巌流島とは | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

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巌流島とは

関門海峡に浮かぶ巌流島の正式名称は「船島」。下関市の彦島江の浦東岸250mにあり、北端に小山があるほかは平らな島で、現在は無人島です。この島で、慶長17(1612)年4月13日に宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘し、敗れた佐々木小次郎の流儀「巌流」をとって巌流島と呼ばれるようになりました。 現在は、観光周遊船が接岸できる浮桟橋をはじめ、決闘の地を連想させる海浜整備、宮本武蔵・佐々木小次郎両雄の像、関門海峡沿いには散策道や休憩所も整備されました。大小さまざまな船が行き交う関門海峡の雄大な景観を眺めつつ、潮風に吹かれながらの巌流島散策がお楽しみいただけます。

船島(巌流島)

所在地 下関市大字彦島字船島648番地
島の周囲 約1.6km
島の面積 約10.3万㎡(※島の約1/3を下関市が、2/3は民間企業が所有)
・明治期以降数度の埋め立て、現在の面積は決闘当時に比べて3~6倍程度大きくなっていると言われています。
・現在は無人島ですが人が住んでいたこともあります。

(下関たのしい旅のコンシェルジュ「楽しも」より)


巌流島の決闘

1612(慶長17)年4月13日に、長門の国「船島」(現在の巌流島)で宮本武蔵(当時29歳)と佐々木小次郎が決闘をしました。当時、諸国をまわったのち小倉の細川家に仕え、小倉城下に道場を開いていた佐々木小次郎に、諸国修行中の武芸者宮本武蔵が、細川家の家来であった長岡佐渡を通じて試合を申し込みました。試合場所に指定されたのが、船島(巌流島)でした。
決闘の約束は辰の刻(午前8時)でしたが、武蔵の到着が遅れ島に着いたのは、巳の刻(午前10時)になりました。小次郎は波打ち際で武蔵を迎えました。遅参に怒った小次郎は鞘を投げ捨て、刃渡り三尺はありそうな刀を抜きました。武蔵の前頭部に振り下ろされましたが、刀は武蔵の鉢巻の結び目を切っただけで、かわりに武蔵は船の櫓ろをけずって作った長い木剣で小次郎の頭を打ち砕き、小次郎はばたりと倒れました。武蔵はとどめを刺すことも忘れ舟へ飛び乗り、下関へと急ぎました。
武蔵はこの後、細川家に仕えて晩年を全うしましたが、敗者を想う地元の人々は敗れた小次郎の流派をとって後に「巌流島」と呼ぶようになりました。
※武蔵と小次郎の決闘については諸説あります。

昭和・平成の巌流島の戦い

昭和の時代以降も「決闘の聖地」として様々な決闘が行われました。

1987年10月4日に行われた新日本プロレスの企画したアントニオ猪木とマサ斎藤によるプロレスの試合。が巌流島で行われた。武蔵と小次郎の戦いに倣い巌流島を決戦の場所に定め、無観客試合、時間無制限、ノールールで行われた。午後4時30分、試合開始となったが猪木はまるで武蔵のようになかなか姿を現さず、ようやく30分後、斎藤に向かって歩み寄っていった。

試合は一進一退の攻防が続き、夕暮れになるとコーナーポストにかがり火が立てられた。試合が2時間経過し、両者フラフラになりながら決闘は続いた。そして、2時間5分14秒、猪木は斎藤の背後から裸絞めを決め、猪木のTKO勝利となった。絞め落とされた斎藤は担架で運ばれた。

2012年05月には宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘400周年を記念したチャリティーイベント「レジェンド・ザ・プロレスリング『巌流島5・5マッチ』」が開催されました。地元出身の初代タイガーマスク、佐山聡さんらの熱闘を約3000人が観戦。東日本大震災で被災した岩手県宮古市から招かれた子どもたちも声援を送った。

(下関たのしい旅のコンシェルジュ「楽しも」より)


巌流島略年表

1584(天正12)年 武蔵、美作国讃甘村宮本(みまさかのくにさのもそんみやもと)にて出生
1600(慶長5)年 関ヶ原の戦い 武蔵、西軍として参戦
1612(慶長17)年 4月13日 宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘
1645(正保2)年 武蔵、没す
1849(嘉永2)年 吉田松陰が上陸、小次郎の墓に参る
1867(慶応3)年 坂本龍馬とおりょうが巌流島で花火を上げる?
1910(明治43)年 「佐々木巌流之碑」建立
1921(大正10)年 斎藤茂吉が島へ渡る
「わが心いたく悲しみこの島に命おとしし人をしぞおもふ」
1973(昭和48)年 島に残った最後の老人が島を去り、居住者ゼロとなる
1987(昭和62)年 アントニオ猪木とマサ斎藤のプロレスマッチ興行
1990(平成2)年 巌流島で岡山県大原町(武蔵出生地)と福井県今立町(小次郎出生地)が下関市・熊本市両市長の立会いのもと、姉妹縁組に調印
2002(平成14)年 12月11日 小次郎像完成
大河ドラマ小次郎役のTOKIOの松岡昌宏氏臨席のもと除幕式開催
2003(平成15)年 1月 NHK大河ドラマ「武蔵 MUSASHI」放映開始
4月14日 武蔵像完成
大河ドラマ武蔵役の市川新之助(現・市川海老蔵)氏臨席のもと除幕式開催
2012(平成24)年 武蔵・小次郎巌流島決闘400周年
巌流島決闘十番勝負開催

(下関たのしい旅のコンシェルジュ「楽しも」より)


巌流島の見どころ

巌流島には「武蔵・小次郎像」「佐々木巌流之碑」や「巌流島文学碑」などが建てられています。また、島の大部分は公園として整備され、人工海浜や多目的広場が設けられています。散策道から見る、さまざまな船が行き交う関門海峡の雄大な景観も魅力です。潮風に吹かれながら、はるか昔の決闘に想いを馳せながらの散策されてみてはいかがでしょう。

佐々木巌流之碑

巌流島の少し奥まった所に、「佐々木巌流之碑」がひっそりと佇んでいます。島の埋め立て完成を記念して明治43年に建立されたました。

巌流島文学碑

船着場から最初に出会うモニュメント。画家・古館充臣氏が書いた武蔵と小次郎の姿が描かれたイラストと、村上元三作「佐々木小次郎」の一説が刻まれた舟型の石碑です。

武蔵・小次郎像

展望広場に建てられている、対峙する「武蔵・小次郎像」。武蔵像は2003年4月、小次郎像は2002年12月に建立されました。

散策道・人工海浜

宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘を行った砂浜を再現した砂浜です。武蔵が巌流島に渡る時、乗った小舟まで再現されています。

巌流島に渡る

巌流島には直行便が運行しています。1日約10便運行しています。※時期により異なります。
また、チャーター船も運行されています。
詳しくは下記ホームページまたは直接お問い合わせくださいをご覧ください。

■直行便・チャーター便(下関発着)

巌流島連絡船(関門汽船株式会社)
宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘の地で有名な巌流島(船島)まで片道約10分で案内します。船内では巌流島の歴史や両岸風景の案内もあるため遊覧船気分も味わえます。

http://www.kanmon-kisen.co.jp/route/ganryujima.html

■チャーター便(彦島発着)

巌流島渡船(森造船)
☎ 083-266-1009

(下関たのしい旅のコンシェルジュ「楽しも」より)





(彦島のけしきより)