確約された未来を欲しがってしまう | 淡路島のカメラマン・清水翔平

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淡路島を拠点に活動するカメラマン・清水翔平のありのままの日常を綴ったブログです。

今日は

「確約された未来を欲しがってしまう」

というテーマでお届けします。

 

 

今朝も、いつも通り

起きてすぐに15分間の瞑想に取り組みました。

 

 

今日の瞑想は

いつになく不快な感覚がありました。

 

 

どういう感覚かと言うと、

 

思考がまわってしまって

今この瞬間に集中している状態にほとんど入れない感じです。

 

 

集中できている時というのは、

 

思考していることに気づいてから

「今この瞬間」の体の感覚に意識を戻すまでの

時間も短いし、

不快な感覚もなく、ただ感覚に戻ってこれるのです。

 

 

今日は頭の中で絶えず思考が

展開されていて、

 

「今日するべきこと」

「やろうと思ってできていないこと」

 

についての思考が

 

何かに乗っ取られたように

勝手に思い浮かんできます。

 

 

 

「瞑想中に起きていることは、

人生にも起きていることである」

 

という捉え方を僕は採用しています。

 

 

普通に生活していると、

たくさんの刺激に取り囲まれていて

余計な思考がオートで回っていることにもなかなか気づきづらいですが、

 

 

瞑想することによって

 

僕がいかに普段から

先々のことへの不安や心配に頭のメモリーを消費した状態で

過ごしているかがよく分かります。

 

 

瞑想を抜け出した日常において、

 

思考が散漫な状態で、

今この瞬間に取り組むべきことに集中できていない状態

 

が今の僕の状態である、ということです。

 

 

この状態に対処する方法は、

いつも僕が言っている、

 

日常におけるエゴの手放しをする

ということになるのですが、

 

 

ここで浮かんでくるキーワードは

「どうなるか分からない未来に対する不安」です。

 

 

自分の人生に対して僕は

つい未来への確約を求めてしまうんですよね。

 

 

先の展開に対する予想をすることで

安心したいのです。

 

 

エゴにつかまれているときほど

予想できない状態にいることへの

不安感が増します。

 

そしてそれが、

「先がわかっている状態にしておきたい」

という執着を生み出します。

 

 

「センターピース」という心理学を

生み出した開発者の犬飼ターボさんが以前、

 

「先が読めないことが、自営業の醍醐味」

 

ということをお話しされていました。

 

 

僕自身のことで言えば、

 

会社を思い切って辞めた時。

カメラマンとしてやっていくと決断したとき。

離婚を決断した時。

 

 

何度も先が読めない展開に

飛び込んできました。

 

 

それでもまだ、

「先がわかるようにしておきたい」

というエゴからの執着は、僕の中で生きています。

 

 

人生というのは本来、

たとえ会社員であったとしても 

先が読めるものではない。

 

それが真実だと思います。

 

 

きっとこの先も、

何度も先のわからない展開に飛び込む局面が

訪れるのだと思います。

 

 

今はまだ

恐れや執着も感じるけれど、

 

それを楽しめるようになるには

きっと何度も飛び込んでいくしかないのだと思います。

 

 

その先で見える景色を

このブログに書き続けられる

 

 

そんな生き方をしていきたいと思います。

 

 

 

淡路島で見つけた、

海に続く素敵な小道。

 

iPhone SE2で撮影。