第三関門丸 (第四関門丸は同型船、第五関門丸は改良船)
第五関門丸
(九州の鐵道の歩み(昭和48年刊)、門司百年、関門海峡渡船史 澤忠宏著、彦島のけしきより)
参考
①-1 第一〜第五関門丸(wikiより)
第一関門丸、第二関門丸は横浜船渠が建造し、第一関門丸は1919年(大正8年)7月3日に、第二関門丸は1919年(大正8年)8月1日2就航する。初めての自航式貨車航送船である。
第五関門丸が就航すると、第一・第二関門丸は予備船とされた。
1942年(昭和17年)7月1日、関門鉄道トンネルが開通し、下関・小森江間の鉄道車両渡船(関森航路)が廃止される。
そのころ宇高航路の貨物輸送が増大し、第一宇高丸、第二宇高丸では対応しきれなくなり、はしけによる曳航が行われていた。そこで、関森航路で使われていた第一~第五関門丸の5隻を宇高航路に転用し、輸送量の増大に対処することとなった。
①-2 宇高航路を退役した後(澤忠宏 関門海峡渡船史より)
② 昭和25年から8年間、関門海峡で運行を再開(wikiより)
国鉄での運航終了後、西日本鉄道が関門海峡における自動車航送を目的に設立した日本自動車航送に譲渡され、1950年(昭和25年)8月1日から運航したが、1958年(昭和33年)に関門国道トンネルが開通したため同社の自動車航送が廃止され、運航終了した。
③ 外輪船の就航前は貨車を乗せた船(はしけ)をタグボートで牽引した(wikiより)
1911年(明治44年)、宮本組の経営者であった宮本高次は伝馬形和船に甲板と線路を取り付け、7t積み貨車3両を直接積むことができる艀を試作した。この艀は同年10月1日から正式採用され、従来の貨車と艀の貨物積み替え作業をなくし、輸送の効率化が図られた。これは日本初の鉄道車両航送である。貨車積み込み設備は下関市の竹崎と門司市の小森江に設けられ、従来の下関 - 門司港間の航路は旅客・郵便・手小荷物のみの扱いとなり、貨物輸送の運航区間は下関 - 小森江間に変更され関森航路と呼ばれるようになった。