山口県の伝説、その4 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

ご質問などはコメント欄にお書きください。

学術研究の立場にあります。具体的なご質問、ご指摘をお願いいたします。

竜王山の神石(りゅうおうざんのかみいし)~山陽小野田市~

今からおよそ千七百年ほどむかしのことだ。九州の日向国灘(ひゅうがのくに)で、クマソという豪族(ごうぞく)があばれまわっていた。そこで仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)は、紀州(和歌山県)から軍船に乗りこみ、日向国にむかった。

瀬戸内海を西へ西へと進んで、やがて、小野田の本山岬の沖合いにさしかかたときのことだ。今まで晴れていた空に黒雲がひろがりはいじめたかと思うと、風も強くふきだし、波もうねりはじめた。軍船は、木の葉のようにもまれはじめた。

今まで見えていた遠くの山々も見失って、方角もわからなくなった。とうとう、たくさんの軍船ははなればなれになっていった。そのありさまを見た天皇は、「この災難(さいなん)を助けてくださるよう、海神においのりしよう。」と、いのりはじめた。

すると、はるか沖のほうから火の玉があらわれ、ふき荒れる大空に大きな輪をえがいて、岬の方へ飛んでいった。あたりは真昼(まひる)のように明るくなり、まわりの山々も見えはじめた。そのうえ、吹きすさんでいた風、荒れくるっていた波もしずまってきた。

天皇は、「海神がこの災難を救われたのだ。あの火の玉は、きっと海神にちがいない。ありがたいことだ。」と、この火の玉が飛んでいく本山岬にむけて船を進めさせた。あくる日、天皇は、自分たちを助けてくれた海神をおまつりする場所をもとめて、海岸のあちらこちらをさがしまわった。

しかし、おまつりする場所は、どこにもみつからなかった。そこで、岬の近くの山に登ろうと、山道を登りはじめたとき、ふしぎな気のただよう大きな石がみつかった。天皇は、この石こそ海石をまつるのにふさわしい神石にちがいないと思った。そこで、この神意思をまつるのによい場所をさがすために、さらに山道を登っていった。

いただきに着くと、天皇は、「ここぞ、朝日がさし、夕日がかがやき、神石をまつるにまことによいところである。このすぐれた地にやしろを建てることにしよう。」と言って、その神石を海神のみたまとしてまつることにした。その後、仲哀天皇の一行は無事に日向国につき、あばれまわるクマソを退治して都に帰ることができた。

それから六百年ぐらいたったある日のこと、この岬の長(おさ 今の村長)をしていた中尾宇内(なかおうない)に、つぎのようなおつげがあった。

「わたしは、むかし仲哀天皇がこの地にまつった海神である。そのときのほこらもこわれ、ながい間わすれられてきた。さっそく新しいほこらをつくり、みなが心をこめて信心すれば、この地をさかえさせ、くらしもゆたかにし、海の災難もふせぐ守り神になるであろう。また、いりいろな願いごとも、かならずみんなかなえてつかわすであろう。」

村人たちは、さっそく新しいほこらをつくり、竜王の宮と名づけて、海神としてまつった。それから後、村人たちは、どんなに海が荒れても、ふしぎと災難にあうこともなく、しあわせにくらしたという。竜王の宮は、今も山陽小野田市の竜王山のいただきにある。今はおまいりする人はほとんどいない。

題名:山口の伝説 出版社:(株)日本標準
編集:山口県小学校教育研究会国語部


えんこうの一文銭

むかし、むかし、大きな河をはさんで東と西の岸に、それぞれおじいさんとおばあさんが住んでおりました。東のおじいさんとおばあさんは、たいへん正直者で、一匹の猫をかわいがっていましたが、貧しいので充分食べさせることができませんでした。

そこで、何とかゆとりができますようにと、毎晩お祈りしていたところ、河の竜宮さまから、えんこうの一文銭(いちもんせん)を授かりました。ふたりはたいへん喜んで、天井裏に祀(まつ)ったところ、東のおじいさんとおばあさんは日増しにお金持ちになりました。

ある日のこと、東のおばあさんは西のおばあさんにこのことを話して聞かせました。すると、欲の深い西のおじいさんとおばあさんは「縁起の良い、えんこうの一文銭をちょっと貸してくれまいか」と、頼み、正直者の東のおじいさんは貸してやりました。

