海辺の昔ばなし 藤井かくいち著、家庭の燃料、スクド | 日本の歴史と日本人のルーツ

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スクドの時代

マツは針葉樹である。幹や枝のあちこちに樹脂(マツヤニ)が吹き出している。松葉を水に浸すと油が浮く。樹脂が松葉に化けたようである。また、マツはほかの木にくらべて燃料にも適している。火の着きがよく、しかも火力が強いので重宝がられている。松葉が木での役目を終えると枯松葉となり、雨にたたかれ風に吹かれて地上に散り敷く。

北浦地方ではこれをスクドとよぶ。風雨の続いたあと、よく山へスクドを掻きに行ったものだ。タケで作った「スクド掻き」でスクドをかき集め、巧みに束を作りあげる。束の大きさは径六十~七十センチくらい。長さ一・二メートル程度の円筒形。それを背負ってわが家に持ち帰り、木小屋や軒下に積んだ。

そこで、七輪 (コンロ)で木炭に点火する方法である。まず、七輪にスクドを入れて火をつける。消し壷から消し炭を取り出し、燃えさかるスクドの上に置き、団扇であおいで消し炭に点火する。消し炭が火になると木炭を入れ、再び団扇であおいだ。

消し炭を作るには、風呂をたいた残り火やたき火のオキを消し壺に入れて密閉する。これでオキは火つきのよい消し炭となる。風呂の追いだきには、火つきがよく、その上、火力の強いスクドがよく使われた。すぐに風呂は適当な湯かげんとなり、それは便利がよかった。家庭ではスクドを絶やすことはできなかった。

海では、船の底によく虫がついた。そのままにしておけば虫が船底に穴をあける。じつにやっかいな代物であった。そんなとき、船を浜に引きあげて虫の殻を取り除く。そのあとスクドをたいて虫を焼き殺す。港のうちでは潮流の変化が少なく、虫が発生しやすい。特牛の造船所近くにスクド掻きの老婆がいて、いつも船の人たちにスクドを売っていた。

こんな笑えない話が伝えられている。あるとき、新造の底見船を浜に引きあげ、スクドを燃やして船底を焦がした。翌朝、浜に出ると船が見えない。「盗まれたか」と、体中に緊張がはしった。しかしそれは、昨日船底を焦がした残り火で船が焼けてしまったのだった。そこには灰たけが残っていた。新船の木材は新しい。なまなましくて燃えやすい。新船の底に火気を当てる場合は、とくに注意が必要とされる。

現在では、家庭の電化、ガス化が定着して、台所や風呂にスクドを使用することはまずない。また、マツはマツクイムシの被害をうけて多くが枯れてしまった。山はマツの残がいをさらし、哀れというか、みじめな姿をとどめている。いまではスクドを目にすることさえできなくなった。長い年月、人々に恩恵をもたらしたスクドであった。

文明の時代とマツクイムシ被害のため、スクドは伝説の世界に追いやられようとしている。

(海辺の昔ばなし 藤井かくいち著)

(彦島のけしきより)


注1: よく似た言葉にスクモがある。これは、籾摺り機から出てくるお米の籾殻を乾燥させたものである。かつてはスクモも燃料にしていたが、現在はコンバインから直接、水田に放出・廃棄する。


注2: 松の幹にV字の傷を付けて滲み出る松根油は航空機燃料になったようで、戦時中に採取した。古木にはその傷跡が残っていた。


参考