小倉駅の現在、北九州市小倉北区 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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国鉄小倉駅とJR小倉駅 小倉今昔写真館

現在はペデストリアンデッキ中心の動線になりましたね〜

開業当初 1891年(明治24年)は、現在の西小倉駅付近に存在したが、1915年(大正4年)に同駅の東側(現在のヤマダ電機 室町)に移転し、さらに1958年(昭和33年)に現在地に移転した。現在の新幹線口付近には、当時豊楽園球場が存在し、西鉄ライオンズの主催試合が不定期に開催されていたが、小倉駅の移転に伴い閉鎖された(新球場として小倉球場が建設)



参考

① 森鴎外京町住居跡

北九州市小倉北区京町2丁目7−5 森鴎外京町住居跡碑


第12師団軍医部長として赴任した森鷗外は、明治32年6月から同35年3月まで小倉に居住しました。


その前半は鍛冶町の家にあり、後半、33年の暮れから第1師団に転任して東京へ去るまで、京町5丁目154番地に住んでいました。しかし京町の旧居は小倉駅の移転にともない、駅前広場の一部となって、この碑の南25メートルの場所にありました。



② 豊楽園球場

1950年(昭和25年)  未だ小倉駅は無く、北側の埋立地に豊楽園が見える。


③ 小倉駅の今昔