【言葉は変化するもの】

 英文法の規則は、実際に伝わる表現が2つあれば一方を正用とし他方を誤用とします。正用はたまたま選ばれただけのことなので、正しいとする理由は後付けに過ぎません。だから、文法規則にあるもっともらしい理屈はたいてい的外れです。その好例の1つが冠詞theの‘説明’ です。

   曰く固有名詞にはtheを付けない

   曰く、earthは世の中に1つのものだからtheを付ける。

 この2つの規則を比較すると、どうにもしっくりこない点があります。固有名もearth(地球)も世の中に1つのものですが、一方はtheを「付けない」とし他方は「付ける」としています。つまり「1つに特定されるモノ」に、theを使う時と使わない時があるということになります。「1つに特定されるモノにtheを付ける」という文法規則は、現代語の伝わる仕組みではないのです。

 

「世の中に1つだからtheを付ける」という記述は和製の学参文法書によく見られます。この説明法は、19世紀の文法書には出ていますから、100年以上まかり通ってきたということです。

 母語話者は、theを文法規則に従って使うわけではありません。唯一神と信じる創造主はGodと呼び、複数いる神の一柱はthe god of war.(戦の神)と表現します。世の中に1つのものにtheは要らない。これが冠詞theを使う時の基本です。

 

 theの用法は、和訳に現れる場合と、和訳すると不自然な場合の2つに分けることができます。和訳に現れる用法は、日本語の「その」「あの」と同じように考えて大丈夫です。世の中は話が大きいので、二人の間で交わすときの固有名と「その」「あの」の有無を考えます。

 二人の間で山田という名の知人が唯一なら、「山田」だけで伝わります。しかし、山田という知人が二人以上いれば、「あの山田」とか「その山田」という場合があり得ます。「その」「あの」という語は一人に「特定される」ときではなく、「他と区別をする」と使う語です。

 話者の間で馴染みが無い名前には「どの」「その」「あの」などが付けて他と区別します。十分な名が通っていればこれら指示詞類の言葉は要らなくなります。「その」「あの」を使うかどうかは固定的な規則で決まっているのではなく、話者間での知名度によって有無が変化するのです。

 

 英語のtheは指示詞thatの弱化した語です。つまり基本的な用法は「その」「あの」と同じ感覚で使います。学参にあるように「地名+大学型の名称にはtheが付かない」のような規則は実際の使用を反映していません。それは言語データベースと利用すれは一目瞭然です。

 例えば、ロンドン大学は、設立後数年の間はthe London Universityとtheを冠してよばれています。1900年頃になると、theが取れたLondon Universityという呼び方と半々ぐらいになります。2000年には、ほぼthe取れて単にLondon Universityと無冠詞です。「あのロンドン大学」が、知名度が上がって単に「ロンドン大学」と呼ばれる感覚に近いと考えていいでしょう。

 この他、公園、銀行、政府機関などの施設名や海、湾などの自然地形の固有名とtheの歴史的変遷を調べましたが、知名度があがるとtheが取れる傾向が確認できました。規則や正式名称という人為的な決め事ではなく、現代語が伝わる仕組みでは、話者が他のとの区別を必要と感じればtheを使います。日本語に「銀行名には‘あの’を付ける」という規則は無いように、「bankの名には‘the’を付ける」と機械的に言葉を使うわけではないのです。

 

 元の規則にもどると、「地球」は宇宙でただ一つの星ですがthe earthとtheを冠します。知名度抜群なのに?と疑問に思う人はいるでしょう。こういった気づきは文法理解にとって大切です。

 星としての「地球」はEarthと無冠詞で呼ぶことがあります。一方、the earthのイメージはむしろ「母なる大地」だと思います。無冠詞のearthは「土」「地面」「大地」という一般名です。もともとは、他のただの地面と区別して、創造主が創った「例のあの大地」the earthだったと考えれらます。the earthは聖書の創世記に出来てきますから、英語話者の間でこの呼称が定着したと考えるのは無理なことではないでしょう。

