叩かぬ細胞 | 日々点描

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笑え、俺

 人は誰でも、他人を叩く権利も資格もありゃしない。

 ましてや、縁もゆかりもない誰かを、流言に乗っかって吊るし上げたところで、自分には何の利益もないし、凹む相手を見下して溜飲下げたって、そんなんが利益だとか考える奴はろくなもんじゃない。

 被害を被っている相手に対して反撃するのは、叩くとは言わない。蚊帳の外の安全地帯から、群集心理に寄りかかった野次馬だけが“叩く”のである。

 

 ただ、叩く権利も資格もないけれど、嫌う権利と資格は誰でも持っている。

 理由や根拠などいらない。ただ“嫌い”だけでいいのだ。

 嫌いな奴や物に、無理して寄り添う必要などまったくないし、無視して避けることに一切の罪悪感を感じんでもええ。

 

 一方的に嫌われた方は意味がわからず途方に暮れるかもしれないが、感情を分析して矯正しようとするからおかしなことになるのだ。ましてや嫌う方に正義があるとは限らない以上、自分の正義に従って放っておけばいい。

 反りの合わない板を無理に重ねると、必ずどちらかが、割れる。一緒にせんでも、夫々に使い道はある筈だ。

 嫌いな奴が、この先ど~なろうとど~でもええじゃないか。嫌いな奴は必ず苦しめたい泣かせたいと考えるのは、むしろゴ~マンだとすら思えるのだ。

 

 あんたが、誰を嫌いでも結構。虫唾が走るほど鬱陶しいのなら、ただその場から少しだけ脇に避けて横向くだけでええ。

 のこのこ近くに寄ってって、叩くな。