結婚式で誓うのは、互いへの愛。

なんてロマンチックなんだろう。
私もそんな人と出会いたいなぁ。
運命、なんだろうなぁ〜
どこにいるんだろう、
私の運命の人…♡


って小学生の時、
花嫁さんになることが
ひそかな夢になりました。
運命の人はどこかにいるんだ、
赤い糸で繋がってるんだって思って。
その人と会ったらビビッときて
「この人と結婚するかも」
って思っちゃうんだ〜♡なんて(笑)



無数のランタンから自分にぴったりのものを探すように、運命の人を見つけ出すのだと思ってた。



それから、幾度かの恋愛を経て
実際に結婚式をしてみて、
夢の花嫁さんは幸せでした。



でも、私が夫と出会った時、
この人は運命の人だ!!!って
思ったわけではなかった。
ビビッともきてない(笑)

ビビッときたって
言ってみたかったな〜

ビビッときた人、いいな〜


って思っていたこともありました。



教会でしたが人前式でした。


神父さんがいる神前式のイメージは
「あなたは●●さんに対して添い遂げると誓いますか?」
って言われるみたいな重たいイメージで、
なんかお互いがお互いに鎖をかけるみたいだなぁ。
ちょっと息苦しいかも(笑)
って思ってました。


それに…


無数のランタンから
相手を選んで結婚を決める…


それはめちゃくちゃ
難しいことだったんじゃないかと。


けれど、なぜできた?


その理由がアドラー心理学の
「幸せになる勇気」を読んだ時、
ハッキリわかったんです。


アドラーは「運命の人」はいないと言います。
運命の人の存在を
100%否定します。

なぜなら、運命の人というのは
あらゆる出会いを排除する言い訳に過ぎないから。

人は誰とでも、愛の関係を築けるの。
2人が互いに決めたならば。

でも、その「決める」っていうのが、
お互いを縛り合うとか
相手のために自分を犠牲にするとか
そういうのじゃなくて、

私はあなたと生きます。

私はこの生き方を選びます。

っていうのを決めることなんだよね。



結婚は、すごく受動的だと思ってた。


相手に身を捧げます的な(笑)
これも幻なんだけどね。


でも、結婚っていうのは、
そんな受動的なものじゃなくて、
もっと能動的だった。


私が決めた。


私がこの人と生きると決めた。


幸せになると決めた。


あくまでも自分主体なの。


だから、
結婚は対象を選ぶことじゃないんだよ。


生き方を決めるということなんだ。



ライフスタイルを選んだということ
なんだよね。



だからね、運命の人を探すより
すぐ隣のランタンを
見てみてよ♡


実際、あなたはこの1年間でかなりの人に
出会っている。


結婚は対象選びじゃない。


生き方選びなんだ。


「こんな人はイヤだ」と思う前に
自分と相手について知ろう。


人じゃなくて、この人とだったら
どんな生き方ができるかな?
って考えてみよう!


自分にとって幸福な生き方は
どんなものか問うてみよう。


そうすると、意外なところに
結婚相手が見つかるかもしれません♡



その時もノートですね\\\\٩( 'ω' )و ////



ちなみに私は、
●カフェで喋りたい
●読んだ本の感想をシェアしたい
●一緒に楽しみたい
●でも1人の時間も大切にしたい
●思いやりを持って接したい


っていうのを、思ってて
今の旦那さんと結婚しました。


これは、元カレへの愚痴を
ノートに書いてたら生まれてきた願望です(笑)


「なんでカフェ入った途端に、もう出ようととか言うの?」
「ゲームばっかりしてないで本読まない?」
「その漫画おもしろいの?教えてくれよ…」
「学校休んでってやだよ!ずっと一緒がいいわけじゃない」
とかすごい書いてました(笑)



そして、その愚痴を解決するような
生き方を選んだわけです。


そんな生き方を選べる相手だった。


さきこさんはよく
「味わう=試す」だと仰っていますが、
本当に試してみたらいいんです。


いろんな人とデートしてください。


結ばれなくてもその人が悪いんじゃありません。
自分が望む生き方とちょっと違うだけ!
だから相手を否定しないでね。


相手と私の進む道が違うだけだから。



その道はまさに、生き方そのもの。


道が重なる=生き方が重なることが
結婚の決め手になるんだと思います。



そして、私が決めた!


という能動的な在り方で
夫婦生活を送れるといいですね♡


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