関門橋の建設工事から開通まで、下関市 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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工事中の関門橋

本州と九州を結ぶ道は昭和33年に開通した関門国道トンネルが既にあったが、年々増加する交通量に対応するため関門橋の建設計画が持ち上がった。同43年に着工され48年に開通した。

〈壇之浦町·昭和47年·提供=江川修氏〉


キャットウォークの架設 

昭和46年8月の工事風景。 キャットウォークとは作業用の足場のことで、先に架けたパイロットロープを利用して架設する。

9月には下関市と北九州市両市長がキャットウォークの渡り初めを行った。このあとメーンケーブルの架設作業が行われる。

〈みもすそ川町。昭和46年·提供=平井敬司氏〉


橋桁の建設

昭和47年8月の工事風景。3月から開始された橋桁の取り付け工事の真っ最中である。

〈壇之浦町,昭和47年,提供=平井敬司氏〉


スケッチ大会

関門海峡にその偉容を現わした関門橋のスケッチ大会が火の山公園で開かれた。未だかつて見たことのない巨大な構造物を前に、思い思いに表現した。

〈火の山山頂·昭和48年·提供=平井敬司氏〉


関門橋歩行見学会

開通式に先立って「一日歩行者天国」が実施された。下関市、北九州市合わせて1万 8,000人の市民が、世紀の長大橋を一歩一歩踏みしめるようゆっくりと渡った。

《昭和48年,提供 = 平井敬司氏》


祝開通 

昭和48年11月14日、待ちに待った開通の日がやってきた。開通式の式典は門司側橋台にて、1.600人もの関係者が参列し盛大に行われた。

(北九州市門司区·昭和48年,提供=下関市)


(下関市の昭和より)(彦島のけしきより)


参考