しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻、戦前の商家 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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亀屋薬舗(明治末年ころ)

西之端町にあり、文禄元年から亀屋の号で薬種商を営み、明治二十二年に当主伊藤房次郎が初代市長を、二代後の伊藤房次郎は『関の町誌』を著している。現在も唐戸町で薬店を営んでいる。

(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)


山尾文花堂(明治末年ころ) 

名池町にあり、屈指の文房具店で小売と卸売を営んだ。

(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)


松尾紙商店(明治末年ころ) 

岬之町にあり和洋紙·製図用紙・活版石版印刷用インクなどを取り扱った。

(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)


安部時計店(明治末年ころ) 

観音崎町にあり、時計のほか、指輪や眼鏡なども販売し、市内屈指の時計店であった。

(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)


秋本秋豊堂支店(明治末年ころ) 

本店は入江町で、支店が赤間町にあり、創業は明治十二年で市内屈指の老舗。現在も赤間町で薬店を経営。

(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)


錦波楼旅館(明治末年ころ) 

唐戸町にあり、天草丸・台北丸など船名の看板から、乗船予定客の宿泊もうかがえる。大阪商船の荷物を取り扱う、回漕部もあった。

(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)


西村宗四郎商店(明治末年ころ) 

岬之町にあり、鯨肉の一手販売などで、市内屈指の商店であった。近代捕鯨の基地でもあった下関ならではの店。

(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)


平戸商店(明治末年ころ)

観音崎町にあって、毛織物の老舗。

(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)


谷口下関支店(明治末年ころ) 

西南部町にあって、上の看板から、大阪に本店あったのであろう。

(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)


杉浦芳太郎商店(明治末年ころ)

西南部町にあり、米国製の無水アンモニアガスなどを取り扱い、日本西部代理店をしていた。そのほか輸入品を取り扱い、店内にはすでにタイプライターが置かれている。

(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)


富田屋商店(明治末年ころ) 

西南部町にあり、洋服部とラシャ部があり、英国から直輸入のラシャを取り扱っていた。

(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)


呉服店内部(明治末年ころ)

明治三十四年に山陽鉄道が開通すると、ますます交通の要衝の地となり商業も栄え、多くの店員を抱えた呉服店が店を構えた。

(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)

(彦島のけしきより)