには-sがありません。三単現のSは無くても困らないことが分かります。

 ここに挙げられた例は地方語です。他にも散文や日記などにも三人称単数の主語に対してdoで受ける例は見られるのです。

 

 言語学者スティーブン・ピンカーは次のように述べています。

He don’tやWe wasのように、人称や数の区別がなくなるのは、一見、指南役の批判が当たっているように思えるかもしれないが、これは標準英語で数百年続いてきた傾向である。…アメリカ人が実際に話してきたのは、英語の一方言で、…残念ながら、この方言は政治や教育の標準語にはならず、アメリカの学校の文法カリキュラムからは、非文法的で粗雑やしゃべり方という烙印を押されてきた。」

                   ピンカー『言語を生み出す本能』1995

 

 言語は本来多様なもので、言葉使いは、地域、社会的な階層、公式非公式で異なります。

 「規範的ルール」から外された表現は、実際には使われている言葉です。He don’tやWe wasは地方語として使われています。他にも、ain’tをbe notやhaven’tの意味で使用したり、doneを過去形として使うこともあります。これらは述語VPのバリエーションで、地方語で使われています。

 述語のバリエーションは日本語でも、「~じゃん」「~やねん」「~だぎゃ」「~じゃけん」など地方語にはふつうにみられます。

 

 また、ピンカーは「文法のルール」について、次のように記しています。

「「ルール」、「文法的」、「非文法的」という言葉の意味が、科学者と一般の人で大きく異なることが、矛盾の原因になっている。皆が学校で習う「ルール」はどう話す〈べきか〉を示す「規範的ルール」である。一方、言語を研究する科学者は、実際にどう話しているかを示す「記述的ルール」を提示する。二つはまったく別物なのだ。」ピンカー1995

 

 三単現Sは「規範的ルール」にあたります。これが「非文法的」というのは標準的な言葉使いではないという意味です。実際に多くの英語のネイティブの間で使われているのです。それは非標準informalであっても、決して「文法的誤り」grammatically incorrectではありません。

 主語の種類に応じて動詞を一致させるというのはラテン語文法を理想としてそう〈すべき〉という「規範的ルール」です。それはformalの場にふさわしい言葉使いということです。

 一方、英語は屈折を失う代わりに独立した人称代名詞などによって主語を表示します。ラテン語のように-o、-s、-t、-mus、-tis、-nといった動詞の人称語尾で主語を示す必要はないのです。英語のネイティブが語尾の屈折を無視するのは現代英語の文法的仕組みに基づいています。

 

 主語は人称代名詞などの独立した主語によって表示し、動詞語尾で表示しなくても言葉として伝わるというのは「記述的ルール」としては正当です。だから現在でも英語話者の多くは三単現のSを落とします。

 

シンガポールでは、多くの国民がSinglishと呼ばれる独自の発音や文法体系をもつ英語を話します。SinglishはSingaporean Englishに由来する造語です。Singlishの文法例として、三単現のsの脱落が起こること、中国語に由来するlahやmehを語尾につけ、付加疑問文の役割を果たすことが挙げられます。……

 イギリスは、階級社会であると言われています。ある言語学者が階級と言語使用の相関関係を調査したところ、階級によって使用することばに違いがあることが明らかになりました。階級が上がるほど、一般的に正しいと見做される英語を話す人の割合が高まるのに対し、階級が下がるほど一般的に間違いと言われている英語を話す人の割合が高まると言われています。

 たとえば、階級が下がると、Singlishと同様に三単現のsが脱落する割合が高まることがわかりました。この傾向は、階級差だけではなく、人種や民族の差にも表れることがあります。先述のアフリカ系アメリカ人が話す英語(African-American Vernacular English)でもsの脱落が見られると言われています。

    水澤 祐美子『ことばの多様性を考える:社会言語学の視点から』2018

 

 三単現のSは、廃れていく屈折の名残で、ネイティブ感覚に反します。英語話者でも教育により身に着けさせるのです。英国での階級による違いがそのことを示しています。

 ネイティブであっても自然に身に着けるわけではないのです。このことはアメリカでも同じです。論文を紹介します。

 

  Sixty-two MAE-speaking children aged 3–6 years were presented with a comprehension task where they had to focus on the verb as a clue to number agreement. Overall, results showed that only the 5- and 6-year olds were sensitive to third person singular /s/ as an index of subject number in comprehension, despite their earlier command in production.

