ハネツルベ、下関市安岡・横野・福江 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

ご質問などはコメント欄にお書きください。

学術研究の立場にあります。具体的なご質問、ご指摘をお願いいたします。

下関の福江から横野、安岡あたりは赤土の台地で川の水が無い。あちこちに井戸を掘って、ハネツルベで水を汲んで、如雨露タゴに入れて散水していた。

私の母親の肩にはタゴを吊り下げる六尺(天秤棒のこと)の重みに耐える瘤(こぶ)が出来ていた。現在では、ガソリンエンジン付きポンプで水を汲んで安岡ネギに散水している。


参考

ハネツルベのある風景

国道一九一号線を北浦へ向かって走ると、安岡の横野から福江にかけて、海岸近くの台地に、ヤジロベエのような格好をしたハネツルベを何本もみつけることができる。

もともと横野一帯は、寛政·天保年間のころからマクワウリ、アジウリ、キュウリの栽培で評判をとり、明治二十四年(一八九一)には、油紙障子によるナスやキュウリの早熟栽培に成功するとともに、横野ネギや大根の生産に励み、全盛期の明治から大正時代には、国内はもとより朝鮮、満州まで出荷して横野野菜の名をとどろかせたものであるが、そうした野菜栽培の情熱は今でも継承されており、昭和三十三年に古谷三吉氏が、横野ニンジンという緋紅色の夏ニンジンの育成に成功し、その功績により黄綬変章を受けている。

さて夏の暑さに強く、白根部分が多く美味で有名な横野ネギの栽培は、横野や福江の台地で作られるが、灌漑用水路がないため、深い井戸を掘りハネツルベが設けられており、横野だけでも二百五十の掘抜き井戸がある。農家にとって、夏のひでりにハネツルベの撤水は、いちばんきつい重労働であったので、この地区には嫁さんに来る者が少なかったといわれている。

海風のそよぐ台地に、黒いシル工ットを見せて点在するハネツルべの風景は、安岡地区だけにしか見ることのできない珍しいものであり、そうした苦しい労働をよそに、のどかな美しい風物詩を描いている。

ところでハネツルベによる揚水も、今は動力のポンプに代わり、長いホースで撤水されるようになったので、ヤジロベエのハネツルベは全く無用のものとなり、夕映えの牧歌的な田園風景をかき乱すように、動力ボンプがけたたましくこだまする中で、しょんぽりとうなだれたハネツルベの長い孤影が、迫りくるたそがれの闇にひっそりと淋しく沈んでいくのであった。

(下関とその周辺 ふるさとの道より)(彦島のけしきより)