旧東洋捕鯨株式会社と旧西宗商店、下関市 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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(明治期日本捕鯨誌より)(彦島のけしきより)


参考

① 旧東洋捕鯨株式会社(参考)

東洋捕鯨は、山口県人の岡十郎が中心となって1899 年に設立された、日本で初めてノルウェー式捕鯨を成功させた日本遠洋漁業株式会社を起源とし、1904 年に日露戦争で拿捕した捕鯨船や工船の払い下げを受けるために国会議員を中心に発足した日韓捕鯨株式会社を合同して東洋漁業株式会社となった。


② 旧東洋捕鯨株式会社下関支店(参考)

山口県下関市岬之町13-7

明治42(1909)年に設立された東洋捕鯨株式会社は、明治32(1899)年に設立された現在の長門市仙崎に本社を置く日本遠洋漁業株式会社を前身とし、大正期には日本の捕鯨事業をほぼ独占しました。日本遠洋漁業株式会社の時代から、現在の下関市岬之町に出張所が開設されていました。

 昭和9(1934)年に企業合併によって日本捕鯨株式会社に改称。のちに共同漁業株式会社、昭和12(1937)年には日本水産株式会社に名称が変わりました。企業合併で日本捕鯨となってからは、日本初の南氷洋捕鯨船団を送り出しています。船団は3ヶ月もの間漁をして、主に鯨油を生産していました。

 下関の捕鯨の歴史は縄文時代にまでさかのぼり、中世以降は16世紀から始まったとされる長州捕鯨とよばれる古式捕鯨が現在の長門市、萩市などの周辺に設立された鯨組を中心に行われました。下関市も鯨肉・鯨油の中継基地として繁栄し、長州藩は有力な財源として捕鯨を奨励。明治期まで力を入れていましたが、ロシアが日本海で捕鯨活動をしたため沿岸の古式捕鯨は衰退していきます。

 その後、近代式捕鯨としてノルウェー式捕鯨法が取り入れられ、日本における発祥地として再び活発化しました。特に下関市は戦前・戦後を通じ、南氷洋捕鯨基地として捕鯨関連産業を中軸に国内有数の地位を築いています。

 中でも蜂谷ビルは「下関における捕鯨業の隆盛を偲ばせる事務所建築」として、市のあゆみを伝えるものであり、重要な文化財です。

 窓の間にある方立(ほうだて:開口部材を支える垂直の間柱)にはタイルが貼られ、外壁はモルタル仕上げ。外壁から突き出して設けられた柱形の頂部には、幾何学模様の装飾があります。

 昭和53(1978)年に増築された部分を除く約240平方メートルが平成25(2013)年に国登録有形文化財となっています。登録後に建物の特徴を活かした改修が実施され、平成29(2017)年3月から一部が飲食店として使用されることになりました。レストラン内の中心飾りや柱は当時のままの面影を保っています。


③ 西宗商店(西村宗四郎商店)と東洋捕鯨株式会社下関支店(参考)

岬之町の王司山周辺の拡大
赤丸: 西村宗四郎商店(西宗商店)
黄丸: 東洋捕鯨株式会社下関支店


④ ニッスイ創業の地(参考)