八幡東区の皿倉山にあるケーブルカーを何故「帆柱ケーブル」と呼んでいたのか? | 日本の歴史と日本人のルーツ

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郷土史家の永楽庵さんの頁には面白い記事があります。皿倉山にあるケーブルカーを、何故「帆柱ケーブル」と呼んでいたのか?

宝永六年(1678年)、貝原益軒が著した「筑前国続風土記」に

○皿倉山
 郡中第一の高山なり。
 皿倉山より杉山はひくく、杉山より帆柱山はひくし。
 皿倉山は東にあり。杉山は中にあり。帆柱山は西にあり。

と、明確に高さと位置関係が書かれており、江戸時代の各種絵図、明治時代に陸軍が作成した地図にも現在と同様に記載されている。

しかし、大正6年八幡市となった地元自治体は、皿倉山を帆柱山と取違え、各種印刷物に記載されていた。

このため、戦後八幡市議会で不思議に感じた議員からの質問に対し、執行部は「皿倉が本当だ。しかし、帆柱、権現、花尾と四山を総称して(帆柱連山)と言う。だから帆柱というのが表面に出るくる。」と、もっともらしいこじつけの答弁があった。これ以降、間違いを正すことなく、公園整備に当っても「帆柱」の名前が使われたため、ケーブルの名称も昭和32年の開設以来「帆柱ケーブルカー」となっていましたが、平成27年4月1日より「皿倉山ケーブルカー」に改称されました。間違いを正すのに、実に約60年もの歳月がかかりました。

皿倉山を帆柱山と間違った結果、八幡市歌に皿倉山が出ていない。

一 天の時を得 地の利を占めつ   
  人の心の 和さえ加わり
   たちまち開けし 文化の都     
  八幡 八幡 吾等の八幡市
   市の発展は 吾等の任務 

二 焔延々 波涛を焦がし       
  煙濛々 天に漲る
   天下の壮観 我が製鉄所     
  八幡 八幡 吾等の八幡市
   市の進展は 吾等の責務

三 高き理想を 帆柱山に       
  深き希望を 洞海湾に
   愛市の真心 神こそ知るらめ   
  八幡 八幡 吾等の八幡市
   市の隆昌は 吾等の歓喜
 
同様に、現在の八幡東区の小・中学校の校歌にも

  小学校 11校中 5校
  中学校   7校中 5校

に皿倉山が出ていない。

永楽庵さんの頁は

北九州市まちかど探検
http://sisekia.kitahistory.net/index.htm

その中の皿倉山については  
http://sisekia.kitahistory.net/topicpage1.html
ここの下の方です。


参考

北から南方向に見下ろす。左緑: 皿倉山、中黄: 権現山(杉山?)、中青: 花尾山、右赤: 帆柱山

若松南海岸通りから南に見た皿倉山(最高峰)

皿倉山(北九州市八幡東区大字尾倉)に登る皿倉山ケーブルカーの元の名称は帆柱ケーブル

皿倉山ケーブルカー山麓駅、北九州市八幡東区大字尾倉1481−1


余談

帆柱山の名称の由来に神功皇后の三韓征伐との関わりがあり、出征の船団の帆柱が林立したことに因んでいる。

だから、由緒正しい名称の帆柱山を皿倉山より更に表に出したかった為に取り違えが生じたと考えられる。

ところで、下関市安岡・綾羅木地区から見える市内の最高峰は鋤先山であるが、後ろに隠れた海抜最高峰の竜王山と混同している人が多い。