下関大丸のカッターシャツ売場 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

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カッターシャツ売場(昭和40年)

「下関大丸50年史」より)(彦島のけしきより)


参考

「ワイシャツ」と「カッターシャツ」の違い

違いが分かる辞典(参考)

ワイシャツもカッターシャツも和製英語で、ワイシャツはホワイトシャツの訛りであるが、白いシャツに限らず、色や柄のついたものも指す。

カッターシャツは、スポーツ用品メーカーのミズノ(美津濃)が作ったスポーツ用シャツで、元は商標名であったが、現在ではワイシャツのことをいう。

ワイシャツとカッターシャツは同じものを指すが、「ワイシャツ」は東日本で多く呼ばれ、「カッターシャツ」は西日本で多く呼ばれる。

西日本で「カッターシャツ」と呼ぶことが多くなったのは、ミズノの本社が大阪にあり、呼称が浸透しやすかったからと考えられる。

社会人が背広の下に着るものを「ワイシャツ」と呼び、学生が学生服の下に着るものを「カッターシャツ」と呼び分ける地域もある。

呼び分けの始まりは不明だが、カッターシャツは元々スポーツ用シャツなので、イメージ的に学生とは結びつくが、社会人には結びつきにくいことや、学生服は制服(ユニフォーム)で、背広は制服ではない、学生服の下に体操服を着る学校もあるといったことから、学生服の下に着るのが「カッターシャツ」で、背広などの下に着るのが「ワイシャツ」と呼び分けるようになったのであろう。