西のおじいさんは、ほくほく喜んでもって帰り、さっそく天井裏につるしましたところ、その日から、身代(しんだい)がしだいに盛りかえしてきました。するとこんどは、東のおじいさんたちの家は、また昔のように貧乏になっていきました。

東のおじいさんは、西のおじいさんに返してもらうよう催促にいきましたが、どうしても返してくれません。困り果てた東のおじいさんは、とうとう家の猫に「えんこうの一文銭を、西からもってきてくれんか」と、頼みました。

日頃のご恩返しにと、猫はさっそく出かけましたが、大きな河を渡れずに困っていました。そこへ、犬が通りかかったので、猫はわけを話し、犬の背にのって、河を渡してもらいました。そうして西につくと、ちょうど鼠(ねずみ)がおりました。

猫は鼠を呼び止めて、一文銭を西のおじいさんの家の天井裏からもってきてもらうよう頼みました。鼠は天井裏にあがると、一文銭のひもをかみきって、もってくると、猫に渡しました。猫は鼠にお礼をいって、一文銭を口にくわえると、また犬の背に乗って河を渡りました。

ちょうど河の中ほどに来たときのことです。犬が話しかけたため、猫はつられて口を開けてしまい、一文銭を河の中に落としてしまいました。「あっ、大変」と、猫は犬の背でわめきましたが、いくら泳ぎが得意な犬でも水の中にはもぐれません。

とにかく、東の岸まで泳ぎついたところへ、一羽の鳶(とんび)が舞い降りてきました。猫と犬は、鳶に一文銭をとってもらうよう頼みました。そこで鳶は、河の上にいた鵜(う)の鳥に、鵜の鳥は、河の中にいた鮎(あゆ)に頼んで、ようやく水底の一文銭を探し出し、猫に渡しました。

猫は、ていねいにお礼をいうと、一文銭を拾いあげたよろこびのあまり

猫に鼠(ねずみ)に空たつ鳶(とんび)
河にゃ鵜(う)の鳥、鮎(あゆ)の魚
猫に鼠に空たつ鳶、河にゃ鵜の鳥、鮎の魚

と、歌をうたいながら帰って行きました。しかし、歌の中には、大切な一文銭を落とすようなことをさせたので、河を渡してくれた犬のことは一言もはいっていません。河を渡してくれた犬の有り難さを忘れてしまったのです。

この歌を聞いた犬は、猫の恩知らずと、たいへん腹をたてました。それ以来、猫は何かひとつ忘れるくせがつき、犬は猫をみれば、そのときのくやしさが忘れられず、歯をむきだして追い回すようになった、ということです。

(阿武郡)

(山口銀行編纂 山口むかし話より転載)


モグラ退治

むかしむかし、山口のある村では、冬になると大きなモグラが年頃の娘をよこせと言ってくるのです。そしてそれを断ればモグラは大暴れして、畑を掘り返したり田んぼの水を抜いたりして、村に大きな害をあたえるのです。

そこで毎年、冬が近づくと村はひっそりして、だれもが、「大モグラは、今年はどこの家の娘をよこせといってくるだろう?」と、心をいためていました。ある年の事、大モグラは庄屋の美しい一人娘がほしいといってきました。

そしていよいよ、娘を大モグラのところへ連れていく日の夕方がやってきました。両親も村の人たちも悲しみにしずんでいるところに、一人の旅の若者が通りかかり、庄屋の家の人たちが泣いているのを見ていいました。「泣くことはありません。わたしがそのモグラを退治してやりましょう」

すると庄屋は、困った顔で言いました。「それはありがたいことですが、あれはおそろしい大モグラです。あなたにもしものことがあったら」「いやいや、ご心配はいりません。わたしはモグラ退治のおまじないを知っておりますから」

そういうと、若者は娘の着物を借りて身につけました。そして棒の先にわらを巻きつけて、大モグラがすんでいるという、村はずれの草むらに出かけていきました。若者だけでは心配なので、庄屋は力の強い村の者を六人ばかり選んで、ひそかにあとをつけさせました。

