空襲を受ける前の亀山八幡宮、下関市 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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亀山八幡宮と海峡(昭和九年)

大鳥居の左に新築されたばかりの唐戸魚菜市場があり、右にあった料亭海月は、別の建物になっている。


亀山八幡宮(昭和十八年) 

絵ハガキに"鎮西第一勝亀山宮"とあり、楼門と廻廊があり荘重な構えである。石段右の波乗りフクの銅像は、戦時中に供出された。


亀山八幡宮の能舞台とお亀イチョウ(昭和五年)

能舞台は長府藩三代藩主毛利綱元の寄進で、現在なお神事能が伝わっている。お亀イチョウは、この辺りの埋め立ての際、人柱となった「おかめ」の功績を称えて植えられたもの。

戦災で焼失後、若樹が復活している。


亀山八幡宮からの展望(昭和五年) 

古くから鎮西第一勝の地·西海第一関と呼ばれ、景勝地として知られていた。幕末の攘夷戦では砲台が置かれ、交戦したが死傷者がなかったことから、矢除八幡宮とも呼ばれた。

(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)(彦島のけしきより)