先帝祭、下関市 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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先帝祭 

赤間神宮の祭礼で、壇之浦の戦いで敗れた平家の悲話にまつわる。写真はどちらも下関駅付近を行く上脳道中。〈竹崎町·左:昭和 20年代·提供=田中裕氏、下:昭和27年,提供=藤川徹氏〉


上臈の赤間神宮参拝 

上臈は源平合戦で滅亡した平家の女官の悲哀な運命にまつわる。数え年8歳で海峡に入水した安徳天皇の霊を慰めるため、ご命日に赤間神宮に参拝する。

太夫たちは境内に架けられた天橋を外八文字という独特の足運びで渡り参拝する。〈阿弥陀寺町·上:昭和30年代·提供= 村岡清吉氏、左:昭和20年代·提供= 田中裕氏〉


上臈道中 

華やかな上臈が豊前田町商店街を行く。〈豊前田町.昭和62年,提供 = 谷山昇氏〉


田中絹代と木暮実千代の上臈道中

昭和43年は明治維新100年を迎えた年で、その記念に下関出身の女優である田中絹代と木暮実千代が帰郷し、先帝祭に参加した。前方が禿役の田中絹代、後ろが上臈役の木暮実千代。〈阿弥陀寺町 昭和43年·提供 =下関市〉

(下関市の昭和より)


上臈道中


阿弥陀寺御陵

(西海の渦潮 長州歴史紀行より)


上臈道中


先帝祭

(水都の調べ 関門海峡源平哀歌より)

(彦島のけしきより)