やがて日が沈むと、草むらの土がむくむくと盛りあがって、土の中からイノシシほどもある大モグラが姿を現しました。大モグラは娘の美しい着物を目にすると、槍のように鋭い前足の爪をたてて飛びかかってきました。

若者は、さっと身をかわすと、手にしている棒を大モグラの頭に打ち下ろしました。すると棒の先に巻きつけてあるわらが、ヒュウー、ヒュウーと、音をたてて鳴りだし、大モグラは大きなからだをころがして苦しそうにのたうちまわったのです。

そして口の中で呪文のようなものをとなえながら、若者はなおもはげしく、わらのついた棒を打ち下ろします。そうこうするうちに大モグラは動かなくなり、死んでしまったのです。こうして村は、やっと平和をとりもどしました。庄屋は大喜びで、勇気ある若者を娘の婿にむかえることにしたそうです。

おしまい

(山口県の民話)


長者の森

むかしむかし、ある山のふもとに二軒の家がありました。二軒の家は、どちらも貧しい炭焼きの家でした。ある日の事、一軒の家には男の子が、もう一軒の家には女の子が生まれました。そして二人の父親は、子供たちが大きくなったら結婚させる約束をしました。

ところがこの女の子には、山の福の神がついていました。女の子が山へ行くと、ただの木の葉や石ころまで、みんなお金にかわってしまうのです。そんなわけで、女の子の家はお金持ちになっていきました。しかし男の子の家の方は、あいかわらず貧乏なままでした。

やがて二人の子供が年頃になったころ、男の子の父親はむかしの約束を思い出して、息子を婿にしてくれと女の子の家に申し出ました。女の子の父親は約束を守り、二人は夫婦になりました。福の神のおかげで家はますます豊かになっていき、長者屋敷といわれる屋敷には、蔵がいくつもいくつも建ち並びました。

さてそうなると、主人にはおごりが出てきました。遊びに出て夜遅く戻っては、冷めてしまった料理を見て、「こんな冷たいものを、食べられるか!」と、妻をどなりつけるのです。そこで妻は考えて、ある夜、熱いそばがきを出しました。しかし、ぜいたくに慣れた主人は、「なんだ、こんなまずい物!」と、言うと、足で蹴り飛ばしたのです。

すると、ザワザワという音と共に、蔵からたくさんの穀象虫(こくぞうむし)と白い蛾(が)が出てきました。それは主人のふるまいに怒った福の神が、米を全部虫や蛾にしてしまい、自分も立ち去って行く姿だったのです。それからは主人は何をしても失敗ばかりで、やがて広い屋敷もなくなり、一家は行方知れずになってしまいました。

それから月日が流れて、かつての長者屋敷は森になりました。人々はそれを「長者の森」と呼び、ぜいたくやおごった心を持たぬようにとの、戒めにしたということです。

おしまい

(山口県の民話)


キツネの仇討ち

むかしむかし、藤六(ふじろく)という百姓(ひゃくしょう)が旅から村に帰る途中、村はずれの地蔵堂(じぞうどう)のかげで一匹のキツネが昼寝をしているのを見つけました。「よく寝ておる。しかし、キツネの尾は大きいものじゃ」

見ているうちにイタズラしたくなり、藤六はそばにあった棒きれでキツネの尾をたたきつけました。キツネはビックリして、「キャーーン!」と、なきながら山の方へ逃げて行きました。「尾をたたかれたんじゃ。いくらキツネでも化ける間もあるまいて。ワハハハハハ」藤六は大笑いしながら、自分の家へと向かいました。

さて、その日のタ方の事です。その村の五作(ごさく)という百姓がのら仕事を終えて家へ帰ろうとすると、やぶのかげでキツネがしきりにしっぽをふりまわしています。見ていると、キツネは旅に出ているはずの藤六に化けて、すたすたと村の方へ行ってしまいました。

「ははーん、キツネめ、藤六に化けて村の衆をたぶらかそうというんじゃな。よし、化けの皮をはいでやる」五作がいそいで家へ帰ると、なんと藤六と五作の女房が、なにやら楽しそうに話しをしています。「キツネめ、もうおれの家にきてやがるな」