 Valerie E. Johnson他『Agreement without understanding? The case of   third person singular /s/』2005

 

 「3歳から6歳の62人のMAE(主流のアメリカ英語)を話す子供たちを調査したところ、5歳と6歳の子供たちは三人称単数形「/s/」を主語の数の指標として感知しているが、それより下の子供たちは理解できていないことが分かった。」との結果を示しています。教育を受ける年齢に達していない子供たちは、ネイティブであっても三単現のSを身に付けてはいないということです。

 

「規範的ルールはひいき目にみても付随的な飾りにすぎない。教え込む必要があるという事実そのものが、言語体系の自然な仕組みとは異質な存在であることを示している。」ピンカー1995

 

 英語の標準化がある程度行き渡った現在では、地方語を誤りとするようなことはほとんどありません。動詞形変化にはain'tを使用したり、過去の意味でdoneを使用したりすることが知られています。標準語も数あるバリエーションの1つと考えられ、標準変種という言い方もされます。

 動詞語尾-Sが残っている理由について面白い見方があるので紹介します。

 

新しい語尾-Sは、他の語尾が廃れてしまった後期近代英語に唯一の現在形人称語尾となるが、なぜそれが現在まで残っているのかに関して、Gelderen(2006: 219)は規範文法が消失を阻止したためと述べている。出版や学校教育の現場で、厳しく3人称単数現在形語尾を付けるよう強いているため、英語本来の発達傾向として持っている分析性を押しとどめているとする。

 Curzan(2014: 4)も同様の考えを述べている。Curzanは、規範主義を遂行する現代におけるあらたな手段として、マイクロソフト社のワープロソフトであるWordのCrammar Checkerが無意識に利用者に規範にしたがうようしむけているとする。

              田辺春美『英語史は役に立つか?』

 

 そうは言っても標準英語とされているので、公的な場では-Sを使うことが推奨されます。

 ただし、その覚え方として「人称」というラテン語動詞に基づく分類に固執する必要はありません。最も変化形が多いbe動詞の現在形でも、am、is、areの3つだけです。標準語ではamは I だけの専用ですから、残り5つの主語の種類に対応するのは不可能であることは明らかです。

 is、areは、実際には人称に対応しているのではなく、ただ単に単数扱いするか複数扱いするかに対応しているのです。

 

 youはもともとは複数の目的格でした。対応する動詞がareなのは人称とは関係なく、複数扱いするからです。

 そのことは19世紀ごろまでの文法書にははっきり書いてあります。

 

youという言葉が複数であることは疑う余地がない。……現在時制では、いつも、複数としてyou areと表現し、単数として、you artあるいはyou isと表現しない。(プリーストリー1768-194) 

 

代用によって、複数の代名詞を、単数として使っていることは、明白であると言っていい。というのは、もし、この意味の置き換えによって、youを文字通りに単数とするなら、同じくらいしばしばIの代用をするweもまた、同じ理由で、単数だということになる。(ブラウン1851-528)

 

 ブラウンの記述にあるIの代用をするweは、著者が一人の時でも、自分のことを指す場合などです。意味としては単数を指しますが、対応する動詞は複数扱いしてareのままです。また、近年ジェンダーの問題でtheyは、he、sheに代わってしばしば単数を指します。実際には単数を指すtheyは数百年前から普通に使われています。

 theyが単数を指す場合でも、対応する動詞は複数扱いしてareのままです。今日youに対応する動詞がareなのはもともと複数だったからです。

 

 つまり、実際には、主語 I だけが特殊で、その他の語は単数扱いする主語にはis、複数扱いする主語にはareが対応しています。だから、主語の種類は3分類して、下のように動詞を対応させることができます。

 

主語     I               am    was       do

単数  he/she/it       is     was       does

複数  we/you/they  are    were     do

 

 I だけが特殊なことが気になる人もいるかもしれません。それにも理由があります。

I / my me mineと人称変化すると言いますが、実際にはIとその他のm-系の語は別語源です。現在の口語でもmeを主格として使うことがります。もともとm-系の語が主格として使われていて、 I は後から発達して主格に収まったのです。

 amの語尾-mは、m-系の人称変化(my、me、mine)と符合します。19世紀の文法書にはそのことが書いてあります。

 人称代名詞は、もともと別の語だったものを、ラテン語の人称という概念のパラダイムに合わせて、寄せ集めたものです。このように寄せ集めたものを、言語学では補充法と言います。言ってみれば人為的なものなので、固執する必要はないでしょう。

 

 フランス、イタリア、スペインなどの西欧諸国は、英文法がラテン語ベースで書かれているということを知っています。仏伊西語は、ローマ帝国で使用されたラテン語から派生した言語です。公教育で、自国語の古典としてラテン語を学ぶので、6種類の主語には馴染みがあります。6種類の主語と英語を対比することで、その違いが分かるから、意味があるのです。

 大半の日本人学習者は、ラテン語なんて見たことも聞いたこともないでしょう。主語を6種類に分類するのはラテン語の動詞形変化が6つだからという理由を知らない人が大半だと思います。英語は屈折を失った言語なので一般動詞の過去形、法助動詞はそもそも主語人称・数には対応しません。一般動詞の現在時制の動詞に-Sが付くのは、標準化するときにたまたまロンドン近郊で使われていた変種を取り込んだからです。

 

