木屋川河口の陶器工場、下関市王喜宇津井 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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豊田製陶所周辺

昭和30年頃の工場全景で、中央部に作業棟が並び、その間に登り窯の煙突が見える。当時の芝集落のようすで、工場は木屋川河川公園に代わる同40年まであった。

明治元年、豊田藤三郎が宇津井皿山に登り窯を築き、日常雑器「長州焼き」を始め、大正時代には村の一大産業となった。

昭和初期から化学工業用硫酸瓶の需要が増大し、陶土の搬入と製品出荷に便利な木屋川河口に工場を移転した。〈王喜宇津井·昭和 30年頃·提供 = 豊田久美子氏〉

(下関市の昭和より)(彦島のけしきより)


参考

木屋川ラブリーパーク

最近

1975年(昭和50年)

1963年(昭和38年)