五作はそっと裏口にまわり、棒きれをにぎりしめると、「キツネめ、これでもくらえ! おれはきさまが藤六に化けるのを、この目でちゃんと見たぞ!」と、藤六をなぐりつけました。「ちがうちがう。わしは藤六じゃ。今日旅から帰ったんで、みやげを持ってきたんじゃ」「なにっ。では、まことの藤六か」

やっと本物の藤六とわかった五作は、山の畑で見たキツネの話をしてあやまると、藤六もキツネにイタズラした話をして、「はあ。わしはキツネに仇討ち(かたきうち)されたわい」と、言って、苦笑いしたという事です。

おしまい

(山口県の民話)


鳳凰五斗もってこい

むかし、むかし、大むかしのことです。大きな大きな森のなかに、動物たちと鳥たちとが、たくさんすんでおりました。あるときのこと、どちらがすぐれているか、ということでいいあらそいがおこりました。しかし、いいあらそいでは、どちらがすぐれているのか、きりがつきません。

とうとう、たたかって勝ち負けをつけよう、ということになりました。さっそく、動物たちは、あつまって相談しました。知恵のあるきつねを指揮者にして、作戦をいいわたしました。「わしが相手のようすをみて、ここじゃというときにゃぁ尻っぽをあげる。そしたらみんなは前に進み、尻っぽをうしろにさげたらあとにさがる、ちゅうことにしよう」このとき1ぴきの蜂がまぎれこんでいて、この作戦をすっかりきいていました。

いっぽう、鳥たちもあつまって話し合い、いちばん年よりで、考え深いふくろうが指揮者にきまりました。その夜のこと、鳳凰がふくろうの家をたずねてきて「ふくろうさん、あんたはまこと年をとっちょって考え深かろうが、昼はよう目がみえんじゃないか、それじゃ、ちいとみんなをさしずするちゅうのはむずかしかろう。なんならこのわしがかわっちゃげてもええが。そうじゃ、来年のとりいれになったら、あんたに大豆を五斗さしあげよう」と、ふくろうの大すきな大豆五斗をやる約束をして、ふくろうからのすいせんで、かわって鳳凰が鳥たちの指揮者になりました。

さて、そのあくる日、蜂が鳳凰のとこにやってきて、「わたしゃぁ、鳥じゃござりませんが、羽をもっちょりますけえ、どうぞ鳥さんたちの仲間にいれてつかぁされ。そのかわり、きっと勝つ手を知っちょりますが」といって、きつねの作戦をささやきました。鳳凰はよろこんで、蜂を仲間にいれてやりました。

いよいよたたかいがはじまりました。動物たちは、どんどんせめたててきました。みると、蜂がいったように、きつねが尻っぽをしゃっきりと立てています。そこで蜂が飛んでいって、その尻っぽをチクリとさしました。「いたいッ」と、きつねは尻っぽをおろしてしまいました。

それを見て、動物たちはうしろにさがりはじめ、きつねはあわてて尻っぽをあげました。するとすぐに、蜂がチクリとさしました。きつねはまた、「いたいッ」とおろしました。動物たちは、どんどんうしろにさがっていきます。「しまった」ときつねは尻っぽをあげようとしますが、そのたびに、何かが、チクリ、チクリとさすものですから、とうとうあげることができません。

そこへ、ここぞとばかりに鳥たちがせめたてましたので、動物たちはさんざんに負けてしまいました。鳥たちは大勝利にばんざいをさけびました。気の毒なのはきつねでした。無理をして尻っぽをあげようとしては蜂にさされたので、細い尻っぽがはれあがって、今のように大きな尻っぽになってしまいました。

そして、鳳凰はふくろうとの約束などすっかり忘れてしまったのでしょうか、あくる年のとり入れがすんでも、約束の大豆を持ってはきませんでした。それでふくろうは、鳳凰に約束を思い出させるために、「鳳凰大豆を五斗もってこい、鳳凰五斗もってこい、鳳凰、鳳凰、ホーオー、ホーオー」といつまでもないているのだ、ということです。

(厚狭郡)

(注)鳳凰…古来中国で竜などとともに、四瑞として尊ばれた想像上の瑞鳥。

(山口銀行編纂 山口むかし話より転載)


