日本の時代の変化の節目に下関が登場! | 日本の歴史と日本人のルーツ

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尊王攘夷思想で成し遂げた明治維新は下関からスタートした。

その前、室町幕府を作った足利尊氏は下関市長府の忌宮神社に戦勝祈願をしている。さらに、鎌倉幕府を作った源氏の最後の壇ノ浦の合戦は当然、下関であった。

さらに遡って、弓削の道教の野望を打ち砕いた和気清麻呂は北九州市小倉北区の足立山の山頂で北極星、すなわち北方向(下関方向)に向かって祈っていた。

さらに古代には、下関市吉母の地元の伝説では、神功皇后は吉母海岸の藻を寄せて応神天皇を産んだとされている。

すなわち、日本の時代の変化の節目に下関が登場しているのであった。

ところで、Ikuo Yamamoto氏によると、下関市の金毘羅宮の別当寺の譜応寺の裏側に歴代住職の墓石が並んでいるが、実はこの場所には、かつては明智光秀が寄進した庭があったと言い伝えがあるらしい!豊臣秀吉に敗れて死んだ明智光秀が下関に来るはずはないので、眉唾物と考えられる。しかし、ひょっとすると、生き延びて下関の金毘羅宮に再起の祈願をしたのかも知れない。


参考

① 足利尊氏は忌宮神社で戦勝祈願して、室町幕府を作った

下関を抑えた者が政権を執る!

この御代(みよ)は にしの海より おさまりて よもにもあらき 波風もなし 足利尊氏(長府忌宮神社/奉納和歌)

足利尊氏と下関

下関を抑えた者が政権を執る。豊島河原の戦い(1336)に破れた尊氏に、それでもつき従った武士団。防長2州の大内厚東の武士団。

それは新たな時代への希望の道だった。少弐・宗像氏の支援を受け九州を平定した尊氏は4月3日大宰府を進発、長門府中(長府)にしばらく逗留、忌宮神社に戦勝祈願後、京を目指す尊氏が乗った御座船は、なんと義経が壇ノ浦で乗った船、新たな時代が始まるのでした。



② 和気清麻呂が北九州市小倉北区の足立山の山頂で天皇の安泰を願い、創建した神社が足立山妙見宮(参考)

弓削の道鏡の天皇就任を阻止のために宇佐神宮の託宣を確認した和気清麻呂は足の筋を切られ大隈国に流される途中、救出されて宇佐神宮のお告げで小倉の足立山に行って、足の治療をして、さらに足立山頂で天皇の安泰を願ったら、その通り叶えられたので神社を創建した。妙見宮祭神は、天之御中主神、北極星。


③ 下関市吉母に伝わる伝説、応神天皇の誕生地(参考)