※ 【死について考える】シリーズを
数回載せようかと思っています。
本当は本投稿が初回ですが、
以前のこの投稿も、
死を扱っていると言えるので、
↓の投稿を初回としました。
(関連記事)
【死について考える1】
安楽死と相続の問題
https://ameblo.jp/shimpo-shiho/entry-12566141955.html
【死について考える2】
「死にたい」と言われたとき……(1)(本記事)
https://ameblo.jp/shimpo-shiho/entry-12571169243.html
【死について考える3】
「死にたい」と言われたとき……(2)(次記事)
https://ameblo.jp/shimpo-shiho/entry-12573038105.html
【死について考える4】
死の受容と音楽療法
https://ameblo.jp/shimpo-shiho/entry-12572471624.html
(以下本題)
まず、初めに……
こういう話題が苦手な方は、
この先を読まない方が
よろしいかもしれません。
先にそのことを申し上げておきます。
司法書士でも、特に債務整理系の
依頼を受けた際、依頼者から
「死にたい」と言われることがあります。
たまたま、会員専用サイトで、
質問があったので、
こんな長い投稿をしてみました。
(なお、かなり改変しています。)
……………………
以下申すことは、私の個人的見解ですので、
責任は取れません。そのことをまず申し上げます。
また、こういう話には、マニュアルはありません。
(あればその通りにやればよいわけで……)
ですので、私の話も、思い付きみたいな話で
多分脈絡はないと思います。
1 私も何度か、債務整理系の
依頼者・相談者や元依頼者に、
「死にたい」と言われたことがあります。
また、なぜか、仕事と関係なく
相談を受けたこともあります。
(なんで私なのか、というのもありますが。)
正直、相手によって、
話したことは違いました。
だから、前記のとおり、
マニュアル的なものは無い、
と思います。
2 まず、話を聞くこちら側が
興奮したり冷静さを失ってはダメです。
キュブラー・ロスという
精神科医の言だったと思いますが、
「愛深き冷淡」という言葉があります。
(デーケンさんだったかも)
傾聴は必要ですし、愛深いのは、
前提としては当然であっても、
良い意味で冷淡というか冷静に対応すべきです。
3 「あなたが死なないかどうか心配だ」
と言われれば言われるほど、
相手は不安感を増幅させます。
そういう意味で、頻繁な連絡は
逆効果になる可能性があります。
4 人は、他人に対し完全なる支配力を持ちません。
だから、相手の自主的な決定権があることを承認し、
それに敬意を払うべきです。
ということは、相手が自死を選択してしまったら、
それを受け入れる、という腹積もりも必要です。
⇒こちらが冷静さを保つためにも。
5 また、哲学的に、
「なぜ自死はいけないことなのか」を
きっちり論証できた人はいないでしょう。
特に、唯物論的立場に立てば、なおさらでしょう。
また、相手も論理的に考えられる状況でもないし、
理屈で「自死はダメ」と言っても、
さほど効果は無いと思います。
論理よりは感情の方が、
人間を動かす力は強いです。
そして、これはある意味
「人生の根本問題」ですから、
簡単に、安易に、答えが出る問題ではない
ことは認識すべきです。
6 マニュアルは無いと言いながらも、
もし、マニュアル的というか、
一般論的に言えることがあるとすれば、
こんなことでしょうか?
「少なくとも、私は、あなたに死なれたら悲しい」
「本当は、自死したいのではなくて、
今の人生をやり直したい、リセットしたい、
ということではありませんか?
今の悩みが消えてしまっても自死したいですか?」
ただし、棒読みのような、
気持ちがこもっていない言い方では、
まったく効果は無いでしょう。
"心に愛がなければ、
どんなに美しい言葉も
相手の胸に響かない"
(聖パウロの言葉:
コリント人への第1の手紙13章)
7 例えば、もし相手に、
信ずる、あるいは、
信ずるほどではないけど
シンパシーのある宗教があって、
こちらにもその宗教に関する知識があれば、
多くの宗教は、自死を否定していますし、
魂や霊的な世界を肯定していますから、
それに則って、対話をすることは可能と思います。
また、無宗教でも、魂の死後存続には肯定的で
(あるいは否定できないので)あれば、
そういう話もできるかもしれません。
これが上手く行けば、色々深い話ができるかも。
(長いので、続きは次回に回します。)
※ 思うところがあり、本文中の
「自殺」を「自死」に訂正しました。