化けもの退治(ばけものたいじ)
~阿武郡阿東町~

JR山口線山口駅から北へ向かって五つめに、長門峡駅(ちょうもんきょうえき)がある。その近くの阿武川(あぶがわ)の山あいに、長門峡というけしきのよいところがある。

むかし、この長門峡に、年とった母と漁師のむすこが住んでいた。冬のある日、漁師はえものをもとめて、長門峡の中ほどの淵(ふち)を通りかかった。その淵は、淵の中に竜宮があるといいつたえられていることから、竜宮淵(りゅうぐうぶち)とよばれていた。

「もうし、もうし。」どこからともなく、やさしい声がした。漁師は、なんだろうと耳をすまして立ち止まった。すると、すうっとひとりの女があらわれた。わかくて美しいむすめだ。

むすめは、「この淵のあたりは、化けものが出ます。通りかかる人をとっては食べ、今までになん人もの多くの人が食べられました。どうか、あなたの弓と矢で化けものを退治してください。りっぱに退治してくださったなら、どんな望みでもかなえてあげましょう。」といったかと思うと、またすうっと消えてしまった。

漁師はふしぎに思いながらも、むすめのねがいをかなえようと、その日から毎日、竜宮淵のまわりを化けものをもとめてさがし歩いた。みぞれのふるある夕ぐれどきのことであった。「きょうもだめか。」と、漁師は、ひとりごとをいいながら帰りをいそいでいた。

みぞれまじりの冷たい風が、ようしゃなく顔にふきつける。「おお寒。」思わず首をちじめ、背をまるめて走り出そうとしたとき、漁師のゆくえをえたいのしれないまっ黒なかたまりが、にゅうっとふさいだ。

はっとして、漁師は弓をかまえた。黒いかたまりは、目の前にせまっている。大きな口をあけ、目をらんらんとかがやかせ、今にもとびかかろうとしている。漁師はとっさに横にとんで、化けものをにらみつけた。これこそさがしもとめていた化けものにちがいない。

「おのれ化けものめ。」漁師は、弓をひきしぼると、のどのあたりめがけて矢をひょうとはなった。ギャーッという声があって、化けものはどうとたおれた。「やったあ。」

漁師は、たおれた化けもののそばへかけよった。化けものは首に矢を立てたまま、長々と横たわっている。よくよく見ると、それは、全身を銀色の毛でおおわれた大カワウソであった。

漁師は、そのカワウソを鈴ケ茶屋(すずがちゃや)とよばれるあたりの淵まで引きずっていった。そして、そこから川に投げすてた。岩にこしかけて休むうちに、さっきのつかれがどっと出て、漁師はついうとうととした。

と、どこからともなくいいにおいがただよいはじめた。ふえやたいこのこころよい音も聞こえてきた。みぞれはまわたのような雪に変わっていた。漁師がわれにかえって川を見ると、この前の美しいむすめが、金銀、宝石をちりばめた船に乗って近づいてきた。

「化けものを退治してくださったお礼に参りました。どうぞこの船にお乗りください。」漁師は、むすめに言われるままに、ゆめごこちで船に乗りこんだ。船は音もなく川を下り、まもなくりっぱな御殿(ごてん)についた。

それからというもの、漁師は月日のたつのもわすれ、毎日をゆめのようにすごした。美しい音楽と見たこともないごちそう。おとひめという美しい姫と侍女たちにもてなされる毎日。何ひとつ不自由のない、楽しい毎日だった。

そのうち、漁師は、ふと年とった母と家のことを思い出した。するとやもたてもたまらず家へ帰りたくなった。おとひめたちがとめるのをふりきって、漁師はとうとう帰ることにした。

おとひめは、みやげにたくさんの宝物をつんだ船を漁師におくってくれた。わが家へ帰った漁師は、それから村いちばんの長者になり、年とった母としあわせにくらしたということである。

のちに、漁師が大カワウソを投げこんだ淵を「カワウソ淵」、長者になった漁師が住んでいたあたりを「長者が原」、とよぶようになった。「カワウソ淵」と「長者が原」は、その後佐々並ダムができたために、今は水底にしずんでいる。

また、竜宮へ向けて船を出したあたりは「江舟(えぶね)」と名づけられ、今もその地名は残っている。

題名:山口の伝説 出版社:(株)日本標準
編集:山口県小学校教育研究会国語部




(彦島のけしきより)