このブログは、学校や塾の教師、一般の英語学習者など、辞書、学習書、参考書等を使う消費者に、有用な情報を提供することを目的として始めました。ウエブサイトなどで閲覧できる英文法・語法に関する情報を取材し、結果を公開しています。主に、英語のアニメ、映画などの映像作品や文法書、語法辞典、辞書、論文等の原書、などの情報を収集・分析して、従来の英文法・語法の「規範的規則」について検証しています。

 受験産業にかかわる出版社、文部科学省、学会など生産者が提供する情報は、必ずしも、消費者の側に立ったものとは限りません。生産者が生み出す製品の中には、多くの粗悪品が含まれていることを、大半の消費者は知りません。良い製品は、賢い消費者が育てるもの。生産者にイノベーションを起こさせるには、まず、事実を知ることだと思います。

 

 学習英文法の現状について、ネット上で得られる情報を翻訳して紹介します。(拙訳はshinji。原典を閲覧するには、人名または件名に続けて、pdfまたはarchive orgで検索できると思います。)

「1960年以前に、英国の学校で教えていた英文法は、ラテン語に基づいていた。ラテン語文法のために開発された文法範疇を英語に押し付けていた。それはほとんどの場合、まるで意味がなかった。なぜなら、英語は全く異なる言語だから。1920年代以来、このラテン語を規範とする方法は、酷い批判を浴び、1940年代と1950年代には、学校英文法に対する異論が、集中的に浴びせられた。」Willem Hollmann『Grammar still matters― but teachers are struggling to teach it』2021

「20世紀の前半には、英文法は、イングランドのほとんどの学校のカリキュラムから消えた。…英国の他の地域でも似たような歴史をたどり、‘文法教育の死’(death of grammar-teaching)は世界の英語を話すほとんどの国で、ほぼ同時期に起こった。」Richard Hudson他『The English Patient』2005

 

 学習英文法の生産者たちにとって、‘文法教育の死’は、世界各国の公教育という巨大マーケットが失われたことを意味します。消費者の信頼を取り戻そうと、1960年代に、実際に使われている英語の大規模調査をはじめた人たちがいました。その成果はコーパスと呼ばれる言語データベースを生み出し、1985年には英文法書、Quirk他『A Comprehensive Grammar of the English Language』として結実します。

 一方で、他の生産者の多くは、公教育市場から締め出された規範文法を、英語に疎い非ネイティブをターゲットとして、民間市場に売り込み始めます。1960年頃、移民やESL学習者などを対象とした、語法書、文法学習書の類が続々と世に出てきます。その過程で、使用実態に合わない‘規範的文法規則’が、さらに追加され、広まっていきます。

 

「今日、大部の英文法書(例. Biber et al. 1999; Huddleston and Pullum, 2002, Quirk et al., 1985) は、だいたい記述的であるけれども、それほど大部ではない文法書の中には、文法を規範的な枠組みとして扱うもの(例., Parker&Riley, 2005)もある。言語学習のテキストというジャンルとしての英語の用法ガイドは、読者に、規範的な解説をする。)Tyler Jordan Smith『A comparison of prescriptive usage problem in formal and informal written English』2019 

「規範文法家たちの文法書が示す規則には、大多数のネイティブスピーカーが実際に使っている言語の用法に全く基づいていないものがある。そして、それは、どんな根拠によるのかを示しもせずに、いかなる他の言語話者をも差し置いて、著者自身の好みによる判断でマニュアルとする。」Rodney Huddleston, Geoffrey K. Pullum『Cambridge Grammar of the English Language』2002(7頁) 

 ここに引用したHuddleston2002今世紀でもっとも評価の高い包括手的な文法書で、生産者で知らない人はいないと言っていいほど有名です。

 この文法書では、最も言いたいことの1つとして、過去、現在、未来と直線状に並べる時制モデルを伝統文法と呼んで完全に否定し、willはmayと同じ法動詞に属し、現代英語には「未来を表す表現」は存在しないことを、明言しています。文部科学省の指導要領では、Quirk et al.1985に準じて「未来を表す表現」を採用しています。これに関しては、「時制」として記事にします。

  このブログが目指しているのは、いわば、英文法版べリングキャット。20世紀に劣化した英文法の‘規範的規則’を、ネット上の情報を駆使して検証し、結果を消費者に公開していきます。たとえば、記事【any、someの使い分け】の主な内容は以下の通りです。

‘any、someを文の種類に応じて使い分ける’英語のネイティブスピーカーなどいない。ネイティブは、someに限らず、anyも「人に勧めるときや、Yesという答えを予期、期待する」ときに使う。any、someの使い分けのコアは、表す範囲の違い。斎藤秀三郎は、100年前に『熟語本位 英和中辞典』(1918)で、anyについて妥当な説明をしている。わが国の生産者は、先達の研究成果を捨て、劣化した‘文法説明’を取り入れた。any=someという事実誤認は、『A Dictionary Of Modern English Usage』1965の記述をもとに、拡散していった。その規範的説明は、ESL用の学習書『English Grammar In Use Intermediate 2019 5th Ed』や、語法辞典『Practical English Usage 4th Ed』2016にも残っている。

 

 「状態動詞は、進行形にしない。」、「moonやsunのように世の中に1つのものにはtheが付く」、「その場で決意したことは、I’m going toではなくI’ll を使う」、「条件を表すif節中は、未来を表すときでも、willの代わりに現在形を使う。」、「youは2人称単数に位置づけられる。」、「名詞は、可算と不可算に分類できる。」などなど……ラテン語文法にもとづいた‘文法説明’の多くは、20世紀の‘文法教育の死’を契機に湧いてきて、拡散されたものです。

 1つの文法事項に対して、ときに数百時間かけて徹底して取材しています。それは、良品を開発するにはそれなりのコストがかかる、という実業のものづくりの思想を、教育業界に持ち込もうという意図からです。いずれ、賛同する方と情報交換できるようになれば、活動を加速できると思い、このブログをはじめました。

 真相を追っていく中で感じたことは、科学が進歩するのは、後の世代が優秀だからではない。先達の出した手に対して、後出しジャンケンできるから。アイコばかり出していては、伝言ゲームのように、劣化していくということです。後の世代につなげるために、精一杯、先達に勝てる手を考えて、繰り出そうと思っています。