学生時代からつい先日まで、通学通勤で40年近く通い続けた道を、もう通ることはなくなった。
もう走る必要がなくなってまだ半月程度だけれど、今日野暮用で走ってみたら、意外なほどの余所余所しさに得体の知れない寂しさに包まれた。
見慣れて見飽きた車窓の風景や建物も、時代と共に建て変わりながらも、それなりに生活の一部に馴染んでいた筈なのに、今日走ったらいきなり余所者を眺める顔をしてた。
あっちが変わったわけではなく、こっちが変わっただけで、馴れなんて一瞬で消え去ることもあるらしい。
そんな寂しさも、走った路の想い出も、きっと間もなく忘れる筈である。
それが年寄りというものさ。