小倉市役所庁舎の変遷 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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小倉市役所

市役所としては二代目の建物で、室町の時である。この庁舎には、大正五年、大阪町の庁舎(現福岡銀行支店、井筒屋前)から引越した。しかし足掛け七年で、田町三四二番地の庁舎に移り、これが戦後まで続いた。


小倉市役所

明治三三(一九○○)年四月、市制施行と同時に、もとの町役場を市役所にした。現在の福岡銀行支店(井筒屋の前)の位置であった。大正五年に室町に移り、更に大正一二年一二月、現在の小倉北区役所の位置に移った。写真がそれである。


市役所移転案内

昭和二七年一月、火災のために建物の一部が焼失。そのため金田の仮庁舎に移転することになった。これはその案内板。


小倉市役所金田仮庁舎

昭和二七年一月一七日午後一一時三○分ごろ、出火のため田町の庁舎を全焼したので、二八日、金田のこの仮庁舎へ移転した。


小倉市役所

昭和二九年六月一日、落成式を行ったこの市庁舎は、小倉市としては、最後の市庁舎となった。昭和二八年一月一八日起工、昭和二九年五月三〇日完工、総工費は、二億三五九四万四一三三円であった。

(明治大正昭和「小倉」より)(彦島のけしきより)


参考

赤丸: 初代小倉市役所(現福岡銀行支店)
黄丸: 二代・四代 現リバーウォーク北九州
緑丸: 三代 現小倉北区役所庁舎

三代と四代の間に金田仮庁舎があった。