<血盟ニュルンベルグの本城にて>

 

夜が明けた。
本城のベルクフリート(主塔)の4階にある
寝室の窓から、心地のよいギラン港の潮風が流れる。

パックラは、まどろむ意識の中で瞳を閉じたまま、
遠くから、微かな声が聞こえてきた。



あたいの父はねぇ、北の最果て、寂れた漁村の貧しい漁師だった。
港はいつも魚の匂いで溢れていた。
母は、ずっと篤い病に罹っており、
あたいを産むと直ぐに胸の病で亡くなった。

沙羅夜(サラヤ)が、窓の傍に寄りかかり、
遠くを行きかう青と白の色の船を眺めながら、静かに語り始めた。

あたいは、毎日、毎日、泣きたいくらい寂しくって、
いつもひとりぽっちだった。

「おかあさん、あたいのおかあさん、どこにいるの」って
何度も、何度も、心の中で叫んだ。

父は船で漁に出ると、暫くは戻ってこない。
子供のあたいは、漁師仲間から僅かな食べものを
分けてもらって、生きてきた。
貧しくて、ひもじくて、やせ細って、
男の子みたいな髪の毛で、いつも同じ身なりで、
臭くて、酷く汚かった。

まわりの家の子たちは、あたいをいつもいじめた。
傍に来るな!と怒鳴った。
みんなから石を投げられ、棒を投げられ、
大きな犬に吠え立てられた。
そんなとき、あたいはいつも小高い丘にある
灯台の下まで走って逃げた。
投げられた小石を背中に受けながら、犬に追いかけられ、
転びながら、転がりながら、ちっさい身体で走って逃げた。


そして、いつも、ひとりぼっちで、
みんなが楽しそうに遊んでいる港を眼下に眺めていた。

 

父は無口で、いつも魚の脂の匂いがした。
臭くて、爪の中は真っ黒で、ヒゲ面の顔は日に焼けてしわが深かった。
あたいはそんな父が大嫌いだった。
漁から戻ったときに船着場で、父に抱きかかえられ、
頬ずりされるのがイヤだった。

父は男手一人であたいを育てた。
そんな生きることに不器用な一本気な父の口癖は、
女のあたいにも「凛と生きろ!」だった。
弱音を吐くことを嫌い、強いものに頭を下げることを嫌った。
さほど難しくも無い、強いものにひれ伏して生きることよりも
潔く、討ち死にを選ぶ、そんな父だった。

だから、・・そんな父だから、村に攻め込んできた
白蛮軍の矢に真っ先に倒れた。



武器も持たず、両腕を広げて村に入るなと、阻止しようと。
そこへ有無を言わず、無数の矢が父の胸に突き刺さった。
一瞬だった。 あたいは声も出なかった。

それはあまりにもあっけなかった。
あたいは、父に事前に小舟の中に隠され、
シートの隙間から、父の上を無数の馬の群れが
土ぼこりを舞い上げて、走り過ぎていくのを遠くで見ていた。

力も無いくせに、この世に娘を一人にして。
そんな父の言いつけとおりに、あたいは泣きじゃくりながら、
船を固定している縄を解いた。



船は海へ流れ、逃げ惑う村の人を背に、
シートの隙間から、見慣れた港を静かに小さくしていった。

数日後、辿り着いた浜で、今の親方様の羅観王に拾われた。

ひれ伏して、地面に額をこすり付けて、命乞いをすればよいものを。
あたいは、あたいをひとりにした父を恨んだ。


『・・・そうだねぇ、
 もう10年以上も前の、遠い、遠い話になるねぇ』 

「沙羅夜さん」
パックラが寝床から、重そうに少し身を起こした。

「ああ、気がついたのかぇ」  
沙羅夜は振り向くと、視線をパックラに向け、
少し寂しげだが、笑顔を返した。

「なんでそんな話を・・敵のおれに」
  
少し照れた微笑(かお)で、
「なんでかねぇ・・、ぬしの胸の病のせいか・・、  
 この心地よい潮風のせいか・・、なぜか昔の父のことが」
「あなたの心の中には、いつも雨が・・・」

「小さいときに、辛いときに、助けを求めたのは  
 いつも顔も覚えていない、母にだった。  
 あんなに一生懸命にあたいを育ててくれた
 父の名を呼んだことは、一度も無かった」
「・・・」
 
「凛と生きろ!だとさ。まったくお笑いだよねぇ~」
「・・・」
 
「けどねぇ、あんなに嫌いだった父に、
 あたいは、いじめられていたことを一度も言ったことはない。
 なぜだか分かるかぇ」

「心配・・・を」
「あたいにもあんな父の血が・・、似ちまうんだよねぇ。  
 意地っ張りなとことか、素直じゃないとことか、さ」  

沙羅夜はよりか掛かっていた背を壁から離すと。
「パックラ殿。ぬしとはもっと違ったかたちで
 めぐり合えればよかった」  

衛兵が入り口で、パックラが気がついたことを察して  
長槍を構えながら、4人、部屋に飛び込んできた。
さらに、2人の衛兵は入り口付近で弓を構えている。


「お・おれを」
「ぬしの仲間たちのことを聞き出すために
 レイ(知雀令)に介抱をさせた。許せ」

「沙羅夜さん・・あなたはそんな人じゃ・・」  
沙羅夜は少し困った顔で、伏せ目視線でパックラを見た。
 
4人の衛兵は病んでいるとはいえ、先ほどの呪文の速さをみて、
パックラを後ろ手に縛りあげると、のど元に槍の切っ先を
つきつけたまま、マスクのような猿轡(拘束具)をつけた。
これで、パックラは魔法を唱えることができなくなった。

「立てぃ!、悪豚卑様が、おまえをお待ちだ。早くしろ!」  
衛兵に胸ぐらを引っ張られて、パックラはよろけながら
立ち上がると、背中を押されて歩き出した。  

悪豚卑(アントンヒ)とは、車輪轢きなどの派手な極刑を好む
卑劣な拷問屋であった。

[前へ]<--------- 【関連記事】 --------->[ 次へ]

 

 

にほんブログ村 小説ブログへ
にほんブログ村

 

にほんブログ村 小説ブログへ
にほんブログ村