 現代英語の文法的仕組みは独立した主語をたてるので、動詞の屈折で数を表示する必要はありません。独立した主語と動詞の両方で主語の数を表示するのは、2回否定する多重否定と同じことで、不合理な現象とも言えます。英語の初学者が三単現Sに学習者が違和感をもつのは、無理もありません。情報を伝えるためには不要なのですから。

「(自称指南役が言う)「無知からくる間違い」の大半は、すっきり論理が通っているだけなく、英語文法の構造を鋭く反映している。鈍いのはむしろ、自称指南役のほうなのだ。」ピンカー1995

 ピンカーが言うように、機械的にSをつけるような人は言語感覚が鈍く、むしろ、不合理なことに気付くのは言語感覚が鋭い人なのかもしれません。

 

 「規範的ルール」は標準化のために必要なもので、それを学ぶこと自体は意味があります。ところが問題はその「ルール」から外れた表現を文法的誤りと断じてしまうことです。外国語として日本語を学ぶ海外の人が、地方語「~やねん」「~だぎゃ」「~じゃけん」などの表現を文法的誤りと言っていたとしたらどうでしょう。

 

 英米の英文法書では、標準語から外れた表現だからといって、誤りだと断じることはしません。とくに近年では、言語に限らず多様性を認めることが大切だという社会的意識の高まりから、文法記述も変化してきています。

 下に英文法学習書の記述を引用します。(拙訳を付しています)

 

…many non-standard dialects co-exist with Standard English, mostly in spoken form but also in dialogue passages written by novelists. Standard English speakers in any moderately diverse community encounter these non-standard dialects every day in plays, films, songs, and conversations, so it is important not to be entirely ignorant of them. In the [b] cases of [1] the raised exclamation mark (') signals not that they are errors, but that they are correct form in several non-standard dialects; Standard English equivalents are given in [a].

 

[1] STANDARD ENGLISH DIALECT     NON-STANDARD ENGLISH DIALECTS

i a. It doesn't matter what they did.   b.'It don't matter what they done.

 

don't as in [ib] is found in some non-standard dialects where Standard English would have doesn't, and done is found corresponding to Standard English did. The verb forms aren't accidental mistaken choices; it's just that not all dialects have the same verb morphology as Standard English.

      Rodney Huddleston他『A Student's Introduction To English Grammar』 

                                       Second edition 2022

 

 多くの非標準方言が標準英語と共存している。これらの方言は主に口語に見られ、小説家によって書かれた対話の所々に現れる。ほとんどの多様なコミュニティの標準英語話者は、演劇、映画、歌、および会話でこれらの非標準方言に毎日遭遇する。したがって、それらについて完全に知らないわけではない点は強調しておきたい。[1]の場合、付した符号(')は、それらが間違いであることを示すのではなく、いくつかの非標準方言としては正しい形式であることを示している。標準英語では[a]と同じ意味を示す。

 

[1] 標準英語方言            非標準英語方言

i a. It doesn't matter what they did.  b. 'It don't matter what they done.

 

[ib]のdon'tは、標準英語がdoesn'tとなる所に現れる。また、doneは、標準英語のdidに対応している。これらの動詞形は偶然誤って選択されたのではない。すべての方言が標準英語と同じ動詞の形態を持っているわけではないというだけのことだ。

 

 三単現の-Sの有無は地域や階層によるもので、標準語と地方語、公式と非公式の違いです。この問題は、単なる文法的正誤に限らず、地方語の軽視、多様化の否定につながります。だから近年の英文法書では、-Sを誤りとすることに慎重な記述をしているのです。 

 

 実際に使われている地方語He don’tやWe wasを文法的誤りと教える日本の学校は現代の言語教育として相応しいでしょうか?

 英語のテストで-Sがないから誤りだとして✕にするのは、関西弁や名古屋弁は日本語として誤りだというのと変わりありません。外国語として学ぶ立場の私たちが、その言語の話者が広く使っている表現に対して文法的な正誤判定を下すのは筋違いでしょう。

 情報を伝えることには関係ない規範的規則に過度に固執して、文法を気にして話せなくなるのは本末転倒です。

 

 標準語以外の語尾は誤りではなく実際に存在する変種です。日本語と同じく英語にも変種(方言)はあります。いわゆる「三単現のS」は、標準英語でI、you以外の単数主語に対応して現在形動詞の語尾にSをつけることになっているということです。日本語の標準語の語尾として「~です」が認められているというのと変わりありません。

 標準語のある言語では、日常語としての口語では地方語を使い、書き言葉や公的な場では標準語を使うことは常識でしょう。

 

 かつて規範が文法的誤りとしていた単数のtheyは、多様性の観点から今は正用として認められています。動詞語尾sも規範文法が標準語の規則として他の変種を誤りとしてきた前世紀の価値観に基づくものです。海外の学習書では多様性の観点から地方語を尊重するようになってきています。

 学校文法が本当の意味で伝えるための表現を学ぶものになればその扱いが変わるはずです。三単現のSをどう扱うかは、多様性などの社会的な問題を含めて、言語教育の在り方を問うものになるのではないでしょうか。