そ~いえば?、と思い出し早速倉庫の奥に潜り込み発掘してきた。
それなりに永いことショ~バイしてると、いろんなものが埋れているのだ。
正直言うと、何があったかは大半忘れ果てているのだが、これについてはとあるエピソードがあったので記憶に残っていた。
概算で20年ほど前になる。
まだ移転前の朽ち欠けた黒い家で店を出していた頃、外観があまりに怪しく不気味だったので、賑やかしに外壁にポスターを貼ることにした。
理由がそんなんだったので図柄は何でもよかったが、さしあたり手元にある中でピンときて選んだのが、これと同じやつだった。この天使の笑顔で微笑んでいれば、さすがに屋内に魑魅魍魎はいないだろうと、地域住民に苦肉の安心感を提供したつもりである。
すると数日後、小学低学年とおぼしき女児二人連れが恐る恐る来店した。
君らがここに入るにはさぞ勇気を振り絞ったことだろうと、家主は我ながら同情を禁じえなかった。それくらい怪しかったのだ。
今時、街の商店では“緊急飛び込み看板”など提示して保安に努めている所もあるが、ここに飛び込むくらいなら悪漢に立ち向かったほうがマシくらいに思われていたかもしれない。
少なくとも女児がレコードを買いに来店など、ありえなかった。
「表のポスター、もらえませんか?」
緊張感みなぎらせた二人連れは、共に手をとりながらキラキラした瞳でそう訴えてきたのである。
別にそれはカマワンが、さしあたり代替の適当なポスターが、ない。それより、俺が躊躇した理由がある。
数日間、屋外に暴露され風雨に晒されたポスターは、それなりに劣化が進行していた。こんなん女児に持ち帰らせたら、家でご両親に何と言われるだろうかを危惧したのだ。
ありがとうと感謝はされないどころか「あの店は児童に小汚いゴミを押し付ける」などと後ろ指さされて、更に地域での肩身が狭くなる恐れがあった。
街の噂は、小さなことでも尾ひれが付いて概ね悪い方向へ拡散するものだ。
やんわりそんなことを言ってお断りしたら、女児達は半泣き顔で更に懇願してきたのである。
「お願いします。どうすれば貰えますか?いくらなら売ってくれますか?」
冗談じゃない。
こんなんで金取ったら鬼畜である。極悪人である。人間のクズである。
何より俺は、幼い児童が自らの意志と言葉で見ず知らずの大人にこれ程まで訴える熱意に、驚きと共に胸が熱くなっていた。
もはや、大人のいやらしい保身で断る理由なぞ、木っ端微塵に砕け散る。
剥がしたボロボロのポスターを丸めて抱え、女児二人は満面の笑顔で何度も頭を下げお礼の言葉を繰り返しながら、跳ねるように店を飛び出していった。
その光景を、小さな罪悪感を含めて今でも覚えているのだ。
二人の歴史が終わったと聞いた。
あの時の女児も、今では立派な中年オバハンになっている勘定だ。
日本中で、同じような光景を作っていただろうタッキー&翼ご両人は、あのころ想った未来を着実に歩んできたのは間違いなかろう。ばら撒いて来た笑顔と感動は計り知れないかもしれない。
俺としても、小さな思い出を作ってくれたことに、個人的に“ありがとう”と言わせて頂く。