みなと祭り、下関市 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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みなと祭

終戦直後の混乱がまだ続く昭和22年、市民の復興意欲を奮起させるため下関復興港祭として開催されたのが始まり。素人芸能コンクール、仮装行列、ミス下関選奨などが行われた。翌年にみなと祭と改称している。写真は奇兵隊に扮したシャギリ隊の演舞のようす。〈豊前田町·昭和37年·撮影=吉岡一生氏〉


みなと祭

茶山通で踊るシャギリ隊。〈茶山通り.昭和37年,撮影=吉岡一生氏〉


みなと祭

船を模した山車が街中を行く。左の建物は下関警察署。〈細江町·昭和27年·提供 =田中裕氏〉


みなと祭

こちらも山車(大洋漁業の捕鯨船)のパレードのようす。身動きがとれないほどの人出である。(下関駅付近·昭和20年代·提供=田中裕氏)


みなと祭

可愛らしい今浦町のシャギリ隊。〈今浦町.昭和20年代。提供 = 岩倉千鶴氏〉


平家踊り

壇之浦の合戦で敗れた平家を供養するため行われた盆踊が始まりとされる。三味線、太鼓、空樽によるお離子、七七調の音頭に合わせて踊られる。上写真は関門橋の開通を祝って踊っている。右写真では火の山のロープウェイ山頂駅前広場に櫓を組んで踊った。〈上:みもすそ川町·昭和48年、右:火の山山頂 昭和52年·提供=平井敬司氏〉


第一回海峡まつり

春に行われていた催しをまとめて、昭和61年から海峡まつりとして行われるようになった。上臈道中、八丁浜祭、ジャンボふく鍋、源平船合戦など多彩なイベントが行われ、下関最大の祭りである。写真は赤間町での八丁浜総踊り。〈赤間町·昭和61年·提供=下関市〉


(下関市の昭和より)(彦島のけしきより)




(下関みなと祭1958年より)


みなと祭り(昭和二十年代)

港町にふさわしい山車が出て、復興の意欲に燃え賑わっている。


みなと祭リ(昭和二十年代)


みなと祭リ(昭和三十年) 

下関駅西口でのパレード。


五穀祭(昭和初期)


五穀祭(5月2から3日·亀山八幡宮)

明治年代の八朔祭が前身。八丁浜とも呼ばれ、亀山八幡宮近くの広さ八丁の浜を埋めた故事に由来。シャギリや仮装で賑わう。


(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)


(彦島のけしきより)