高校生であった昭和46年頃まで、下関駅前などで、傷痍軍人が白衣に兵隊の帽子を被り、跪いたり、アコーディオンを弾いたりして物乞いをしていた。
終戦後26年は経っており、なんで今頃?、ニセの傷痍軍人では?と思いつつ通り過ぎていた。
二十歳位で負傷して引き揚げて来たとすると、終戦から高度成長時代直前までの20数年間、最も働き盛りの人生をまともな職業に就けずに身体障害者として乞食同然に生きてきたのであろう。
片手を失っていた漫画家の故水木しげるさんの思い出に、紙芝居など色々、仕事をしたが、どうしてもお金が稼げない時は街頭に立ったと話しておられた。
参考
旧下関大丸前(二代目)
下関駅西口にあった頃の大丸玄関前のようす。出入口には多くの買物客が行き交う。左に戦後しばらく見られた、支援を呼びかける戦傷兵の格好をした男性が立っている。〈竹崎町,昭和46年·提供=平井敬司氏〉
(下関市の昭和より)(彦島のけしきより)