小倉井筒屋の北端、北九州市小倉北区 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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北九州市の小倉の昭和50年以前?の昔の写真を見ると、勝山橋の近く、井筒屋の北側の三角コーナーにはバラック小屋状の個人建造物らしきものや鉄塔が在った。

今はどうなっているのだろうか??

残念というか、当然というか、現在、歩道の一部になっていた。さらに、紫川の河岸にあったバラック小屋や貸しボート屋も無くなって、綺麗に整備されていた。

北九州市小倉北区船場町1 IZUTSUYA付近

グーグルアース(北西から南東に見下ろす、3D)

参考

小倉船場町周辺  小倉今昔写真館

広告塔(SONYや森永)  福岡銀行北九州支店  東映会館→今はオリエンタルマンション  鷗外橋は昔は無かった 貸しボートの営業

歩行者のマナー  (曳野 利氏撮影)  小倉今昔写真館

信号や歩道や横断歩道、道路標識が無いか又は少ない。歩行者の乱横断は日常。道路交通法 歩行者の義務が法制化されたのは、もっと後の事なのか?

写真の説明→①井筒屋の北玄関辺り(民間の建造物 店が確かに有った)  ②大阪町(昭和42年)歩道が無い  ③魚町電停(降者専用)蛇の目ミシンの広告塔 電柱広告(カメラの村屋)

紫川の不法建築物と女性(昭和30年後半)  小倉今昔写真館

井筒屋の事務館と本館  小倉記念病院

北九州市誕生。高度経済成長に向かう時代。でも市民は川に背を向け、川には無関心が大方でした。街中には光と陰が有りました。

でも奇跡の浄化に向けて、壮大な運動展開がその後始まる事になります。