うにの文化誌、見島を訪ねて、山口県萩市 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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『見島を訪ねて』1

日本海に浮かぶ孤島。太陽が、水平線から昇り、水平線に沈むのをただ一カ所で見ることのできる全国的にも珍しいー島、見島。海賊の基地、流人の島、おとぎ話の龍宮城の島、見島。

それらをはるかに超えて(私にとっては)ウニの島、見島である。見島にぜひ一度行ってみたい。ウニ採りをこの目で見たい、と思っていたら風の便りで六月十二日が口開けの日だ、と知った(昨年)矢も楯もたまらず十一日早朝、東萩駅を目ざして山陰線の列車にとび乗った。

途中、長門市駅で乗換えて東萩駅に八時過ぎに着いた。萩商港へタクシーで五分。定期船ののりばには「はぎ丸」(一八五トン)が待っていた。客はまばらであった。船に酔っては困るので、腹八分の食事にと加減していたので一時間経った時点までは、正気であった。天気は晴れであったが何しろ海上四十五kmだからたまらない。

それに一月下旬に退院して、やっと体力がついたなと自覚し始めたばかりなので、小便に行ったら荒れる海に頭がくらくらして、ローリングに脚をとられトイレを出たところで倒れた。左に右にごろごろと体は棒のようにころがった。つばを吐くが、のどの奥からの嘔吐の苦しさはたまらない。

島の出身者らしい青年は、楽々と甲板を往復している。私を老人と見てか、介助をして船底の下の船室におろしてくれた。しばらくしたら吐き気もおさまった。波も静まったようだ。本村港へ着いた。次の終点宇津港へ出港まで二時間余りあるというので、一応下船した。

次までは十五分しかかからないというので、桟橋近くに食堂はないか、と探してみた。そこへ人の好さそうな初老のおっさんがやってきた。宇津港まで行くのなら、便乗させてあげるよと軽四の貨物車を持ってきた。

民宿はきめていなかったので、おっさんの知人の宿まで連れて行ってもらった。それが「弁天荘」だった。本村港から、目指す宇津港までは、峠を一つも二つも越して行った。左右には「集塊岩を伴う玄武岩の溶岩流が全島を覆っている」と『見島の概要』(萩市役所見島支所、平成七年刊)にある通りだった。宿の小母さんに急いで、ひるめしを作ってもらって食べた。

(うにの文化誌 藤野幸平)


『見島を訪ねて』2

明日(六月十二日)の口開けのことを調べるために、宿の近くの宇津漁協を訪ねた。大きな建物であった。とび入りの私を親切に、あれこれと「ウニ」を中心に語ってもらった。近くに農協の百円市が朝市としてあることも知った。

その夜は、弁天荘の主人で、漁船兼遊漁船の船長でもあるたくましい海の男夫妻の話をきくことができた。もちろんテーマは「ウニ」である。一夜が開けた。今日が口開けというのに空模様はよくない。九時すぎだった。口開けは決定された。一斉に「ウニ」採りの漁船は、目指す漁場へと向かった。

岸壁には漁協参事の山谷勝昭氏の顔があった。波もかなり荒いし、漁船に便乗させてもらう元気もなかったし(あっても、漁のじゃまをするのがおちなので)、大漁を祈って弁天丸船主に別れをつげて帰途についた。帰路は用事があるからという弁天荘の奥さんに本村港まで、便乗させてもらった。

市役所の見島支所に寄って、あれこれと島のことを教えてもらった。萩市街から四四・三皿の見島、対馬暖流の影響で、年平均気温十七度で瀬戸内海よりかえって暖かいという。

本村は農業が主で漁業は僅かで、合計九三五人。宇津は漁業が主で合計三四二人。別に自衛隊員一二三人を加えて、全島総計一四〇〇人である。農業総収入が一億五三四五万四千円で、別に葉煙草七二二四万四千円。漁業総収入は二億八六一三万六千円で、総計五億一一八三万四千円である。

肝心のウニ漁はどうか、よく調べてみると見島漁協では、全漁獲量の一%の○、四トン、四一三万四千円である。宇津漁協では、バフンウニが○、五%の、二トン、一○九八万一千円。赤ウニ、○、六%一、四トンで、三三九五万九千円。黒ウニは〇、六%の一、四トンで三、四七万七千円、となっている。これはすべてむき身での重さのことである。

宇津の方が、ウニ漁では、断然、見島をぬいているが、漁業全体の漁獲、価格では見島の方が宇津より勝っている(約二倍である)。それは漁船数にも現れている。またウニ漁は、宇津漁協では、年間を通して、各種のウニを採っていることがわかる。漁場はかなり沖で、主としてウェットスーツを着用しているようである。また、かなり深い所まで潜水するために、錘りを使用する者もいるようだし、夫婦二人で協力しているともきいた。

また宇津漁協では、加工場で「ウニめし」を炊き上げて凍結し、萩の海産物製造販売会社(井上商店)で、加圧過熱殺菌したものをレトルトパック「うにめし」として販売した(毎日新聞、一九九五年一月十七日、下関版)ということである。また両者は、技術協力をして、一週間保存可能の生ウニ海水保存法を開発したと、私が行ったときに新聞報道で知った。

見島からの帰途に同店に立寄ってみたがあいにく、ウニ解禁が昨日で、生ウニが入っていないということであった。何れいいタイミングを見て、プラスチック容器入りの「生うに」を見たいものだと思っている。何れにしても、見島のウニ(宇津漁協のもの)は、大きな夢を私に描かせてくれた。

(うにの文化誌 藤野幸平)

(彦島のけしきより)


参考

赤矢印: 本村港
黄矢印: 宇津港

見島、山口県萩市