 14世紀頃からの聖書の記述について調べてみましたが、中には初登場時にはearthと無冠詞で、その後the earthとなるものもありました。英訳聖書は、ヘブライ語、ギリシャ語、ラテン語など他の言語からの翻訳と考えられるので、その影響もあるかもしれませんが。

 いずれにしても百年以上前の後付け「世の中で唯一のモノだから」は論外です。theの基本原理「他との区別」に合わない理由を受け入れる道理はありません。

 

 theの基本的な用法は、thatや日本語の指示詞類と同じような感覚としてつかめます。一方、theには日本語の指示詞類には無い現代英語の特徴的な用法があります。その用法は和訳すると不自然になる用法です。次の2つの英文の違いが分かり易いかもしれません。

   The dog is sleeping.   「その犬は寝ている。」

   The dog is a loyal animal. 「犬は忠実な動物だ。」

「その犬」と和訳できる用法は、「他の犬との区別」を念頭に置いていると考えます。これに対して和訳に表さない方が自然な用法は、「他の種類の動物との区別」を念頭に置きます。後者の用法は日本語にはないので、和訳に表すと不自然なのです。

 

 「冠詞は日本語には無いから難しい」という人がいます。この言い方には注意が必要です。指示詞類と同じ基本用法の「その」「あの」は日本語と同じような感覚で大丈夫です。これは1つのモノに「特定する」theといってもいいでしょう。このtheは無いと意味が変わってしまうので、省略しません。

 日本語に無いのは、和訳に現れない方のtheの用法です。このtheは別の種類との区別を意識しているだけなので、「特定しない」用法ともいえます。こちらの用法は他の表現に変えることができます。

   A dog is a loyal animal.

   Dogs are loyal animals.

 この用法はa dogと実質的な意味は変わりありません。基本用法とは違いtheに特定性が無いので、場合によっては省略されることもあります。

 

   「特定しない」theは幼児向けのアニメにも出てきます。次の2つの用例は英国のアニメPeppa Pigとそれを絵本にしたものです。同じ場面の台詞で、アニメ版と絵本版を比べています。

 

 a. Peppa:“I want to be the clown”

  ――Peppa's Circus (アニメ)

 

   b.“I want to be a clown!”cries Peppa.

  ――Peppa's Circus(絵本)

 

 同じ場面の台詞で、(a)のアニメ版では冠詞theが使われ、(b)の絵本版では 冠詞a になっています。

 このセリフは(a)、(b)とも同じ「私ピエロをやりたい」という意味です。the clownは、サーカスの他の役割(strongman/juggler/ring master/…)との区別を意識した「特定しない」用法のtheと解すことができます。だから「そのピエロ」では誤訳になってしまいます。基本用法の「他のclownと区別した」theではないからです。

 

 一般の学習者のほとんどは、theでもaでも意味に大差ない、このような現象に戸惑うのではないでしょうか。学参文法書の説明はたいていtheは「特定」、aは「不特定]」という18世紀に創作された昔ながらの説明しかしていませんから。theが揺らぐ現象は、「特定しない」用法で起こります。

 例えば、in the winter(冬に)のように季節に冠するtheは「特定しない」用法です。「その冬に」という特定の冬を指すわけではありません。「他の季節と区別する」意識があるととらえることができます。この用法のtheは無くても意味は同じなのでin winterと言っても伝わります。だから世代や地域によってtheの有無があり、揺らぎます。

 言葉の揺らぎは、現代語が伝わる仕組みの想定内です。「特定しない」theは、有無で意味に大差がないから、省略したり、aに替わったりします。ただし、慣用によってどれを使うかはほぼ決まっているような場合もあります。もっとも、現代英語が伝わる仕組み上潜在的にゆらぐことはありえるので、その時の慣用と柔軟に捉えておけば、変化しても対応できます。

 

 言葉は変化します。文法規則にはこの常識が欠けています。標準語は言葉使いを統一することを志向するので、言葉の変化を嫌うのです。規範的規則が言葉の変化を考慮しないことには、標準語を維持するという正当な理由があります。

 ただし、実際には言葉は変化するのだから、文法規則は言葉が伝わる仕組みとは違うのです。現代英語が伝わる仕組みは、言語が変化するということを基本とします。